第7話 少しも変わらず
城の医務室に対して騎士団専属の方も呼ぶに便利な『騎士団の医務室』と言うことができ、例外なくベッドが完備されているものでシーツ類の洗濯はつきものだ。
「手が冷たいよぉ」
晴れているのに水は冷たいことは季節柄仕方のない時に入っている。
洗ったあとでも乾かす前、シーツ冷たく量があるだけに手を冷えさせる。
「あとはこの籠の分だけだよ」
「あと少しあと少しあと少し」
「マリー、それちょっと怖い」
自らに暗示をかけようとしている風に聞こえる呟きをするマリーに隣にシーツを干すアリアスはつい本音で言う。「ごめんごめん」と謝られた。
「今冷たいって言ってたらこの先どうするの?」
「がんばる!」
即答に、問いをかけたイレーナがアリアスの後ろを通って新たにシーツを手にとり横に干そうと腕をあげつつ「頑張る期間が長くなりそうね」と呟いた。先を考えるとそうかもしれない。このやり取りが何度も行われることは間違いない。
そうしながらも籠いっぱいのシーツを干し終えた。
「手が、手が動かないよぉぉ」
「大げさにしないの、温めれば動くわ。ほら、マリーが待ち望んでいたお昼休みよ」
「お昼休みだ!」
「本当に嬉しそうなんだから……アリアス行きましょう」
「あ、籠片付けてくるから先に戻ってて」
手が限界そうなマリーを任せてイレーナも先に戻ってもらったアリアスは大きな籠を持ち、小走りでいく。
籠を片付け、石鹸の残量が少ないので補充しておくことにし取りにいって石鹸をポケットに入れて。
帰り道。
その帰り道のことだった。道すがら、ぎょっとするはめになった。芝生の黄緑の中に靴をはいた脚が生えていた、というのは一見した誤解でその脚は確かに続いている。
人が倒れている?
こんなところに?
城の敷地で人倒れとは尋常ではない。アリアスは行こうとしていた方向に目を戻して意味なく確かめ、ついでに左右を確かめ足を一歩ずつ踏み出していく。
不審者であれば……。
「あ」
全体像を見て、声が自然と出た。
あれは――
「サイラス様」
「ん、おぉアリアス」
近寄ってみると思った通りの人物がいた。芝生の上に寝転がっているサイラスだ。
不審者とかではなかった。それにしても驚かせてくれるものだ、と今や完全に安心してさくさく近づく。
一方声をかけたアリアスを見て身を起こすサイラスの格好は、彼が帰って来たばかりだったと推測できるあちこち汚れた旅装ではない。濃い茶のズボンに上のボタンがいくつか留められていない白いシャツ、その上には何も羽織らず着ていない。
「寒くないんですか、その格好」
「別に?」
水だけではなく、ここのところ気温自体が下がってきている。まだ上着まで着込まなければ寒くて外に出られないというところまではきていないが、肌寒いし風が服の間に入り込めばより寒い。
そのはずなのに、サイラスは夏であってもおかしくはない服装で寒くないという。
「風邪引きますよ」
「風邪か、引いたことないな」
「うそでしょう」
「本当だって。こんなことで嘘ついてどうする」
サイラスは身体を震わせ笑った。
よく笑う人なのだ。アリアスの記憶には笑っている顔しかほとんど覚えがないほど。
アリアスは後ろに手をついて足を伸ばして座っているサイラスの横にしゃがみこんで彼を見る。
「お城にいることになったそうですね」
「あぁ、聞いたのか」
そう応じたサイラスは地面だ何だと何も気にすることなく寝転がった。枕にしている彼の腕、袖がめくれて覗いた腕輪が目についた。
サイラスが装飾品の類いを好んで身につけるとは思えないので、魔法具だろう。魔法石と思われる大きな石がはまっていることからもアリアスは予想する。
「結界の魔法具の修繕。魔法石の加工、騎士団とかに支給する魔法具作り……全部それ関係やらされてる」
魔法石、それを嵌め込んだ「魔法の道具」となる魔法具を制作管理する魔法師たちがいる。
仕事柄普段は部屋に籠りっぱなしだとか聞いたことはあるが、実態は不明だ。学園では魔法具専門の人材を育てることはないので、彼らこそが弟子を取る必要がある。
魔法石に魔法を込めることは慣れれば魔法師にはできるものだが、魔法具を作ることには相当な技術がいるらしい。例えば、剣に魔法のこもった魔法石を単につけるだけで「魔法剣」になるわけではない。道具と魔法石、それからその中の魔法を「繋ぐ」ことに難しさはある。
ジオも魔法具をほいと作るが、それには特有の才能が必要。教わってできるというものではないのだ。
サイラスの才能。
「最初の最初はいいが、どんどんつまらなくなってくる」
「そんなことないでしょう」
「オレは部屋に籠って
確かに、体格からしてみても騎士団所属と言われてもそちらの方が納得できる。才能があるのと向いているのは違うらしい。
「王都を出たいな」
「帰ってきたばかりなのにですか?」
「関係ないな。――なんだ、もしかしてオレがいなくなったら寂しいか?」
「六年も会っていなかったのに、すぐにどこかに行かれるのは当然寂しいですよ」
「そうか」
