第12話 ドアの開閉はお静かに

「……ドアが壊れる」


 今度は閉められた、と思うがやはりドアにあるまじき大きさの音を立てた。そんな音のあと、カツカツと硬質な靴音が響き始める。

 二度に渡る大きな音のあとだと静けさが身に染みる中、布に手をかけたままのクレアがぽつりと言った。


「ドアくらい壊れたら後で直してやるよ」

「直せばいいというものじゃない。それに大きな音は迷惑……他に寝ている人はいないけれど、そういう問題でもない」

「分かった、悪かった。アリアスはどこだ」

「……どこでそれを聞いてきたの」

「どこからだろうな」

「静かにして、でないと追い出す」

「分かったって」

「それに団長だからといって、年上にその態度は何、ゼロ=スレイ。最低限のマナーも守れない人も、追い出す」

「悪かった。だからとっとと……いや、早く――」

「……もう、いい」


 クレアの横顔と身体だけがアリアスからは見えていて、逆に言えば相変わらず残りは布で覆われていて見えない向こう側で交わされる会話。

 クレアのどこか諦めた色が滲んだ言葉を境にさっと布が引かれた。


(ゼロ様、)


 とアリアスは口を動かしたが声は出ない。空気だけが洩れる。

 ドアを破壊しかねない様子で入ってきて、クレアの表情を若干厳しそうに変化させたのは軍服姿のゼロだったのだ。

 向こう側とこちら側を仕切る布がなくなり、布で隠されていた側が露になったことでベッドにいるアリアスを目にしたゼロは顔を険しくする。そして、アリアスに歩み寄ってくる。


「簡単に例えると、喉が焼けてしまった状態。他はもう大丈夫。毒の種類の詳細はあちらの騎士団に渡されたみたい」


 ゼロが通って布をぱさりと引き直したクレアの説明を後ろに、ゼロはベッドに腰掛けるのもそこそこに、アリアスに手を伸ばす。


「アリアス、大丈夫か……?」


 灰色の目と声音に表れた様子。

 目線が近くなったゼロに、アリアスは笑ってみせる。こくん、と頷く。大丈夫だという意味を込めて。


「治療はしたけど、まだ途中。今日は声が出せないから。アリアスとどういう関係かは知らないけど、さっき起きたばかりだし絶対無理をさせないで」

「させねえよ」

「アリアス、困ったら呼び鈴を鳴らして。すぐに来るから」


 クレアはゼロに言うだけ言って無視をして、アリアスに言い残して元のように布を戻し、仕切られた空間から出ていった。


「声出ねえって……毒のせいか。喉に痛みとかは?」


 アリアスは首を横に振る。


「この包帯は何でだ?」


 二人だけとなった、ベッドを中心とした区切られた空間でアリアスから目を離さないゼロは首の包帯に触れながら連続で問いかける。

 アリアスは二つ目の問いにちょっと考える。どうもゼロは包帯が何か問題があるから巻かれていると思っているようだ。クレアの説明を頭から思い起こして、一旦傍らに置いていたメモ張とペンを目で探して取る。

 しかし、その行動の意味を理解しただろうゼロに止められる。


「口動かしてくれたら分かるから、書かなくてもいい」


 口の動きを読み取るということだろうか。そんな技術が。

 手を紙に触れる前に止めて、アリアスは目を戻す。ゼロが変わらず見返してくれている。

 このまま、喋ればいいのだろうか。

 何だか戸惑って首を少し傾げると、頷かれたので変な感じだなと思いながら口だけをぱくぱくと動かす。


(クレア様が、包帯の内側に魔法石を入れてくれているそうです)

「ああ……なるほどな」


 すると、本当に読み取ることが出来た様子のゼロは納得の声と一緒に息をついた。

 そしてもう一度、


「そうか」


 と呟いて軽く触れるか触れないかくらいで包帯に接していた手が離れる。

 そのまま手はアリアスの頬にそっと触れる。


「……やっと安心した」

(すみません)

「何で謝んだ。心配すんのは当然だ。けど、直接顔見て本当に安心した」


 手の甲の側を向いた長い指が頬を滑る。

 その間にも穏やかとなった灰色の目がアリアスを見続ける。

 アリアスは不意にどきりどきりとする。こんな状況でと思うが、心底ほっとしたような目で見られてはどうしようもない。


「詳しいことは何も入ってきてなかったからな。喉、絶対自然に声出るようになるまで無理すんなよ」

(は、い、分かってます。……ありがとうございます、ゼロ様)

