第8話 休暇初日の昼下がり
休暇初日――と言っても、午前中は仕事。アリアスの休暇前最後の仕事は竜の世話で、現在勤務時間を終えた。
「明日からしばらくすみません」
「いいよ。長めの休みは大切なことだから」
明日からはしばらく休みにすることもあり言うと、ディオンは「それに時期はそれぞれ、皆なんだから」と何でもないように言った。
「そうそう、お互い様お互い様。休暇はどこか行くのか?」
「はい。里帰りします」
「里帰りは大事だな。ゆっくりしてこいよ」
「はい」
ファーレルとも短い間だけれど、しばらくお別れだ。ファーレルは昼ご飯を食べている途中なので、食べる終わる前には出ていきたいところだ。
竜の方を見ていると、ご飯の用意をした後の先輩の一人が通り過ぎ際に「ファーレルに言い聞かせて行ってちょうだいよ」と冗談めいた言い方をした。依然として一番なつかれているのがアリアスゆえの言で、アリアスは笑うが、真面目に考えはじめたのは近くにいる先輩だ。
「そういえば、母親がいない動物育てるときに言うよな……同じ匂いのついた物があると良いって……」
ぶつぶつと呟きはじめた。
「ファーレルのなつきようを考えると、アリアスの匂いのついた物でもあればいざというとき役に立つんじゃ……。寝つかないときとか、寄り道しそうなときとか。いやでもあれは単に同じ動物の匂いのものにするってだけだったか? だったら意味ないか……? でも可能性はなきにしもあらず……」
「……変態」
「へんたい!?」
ぼそりとディオンが言い、あくまで真面目に考えている先輩は素っ頓狂な声を出した。アリアスは苦笑いするしかない。
「告げ口するよ」
「誰に」
きょとんとする先輩が一人に対し、居合わせた周りがため息をついた。
その横でディオンが改めてアリアスに言う。
「とにかく、せっかくの休暇なんだから仕事は忘れてゆっくりしてくるといいと思う」
「ありがとうございます」
こうしてアリアスは帰郷とゼロの実家訪問を控える休暇に入った。
*
午後になると、予定していた通りに城からマリーと共に街に出掛けた。
城からの道を降りていくと、徐々にではなく一気に人は多くなる。王都には国中から人が集まるため、いつでも人で満ちている。もう昔の話だが、村と言ってもよいほど小さな町で生まれたアリアスが初めて王都の街を目の当たりにしたときは、目を丸くして、辺りを見渡し落ち着きがなかったものだ。
道を馬車が行き交い、その両端を人が行き交う。
イレーナと合流する前の道中でマリーが洋服店の前では展示されている洋服を見上げ、可愛らしいお店では大きな白いうさぎのぬいぐるみに視線をつられ、食べ物のお店の前を通ると匂いに誘われてしまいそうになりながら……待ち合わせ場所に着いた。
待ち合わせ場所はある広場。
ここまで通ってきた両側に建物がところ狭しと並んでいた道とは違い、上から見ると綺麗な大きな丸を描く広い場所にはやはり人が多くいる。
中央には人の背よりも高い像が建っており、モチーフは竜と人。伝承を型どったと見られる像の竜は鱗一つ一つまで精緻に作られた見事なもの。翼を広げた竜も隣に立つ人も、空を見上げている。
今では人々の待ち合わせの目印に使われているそれをアリアスたちも目印に使っているため、人がどれだけいようと見える像に近づくにつれて辺りに視線を向ける。
イレーナはどこだろう。
「イレーナ、もう来てるかなぁ?」
「時間に正確だから、来てると思うんだけど……」
同じように待ち合わせしている人はたくさんいるので、当の像近づくにつれ人の密度が高くなってくる。待ち合わせをしている対象が像のすぐ近くにいるというわけにもいかない。
「あ、マリー」
「いた?」
「うん」
おそらく待ち合わせ時間から少し遅れてしまったくらいであったため、いるだろうと思われた彼女は予想とは異なり像のすぐ近くに立っていた。
「イレーナ!」
アリアスが示した方を見てイレーナを見つけたマリーがぶんぶんと音がしそうなくらいに手を振ると、イレーナが声の方を探してこちらを見つける。
人目も憚らずに大きく手を振るマリーに呆れたような色を滲ませながらも微笑むイレーナの元に行くと、腕を組んでみせた彼女は「少し遅刻じゃない?」と言った。
「ごめん、イレーナ」
「だって、色々誘惑があるんだもん」
「今の答えで把握したわ。マリーの寄り道が原因ね」
