花咲くとき、騎士は請う

久浪

『春の宴』編

第1話 目覚まし係







 コンコン、コンコンという音が部屋に鳴り響く。

 何か固いものに、固いものが当たっているような音は、少しの沈黙を間に挟むものの、一向に止む気配はない。

 濃い茶色の毛布で身をくるみ寝ていたアリアスは、その音が八度ほど鳴った頃にもぞり、と身じろぎした。

 しかし動きを一旦止め、数秒。


 今度は、先ほどより大きく身じろぎしたアリアスは目を開けた。ゆっくりと身を起こしながら、閉じたくなる目をこすり、眉をわずかに寄せる。

 いつからなのか、部屋に響く音を明確に耳に捉えたからだ。

 肩ほどにまで伸びた茶色の髪に手櫛を入れながら、ベッドから降りて向かった先は、ベッドから大人の足で三歩の位置の窓。

 窓を覆い、外からの光を遮断しているカーテンの片方に手をかけ、勢いよく引く。


「まぶしい……」


 途端に入ってきた光を顔に浴び、ぎゅっと目を一度だけ閉じてから、これまた窓を片方だけ開く。

 開いた窓から、朝の若干ひんやりとした空気と一緒に入ってきたものがあった。


「やっぱり。ごめんね、開けるの遅くて。おはよう」


 鳶色の羽を持つ鳥だった。

 鋭いくちばしが窓を叩いて、先ほどからの音がしていたのだ。同じく鋭い爪を持つ足は、アリアスの腕に止まることはなく、窓枠に器用にとまり、猛禽類特有の目がアリアスを見上げる。

 入ってきた鳥を迎え入れて、アリアスはやっぱりという顔をした。


「配達に来てくれたんだよね。分かってるよ」


 鳥の頭を指先で撫でながら、何かを訴える鳥にそう声をかけた。

 鳥の首には小さな箱がある。普通の鳥よりもがっしりとした首は、難なくそれを支えている。

 鳥が主張しているのは、その中に入っているものがあるからだ。小さな皮製の箱を開けると、折り畳まれた手紙があった。


「ご苦労様。小屋に帰ってお休み」


 手紙を取り出し鳥に促すと、言葉が分かっているように、鳥はくるりと外を向き、飛び出していった。

 鳶色の塊が羽ばたいていくのを立ち上がって確認し、アリアスは窓を閉める。

 それからぐぐっと手を上へ伸ばして伸びをすると、


「起きよう」


 届いた手紙は小さな机の上へ置いた。





 国の名前を、グリアフル国。王の統治する周辺の国々の中では大きな部類の国だ。

 アリアスが寝起きしている部屋は、王の住まう城のある敷地内にある。しかし、城の中にあるのではなく、そこからいくらか離れた一つの塔にあった。

 国を統治する王がいる場所だ。敷地が広大で、それは塔の一つや二つ、別の建物が建てられていたりもするだろう。少なくとも、アリアスはそう思っている。


「アリアスちゃんおはよう」

「おはようございます」


 塔から出て、城へと向かった。

 城の中にはもう多くの人が起床し、働き始めていた。石で全てが作られた通路を歩くアリアスは、深緑色のドレス姿の栗色の髪の女性に軽く頭を下げて挨拶をして、すれ違う。

 そんなアリアスの服装は、白いブラウス、その上から上着を身につけ、胸元に紺色のリボンが結ばれている。スカートは紺色の、膝をちょうど隠すくらいの丈で、ひらひらとしたレース等の飾りはないシンプルなものだ。

 ショートブーツの低い踵が、歩くたびに、固い石の床で小さく音を鳴らす。櫛の通された、少し濃いめの茶色の髪が揺れる。

 髪は右の横髪だけ耳にかけており、その隙間から右耳の耳たぶにある耳飾りが覗き、輝きが太陽の光を跳ね返す。


「おはようアリアスちゃん」

「おはようございます」

「今からジオ様のところだろう? これを渡しておいてくれないかな」

「分かりました。確かに受けとりました」

「よろしく」


 すれ違う人の内、今度は髭を口周りに蓄えた壮年の男性に止められ、紙の束を受けとる。その男性と別れ、アリアスはまた歩き出す。

 紙の束は右手で持ち、身体の横に下げている。

 歩く右手にはドアが等間隔にずらりと並ぶ。それらに目を向けず、ひたすらに目的地へと足を進めていく。

 いくつもの扉を横目に通り過ぎしばらく、やっと足を止めた場所には、人の姿はアリアス以外にはない。

 目的の部屋は、その通路の一番奥に近い場所にあった。

 その部屋の隣と隣、それからまたその隣も確か物置になってしまっていたはずだ。突き当たりで、窓に面する通路から中に入ってしまっていることもあり、窓から距離のあるそこに光は太陽の位置の関係もあり、あまり届いていない。