「それならいい」


 頬を滑っていた手がそのまま移動して髪をすいて、離れる。

 というより、当たり前みたいに会話が成り立っていることがすごいなと思いながらアリアスはそっと本当にそっと呼吸を落ち着いてする。

 だがそのとき、布一枚隔てた向こう、アリアスにとっては三度目、ドアが通常開け閉めされる際には出ないような音が出て開けられた。


「すげえ音したな」


 アリアスはまたもの突然の大きな音にやはり驚き息を吸った。またか。次いで、顔ごとその方へ向ける。

 ゼロもドアの方向は見たが普通に感想みたいに言った。

 彼が来たときもあれくらいだったと言いたい。ドアがそろそろ壊れないか心配だ。


「……今度は誰」


 クレアのものと分かる平淡な声がそれほど経たずしてする。

 度重なる騒音に少し怒っているかもしれない。と見えない向こうをじっと見守るアリアスは感じた。


「アリアスが運び込まれたって聞いて来たんだが、どこなんだ?」

「ルーウェン団長。あなたまで……、もう……そっち。心配するのは分かるけれど、お願いだから静かにして」

「ありがとう、すまない」


 やり取りの中の声は大変慣れ親しんだものだった。

 ぱたん、と短めの会話が終えられて今度は普通にドアが閉められたようだった。

 その数秒後、布が開けられ姿を現したのは案の定、軍服姿のルーウェンだった。


「アリアス……!」


 彼はゼロと反対側のベッドの脇にきて、すぐに包帯に目を留めた。眉が少しだけ下がり、眉根が寄せられる。

 ルーウェンが入ってきた後ろからクレアが顔と身体の半分ほどを覗かせてそんな彼に簡潔に説明をする。


「喉は治療はした。けれど、まだ完了してはなくて、包帯は魔法石を下に仕込んでいるから。外傷があるわけじゃない。それから声は今日は出せない。他は大丈夫」

「今日ここにいなければならないほどではないのか?」

「そう。けど、明日来てもらう。じゃあ、アリアスの負担にならないようにして」

「分かった。ありがとう」


 すっとクレアは布の向こうに姿を消した。

 途端、一旦彼女に顔を向けていたルーウェンはアリアスに向き直り矢継ぎ早に問いかける。


「喉に痛みは? それから他に身体に違和感は? さっき大丈夫って言われたか。でもな、頭痛いとか、痺れてるとか……ああ、声が出せないんだったな。いいぞ、口を動かしてくれたら分かる」


 問われたアリアスは目をぱちぱちと瞬く。

 こちらを器用に覗き込むルーウェンの青の目は真剣そのもので、言っていることは過保護の塊みたいだが、心配してくれていることをアリアスは知っている。昔から、熱を出したときなどと同じ、でももっとちょっとそれよりも上を行っているような。

 とりあえず、青空みたいな目を見つめ返しながらも質問を頭の中で反芻する。

 言うべきことは迷うはずもなく、口を開く。


(大丈夫です。だから、ルー様)


 ちょっと落ち着いてください。と口を動かすと、兄弟子は少し沈黙したまま確かめるように目を動かして、それから。


「――良かった」


 と息を吐き出しながら言った。

 アリアスは頭を緩く撫でられながら、苦笑いする。

 それにしても、ゼロも、ルーウェンにしても口の動きを読むなどというすべをなぜ当然のように身に付けているのか。騎士団の団長になるための条件なのかと思ってしまう。

 こういうのを何と言うのだったか、読唇術か。


「それよりゼロ、お前どこから聞いて来たんだ」


 そこでやっとルーウェンは傍観に徹していたゼロに顔を向けた。

 不思議そうな言葉から察するに同じ情報源から来たのではないのか。とアリアスは二人を見上げる。


「第二王子の侍従、ってもだいぶ偶然だったけどな。お前は?」

「俺か? 彼女だ」


 ルーウェンが目線で指したのは布の向こう。クレアのことか。


「知らせを寄越してくれた」


 なるほど。アリアスはそれなりにクレアと面識がある。ルーウェンもまたどれほどかは知らないが、クレアと面識がある。

 それからアリアスが過去に病気で彼女の世話になったことがあり、アリアスとルーウェンが兄妹弟子で、さらにはルーウェンの性分も知っていることから彼に知らせをやったのだろうか。

