第2話 会える場所

 ひょいとアリアスは部屋を覗いた。

 フレデリックが残念そうにしつつも一緒に帰ろうと言ってくれたので、アリアスは言葉に甘えて夏期休暇に入ると共に城に帰って来ていた。

 制服のままで足を運んだのは城の師の部屋。


「いないかぁ」


 しかし、室内は太陽の光が少しだけ入ってきていることにより薄明るいのみで誰の姿もない。散らかってもいない。細かく言うと執務机の上は乱雑になっている。

 今夜の夜会に参加するとのことなので王都に帰って来てはいるのだろう。どんな催しものでも華やかな場を好まない彼が姿を眩ませずに参加するかはさておき、だ。

 アリアスは主がいない部屋に長くいることなく出ていく。

 塔に行って着替えようか、と通路を元来た方に歩く。

 今のところは城が少し慌ただしいのは今夜開かれることによるものだろう、という雰囲気。仕事場はどうかは分からないが夜会を開くということは一段落はついているのだろう。

 それでもとにかく今日は会えそうにもない。

 久方ぶりに城に戻り、会えるかなとちょっと期待してしまっていたが、城にいれば一目くらいは近い内に会えるはずだから気にしない。

 戦は終わった。

 荒れた地で思いもよらず会うことになってからも、多く日が過ぎていった。

 アリアスはすぐに学園に戻って勉学にいそしむ日々に戻ってはいたものの、それまでと同じくして気がかりは気がかりであった。


「いつ会えるかな……」


 顔が見たいと、城に戻ってきてなおさら強く思うのは同じ敷地内にいると分かっているから。


「アリアスー!」

「――フレッド王子?」


 大きな声。

 ぶんぶんと手を振り前から走ってくるのは数十分前に別れたはずの王子。後ろから侍従であるフィップがやれやれという顔で追ってきていることも窺え、どうも今回はこっそり来たわけではないようだ。

 それはさておき、どうしたのだろう。

 アリアスはフレデリックが目の前に立ち止まり向き合うことになって、内心首をかしげる。


「父上と母上と兄上には挨拶をしてきたのだ」

「でも、今夜の準備があるんじゃ……」

「大丈夫だ、僕の準備はそれほどかからない!」


 胸を張って言われた。

 そういうものなのだろうか。


「それでだな、アリアス」

「はい」


 急に両肩に手を置かれて驚くも返事はした。目線が少しだけ高い青い目が真っ直ぐにこちらを見る。


「さっきだな、探していたのだ」


 単刀直入に――と思いきや放たれた一言に話の端さえ読めない。

 いきなり何の話が始まったのか。


「何をですか?」

「アリアスのことを」

「……?」


 王子が? 誰が? とますますわけが分からなくなって詳しく尋ねようとするとフレデリックの側に控えていた侍従フィップが聞きかねた様子で動いた。


「今夜行われるもののことを覚えていらっしゃいますか?」

「戦の勝利を祝う夜会ですよね」

「そうです。同時に功労者の慰労も本題です」

「はい」

「軍関係者の方々がいつもより多めに招待されています」


 始まったのは昨日聞いた夜会の話。こちらは一度聞いたことが本筋なので理解は容易い。

 途中でさっきまで話をしていたフレデリックを横目で窺うと、腕を組んで頷いている。バトンタッチしたのだろうか、話す様子はなく聞いている。という様子なので、フィップに目を戻す。


「その関係者の方々の親しい方々も招待されておられます」

「はい」

「家族に限らず恋人や、それに類する方々もです」

「はい」


 どんどん積み重ねられていく話に相づちを打つしかない。詳しい説明がなされているようだが、なんのためになのか。


「軍関係者の方々は帰還されても否応なしに忙しい日々を送っていらっしゃいます」

「はい」

「そのため、考えられた方がいらっしゃいます。この機会に心より一息つけるようにできないかと」

「はい」

「叶うならば一人残らず全員に」

「……はい」

「そのために招待された方の親しい方を内密に招待しようとお考えになられたのです。の者を使ってまで」

「専門、ですか」

「専門です」


 畳み掛けるような運びに加え、最後その部分に力が入ったことあって、アリアスが聞き返すと重々しい頷きが返る。

 つまり、何だろう。

 今回の夜会は内容だけに軍関係者が多く招待されていて、彼らに一人残らず心より一息ついてもらうために親しい人々を内密に呼び寄せる。素晴らしいことであると思う。

 そのために専門の者が使われている。

 やはり最後の疑問部分に当たり、さっきのフレデリックの話を思い起こしてみようとしていたら、一区切りついたはずのフィップが再び話し始める。


「アリアスさん、この際ですので言い訳になるかもしれませんが団長方はこれからも何かとお忙しいことでしょうからゆっくり会うには意外に最適かと思われますよ」

「は、はい……?」

「私も余計なお節介すると後からそれが明らかになった場合どうなるかは戦々恐々ですしアリアスさんも場的に気が進まないご様子でしたので口を挟まない予定だったのですが……」


