第17話 考えること
土の入った小さな鉢に垂れている萎れてしまっている花。アリアスはその上からすぐに崩れてしまう繊細な細工に対するようにそっと指を触れさせる。その指を通し、指に集中し、魔法力を花に注ぐ。
急ぎ過ぎるととても繊細な類のこの花が受け止めきれずに再生することがなくなるか、一部が破裂するから調整しながらだ。
そうすると、花は細い細い茎に、薄い葉に生き生きとした色を取り戻していく。可憐な花びらも、例外なく。
最終的には根元から葉の先、花びらの先までぴんとはりのある、まるで最初とは別のもののように回復した花があった。
時間がかかるほどに減点となるようなのでそのことをさっと確認して花から手を離し、終えた合図として椅子から立ち机から離れる。
代わりに側に立っていた教師が机に近づく。
「――よろしい」
全盛期の咲き様をみせる淡いピンクの花をじろりとあまねく観察し、教師は複数の意味にとれる言葉を言った。評価は後日発表とのことなので単に目を通し終えた言葉であると思われる。
手元の紙に何事かを書き連ねている動作ののち教師は顔を上げてアリアスを見据える。
「片付けをし、あとは自由に。くれぐれも騒がしくしないように」
「はい」
鉢を手に取り、教師とアリアスのみであった教室を後にする。
右隣の教室に入ると同じことを終えただろう生徒たちの内、教室に残っている生徒たち。女子生徒が幾人か長細い机のひとつに集まって話をしているようだ。その中から、静かに入ってきたアリアスに気がつきその輪を離脱してきた。
「お疲れ様、アリアス」
「イレーナも」
二人含め教室にいる生徒が終えたのはテストだ。
百点満点から時間をかけすぎると点数を引かれたり、出来映えによっても減点されたりする。教室に教師が来たかと思えば急にテストをはじめると言い出した経緯がある、いわゆる抜き打ちテストをアリアスはたった今終えてきたばかりだった。一人一人別室で行うため、あの教室の左隣にはテストを控えている生徒たちがいるはずだ。
先に終えていたイレーナは教室の外に広がる小さな庭のような場所に鉢を出しにいくアリアスに着いて外に出る。
「これ、定期試験の課題になるかもしれないわ」
「え、そうなの?」
「これまでの傾向から言ってね。……見事に回復させたわね」
「ありがとう、イレーナにそう言ってもらえると安心する」
アリアスはこのタイプの抜き打ちテストははじめてで緊張したし、評価基準も細かくは分からないので自分としては上手くやれたつもりでもどうだったろうかという考えが巡っていたのだ。
日当たりよい小さな庭にはすでに小さな鉢植えがいくつも並んでいる。花の色が様々どころか、花の種類も異なるよう。
「試験課題になったときはきっと花の種類は一緒よ」
花を順に追っていく視線で分かったのか、イレーナが疑問を解消してくれる。
「今日は個人の実力別。わたしが知る限りではアリアスの花が一番繊細な種類。それは日陰の方がいいわ」
「え、――ありがとう教えてくれて」
日向駄目な種類だったのか。
思いっきり日に当たる場所に置きかけていたので、驚いて急ぎ日陰に移す。
「テストっていう緊張感を作った上で今の自分の最大限のレベルが成功するかの確認に近いと思うわ。それにしても、わたしもとうとう抜かされちゃった」
「何言ってるの。私がイレーナを抜かせたのはやったことがあることだけだよ。はじめてやることだと中々上手くいかない」
ここ数年、時折医務室関係の手伝いが発展してきて実際にしたことがあるとか。花を治すこと自体もほんの数カ月前にしたことがあるような……。
学園の生徒はみだりに魔法を使ってはならない。授業以外では厳禁だ。修業中の身であるのだから当然。
アリアスが同じ修業中の身であっても実践をしていたことすらあると正直に言ったのには、それまでの環境の違いがモノを言う。
生徒と師につく弟子は違う。
そもそも弟子を持つ魔法師は今ではまれだ。専門の場所があるのだから、個人個人で育てる必要性はなくそのような伝統もないことが関係している。
ひと昔前には地位が高い魔法師であれば見込みある若者を弟子にしていた光景がちらほらと見られたそうではあるが……。
それでも今、誰かに師事している弟子がいたとしよう。彼らの独り立ち、つまり正式な魔法師になる時期はまちまちだ。学校に通っているより色々な手間があるが、実力知識が相応と見なされれば正式な魔法師となれる。その期間は師のさじ加減と言ってもよいくらいだ。
事実、アリアスの兄弟子であるルーウェンは魔法学校に通っていなかった例だ。正式な魔法師となれる年齢が国内一律の最低入学年齢・修学年数により早くとも十八とされる中、彼は十七のとき正式な魔法師となり同時に正式に騎士団に入った。おそらく彼ならばもっと早くにそうなることができたと思われる。
彼は騎士団に正式に入る前から騎士団に半ば入っているような状態だった。
つまりは修業中の身にありながら実践領域に片足を突っ込んでいた状態。
アリアスの学園に来る前の状態もまたそれにあたる。場所が場所である。
