第7話 考え事





 休暇前日、アリアスは留守にする前にと一応師の部屋に行った。

 師は部屋の中にいて机の前の椅子に座っているが、なぜか窓の方を向いており頭が少し見えるくらい。窓はカーテンが避けられており、外の夕刻の橙色に染まる世界が見える。

 何にしろ、ノックしても返事はなかったので不在か寝ているかだと思って扉を開けたのに起きていたのか。

 扉を閉めて早速師の方へ行こうとすると、靴に当たったものがあり、アリアスは床を見下ろした。


「……」


 師の部屋で床に何か落ちているとすれば、それは実際に見て確かめる前から決まっている。本だ。

 見つけて、考える前には拾ってしまった流れはもはや昔からのことだ。本を拾い上げて、室内の床に視線を向ける過程ですぐ隣に高く積み重なった本を見つける。本はアリアスの背丈ほどに高く重ねられており、一冊だけ落ちていた本は天辺から落ちたと思われる。

 とりあえず拾った本を一番上に直しておき、奥を見ると積み重ねられた本の列は一つ、二つ、三つ……本棚に仕舞えないかと手近な本棚に隙間を探すが、隙間がない。本棚の容量を越えていることを無視して新しく増やされた分だ。せめていくらかを他の場所に移すなりしてから増やせばいいものを……。

 床のそこかしこに本が散らばっていないからまだましだと言えるだろうか。


 立ち止まっていたアリアスは、師の方へ歩きはじめる。そういえばアリアスが本を直したり、本棚を見渡したりしている間も師が動いた様子はない。もしや椅子に座って寝ている……?

 隣の部屋のベッドでもすぐそこにあるソファーでもなく、まさかとうとう椅子でと足音を立てて走り気味に窓側を向いている椅子の前に回った。


「あ、起きていたんですね」


 目が開いていた。ぼんやりと外を見ていたようで、前に来たアリアスに視線が定まる。


「アリアスか」

「まさかとは思うんですけど、寝てました?」

「半分寝ていたかもしれんな」


 今気がついたような師は瞬きをした。


「師匠」

「何だ。……そういえば、何か用か」


 用と言えば、と先ほど見つけた本棚に収まりきらない本を思い出した。


「溢れるほどに本を増やす前に整理してください」


 本の小山を指差して、その件を先に指摘した。

 師は指差された背後をちょっと見やって、アリアスに視線を戻す。


「お前は片付けに来たのか」

「いえ、来たのは、明日の午後から休暇なのでその前にと思って」

「ああ、休暇か。帰るとか言っていたな」


 師は少しだけ話していた内容を覚えていたらしく、なるほどとアリアスがここに来た理由に納得している。

 本の話はどこへやら、「場所は覚えているのか」と聞いてくる。


「覚えていますよ、さすがに」


 故郷なのだから。アリアスは笑った。

 問われたところの「場所」とは、ゼロと両親の墓参りに行くために故郷に帰ると言っていたことを示したものだ。

「そうか」と師は言い、アリアスから視線を窓の外に向けた。


「――感情の大きな揺れは好ましくない。十分気をつけろ」


 付け加えられた言葉は、以前のアリアスなら故郷に戻る際の言葉としては似つかわしくないものに聞こえたかもしれない。しかし、師や兄弟子が昔のことを思い出さないようにしていたことを知ったアリアスは真剣に師を見る。