「寄り道はしてないよ!」
未遂ではある。
「まあいいわ」
あっさりと腕を解いたイレーナは「言っただけだもの」といたずらっぽく笑った。
合流を果たしたことで、待ち合わせ場所から離れることにしたアリアスたちは特に明確な予定は立てていないこともあり、とりあえずは目的地もなく歩き始める。
学園に在学中も、休日には届け出をしていれば外出はできたので、そのときを思い出す。
やがて「あ!」と大きな声を上げたのはやはりと言うべきかマリーで、さっき通りすぎたうさぎのぬいぐるみがあるお店を見つけたらしい。中に入るとぬいぐるみだけでなく精巧な人形、子どものおもちゃだと思われるものがたくさん棚に並べられていた。ぬいぐるみの丸い目と、人形の人間に似せられた目が入ってきた者を出迎える。
「こんなお店、前はなかったわね。最近出来たのかしら」
「すごいね」
並ぶぬいぐるみ。うさぎの他にくまや猫。大きさにも三種類あるようで、小さなものは片手で普通に持てる大きさだが、大きなものは大人からしても大きい。首もとには様々な色の大きなリボンが結んであり、可愛らしい。
店内の様相も売られているものに合わせて可愛い、きらきらしたものだ。
「わたし、ぬいぐるみより人形の方が好きだったわ。今も、家の部屋の隅に飾ってあるし」
「どんな人形?」
「それがね、わたしと同じ髪と目の色をした女の子の人形なのよ」
聞くところによると、小さな頃に両親からプレゼントされたものらしい。大きくなった今となっては苦笑混じりにイレーナ笑った。
「大きくなっても、人形もぬいぐるみも捨てられないものよね」
「そうだね」
「アリアスは人形? ぬいぐるみ?」
「私はぬいぐるみ」
アリアスはぬいぐるみを二つ持っている。二つとも小さな頃にもらったものだ。
一つは手作りのもの。故郷から出るときに、必要と思われる衣服以外になくても困らないものだったろうがそれを持ち出した。母が作ってくれたものだったから。
今は棚の上に置いているそれは今ではぼろぼろだが、捨てられないものは捨てられない。
もう一つは、ルーウェンがくれたもの。城で暮らすようになってからくれたと朧気に覚えている。兄弟子は騎士団に所属しているとあり、会う機会が目減りしたある日、子どもの手に余る大きな大きなぬいぐるみを持って現れたのだ。
ちょうどこんな大きさのぬいぐるみだった、とアリアスはくまのぬいぐるみを持ち上げた。
二つ並べて、塔の部屋の棚の上にある。
「これにしよっと」
この店に一目惚れしたマリーはというと、真っ直ぐにぬいぐるみの棚に向かってあれこれ見ていたが、何か選んだようだ。
「可愛いね」
横から覗き込んでみると、マリーが手にしているのはうさぎのぬいぐるみ。白うさぎが身につけるつやつや光る大きなリボンはピンク色。
「でしょ? 妹に送ってあげるんだ!」
周りから意外だという声が上がるが、長女であるマリーの真の目的は一目惚れしたぬいぐるみを妹に贈ることだったようだ。
笑顔での言葉を聞いて、姉や兄というものはそうなのだろうかとちょっと眩しくなった。ぬいぐるみが届いたマリーの妹はきっと、とても嬉しいに違いない。
玩具の店を出るとまた歩き、道すがら服を見たり、小物を見たり。
ようやく完全に足を止めたのは、一つのお店に入り、テーブルについたとき。店内でゆっくりと飲食ができる店で紅茶と頼んだお菓子がテーブルにくると、紅茶を飲んでほっと一息つく。
店内には甘い香りが漂っている。
「そういえばイレーナ、休暇は何してたの?」
アリアスより少し早く休暇に入ったイレーナは実家が貴族の家で、現在家族が王都に来ているとあって王都の家に帰っているはずだ。
何をして過ごしていたのかとマリーが揚げたお菓子を頬張りながら尋ね、尋ねられたイレーナは特に変わったこともないといった風に答える。
「特に何もしていないわ。久しぶりに家に帰ったから、のんびりしているくらい――と言いたいところだけれど、昨日お茶会に引っ張りだされてしまったわ」
「お茶会? 貴族の?」
「そう」
「あははっ、イレーナってそういうのが嫌だから魔法師になったんだっけ」
「それもあるわ、という話。さすがにそれだけでは魔法師は目指さないでしょう。ただ、そうね。結婚相手を探されているのには参ったわ。お姉さまたちと同じようにするんだから……」
「え、イレーナ結婚するの?」
