『閑話』

昔の話 きらきら輝く王子さま




 それは暑くなりかけた夏の日の午後。

 城の廊下に響くのは小さな足音。陽の光射し込む廊下を歩く足音の持ち主は、城にいる多くのような大人ではなく、珍しくも小さな女の子だった。

 膝丈のワンピースの瑠璃色が光に照らされ明るい色味になったように映り、肩の上で切り揃えられた茶の髪の毛先が歩く度に小さく踊る。

 アリアスは借りていた、子どもでも読める本を返しに図書館に行った帰りで、師の部屋に行くところ。慣れるには広すぎる城だが、何度も行き来した同じ道を小さな歩幅で歩いていた。

 廊下は時折人とすれ違う場所で、アリアスのことを知っている人々に声をかけられ図書館からの道のりを行っていたアリアスはタタタタッという足音を聞いた。

 軽い足音。

 曲がろうとしている角の向こうから聞こえた気がしたからアリアスは歩みを止めた。けれど「あっ」と声をあげたときには遅かった。

 走ってきた人物の姿が見えた直後、どん、とぶつかり相手の勢いにその場に踏み留まれずにアリアスは後ろに倒れた。痛い。打った尻に痛みが走った。


「大丈夫か!?」


 どうやら相手の方は無事だったようで、しりもちをついたアリアスに駆け寄ってくる人がいた。

 目の前に差し出された手は大人より一回り以上小さな、アリアスと同じくらいの大きさ。見上げると、同じ年ほどと思われる男の子の姿がある。


「すまない、立てるか?」

「は、はい」


 とっさに手をとると、両手で引っ張ってくれるので立ち上がる。

 立ってみると背の高さも同じくらいで、ほぼ真っ直ぐ同じ目線の大きな青の瞳と目が合う。

 男の子は、胸元に上品なフリルの入った真っ白なシャツと膝がちょうど見えるズボン。生地の良し悪しなんて、アリアスには見て分かる技能はないけれど、身分が高そうな感じがした。それに、彼の銀髪が輝くようで。


「会ったことのない者だな。名前は何と言うんだ? ぼくは――」


 男の子がはっとしたように背後を向いた。


「まずい!」

「――えっ」


 一度離れた手を捕まえられる。


「こっちだ」


 引っ張られ、アリアスは訳が分からないままに男の子と一緒に走り出す。

 とても足の速い男の子の揺れる銀髪を前に見ながら、繋がれた手に引っ張られるままに懸命に足を動かし走る道は、廊下のどこをどう進んだのかアリアスには分からなかった。

 とにかく男の子は走る足に迷いなし。勝手知ったる様子で走りに走り、ようやく止まった場所は――外。


「よし、誰もついてきていないな」


 アリアスの手を離した男の子は、来た方を振り向いて満足に言った。その傍ら、アリアスは少し息を切らせていた。

 出てきたばかりの場所なので、背後に城。上には晴れ渡った空。

 男の子は、何事もなかったようにアリアスに向き直って笑顔を向けた。


「あらためて、ぼくはフレデリックだ」

「……フレデリック、さま」

「フレッドでいいぞ!」


 とんでもなく眩しい笑顔だった。

 アリアスには、彼――フレデリックと同じ色を持つ兄弟子がいるが、兄弟子の笑顔は何と言うか、包み込むような穏やかなそれであるのに対し、この男の子の笑顔は夏の照りつける太陽だ。