 堰が切られたように息継ぎほとんどなしの言葉にアリアスは神妙な顔のフィップを見上げて反射的にまた相づちを打つしかない。

 次は何の話だろう。

 さっきの話と繋がっているのだろうと思うが早口息継ぎなしで頭の中に文が入ってくることが遅れる。


「状況が、変わってしまいました」


 フィップの視線が、上に動いた。

 アリアスの背後。

 まるで、誰かが現れたような反応。

 とんとんと軽く叩かれた感触が肩に発生。懸命に話の理解を早めようとしていたアリアスが反応したすぐ先には――


「あなたがアリアス=コーネル様ですね?」


 名前が呼ばれたがいたのは侍女のお仕着せを着た女性二人、顔は知らない。見知らぬ人たち。

 様、とつけられたことに慣れない感覚を味わいながら肯定する。


「そうですが……何でしょうか?」


 質問の答えより先に彼女たちは何やら頷き合った。


「良かったですの見つかって」

「あれは魔法学園の制服、考えが及ばず恥ずかしいですの」

「けれど、これで間に合いそうですの」


 よく似た口調で会話を交わしている。


「あ、アリアス彼女たちだぞ、探していたのは」

「え?」


 探していたのは、この人たち。

 フレデリックを見て、それからどこへ向かうのかという話を長くしていたフィップを見た。


「専門の、方々です」


 そう説明がされる。


「今回の夜会において重要な役割を負っています……簡単に言うと内密な身辺調査と招待手配です」

「フィップ様、身辺調査などと大げさですの」

「そうです。それに私たちの使命ですの」

「それよりも時間がありませんの」

「そうです、ではアリアス=コーネル様」

「一緒に来てください」

「え」


 前を見直すと王子はうん、と頷いて侍従は申し訳なさそうな感じを顔に全面に出していた。

 どういうことか、未だ分からない。




 *




 何十年か以来となった戦。終わったばかりと言っては過言ではないときにあえて華やかに催しを行う目的は戦の勝利を広め、民の不安を取り払うことである。

 民に向けては、そうなのである。


「大切な方をお招きするのです」


 家族、恋人。

 もちろん、本人が知られたくない個人情報を侵害しない程度にですよ。と楽しげに語りかけるのはアリアスの髪に櫛を丁寧に入れている女性。


「貴族の方々もおいでになりますが、やはり慰労すべきは国を守った戦士の方々」

「私たちはその一端を担うことができればと奔走していたわけですの」


 一見侍女であった彼女たちの腕力凄まじかったこともあり連れてこられたアリアスはじっと椅子に座って大きな円形の鏡を通して彼女たちを見る。

 顔の作りは異なり、双子というわけではなさそうなのに笑顔はまったく同じ印象を受けるので不思議なものだ。

 そしておそらく侍女、ではなさそう。


「それで、なぜ私を」


 あれだこれだと直立不動を求められ取っ替え引っ替え身体にあてられた結果である、淡い水色のドレスのふわりと広がる裾を目だけで見下ろしてアリアスは尋ねる。

 椅子に座るまでは一秒という時間と戦っているかのように忙しなく、鬼気迫る様子でさえあったので聞けなかったのだ。


「聞くところによりますと、ジオ=グランデ様のお弟子でルーウェン=ハッター様がいたく可愛がっておられるとか」

「それは誰にお聞きになって」

「秘密ですの。色々な方にお聞きした結果です」

「それにしても、普通弟子は……」

「師弟というものは強い繋がり、兄弟子妹弟子も同様。今となってはその数が少ないこともありなおさらですの」

「師弟の再会、兄弟子との再会……ぜひ拝見したいものです」


 たぶん、すごく理想を描いているが張本人から言わせていただけるのであれば、そんなものではないと言いたい。

 櫛を持って手を組み合わせうっとりと言う一人と鏡からはずれたところにいる一人の言うことに、もはや遠いところを見るようなまなざしになってくる。

 こうやって身包みはがれ身支度を整えられてどこに行き着くのか、深く考えるまでもない。


「この首飾りは変えてしまってもよろしいですの?」

「え、」


 鏡に映らないところにいた女性が鏡の視界に入った。彼女が指しはずそうとしているのは、アリアスの首に元々かけられている首飾り。華奢な鎖が揺れる。


「これはそのままで……あのお願いします」