 要は心の持ちよう。それならば、心配ない。


「大丈夫です、師匠」


 誰もいなくなった場所を悲しみ、悼むために帰るのではない。大切な人と報告をしに帰る。それは、とても嬉しいことだ。


「師匠は……この際机の上のことは置いておきますけど、寝るなら椅子は止めた方がいいと思います」


 机の上の書類はさて置いておき、さすがに椅子で寝るのはいかがなものか。


「さすがに俺もここで寝ようとは思っていなかった。考え事をしていると、まあいつの間にか夕方になっていたというわけだ」

「考え事?」


 いつの間にか時間が過ぎているほどの考え事。それも師の考え事とは何だろう。


「ここを出ていこうかと考えている」


 師が呟いた言葉が、辛うじて耳に入った。


「ここ……王都を出るんですか?」

「そういうことだ。その内、出れば一年くらいは戻っては来んな」

「一年?」

「一年は目安だ」

「いや、でも、」


 一年、もしくはもっとなんて。

 王都を出ること自体は珍しい話ではなかったのに、話の先が怪しい。今までとは少し違うと感じる。


「ルーもお前も俺の元へ来ることはほぼないだろう。それなら、俺はここにいなくても支障はない」

「いや、そんなことないですよ。私やルー様がという前に、最高位の魔法師なんですから」

「それだ」


 どれだ。


「最高位の魔法師を辞める」


 耳を疑うようなことが耳に届いて、アリアスは「……え?」と呆ける。何を言っているのか、この師は。

 王都を出るだけでなく、最高位の魔法師を止める?


「辞めるって、どういう……どうしてですか」

「先のことを考えると、ずっとこうだとは窮屈だ」


 考えてもみろ、と師は頬杖をついて大層大儀そうに言う。


「百年二百年、この先ここでこの生活を続けるのはさすがに窮屈だ。飽きる」


 師が言う「先」はアリアスが思う長さとは違った。

 魔法族と呼ばれた竜や魔族が人間より遥かに長く生きることは知っているが、具体的にどのくらい長く生きるのかは知らない。竜の長、シーヴァーはまるで竜と人と魔族とが地を争ったときから生きているような語り口だった。それは人間にとっては伝説と取られている程度には、人からすれば途方もない時が重ねられている昔のこと。

 魔族である師は、これからもっと、ずっと長く生きていく。

 その時間を示した師は視線をちらりと背を向けている方を示す。


「これも面倒だということに気がついた」


 「これ」が机の上の、おそらく手がつけられていない書類を示したのは明らか。重なる書類は、一日でこんなには溜まらないので数日放置した結果だろう。

 その言葉で、驚いていたアリアスは一気に思考が冷えて落ち着く。


「……仕事が増えているのは、師匠のせいだと思うんです」

「やらなければ普通、任せないようにするだろう」


 そういう考え方は止めた方がいいと思う。


「毎日ある会議も面倒だ。俺には責任はいらん。もう少し楽に生きていきたい」

「そこだけ聞くと、堕落した願望に聞こえますね」


 仕事を前にして現実逃避しはじめて、いつの間にか時間が経っていたのではなかろうか、という可能性が高くなってきた。

 面倒な仕事がついてくるなら、地位ごと下りた方が楽。この先もずっとこれでは窮屈。まとめれば、こういうことだろう。

 突然でかなり驚いたのに……。

 けれど、きっかけはどうであろうとどうやら師は本気で考えているようだ。元々これまでだって最高位の魔法師らしからぬ行動をしていた師なので、今まで言い出さなかった方がおかしかったのかもしれない。

 このまま行けば実行に移すかもしれない師を見つめたアリアスは、考えた結果、尋ねる。


「例えば、例えばですよ万が一師匠が地位を返上したとすればどうするつもりですか? 魔法師自体も辞めてしまうんですか?」

「そもそも俺に魔法師だという意識はない。ゆえに、辞める辞めないも正直しっくり来ん」


 魔族だから。


「だが、そうだな。『魔法師』としてい続けるとしても放浪魔法師程度がちょうどいい」


 城に居続ける最高位の魔法師に対して、放浪魔法師は各地を周り続ける。役目と目的はあるにしても、比べると自由とも言えるだろう。師にしてみれば、特に。

 放浪魔法師と案を出してくる辺り、彼の中では先のこととして見えているようで、決まりかけているのではないだろうか。

 たぶん師が最高位の魔法師を止めるのはそんなに簡単なことではないように思える。けれども、師はその全てに完全に縛ることの出来るような存在ではなく、そうしようと思うのなら自由に外に出ていってしまえる。かつてアリアスも一緒に王都の外へ行ったとき、緑の多い場所をのんびりと歩いていたように。