ぽろり、とマリーの手からお菓子が落ちた。
「しないわよ。少なくともまだ」
「そ、そっか。びっくりしたぁ」
イレーナの言葉で、マリーは再びお菓子を頬張りはじめる。
「で、お茶会は楽しかった?」
「今の話を踏まえて楽しかったと思うの?」
休暇中とは思えないしかめっ面が一瞬表れ、楽しくなかったのだろうと容易に推測できる。
「大変だね……」
「もう、他人事でしょアリアス」
思わず呟いたが、イレーナの様子を見て思っただけであり、アリアスには想像しようにも想像する材料がないので「他人事」と言えばそうにしかならないのである。
こういうのは、貴族出身の魔法師にはありがちなことなのだろうか。身内のほとんどが魔法師であれば別だろうが、そうでなければ貴族の生き方と魔法師の生き方は異なる。結婚は挙げられる例の一つだ。それにも関わらず、同じように接してしまうのだろう。
「んん? ねぇ、思ったんだけどさ、魔法師と貴族の人が結婚することってあるのかな?」
砂糖をまとった菓子をつまんだ手を止め、マリーが首を傾げた。
「貴族出身の魔法師が家から結婚を勧められる場合があるからということ?」
「うん」
「確か、魔法師になっても家と縁が切れるようなことじゃないから、身分としてはそのままあるにはあるんだよね」
確か、とアリアスは口にする。
兄弟子で言っても、彼が今も公爵家に属することに変わりはない。名字がそれを示すのだ。
ただ、魔法師となれば魔法師の間での関わりに貴族の身分は関係なくなるだけ。伯爵令嬢であるイレーナと、貴族ではないアリアスやマリーがこのように話しているのもそのため。
名字のみを使わないのは貴族だと分かる名字が強調されないようにという関係があるし、魔法師の中では貴族出身という肩書きは使おうと思っても基本的には何の効力も持たない。誰がどこの貴族の出で、と時に魅力的に映ることは仕方のないことだろうと思われるので別の話。
つまりはイレーナは、ついた役職上での上下関係は別として生まれの身分は関係ない魔法師であるが、家に帰れば伯爵令嬢としてお茶会に出たりすることも可能であるように、魔法師になるからといって生まれ持った身分を剥奪されるとかは全くない。
ゆえに貴族の結婚の相手が貴族である式に、貴族出身の魔法師も当てはめることは可能。
「どうかしら。結婚を決められて、義務付けられることが嫌で魔法の素養があるから魔法師を目指す人もいると思うわ。と言うよりは、貴族同士の結婚を望むのであれば魔法師にはならないのじゃないかしら」
「それもそっかぁ」
「今まで完全にいなかったとは思わないけれど、稀でしょうね」
少し異なる話題となるが、貴族出身でない魔法師が貴族と結婚する話も聞いたことはない。
「まぁあたしには結局そこら辺はよく分からないけど、魔法師は魔法師同士が一番良いってことかもね!」
元々魔法師は魔法師同士の結婚が多いとはよく聞く話だ。職場の既婚者の先輩の結婚相手が同じ職場や城の医務室だったり、騎士団の団員だったりは多いようだ。魔法師でなければ、他には街で店を開いていたりという人も。
貴族で魔法師の素養があって魔法師となる人は、自由恋愛も理由の一つとしてあるとかないとか。真相は定かではない。
突発的に出てきた話題もそこまでで、話は普段話していることと遜色ないことに移り、喋り、笑う。
お茶やお菓子に伸びる手もそぞろになるほど話し、自然な流れでそろそろ出ようとなって、外に出た。
店を出たばかり。それは、まるで待っていたようなタイミングであった。
「失礼」
声が聞こえると同時、肩を軽く叩かれた。分かったということは、アリアスの肩だ。
「はい?」
友人二人は横にいるが、後ろから。そもそも声が違い、呼びかけもあまり耳慣れない。
店を出て右に行こうという話をしていたためそちらに足を向け、歩き出そうとしていたアリアスは反射的に疑問を声に表しながらも振り返った。アリアスに声をかけ、肩を叩いて注意を引いたらしき人はすぐ後ろにいた。
立ち塞がるように、アリアスを見下ろす男性は知らない人。
「アリアス=コーネル様ですね」
確信している調子の確認に、見知らぬ人に突然自分の名前を口にされたとあって、アリアスは「はい」と認めるべきかどうか考えた。
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