 息が整ったアリアスは今まで見た中で最も輝いている笑顔に瞬いていたが、相手が何かを待っていることに気がついて、今名前を聞いて聞きっぱなしであることを思い出した。


「あ、わたしはアリアスです」

「アリアス」


 名前を復唱して、一つ頷き。

 差し出された手に触れると、しっかりと握手。上下にぶんぶん振られる。


「アリアスはいくつなのだ?」

「九つです」

「ぼくと一緒だ!」


 ますます笑顔がぱっと弾ける。嬉しそうな笑顔と、嬉しそうな声。


「アリアス、ぼくと遊ぼう」

「え?」


 さっき出会ったばかりの男の子からの突然誘い。アリアスは呆気に取られた声を出した。


「えっと、わたし今から……」

「何かやることがあるのか?」

「あの、勉強を」


 戸惑いつつも言うと、フレデリックは「勉強? そんなものは放っておけばよいのだ」と言うではないか。


「あんなもの楽しくない」

「フレデ……フレッドさまは勉強をしないんですか?」

「ぼくはたった今、それから逃げてきたばかりだからな」


 どうもここまで来たのは、勉強からの逃亡だったらしいとアリアスは知った。


「い、いいんですか?」

「うん。こんな天気の良い日には外に出るにかぎる! だからアリアス、一緒に遊ぼう!」


 握手のときのままの手をぎゅっと握られて、アリアスはちょっと迷った。

 同じくらいの子かなと思っていたら本当に同じ年で、アリアスは城の中で同い年の子どもに会ったのは初めてだったから。城に来るまで師となった人とあちこちに行っていたときは、その地の子どもと遊んだこともあったけれど、初めて見たこの城に来るといる人いる人は皆大人。

 皆優しくしてくれて、師や兄弟子もいるから知らない人ばかりの中に置いてきぼりにされたわけではなくても、ほんのちょっぴり寂しさに似た感覚があった。

 そんな中で出会った男の子。


「ちょっと、だけなら」


 アリアスが言うと、フレデリックはやはり笑った。


「一人でかけ回るより二人の方が楽しいに決まっているからな、うれしいぞ! よし、ぼくの秘密の場所を教えてやろう!」


 秘密の場所は、出会ったばかりのアリアスに教えても良いものなのだろうか。張り切ったフレデリックに手を引かれ、アリアスはまた走り出す。




 フレデリックが連れて行ってくれた場所は確かにアリアスの行ったことのない場所で、時に子どもしかくぐり抜けられないところを通ったりしてあちこちに行った。

 昨夜降っていたらしい雨によって、庭の隅に小さな水溜まりが出来ていて、カエルがいた。

 フレデリックが果物の種をこっそり植えたという場所に行って、水をあげた。いつ植えたのかと聞くと、二ヶ月前らしい。それは芽が出るのだろうか。

 途中からアリアスは夢中になって、時間を忘れていた。次々とこっちだあっちだと道を示すフレデリックが、城の隅々まで知り尽くしているように思えて、行く先々が城の一部しか知らないアリアスにとっては別の場所に来たようにさえ見えた。

 もっと小さな頃に、子どもだけで探検気分で町からちょっと離れたところに行ったときと同じような心地だった。


「フレデリック様!」


 隣の男の子の名前を呼んだのは、アリアスではない。笑いあっていたアリアスは目を丸くする。呼ばれた本人も目を丸くしていて、前を見た。


「おぉ、エマではないか」


 影が長く伸びた先、一人の女性が立っている。いや、彼女の背後にも二人。


「そうですよ、エマです。フレデリック様、もうこんなお時間ですから中にお入りになって下さい」

「もうそんな時間か?」


 アリアスは驚いた。辺りはすっかり夕暮れ色。どうりで伸びた影が濃く、長いこと。


「お勉強の時間からお逃げになったかと思えば、こんなにお汚れになって」


 歩いてくる女性は、母親よりも少し高い年齢か。

 フレデリックのシャツは白いせいで、泥や狭い場所を通り抜ける際に擦ったときのものかもしれない汚れやらが目立っていた。足元にも、雨の降った後に見つけた水溜まりを踏んだときの跳ねの跡。改めて見ると、顔にも。


「楽しかったぞ!」

「それはようございました。お母上様がお待ちですよ」

「母上が?」

「フレデリック様をお叱りになるためですよ」


 今日初めて表情が固まったフレデリックを見ているアリアスに、女性が目を留めた。


「おやまあ、可愛らしい子とお遊びになっていたのですね」

「アリアスと言うのだ! 今日会ってな!」


 溌剌とどこか得意気に紹介するフレデリックに、女性はやれやれという風に息をついた。


「ご両親について来たどこかのお家の子でありましょうに……」


 女性は屈み取り出した布でアリアスの顔を拭うので、アリアスは何だろうかとされるがまま。


「フレデリック様と遊べるとはおてんばさんのようですね。こんなに汚れて大丈夫?」

「こんなに……?」


 自分を見下ろして二度目、驚いた。

 アリアスの服は比較的汚れが目立ち難い色をしていたが、乾いた部分の汚れが光の加減で丸分かりだった。フレデリックと共にいたアリアスが汚れていないはずはなかったが、今の今まで全く気がついておらず思わずスカートを広げて後ろも確認する。