 師がそうすると言うのなら、アリアスにも当然止められない。


「そうですか。確かに、師匠にはそっちの方がいいのかもしれませんね」


 反対をする理由もない。

 確かにこの師は城で催し事に引っ張り出された華やかな場でも決して場に同化しない存在感を放つ人だ。おそらく持つ色もあり、どんな場にも際立つ存在になる。ある意味場が似合う人とも言える。でも、それよりのんびりと喉かな場所の方が似合うと思う。

 当人だって、最高位の魔法師には相応しい面も持つが、魔法以外の業務的な面は完全に性に合っていないとは明白だ。

 アリアスもそうだな、と思ってくる。その反面、もしも師が今言った通りになった場合の未来を想像して、変わる部分に気がついてしまう。


「でも、師匠が一年以上も帰って来ないとすると、ここにきても師匠がいないのは寂しいです……」


 放浪魔法師になるということは、長く帰ってこないことになるのだろう。師が言ったように一年以上はざらかもしれない。

 アリアスが王都から出る師について行かなくなって、二、三年か。その間師がどこかに出ても、一ヶ月以上出ていたことはまずない。

 それが一年となると、ふとここに来たときに師は絶対にいないのだ。何回も重なると思うと寂しい。

 アリアスが本音を溢すと、ジオは少しの間視線をずらし、やがて一言。


「……まだ可能性の話だ。実行するにしろ、いつになるかは分からん」


 師が気ままに過ごしていけて、同時にここにいてくれるという方法はないだろうかと、アリアスはちょっと真剣に考えた。

 今までだらけたところも多々見てきた分意識しなかったけれど、自分にとってこの人は親に近い存在になっているのだろう、と悟った。



 *



 師の部屋を出たあと、兄弟子に会った。師の考えが頭に強く残っていたアリアスはルーウェンに相談せずにはいられなかった。


「師匠がそんなことを?」


 ルーウェンは青い目を丸くして、驚いた様子。

 兄弟子が初耳だということは、本当にあの場で考えはじめていたことだったのだろうか。


「最高位の魔法師を辞めるのは難しいだろうなー」

「やっぱり簡単には辞められないものですか?」

「まぁ、師匠だからということもある。アリアスは数年前のものではなくて、その前にあった戦のことを知っているか?」

「はい」


 六十年以上も前の戦だ。


「あの戦を一気に決着をつけさせたのが師匠だということは?」

「薄々、そうじゃないかとは思っていました」


 師が『こちら』に来た頃と、戦があった頃が重なるかもしれず、当時の戦は一人の魔法師が強大な力を持って終わらせたと伝えられていること。

 自然に導き出される答えがあり、しかしアリアスの中での答えなので合っているかどうかは分からなかった。合っていたらしい。


「その件で師匠の存在は他国に知れ渡ったらしい。曰く、『グリアフル国はやはり最古の魔法国だ。とんでもない魔法師がいる』と。――この国は周辺国と比べると、一番の魔法国だ。魔法師の数も多く、竜もいる。魔法石は未だに多く眠っている土地があり、その他をとっても豊かな土地だ。当然他の国に狙われる理由はあるんだが、魔法師の数や竜の存在もあって手を出そうとする国はほとんどない。むしろ友好関係を結んだ方が得だ。しかしそう思わせることは大事だろう? 存在があるでけで他国からの防衛になる、師匠はそれに一役買っていることになるんだ」


 『黒の魔法師』と時折耳にする師を示す別名と、魔法力が大きいせいで成長の速さが遅いとかいう話は何も国内だけに留まらないという。


「他国に存在が知れた人が最高位にいるだけで、大いに意味がある」

「それは、辞められそうにないですね……」

「うん。でも最高位の地位だけはそのままに放浪は可能になるかもしれない。ずっと城に居続けてもらわなくてもいいことにはなるから。反対に、無闇に反対して魔法師を辞めることになると困るだろう?」


