第2話 緊張する話
昼休憩時、食堂で小休憩しているアリアスは、大人数用の大きなテーブルにつき、向かい側に座る友人と話していた。
「何だか、友達が結婚するって不思議な心地」
「……そう?」
「そう。姉や従姉妹が結婚する感覚とはちょっと違うわ。……というより、そうね。貴族は早くに結婚して、女性であれば家に入ることが当たり前でも、魔法師は自由結婚だから比較的のんびりしているところあるじゃない?」
恋愛して、ときに別れてってすることもあるでしょ? と向かい側にいるイレーナは手元のカップから離して立てた人差し指を揺らす。
「そうだね」
それでも女性は早くに結婚する傾向にあり、未婚である場合も少ないが、確かに貴族に比べると自由でゆったりしていると言える。
また、結婚しても必ずしも家庭に入るわけではない。
「だから周りが結婚するっていう意識がまだ無いのかしら。それに仕事を始めて一年目って全然余裕ないから……少なくともたぶん同期内では一番よ、アリアス」
そう言われると、アリアスの方こそ不思議な心地になる。アリアスだって、数年前までは今の年齢で自分が結婚することになろうとは思っていなかったことは間違いないのだ。
「確かに、不思議な心地かも」
「アリアスが不思議な心地になるのは駄目でしょ。来週挨拶に行くのでしょう?」
先日、イレーナには結婚すること含め今まで明かしていなかったゼロのことを言ったのだった。そして今目前に控えた休暇の話になり、長めの休暇を利用して来週にも故郷へ帰ることと、ゼロの実家に挨拶に行くことになったと軽く話していた。
「挨拶をしに行くには良い機会かもしれないわね。この時期は王都にいるものね」
アリアスの故郷は南部。対してスレイ侯爵の領地に行くとなれば西部に行くことになるようだった。
しかし現在、『春の宴』からこちら、国中から集まった貴族は王都に滞在し城に行く他、ほぼ毎日各家で茶会や夜会を催し貴族間の交流を図っている。移動距離と時間は減る。
王都に、いるのだ。
「それにしても、ゼロ団長とは全く思わなかったわ。まだしばらくこの感じは続きそう。『春の宴』を経て恋人同士の人が増えたみたいだけれど、誰が誰と付き合っていても、アリアスほど驚くことはもうないわね」
「ずっと言わなくてごめん」
「いいわよ。知ってみるととても驚いたけれど、理由も分かる気がするもの。言い難いわ」
学園在学中に、イレーナには恋人がいるのだとは明かしていたとはいえその先――具体名までは中々言えていなかった。初めて明かした相手なので緊張したが、今では一安心と理解を示してくれることへの感謝がある。
「でも、せっかくだからその内馴れ初めもじっくり聞きたいわ」
「……出来る範囲でよければ」
馴れ初めと言われても、まさか空から降ってきたとは言えない。あんな出会い方をするのは、後にも先にもゼロだけだと思う。
他にも根掘り葉掘り聞かれても、たじたじになる姿が想像できる。お手柔らかにお願いしたい。
「冗談よ。わたし、今まで聞かれているのを聞いていただけで、直接聞くのは不得手よ。自分の立場に置き換えてみると、困るっていうこともあるわ。アリアスが喋りたくなるのなら別だけれど」
イレーナは愛嬌たっぷりに片目を瞑った。
この友人の、こういうところは変わらない。相手が返事に困ったり、それこそたじたじになることは基本的にしないところ。そういった線を見極めるのがとても上手な女性なのだ。
「じゃあ、喋りたくなったら」
アリアスも笑って、イレーナの言葉に乗らせてもらう。その内ね、といつになるかの約束をして話は自然に移りゆく。
「ゼロ団長のご実家と言えば、スレイ侯爵家ね」
「何か知ってる?」
「残念ながら、知らないわ。わたしは学園に入っていたから貴族間の付き合いもほとんど無くて、ランセくんは例外として、侯爵ご夫妻にはお会いしたこともないわね」
「考えてみると、そうだよね」