「フレデリック様、女の子をこんなに泥だらけにしてはいけませんよ」

「楽しかったぞ!」

「もう聞きました。……フレデリック様はともかくこの子をそのまま帰すわけにはいきませんね。ひとまず探されているかもしれませんから、連絡を。確か名前は――」

「アリアスだ」


 自分の名前が出て、アリアスは前を向いた。女性と顔を合わせる。


「あなたが誰と一緒にお城に来たか、教えてもらえますか?」


 誰と一緒に城に来たか。

 質問の意図は分からなかったが、アリアスは素直に答える。


「ししょ……ジオさまです」

「誰だ?」


 フレデリックが首を傾げた。

 しかし女性の方は違った。思わぬことを聞いたように、少し目が見開かれる。


「魔法師のジオ=グランデ様?」

「はい」


 たぶん。師の名字はそういえば知らないので、自信が欠ける。


「魔法師? もしかしてアリアスは魔法師の『弟子』なのか?」

「はい」

「そうなのか! では魔法の勉強をしているのか?」 

「い、一応」

「僕と一緒だな!」


(フレデリックが)賑わっている側で、女性は「ジオ様の……」と呟いた。


「まあ何よりもまずお洋服の汚れを落としましょう」

「あ、いいえ、大丈夫です」

「でも、困るでしょう?」

「困……」


 服が汚れてしまった。

 困るかどうかより、これが見られたら怒られ……怒られるだろうか? 城に来るまで、あちこち回っていたときに子どもと遊んだときも似たようなことになったけれど、怒られなかった気がする。でも……。

 こっそり戻って、明日お城中の洗濯物をしている洗濯の達人のおばさんたちに相談しよう。アリアスは証拠隠滅の道筋を見つけて顔を上げた。


「大丈夫です」


 とりあえずこの人に手間をかけなくても良い。アリアスがもう一度しっかり言うと、女性は「そう?」と気がかりそうにも頷いた。

 それよりこんなに夕日に染まる時刻だから、戻らなければ。


「フレッドさま」

「なんだ?」

「時間が時間なので、わたし、帰ります」

「……そうか」


 フレデリックはちょっと残念そうに眉を下げた。


「今日は楽しかったです。ありがとうございました」

「楽しかったか?」

「はい」


 心からうなずくと、フレデリックがぱあっと笑顔になったから、アリアスも笑った。

 それから現在地がどこだか分からなかったアリアスは、フレデリックと女性たちと城の中まで行き、見たことのある廊下で別れることになった。

 フレデリックは女性たちと。アリアスはとりあえず、一度塔の部屋へ戻ろうと歩き始めた。


「アリアス!」


 呼ばれて振り向くと、廊下の向こうでフレデリックがこちらを見て、言う。


「明日も遊ぼう!」


 アリアスは一瞬きょとんとして、「はい!」とフレデリックに届くように大きな声で返事した。



 いつも通りの道順で再度外に出たアリアスは、今日の楽しかったことを思い返していた。明日も遊ぶ約束をするのは、とても久しぶりで、嬉しかった。

 そういえばフレデリックもこの城にいるのだろうか。城の中に帰っていって……あの女性はフレデリックの母親ではなさそうだった。格好からしても、小さな町育ちのアリアスからすると漠然と『何だか良い家の子』としか表現しようがないのだけれど――。