多少魔法を教える側の方針も関わっているには違いはない。やっていれば身につく、とか。魔法を実践という意味で使ってみている回数は間違いなく多い。
「ますますアリアスのお師匠さまが気になってくるのよね。ふふ今度の試験のライバルはアリアスになりそう」
「イレーナ……楽しそうだね」
「だって他の人と競うことって楽しいもの。医療科の性質上こんなこと言うと怒られるかしら」
確かに。が、テストへの緊張がなさそうなイレーナには現状の成績的意味と他の意味とで何だか勝てそうにもないアリアスはちょっと苦笑する。
「じゃあ私はイレーナにそう言ってもらえることがふさわしいようにやらないといけないかな」
「負けないわ」
肝心の定期試験はまだ先のことである。その前に今回のような小テストがほとんどの授業で課されることだろう。
テストとはどんな感じなのだろうかと編入前の試験をイメージしながら、教室に入る。
「アリアスは、騎士科のテストもあるのよね」
「うん、そうだ……今時々授業飛んじゃうから忘れないようにしないと」
「そろそろ模擬戦だものね」
騎士科の模擬戦の組み分けが決まった。そのため騎士科の授業の半分は学年合同の組ごとの模擬戦へ向けての授業となる。
模擬戦は年二回あり、これから一カ月後に行われる一回目の他、秋と冬の境目にもう一度同じ期間の準備を経て行うそうだ。
ちなみにアリアスは騎士科所属ではないので参加しない。
「そうそうあれって毎年中身だけに怪我人が出るのよ」
「怪我人って……」
「大丈夫、絶対的なルールがあるから命に関わるようなことにはならないわ」
なんでもないようにイレーナは言ったが、命に関わらない酷い怪我はあるということか。どれだけ激しいものなのだろう。
「怪我人の治療には先生方と医療科の最上級生があたるの」
ここも実習を兼ねている様子。
今、国境で起きているはずのことを思うとこういう教育の仕方が少なからず生きている、のかもしれない。
アリアスの考えがそちらに行ったときにイレーナが呟く。
「……わたしたちも、将来魔法師になって戦争が起きれば戦地に行くかもしれないのよね」
そしてそのことをイレーナだけでなく科選択を行った生徒たちは同じようなことを考えているだろう。これから選択をする生徒たちには小さくない影響を及ぼすだろう。
「アリアス、図書館に行くのね?」
「え……あ、うんそのつもり」
控えの教室、テストの教室、そして今いる教室と控えの教室に戻ることはできないと言われていたために持ち運んでいた本を無意識に手で撫でていたアリアス。
先回りされて言われて返事しながら内心驚いていたら、顔に出ていたようで肩をすくめてみせられる。
「ずっとそうじゃない、分かるわ」
「心を読まれたのかと思った」
「それはすごいわ」
イレーナがわざと大きく驚いた顔をして、それから互いにくすくすと笑い合う。
学園に隅々まで沈鬱な空気が満ちることはなかった。
「じゃあまたあとでね」
「うん」
イレーナと別れ、本を数冊抱えてアリアスは教室を出る。
城の図書施設も途方もなく大きいが、学園はその大きさに張る。ひとつの棟が図書館として機能しているからだ。
模擬戦関連か、普段は真剣はおろか木剣の携帯も許されていないはずだが、騎士科の格好をし木剣や槍の代わりか木の棒を持ったわいわいとした五六人の集団とすれ違う。一人女子生徒が混ざっていたことに気がついたのは、黄の騎士団副団長と似た雰囲気の人だったからかもしれない。ひとつ上の学年だろうか。と聞いていた話を思い出して思う。騎士科の女子もズボンタイプの制服でブーツ姿。
思わず振り向いて見送ってしまったアリアスは改めて歩き始める。
行き先が図書館という場所の性質上か、通路は静かなものへと変わる。
授業中なので人通りはないに等しく、今はアリアスの足音だけ。
アリアスがこうしている内にも遠い地では戦いが起こっている。そんな考えはふとした瞬間にやってくる。こうして一人で歩いているとき。一息ついたとき。のんびり湯船に浸かったとき。夜、寝るとき。
総じて、アリアスが何か考えることを止めたとき、だ。その隙間に入ってくる。
いくらアリアスが事実を受け止めて自分がやることを決めてやろうと、不安や恐れが消え去ったわけではない。
表面を覆って事が過ぎ去るのを待っている状態。以前のように彼らと会う日が来るように。学園を飛び出し城に行った日、感じさせてくれた一時の安堵を忘れないように。
それに耐え、祈るのだ。ぎゅっと胸元の首飾りに衣服の上から触れ、離す。
一度力を入れて目を閉じ開ける。
下気味になっていた視線を上げる。
コツコツコツ……コ、足音が止まった。
いつの間にかアリアス以外の足音があって、耳におそらく入っていて、すれ違うと無意識下でさえ思っていたその人はアリアスの真正面にわざわざ進路を変えて、通せんぼするみたいに止まったのだ。
アリアスはぶつからないようにとっさに足を止めざるを得なかった。
ぬっと濃いすぎるような影が落ちる。
「こんにちは」
普通なはずなのに、違和感を覚えずにはいられない挨拶が落とされた。
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