学園の生徒は普通、入学の許される年齢十二、三歳で入学し、六年生まで学園で魔法師になるための勉学に励む。
魔法師となるということは、貴族であっても貴族の身分関係無しの世界に入ることを意味する。従って、貴族の家出身の子どもでも同時に貴族間の付き合いもしなくなっていくのだとか。一年の多くを寮のある学園で過ごす事情も手伝っているだろう。
家々の対応にも依ろうが、つまりイレーナがスレイ侯爵家のみならず、他の如何なる貴族ともそんなに深く知り合いだったり顔見知りであったりでないのは、おかしいことではないのだ。
「……ランセくん、か」
ゼロの弟、ランセ=スレイ。学園での同級生で、アリアスは在学中の二年共彼と同じクラスに所属していた。
また、アリアスが騎士科の一部の授業に参加していた関係もあり、そこそこ会話する関係にあった。けれど最初にゼロの話がちらっと出ただけで後の学園生活でその話が出ることはなかった。
時折ゼロからの手紙を読みながら悩みもしたが、結局ゼロとの関係は言うきっかけも勇気も無し。ランセは学園卒業後、家に戻った。卒業してから一度も会っていないので、丸一年は会っていない。
「……ゼロ様と行って、どんな顔で会えばいいんだろう……?」
侯爵家を訪ねれば、絶対ランセはいるだろう。ゼロと行って会ったとき、ランセがどんな反応をするのか想像が出来ないし、本当にどんな顔をすればいいのか悩む。初対面であれば別の話になるが、何しろ約二年学園で級友として顔を合わせていたのだ。イレーナや他の人が想像していなかったように、ランセもまさか現在進行形でアリアスとゼロがとは思ってもいないのではないだろうか。
「ランセくんの反応は気になるわね」
「イレーナ、面白がってる?」
「面白がってはいないわよ。ただ、わたしが聞いてとても驚いたから皆がどれだけ驚くか興味あるわ」
ゼロ団長だとはね、とカップの中をスプーンでかき混ぜながらまた呟いている。
「緊張してる?」
そっと問われて、カップの中に視線を落としていたアリアスは微かに顎を引く。
液体で作られた揺れる鏡に映る顔は、思わしくないものだ。悩んで、考えている顔。
「すごく、緊張する」
ゼロには言わないけれど、実は想像するだけで心臓が飛び出そうなくらい緊張する。今こうなのに、当日になるとどうなってしまうのか。
ランセのことだけではなくて、ゼロの両親の反応、その他。考えはじめると、きりがない。
「一度も会ったことないの?」
「うん」
「それは緊張するでしょうね……。どんな人かも分からないのだもの。ゼロ団長には聞かないの?」
アリアスは曖昧な返事をした。ゼロの家との関係が少々複雑であることは、彼が家を出た事情で図れる。弟であるランセともあまり深く関わっていたようではなかった。
これは現在の関係にあろうと容易に聞けるものではないと、思うのだ。
「行って会ってみれば、分かることだよね」
ゼロの両親に挨拶をしたいとしたいと言ったのはアリアスだ。緊張はするけれど、それは付き物というもの。大丈夫だと、しっかり挨拶の練習もしていけば後はなるままに。緊張を孕んだ気持ちに言い聞かせるように、言った。
「変なところで肝が据わっているわね」
イレーナは呆れたように笑った。
据わってくれればいいと思うのだが。
「ところで、わたしには言ったけれど他の人にはまだ言ってないのよね?」
「うん」
「他の人にはいつ言うの?」
ずっと黙っているわけにはいかないでしょう?とイレーナは首を傾げる。
その点については、アリアスもさすがにずっと黙っていたり隠すつもりはない。ただ、だ。
「うーん……ずっと言おうとしていなかった分、いざというときになるといきなり言うのは難しいね」
「そうでしょうね」
「名字が変わると、記録されている情報の訂正をしないといけないからそのときかなと思ってる」
「それが一番すんなり行くかもしれないわね。――マリーは仰天するわよ」
「そうかな」