 ということはアリアスは推理できるとして、そのことを知らないだろうゼロがどう納得したかは知らないが、彼はへえ、と納得した。


「正直もう気が気じゃなかったんだが、彼女なら大丈夫だと言い聞かせてなー。あ、さっきの確認は別に彼女を疑ってたとかいうわけじゃないぞ? やっぱり気になるものは気になるからな。それよりゼロ、仕事放り出してきたとか言うなよ頼むから」

「ちゃんと終わらせてきた。じゃなかったらもっと早く来てるっての」

「さすがにそれはそうか……」


 ルーウェンは友人の言葉を聞くと、軽く笑った。そして互いがこの場に辿り着いた方法を確認すると、ずっと確かめるように緩く撫でていたアリアスから手を離しながら目を移す。


「アリアス、聞いておきたいことがあるんだ」


 アリアスは、緩やかな笑みを浮かべてどこか申し訳なさそうに言う兄弟子を見上げる。首を傾げて、頷く。


「状況を教えて欲しいんだ。毒を飲む前後の。ごめんな、そんなに時間が経ってないのに。でも、『あちら』の騎士団の管轄になったから後で彼らに聞かれると思うんだ。だから、俺が聞いて伝えておくから、いいか?」


 『あちら』の騎士団、というのはクレアも口にしていたが、ルーウェンやゼロが魔法師で構成された騎士団であるとすれば『普通』の騎士団という解釈で合っているだろう。

 どうも王子も口にするはずであった紅茶に毒が盛られたという事件はそちらの管轄になったらしい。魔法師騎士団は竜の件を抱えていることと魔法での件ではないだろうことを考えると納得だ。

 ということでルーウェンの仕事ではもちろんない。その行動は単に妹弟子を思ってのことであった。

 彼が謝ることなどひとつもないのに、わざわざそうする手間もあるのにとアリアスは首を緩く振る。気にしないで欲しい、と。


(私は、王子がいらっしゃらなかったので侍女の方の一人に案内されて部屋で待っていました。お茶を飲んで待っていてください、と。それで、ほどなくして別の方が紅茶を運んで部屋に入ってきました。その侍女の方が紅茶を入れてくれて、飲んで――)


 熱さの痛みの錯覚が一瞬呼び起こされる。

 けれど、一秒にも満たない間息を止めただけで、話を終える。部屋に入ってから紅茶を飲むまでそこまで長い時があったわけではないのだ。

 それより。


(ルー様、侍女の方はどうなったんですか?)

「侍女は……一先ずは牢に入れられているだろうな。騎士団に話を聞かれている頃かもしれない」

(あの方は、違います)

「違う?」


 思い出すのは、手の震え。かたかたと小刻みにカップと受け皿が当たって音を立てていた。顔も蒼白かった。あのときは体調が悪いのかと思っていたけれど。

 あの、最後に窺った目は。


(手が、震えてました。……まるで何かに怯えているようでした。毒を自分で盛ろうとする人がそんな態度を取るはずありません)


 彼女は何に怯えていたのだろう。毒を入れたことに、ということもあるだろう。けれど、それ以外に。

 アリアスにはあの人が自分でそうしようとしたようには思えなかった。

 それを、兄弟子に伝える。


「怯えて……。参ったな、情報はまだ入ってきていなくてな」

「聞き出せてないんじゃねえのか」

「そうだな。問題の侍女がそんなことをする理由持っているかどうかどころか、どういう人物かも知らない。が、どうもタイミングが……」


 ゼロと言葉を交わしたルーウェンがはっと口を閉じた。

 その様子にアリアスは少しだけ引っ掛かるが、その前に彼が続けて話す。


「まあ毒を盛った事実は揺るがないだろうな、怯えていたなら特に。知っていた、ということだから」


 アリアスがはっとする番だった。

 さっき自分が発したことが侍女の罪を確定させてしまったかもしれないからだ。でも、嘘ではない。けれど。


「アリアス、事実は必要なんだからそんな顔しないでくれ」


 どんな表情をしていたかは、自分では分からない。けれど、かなり複雑な顔をしていたのだろうとは思う。僅かに下げていっていた目線を自覚して上げると、兄弟子は困ったような顔をしていた。


(分かってます、ルー様)


 アリアスは彼の言うことが分かってはいたから、そう言った。

 これは、確かに王子の命に関わった件なのだ。

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