 師ならばやりそうだ。


「じゃあ、本当にそのうち出ていってしまうかもしれないですね……」

「そうだなー。アリアスは嫌か? 別に二度と帰って来ないわけじゃないんだぞ?」

「……そうですけど……あまり長いと、部屋に行っても師匠がいないのは寂しいです」


 現在頻繁に行くことはなくなっているにしても、やっぱりいないとなると。いざそうなると受け入れるだろうが、言われたばかりで考えると、どうしてもそう思ってしまう。


「それは師匠に言ったのか?」

「……? はい」


 肯定すると、兄弟子は笑った。


「それなら出ていかないんじゃないかな」


 一転して、こんなことを言ったではないか。


「もしくは、本当に放浪魔法師として王都の外を回るとしても、アリアスが知らせられるような術をくれると思うぞ。何しろ師匠は大抵の場所なら一瞬で帰って来られるからな」


 それは、これのようなものだろうか。アリアスは手の中を見下ろした。

 部屋を出る前に師に渡された懐かしい腕輪。魔法力を込めると、師の方にある対にされた魔法具の鈴が鳴ると言う。万が一何かあればこれで知らせろと言われた。


「それ、懐かしいなー。……まさか師匠はもうどこかに行くつもりだとか言っていたのか?」

「いいえ。これは……」


 故郷に帰る予定だという話になってわたされたものだと伝える。

 そこで、ルーウェンも納得したようだ。


「そうだったな。――気をつけて行って来るんだぞ」

「はい」


 兄弟子にも同じことを言われて、アリアスは深くしっかり頷いた。大丈夫だと、彼にも伝えておきたくて。

 ルーウェンは優しい瞳で頷き返し、その件にはそれ以上触れずに「そういえば」と他の予定に触れた。


「ゼロの家にも行くんだったな」

「はい」


 明日は午前中が仕事。午後から休暇の始まりのなっており、その次の日にアリアスの故郷に行くために出発。王都に帰り、――ゼロの実家へ。

 とうとう日が迫ってきた。まだ休暇にも入っておらず、日にちもあるのにも関わらず想像しただけで、近づくにつれて一層緊張の波が押し寄せてくる。


「緊張しているんだな」


 見透かされ、宥めるように頭を撫でられる。


「……ゼロ様には内緒にしておいてください」

「ゼロは気がついているんじゃないかと思うんだけどな。でもあいつもあいつでややこしいところがあるみたいだから……」


 とルーウェンは思案する様子になり、少し。


「会ったことがないだけが不安材料ではないかもしれないけど、会ったことがないのは一番の不安になっているんじゃないか?」

「そう、ですね」


 どんな人か。それゆえのどんな反応があるか、だから一番はそれだろう。


「俺はスレイ侯爵、ゼロの父には会ったことがある。それに――アリアスは知らないかもしれないな、スレイ侯爵は城に勤めていらっしゃるんだ」

「え、そうなんですか?」


 城に勤めている。別の意味での緊張が生まれる。


「大丈夫大丈夫、政務関係の場所に出入りしていらっしゃる方だから」


 広い城。アリアスが城に何年もいたとはいえ、出入りしないところ出来ないところはある。師の部屋は未だしも、政治を扱う区画には用もないしただの子どもが立ち入ることは出来なかっただろう。

 だからたぶん会ったことはない。


「どういう人かと言うと、見た目こそ――客観的に見て厳しそうに見えるが、話してみると取っつき難さもない良い人だ。ゼロに似ていると思うところもあると俺は思った」


 怖い人ではない、と兄弟子は言う。アリアスを安心させるためだけの嘘ではないだろう。

 ここにきてはじめて耳にした人柄に少し、安心する。それにしてもゼロに似ているとは、親子だから当たり前かもしれないが、どのような人なのかますます気になる。


「城に勤めていらっしゃることもあってゼロとは会わないわけでもないらしい。俺もよくは知らないからその点について多くは言えないが、ゼロとスレイ侯爵に限ってはそれほど仲が悪いわけではないと思うぞ」


 ゼロと彼の家族の関係の現在ついては未だ多くは不透明なまま。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る