第2話 伝言伝達
本を全て片付けたあと、アリアスは厚さ十センチくらいにもなる、いくつかの紙の束をまとめたものを両腕で抱えて城の中を歩いていた。
向かう場所へ近づくにつれてまた人が減っていくのは、今いる場所が基本的には魔法師の使う部屋が多い場所だからである。
さらに、ほとんどの魔法師の主な拠点は城ではなく、城から少し離れた場所にある『館』と呼ばれる建物であったりと、城の外にある。
それもあり、人の姿も少なくなる。が、一番大きな理由は高位の魔法師のいる部屋の辺りであることが作用している。
「これ全部レルルカ様に、と。……師匠溜め込んでたなぁ」
おそらく彼女は城の中にいるはずだ。とアリアスは通路の奥へ奥へと進んでいく。
磨かれた床には、さすがは王の住まう城だと思うほどに優雅な模様が施されている。それは城のあちらこちら、つまりどこに行ってもそうだ。優美でない空間などない。
それは少し前までいた、ジオの部屋もそうだ。
上質な絨毯。家具は元々揃えられていたものだろう、デザインが統一されたもの。本棚一つ取っても、精緻な模様が彫られているのだ。
その師の部屋に限っては、部屋の主たる彼がたびたび台無しにしているのだが。
「今日あの山が片付いたらあっちに戻りそう。どうだろう……どっちでもいいかな」
師が好んで籠る部屋が、もう一つある。
それは一つの塔で、城の部屋よりも格段に狭い。
昔は魔法師が多く行き来する職場の一つであったとも聞くが、今は主要な建物ではない。
しかし昔と同じく立ち入るのは魔法師だけの空間であることに加えて、ほとんどの部屋が物置で、人の少ない塔は少なくとも城よりは魔法の使用が自由なのだ。
それでも、魔法の力は身体を巡るものであり無限ではないので、そもそも魔法を普段使いする者などあまりいない。例外が、ジオであった。
その前に、机の上のあの書類が片付いたらかな、と思う。
このあとすぐに戻って様子を見なければならない。下手をすれば、また本を読んでいるかもしれない。
「レルルカ様、アリアスです。いらっしゃいますか?」
「どうぞ」
少し早足になったアリアスが、やがて着いた部屋。その向こうから、そんなに間を開けずに答える女性の声があった。その言葉にアリアスはそのときだけどうにか片手で紙の束を支えて、ノブを捻る。
部屋の中にいるのは、深い緑色のドレスに、栗色の髪の一人の女性だ。
部屋の奥の机の向こうからやって来た彼女は、アリアスの持つ紙の多さを見て、少し早足で近寄ってくる。
「アリアスちゃん重かったでしょう。まったくジオ様ときたら、女の子に……」
「いいんです、レルルカ様。これも弟子である私の役割のようなものですから」
「変なところで甘やかしちゃ駄目よ」
レルルカは、紙の束を半分取り上げ、机に誘導してくれる。そのあとを歩き、同じく机の上に紙の束を置かせてもらう。
部屋の中は、上品なたたずまいのレルルカに合わせたかのように、部屋の内装も上品なものだ。それに、ジオの部屋とは段違いに整頓もされている。
この部屋に訪れたことは一度や二度ではないくらいだが、訪れる度に師との部屋の違いをひしひしと感じる。加えて時折模様替えがされているので、新鮮極まりない。
さすがはレルルカ様だ、と魔法師にして最高位のにある強い女性そのものの彼女に目を戻す。きっと、女性の魔法師のほとんどは彼女に憧れを抱いているだろう。
「アリアスちゃん、お茶を飲んでいかないかしら?」
「申し訳ありません……このあとおそらく、まだ持っていかなければならない書類があると思うんです」
「そうなの? もう、ジオ様は」
レルルカの誘いはとても嬉しいものであったが、アリアスは断らざるを得なかった。
レルルカはジオのせいだと思っているようで、頬に手を当てため息をついている。このあと師の部屋に戻ることには間違いはないので、アリアスは曖昧に笑って見せる。
「それじゃあ、伝言をお願いできるかしら?」
「はい」
「その前に聞きたいことがあるの。今朝の会議にジオ様はいらっしゃっていなかったのだけれど、どうかなさったのかしら?」
にこり、と綺麗なだけではない笑顔が浮かべられると共に言われたことに、アリアスは自分の表情が固まるのが分かった。会議?