「!」


 考え込んでいたアリアスは、突如脇の下を支える力によって身体が持ち上げられ、足が浮いてびっくりする。

 事態が急には理解出来ない内、あっという間に体勢はすとんと落ち着き、目の前にある人が現れる。


「捕まえた」

「る、ルーさま」


 よく晴れた空の色をした青い瞳が柔らかく細められ、銀色の髪は夕日の色に染まりつつも輝く。

 軽々とアリアスを抱き上げたのは間違いようもなく兄弟子で、口元に緩く笑みを浮かべる彼は捕まえたアリアスの姿を見て首を傾ぐ。


「アリアス、泥だらけだなー」

「えっ、あ、これは、ち、違うんです」


 何も違わないけど、服を見下ろしたアリアスは今度は一気にしどろもどろになって、続けてあっと思う。


「ルーさまも泥んこになっちゃいます!」

「そうかな」

「そうです!」

「大丈夫だと思うぞ」


 乾いているみたいだし、とルーウェンはアリアスを下ろす素振りは見せなかった。アリアスもそうかなぁと服をまた見る。


「これ、落ちるとおもいますか?」

「落ちるよ、大丈夫。落ちなくても気にすることはないから、そんな心配そうな顔をしなくてもいい」


 大丈夫大丈夫、とルーウェンには全く咎める気配はない。そもそもこの兄弟子に怒られたことがないのだ。

 彼に大丈夫と言われると、大丈夫なのかなと思えてくるので、アリアスは大丈夫だと思うことにした。


「とりあえず、着替えようか」


 とアリアスを抱き上げたときに止まっていたルーウェンは、そのまま歩き出す。塔に向かうようだ。


「今日は、庭師の人のお手伝いでもしていたのか?」

「いいえ。同じ年の子と、遊びました」

「同じ年の子? アリアスと同じ年齢の子どもが城にいたかな……」

「フレッドさまという男の子です」

「フレッド様……?」

「ルーさまと、同じ髪と目の色をしていました」


 綺麗な銀色の髪と、青色の目。まさしく今見ている兄弟子と同じ色だったから、フレデリックを見たときに余計に見てしまった。

 師の色にしても、兄弟子の色にしてもそうそう見かけない色なので伝えると、ルーウェンは納得したようになる。


「フレデリック王子か」

「おうじ?」

「王子様だよ」


 アリアスは茶の瞳を真ん丸にした。


「あの男の子は、王子さまだったんですか」


 王子さまとは、聞いたことしかなくて見たことなんてない遠い遠い存在だ。アリアスにとっては、お伽噺の王子さまと同じ。会うことになるなんて、もちろん考えたこともなかった。

 何と、あの輝かしい男の子は王子さまだったのだ。

 なるほどと納得する部分もある一方、思い出したことにしまったと思った。


「王子さまを泥だらけにしてきてしまいました……」


 アリアスは途方に暮れたような声を出した。別にアリアスが王子さまに泥を投げつけたりしたわけではないけれど、服の汚れの一因は自分だ。


「フレデリック王子は楽しそうでいらっしゃったんだろう?」


 きらきらとした笑顔を思い出したアリアスは頷いた。


「泥だらけも楽しかったと思うぞ」


 確かに泥だらけの格好だと自覚しても楽しそうであった。


「明日も遊ぶやくそくをしました」

「そっか」

「王子さまと遊んでもいいんですか……?」

「いいんだ。フレデリック王子が誘ってくださったんだろう?」

「はい」


 汚してしまったと責任を感じていたアリアスは、王子さまと聞いて、果たして自分が遊んでもいいのかどうか念のため聞いたが、良いようだった。

 何だか想像していた王子さまとは違って、どうも本物の王子さまはあんな感じで今まで出会った子とそんなに変わらないのだなとフレデリックを思い出した。泥だらけになって遊ぶし、勉強も好きではなさそうだったし……。


「そういえば、今日の勉強をしていません」


 本当はする予定だったことをしていないことに気がついて、後ろめたい気持ちで口に出すと、兄弟子に頭を撫でられる。


「勉強には休憩も必要だ。アリアスくらいの年だと毎日毎日勉強じゃなくて、遊ぶことも大事だよ」

「……サイラスさまも、このまえ同じことを言っていたきがします。本当ですか?」

「うん」


 遊ぶことが大事とは言われたことのない不思議なことだ。

 だけど兄弟子はこう尋ねてくる。


「アリアスはフレデリック王子と遊んで楽しかったか?」

「はい」

「楽しいことは良いことなんだから、明日もたくさん遊んでおいで。――あ、怪我はしないようにするんだぞ?」



 ――この後、第二王子と仲良くなったアリアスが私室にまで引っ張って行かれるまで、そう時間はかからない。






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