そうかもしれない。
言ったが最後、根掘り葉掘り聞かれるだろうことはすでに学んでいたため、学園では恋人がいるかとも誤魔化していたから。
同じ年頃の女の子の恋愛話への食い付きように、それも集団に遭ったのは始めてで誤魔化すことばかりしていた。
そのつけだろうか。
アリアスは全部あれこれ考えることを止めようと試みる。多くは考えても仕方ない、その日が来て、行動してからでないとどうとも言えない心配ばかりだ。
アリアスの話ばかりしていたので話題を変えることにして、イレーナの方のことも聞く。
「イレーナの休暇は今週の末くらいからだったよね」
「ええ」
『春の宴』も過ぎ、イレーナもようやく長めの休暇申請をしたのだ。来週からのアリアスより少し早めとなっていたはずだ。
「アリアスの休暇にも少し重なるわよね」
「そうだね」
「帰省って休暇が始まると同時に行くの?」
「ううん。実は、午前中まで仕事で午後から休暇の始まりっていう風になってて」
「何それ、ややこしいわね」
「最終的な準備をゆっくりできるからいいかな。それで、出発はその次の日になってるの。イレーナは?」
「わたし、休暇と言っても家族は今王都に滞在しているから王都の家に帰る形になるの」
そうか、イレーナの実家も貴族。伯爵家だ。王都での貴族間の交流の中にあるのだろう。
「王都からは出なくても済むのはいいわね」
時間のかかる帰省は少々面倒に捉える節のあるイレーナは染々と呟いた。
「それでね、アリアスの予定さえ合えばせっかくだからその午後からお買い物に行かない?」
「予定は大丈夫。うん、行こう」
「何の話してるの?」
休暇最初の予定が決まった直後、アリアスの後ろから声がした。
「マリー、お疲れ様」
「お疲れ!」
少しずれて昼休憩に入ったマリーがアリアスの横の椅子に座った。
「来週の話をしていたんだけど、マリーも買い物に行かない?」
そういえば去年は休みが中々合わなくて、いつか休みが合った日にと約束をしていたことを思い出して、誘ってみる。
すると、マリーはぱっと表情を明るくして身を乗り出した。
「行きたい! 行けるかな? いつ?」
アリアスが日にちを告げると、「待って、思い出す!」と自分の休みの日を頭から引き出すべく、マリーは目を瞑り明らかに考え込んでいると分かるしぐさをした。
マリーが思い出そうとしているのは、通常ある一日の休みだ。
「一年目も脱した分、今年から少しは休みの融通も効くと思うけれど、それでも一日の休みが自然に合うのは難しいわよね」
「うん」
考え込む友人を見守りながら会話していると、「あ!」とマリーが勢いよく顔を上げ、目を開き、アリアスとイレーナを見た。
目がきらきらしている。
「行ける!」
やった! と弾んだ声音と笑顔につられてアリアスも「良かった」と笑顔になる。
「やったぁ、いつぶりだろうね! 皆で買い物行ったの! 楽しみだなぁ……あ、そういえばアリアス」
何だ急に。
すこぶる楽しみそうにしていたマリーが何か思い出した顔になって、アリアスを見た。
「どうしたの?」
「さっきレオンと会ったんだけど、覚えてる?」
「レオンって確か……」
呟いたイレーナがアリアスを見る。
「覚えてる」
「それでちょっと話してたんだけど、最後にアリアスの配属どこかって聞かれたから教えちゃった」
「配属を? うん、別にいいよ」
配属なんて隠すことではない。その内すれ違ったり、会ったりすることもあるのだろうし。
マリーもあったことを一応言っただけなのだろう、「でさ、集合場所どこにする? アリアスは休暇直前なんだっけ? じゃああたしとアリアスは一緒に――」と出来たばかりの楽しい予定の話題に移った。
そうか、そんな季節だったと改めて自覚して、アリアスは新しい顔の加わった食堂をちょっとだけ見渡した。
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