 とっさにすかさず止める言葉を発してから我に返って声が尻すぼみになる。ちょっと反応しすぎた、恥ずかしい。


「分かりましたの」


 けれど女性はたいして気にした様子なく微笑む。


「この耳飾りもそのままですの?」


 次いで尋ねられたのは片耳にだけつけているイヤリングのこと。細かく短い鎖の先には小指の先ほどの小さな石。ずっと昔から、いつからつけているか明確には覚えていなくて普段からつけていることを忘れてしまうほどのそれも、アリアスはそのままにしておいてもらうことにした。


「おぐしはどうですの?」

「少々お髪が短くていらっしゃいますの」

「でも、つけ毛はしなくともまとまると思いますの」


 髪を巡っての意見を、短時間で見慣れてしまった彼女たちが交わしているところもまた、鏡にうつる。

 部屋は長方形の広め。しかし中は様々なもので溢れ、色で溢れている。

 アリアスが身につけているもの以外、数十着はあるドレスが何段にも渡りかかっている。身長や身体つきに合うようにか色もさながら揃えられているようなのだ。

 装飾品もまた乱雑に広げられているように見えるが、それはしまってある箱がきっちり並んでいないだけで中身はきちんときれいに並んで光を受けてきらきら光っている。大元となる輝きを放つ宝石は偽物ではなく本物に違いはないだろう。

 全てが、身だしなみを整え、着飾るためのもの。その量と言うや、彼女たちの言うことといいアリアスのような人が他にもいるということが推測できる。


「出来ました」

「完璧ですの」


 同じ笑顔が二つ鏡の中のアリアスの横に現れる。

 気がつけば、見慣れない格好をした少女がいた。だが紛れもなくアリアスである。

 春の宴のときも思ったが、化粧ってすごいなと実感する。


「では早速いきますの」

「もう始まっていますの」

「ちょっ、待ってください。行くって言っても……」

「パーティーですの」


 手を両側からとられてすっと立ち上がることになる。あまりに自然に立ち上がることになって驚くとともに慌てる。


「いざ、ですの」


 ドアが開けられ、部屋の外に出る。

 出た通路は暗い。

 自分がいる場が連れてこられた場がどこかも分からないアリアスがさっきまでの部屋に篭っていた時間は数十分というレベルではなく数時間。今、何時だろうか。

 通路の暗さに考えを巡らせる。

 しかしその間にも彼女たちはすいすいとアリアスの手を引き、進んで行き、どこをどう通ってきたのかそれほど経たずして明るい場所が近づく。


「うわぁ」


 感嘆は中にある華やかさに、混ざってしまった呻きはあの中に入るのかという現実に。


「やっぱり無理で……」

「あ、あそこにいらっしゃいますの」

「本当ですの」


 あそこ、と示されたのは入り口の外れ。人が満ちる中ではなく、人の少ない場所で白い軍服を模した正装をした横を向いた姿。見間違えるはずもない、兄弟子。

 帰って来ていた。とその姿に尻込みしていた身体の力がふっと抜ける。


「私共がご一緒できるのはここまでですの」


 そっと側からの控えめな声にはっと視線を外すと手はいつの間にか離されていて、


「大丈夫です。今日はベールがないだけで怖気づく必要はありませんの」

「春の宴、堂々となさっていましたの。あの意気ですの」

「え……」

「いってらっしゃいませ」

「大切な方と、良い夜を」


 ぽん、と背を柔らかく押された。

 カツ、と踵のある靴で一歩だけ踏み出したアリアスが後ろを見るも、そこにはもう二人の女性はいなかった。忽然と、消えた。


「何だったんだろ……」


 何であれ、お礼を言うのを忘れた。名前は聞いてみたが、「名乗るほどの者ではありませんの」と二人揃って言われてしまった。また、会うことができるだろうか。

 ドレスのデザインによって剥き出しの肩をそよ風が撫でる、でも、ここは外ではない。

 カツン、靴の踵が磨かれた床とぶつかる音。アリアスは動いていない。それにアリアスのはいている靴の華奢な踵より余程重い音。

 背後からこちらをすっぽり覆う影がかかる、人の形。

 おそるおそる後ろを向くと、一度すれ違い視線が合う。青空の双眸がわずかに見開かれ、それから目尻が蕩けたように下がった。

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