はしばみ色の目は仰向けで自然と向く方へ注がれたまま。彼が見上げている空は大きな雲がゆっくりと流れる、おおむね青色の空であるはずだ。
その空をアリアスは見ずに、しゃがみこんだままサイラスに声をかける。
「それに、ルー様がサイラス様はそろそろ城にいてほしいと言われていると言っていましたよ」
「ルーウェンが?」
「はい」
「あいつは……甘ちゃんだなぁ」
聞き返すときだけ向けられた顔は脱力したようにまた空に向き直る。
甘ちゃんとは、何がだろう。サイラスの口から出てきた言葉にアリアスは内心ちょっと首を傾げる。
「それで、その流れならオレが今まで何してたかも聞いたんだろう?」
「はい」
「で、ルーウェンは何て?」
「『放浪魔法師』をしてらっしゃったと」
「各地ふらふらしてたっていうことは間違いじゃないしオレ自身口実にもしてたけどなぁ、あいつはよくも上手く言うもんだ」
「違うんですか?」
「違わないって言っておく」
「言っておくって……どういうことですか」
「ルーウェンがそう言ったんだろう? それならそれがアリアスには正解だ」
「私、には?」
サイラスの言い方に、アリアスは訝しげになる。
「違うということですか?」
「違うわけではない」
何だかこのまま続けても堂々巡りになりそうな受け答えで、では一体どういうことなのだと思う。が、彼的には話は終わったという認識なのかサイラスがさっさと話題を変えてしまう。
「そういえば、ルーウェンはあんまり変わってなかったなぁ、あいつ。アリアス見たあとだからか」
「そんなことないでしょう」
「あまりにもおまえが成長しすぎていたからだろう?」
「それは何回も言いますけど、サイラス様が六年も帰って来ないからです。ルー様だって変わっているはずです」
「六年がしっくり来ないんだなぁ。気がつけば……って感じか」
「六年」と呟きの大きさで聞こえた声は気のせいかもしれないけれど普段より少しだけ、静かだった。
「オレは変わったか?」
「いいえ? 強いて言うのであれば、髪が伸びたくらいでしょうか」
焦げ茶の髪が。まだ切られていなくて、伸ばしっぱなし。おまけに長さが不揃いだ。今も周りより短め髪がそよ風に流れて絡まっているのではないかという部分が出来上がりつつある。
「これか、面倒だったからいいかと思っていつからか切るのさえ止めた」
「面倒がらないでください。……それ以外は以前とお変わりないように見えます」
「そうか」
完全に下に敷いた腕に預けられているサイラスの首が巡り顔がこちらを向いて、じっと視線を定められる。
はしばみ色がわずかに細くなって、手を伸ばされた。
「おまえは大きくなっただけじゃなくて女らしくなったなぁ」
「……なんですか、いきなり」
「思ったことを言っているだけだ。それに褒めてるんだ」
予想外の言葉に、それもこれまたしみじみとした口調であったので照れや嬉しさ等の感情よりも先に「いきなりどうしたのだ」という率直な疑問が湧く。
対してサイラスは別に意味はなく思ったことを口にしただけ、というようでアリアスの後ろ髪より少し短い横髪が垂れて、その一筋に指先が触れていった。
彼は自分だけの「流れ」を持っている。言い方を代えると気分屋だったりマイペースだったりといくらでも言うことができるだろう。
「あ、分かった」
今度はなんだろう。分かった、と声をあげられても話の流れ上何が分かったというのか。アリアスはじっと言われることを待つ。
「その年頃になると男でもできてるか?」
そうしたら、放たれたのはどこぞのおじさんみたいな遠慮も何もない問い。「だから女らしくなってるんだろう?」と答え合わせを待っているような顔を視界に、虚をつかれてアリアスは上手く答えることができなかった。
「当たりか。まったく久しぶりに見たと思ったらませてるな」
するとアリアスが何も言わないうちににやにやと笑うではないか。面白がっている表情そのもの。
アリアスは少しばかりむっとする。
「もうガキじゃないか」
「残念ながら」
「怒ってるのか?」
「いいえ。サイラス様の調子が帰ってきてらっしゃってからあまりにおじさんなので呆れてます」
「おじさんとはまだ勘弁してくれよ」
快活な笑い声があげられた。
「それより、ずっと思っていたんですけど」
「なんだ」
「今ここにいらっしゃるのはつまりお仕事が途中で、でもつまらなかったから出てきたということですか?」
途中から思っていたというのは事実だが、サイラスの様子に意趣返しとばかりに指摘した。
案の定図星だったのだろう、サイラスは空へすっとぼけたように顔を、目の向きを戻したかと思えば、
「否定はしない」
と言った。
その日の午後の空は午前までは青色が勝っていたのに、ところどころにあった大きな雲が広がり空を覆いつつあった。この時期で雪はまだ早いから曇りまでで持ちこたえるだろう。シーツは乾くだろうか。とアリアスは空を見上げて、仕事に戻った。
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