そこで、今朝のことを思い出す。本で散らかっていた部屋でのことを。
肝心の師は今朝のあの様子だと、徹夜していたことになる。おまけに、一晩過ぎたとも気がついていなかった。さらには、朝になっていたと知っても会議だと慌てる様子がなかった。頭からすっぽり抜けていたのだろうか。
もしかすると、出たくなかったのかもしれないが。部屋から。
「単に怠けただけだと思って頂いていいと思います」
多くは語らなかった。なぜなら、知る限りでもこれがはじめてではないからだ。
案の定、レルルカは頷いた。
「そうでしょうね。まあ大した内容ではなかったけれど、それが問題ではないわ。ジオ様にそれも伝えていておいてくれるかしら?」
「はい」
「それから、こちらが本題なのだけれど、くれぐれも『春の宴』を欠席なさいませんように、とお願いできる?」
「……はい」
どこかすごみのある微笑みに隠されたものは何だろうか。それは知らない方が幸せかもしれない。
それはそうと、アリアスはもう一つの伝言にぎこちなく一礼して部屋をあとにすることになった。
*
「師匠!」
「どうした」
レルルカの部屋を出るやいなや、控えめに走り出したアリアスはほどなくしてジオの部屋に戻った。
部屋の中では、なんと師はソファに寝そべっていた。
長身なこともあって、伸ばしたその足と腕ははみ出している。長い漆黒の後ろ髪も、ソファの肘掛けから垂れている。問い返してくるも、その目は閉じられすっかり休憩していた。
その様子を目にしたアリアスは扉をいくらか乱暴に閉めて、そんな彼に近寄る。
「何してるんですか師匠! 仕事は? 机の上見てください」
「俺に休息をくれ」
「その休息の時間を削って読書に耽っていたのはどこの誰ですか?」
「昨日のは不可抗力だ。ん、今日か」
「もうどっちでもいいですよ、それより! レルルカ様から伝言を預かってます!」
「聞かん」
「言います」
軽く揺するも、頑として目を開こうとはしない。伝言も拒否される。
レルルカという名前ゆえか、心当たりがあるのだろうか。
「まず、今朝の会議を欠席した件について」
「ああ、そういえばあったな」
「頭にはあったんですね……。内容は大したことではなかったようですが、それが問題ではない、とのことでした」
「ああ、そうか。それだけか」
「もう一つ、これが本題だそうです。『春の宴』を欠席なさらないように、と」
瞬間、見下ろした先の顔に紫の輝きが現れた。ジオが目を開いたのだ。輝き、と言ったが輝いてはいない。むしろ露になった今、その反対へと徐々になってきている。伝言の内容を理解したためだろう。
「王都を出る」
「だから、それをしないようにっていう伝言でしょう……」
『春の宴』とは春の訪れを祝い、城で行われるパーティーのことを指す。
それが今年も迫ってきていた。めでたいことで、この時期城を問わず王都全体が浮わついてくる。街でも催しものがあるからだ。
それがなぜ、目を突然開いた上でのジオの突然の発言に繋がるのかと言えば。
「師匠、数時間くらい我慢してください」
「無理だな」
足元に落ちていた一冊の本を目に留めて拾い上げながら、『春の宴』という単語で覚醒した師に声をかける。即答される。
ソファではせっかく開けた目を、右腕で覆ってしまったジオがいた。
彼は、人混みが嫌いなのだ。
特に、パーティー等の華やかな席は絶対駄目の状態。立場もあって、顔を出すと必ず捕まってしまうことが原因の一つではある。その対応が面倒であることも。
現にジオの発言は去年もされたことで、去年は実際に逃亡することに成功したのだ。
『春の宴』の前からその空気が冷めるまでの一ヶ月ほど、『国内調査』の名目で王都の隣の街……の隣の隣の隣の町にいたのだ。
もちろん言い訳で、そんなこと一欠片もしなかった。
ただただ、のどかなところだった。
アリアスも同行した。それもあって、レルルカの言葉に後ろめたさを感じて、ぎこちなくなったのだ。言い出したのは自分ではなかったのだけれど。
「人が多い。面倒。疲れる。あれは何の意味がある。無駄。俺がいなくてもいいだろう、去年もいなかった」
「師匠、大人になってください」
何の意味があるとは、もう極端すぎる。
それは、彼がいなくても回るには回るだろう。しかし、無断欠席するのはいかがなものか。貴族だけでなく高位の魔法師も集まる。もちろん王族の方々が出席されるのだ。にも関わらず、参加しないのか。
正当な理由があるならまだしも、理由は理由になっていない。
一気に子どもっぽくなってしまったような師は、今も目を覆ったまま、続けて嫌だ、と呟いている。本当に嫌であるらしい。
「やはり王都を出るぞ」
「レルルカ様にばれますよ、たぶん」
「去年は怒っていたな」
レルルカはジオと同じく最高位の魔法師だ。
その姿は若々しい美しい女性のものだが、実年齢は四十を超えている。ジオ曰く、ただの頑張った若作り。失礼極まりない。
そんな彼女は去年、ジオが黙って『春の宴』を欠席したことを怒っていた。あの美しい微笑みのままで。
そのせいで、と言うのはなんだが、去年その後にあった催事は逃げられなかった。元より理由らしき理由もなく不参加の方がおかしい。
「……途中で抜けるのは有りか」
「途中って言って、三十分くらいで抜けるのはまずいと思います」
「そうだろうな」
これが国でも片手ほどしかいない最高位の魔法師か、と時々思う。ある意味、どんどん退化してきていないだろうか。
「気がつくのが遅すぎたか……」
「悔しそうに言わないでください」
この分だと、『春の宴』には参加しても、それ以降にある催事のどれかからは逃げてしまうかもしれない。というよりも『春の宴』の直後に放浪の旅に出てしまいかねない。
アリアスとしてはどうなろうと構わないのだが、彼の地位を考え見れば厳しい部分があるだろう。
アリアスは拾った本を手近な本棚の隙間に入れ込んで、息を吐く。本当にこの人は驚くほど子どもっぽくなることがあるな、と。
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