「師匠、おはようございます」


 まず、外から声をかける。

 限りなく黒に近い、茶色の扉に向かって。けれども、応える声はない。


「おはようございます、起きてますか」


 顔を近づけ、少しだけ声を大きくする。

 また、その言葉に応える声はなかった。そこでアリアスは遠慮せずにそのドアノブに手をかける。捻る。鍵はかかっておらず、すぐに開いた。

 扉を開き、広がった空間は、壁全面が本棚になっているものだった。棚にはぎっしり本が詰まっている……と思うと、所々ごっそりとぽっかり空いた空間が。

 さらに、足を進めた床には本が数冊散らばっている。不自然に空いていた棚と比べるとその数は少ない。

 アリアスは足にぶつかった感覚に、下に落ちている本に向けていた目を上げる。


 そこには、数十冊にも及ぶと思われる本が宙に浮いていた。


 ふわり、ふわりと落ちてくる気配もなくその場に留まる本。アリアスは高さもバラバラに漂う本を見てから、部屋の奥に目を向ける。

 奥には一人、アリアスの方には背を向けて立っている姿があった。


「師匠、城でのむやみやたらの魔法使用は駄目ですよ!」


 本を避けて近づいていくと、部屋の主はやっと反応を見せた。どうやら今気がついたらしい。


「アリアスか」

「おはようございます。……何してるんですか」


 振り向いたのは、若い男。後ろだけが長い髪は漆黒、その目は紫という色味の男は、真剣な顔つきで弟子の質問に答える。


「本を探している」

「本? 何の本ですか?」

「昨日、俺が買ってきた本だ。緑の背表紙に銀色の文字で題名が書かれてあった本」

「……昨日買ってきたものって言っても、二十冊くらいありましたよね」

「そうだったか」

「そうですよ。大体それだけならまだしも、どうして一晩でこれだけ散らかってるんですか。散らかすから無くなるんですよ」

「色々目についたものを読み漁っていると、こうなった。……待て、一晩とは何だ」


 しわの入りすぎているような気がする白いシャツと黒いズボンだけという軽い服装で、男は首を傾げる。

 その様子にアリアスは一瞬固まり、それから息を吸って改めて声を出す。


「もう、一晩経ってるんです……」

「今、夜くらいじゃないのか」


 男は、少しだけ、その感情の読めない声に驚きを滲ませた。

 しかしそれからすぐに、そんな時間ならお前がいるはずがないな、と一人で納得し頷く。その言葉を聞いて、今度はまたか、という目になってアリアスは言う。


「……とりあえずこの本を下ろして片付けてください」

「だが、探すにはこうしていた方が楽だ」

「だから、ここはお城なので魔法の使用は控えて、ください……」

「ああ、そういえばこの部屋は城の方だったな」


 最後にはアリアスは肩を落とし、男はまた一人で納得していた。どこまでも会話がどこかずれている。

 部屋の中にはずっと本が浮かび続けていた。



 ――ここはグリアフル国。魔法の生きる国。

 魔法を使え、またそれを生業にする者を『魔法師まほうし』と言う。

 魔法の力を持つ者は国民の約半分とも言われているが、その力は外に出せないほど小さなものであることも少なくはない。

 そのため、『魔法師』となれるほどの魔法の力を持つ者はそれよりもぐっと少なくなり、また『魔法師』となる者もまたそれよりも少なくなるとされる。


「あ、師匠、本ありましたよ」


 魔法で浮かせていた本は下ろされ、地道に手作業で本棚にそれらをしまっていた。

 部屋の主であり、本の持ち主は、一度読んだものであれば、シリーズごと等に順に並べたり、固めておいたりしなくてもよいとする性格だ。

 昨日から部屋に籠っていても、元々あった本も読んでいたのなら新しい二十冊の内未読の本もあるかもしれないが、そんなことアリアスには分からない。


 順に並べろとは言われていないことと、これだけ散らかしていることを言い訳に、床に落ちた本をバラバラに本棚に突っ込んでいくという作業を行っていたアリアス。

 手にとった本が、緑の背表紙に銀色の文字でタイトルが彫られていることを見つけ、探されていた本ではないか? と思い出したのだ。

 同じく腕に数冊の本を抱えている男は、手近な棚の隙間にまとめて突っ込んで歩み寄ってくる。


「よくやった、アリアス」


 男の名を、ジオと言った。

 国の魔法師であり、その地位は高いものであった。また、アリアスの師でもある。

 彼はアリアスから受け取った本の表紙を撫で、ぱらぱらとめくり始めてしまう。


「師匠、片付けてからにしてください。それから書類、預かってきています」

「俺には休息の時間が必要だ」

「休息の時間を丸々削って読書していたのは誰ですか。だからいつまで経っても仕事が終わらないんですよ」

「昨日のは不可抗力だ。気がついたら朝だった。ん、今日か……」

「どっちでもいいですよ」


 開け放たれたカーテンからは、少しながら太陽の光が入ってくる。そちらに師が目を向けている内に、アリアスは本を取り上げる。作業が進みそうにない。

 それにさっきから、部屋にある執務用の机の上には紙の小山が出来ている光景が見えていた。

 心なしか、昨日の夕方見たときから低くなっていないように思える。気のせいだと思いたいものだ。


「返せ、アリアス」

「駄目ですよ。あまり仕事が溜まっていると怒られますよ」

「誰に」

「師匠が一番分かっているはずです。それにその内本を全部移動させますよ?」

「それは駄目だ」

「でしょうね」


 どうせどこかに移動させても、この人はすぐにこの部屋を本でいっぱいにするのだろう。

 見つけ出して移動させるか、新しいものを買ってくるか。どちらにしろ、こちらの労力がかかるだけと分かっていてもアリアスは言わずにはいられなかった。


「あとは私が片付けるので、師匠は仕事をしてください。届け物があれば届けに行きますけどありますか?」

「ある。書類を持って行ってくれ」

「分かりました」


 魔法をむやみやたらと使うことは、原則禁止だ。

 場所が城であるとかいうことに関わらず、街でもそうだ。例外的に許可された場所はあるが、それ以外では控えるようにされている。

 安全のためでもあり、また魔法を使えない者もいるためであるのだ。

 そうでなければ、この師は他に渡さなければならない書類など魔法でひとっ飛びさせてしまうであろう。しかし過去にそれで注意を受けたことがあるので、大体は……というよりほとんど全てアリアスが届けている。

 机に向かった師を横目に、アリアスはまだかなり残っている本を拾って本棚の隙間を埋めはじめた。

 もちろん、さきほど師によって隙間以上の厚さのまとめられた本を詰められた箇所からは、一冊本を抜き取って比較的薄いものを入れておいた。






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