第6話 小さな竜
その日は夕方頃になってから呼び出されていた。
ディオンに朝に言われ指定された場所は城の敷地の端に当たると言えるところにある建物。外は何も変わったところは見られない建物だ。ドアいくつかで隔てられ、ようやく入った中は厩を思わせた。ただし、天井は二階三階分にも及ぼうかという高さで、下の面積も広い。
ディオンと同じデザインの服を来た魔法師たちがいる。
その内何人かが一様に同じ方を見ている先が、ディオンに先導に従っていくと明らかになった。
生まれたばかりの竜は白かった。
「白い、ですね」
「うん。最初はそうみたい」
生まれたばかりと聞いて人間の赤ん坊を想像すると大きさに違和感を覚えるが、すでにアリアスが抱えなければいけないと思われるほどの大きさであり、竜にしてみるとこの成長の速さが普通なのだろう。卵の大きさを知らないので、その時点で大きかったりしたのだろうか。完全に成長した竜の巨大さを考えるとあり得る。
それはさておき、大きさよりもまずその色に目を引き付けられた。
正確には真っ白というよりは、どこか薄い膜がかかったような色合いの鱗。少しくすんだ白と言うべきか。屋内で見ているからかもしれないので、外の晴れた空の元で見れば真っ白である可能性がある。
その「小さな」竜は眠っているようで独特の橙の目は今は見られなかった。
「契約すると、色が変わると思う」
竜は人――少なくともこれまでは例外なくその中でも魔法師――と『契約』と呼び表されている特別な繋がりを持つとされる。そして、契約した証として竜の鱗は契約した人の瞳の色を写し取ったがごとき色に染まる。
ルーウェンと契約した竜が青色の鱗を持ち、ゼロと契約した竜は灰色の鱗を持つように。
ちなみに、竜の寿命は長い。人と比べると遥かに。ゆえに一度契約したとはいえ人の身体の限界を悟ってか、人が死ぬという区切りを待つのではなく魔法師としての区切りを目安に竜と契約した人との繋がりはなくなり、年数にばらつきあるものの竜は再度他の人を選ぶ。そのとき鱗の色は上書きされるのだという。
「それで、僕たちがやらなければならないのはこの竜を『温める』ことだ」
「まだ温めるんですか?」
「むしろこれからが重要」
「どうやって温めているんですか?」
「魔法」
竜は生まれたばかりでは上手く体温が調整できなかったりと色々強固ではない。そこで、人の手で育てる限り親代わりに手を貸してやらなくてはならないとディオンは教えてくれた。
普段見ている竜の姿を考えるとそんな弱々しいときがあるとは想像できなかった。
「魔法で途切れさせることなく囲み続ける」
常時誰かが様子を見ているということで、今竜の周りにいるのはその役目を負った人たちだということ。けれど、立っているだけで特に魔法を扱っているようには見えない。
ただ、竜の周りはぼんやりと明るい。
「人の手でするからには自分たちの中から魔法を取り出す方法は疲れるし消費が激しくて人手が多く必要になって非効率的だから、魔法はあらかじめ込めておいた魔法石から取り出す」
いくらか離れた位置で立ち止まって少し先の地面を指で示されて下を見ると、立ち止まった場からでも分かる大きな石があった。庭に転がっているような石ころではなく、宝石のように綺麗な石。魔法石だ。
ひとつの奥にまたきらりと表面がつるつるとした同じものを見つけてよりその辺りを注視すると、竜の周りを囲む形に並べられていることが分かった。ぼんやりとした光は魔法石から放たれている。
差した指を下ろしたディオンが石か竜かに視線を定めて、「温める」理由を語る。
「魔法で面倒を見なければ成長が止まる頃に十分な大きさに達しないということもあったらしい」
「それは、どうしてですか」
「竜は魔法を宿す存在だ。一つの仮説によると、竜は本来育つ過程で親の竜の魔法に包まれて生まれそして育つのではないかというものがある。あくまで仮説。少なくとも現在生きている人の中で誰も見たことがないから。
僕たちは魔法で温め彼らを生まれさせる。古い記録によると人の体温で温めたり火を焚いて室内の温度を保ったりと色々な方法が試されたこともあったみたいだった。昔の話、今はそんな実験紛いのことはしていない。
その中で残った方法はやっぱり魔法だった」
斜め前にいたディオンが視界から消えた。動きの先を反射的に追うとしゃがみこんだのだとわかる。
「それに、遠く竜が住むとされる人の目に触れたことのない地は空気に大地に魔法が染み込み満ちているとされている。でも僕たちがいるこの土地からは少しずつ魔法が薄れてきている。魔法師の数が減少してきていることが証拠だ。
大地から魔法が薄れたがために竜は人と共に暮らさなくなったのではという考察し続けている人たちの考えを借りるとすれば、幼い竜は本来いるべき土地を離れてそんな環境で生きていくため、適する準備する必要があるのかもしれない、ということ」
語り終えたディオンが立ち上がって、アリアスに彼のいつでも落ち着いた雰囲気の目が向けられる。
「全部仮説だから、覚えておかなくてもいいよ。知りようがない確かめようがないことはこれから先も明らかにはならない。知っておくべきことは目の前にあることだけだから。とりあえず、竜はある程度成長するまでは魔法で保護してあげておく。これだけ」
「は、はい」
「アリアスにもしてもらうことになるから」
「その魔法で包む――『温める』ことをですか?」
「そう」
肯定を表したディオンが先に進み始めたので、アリアスもあとを着いていく。
そうやって改めて竜により近づくと周りにいた数人のうち一人がわずかに頭を動かして、アリアスから顔が窺えた。会釈する。初めて会った人だ。
「魔法石は一度魔法を解放すれば次止めるか尽きるまで発動され続けるようになってる。もうすぐ魔法石のいくつかを交換する時間のはず。竜に対するのも人に使うのもやり方はまるで変わらないから、変に緊張しなくていい」
今からやってみろということか。
ほいと実施教育するのが竜に関わる魔法師の新人を育てる全体のやり方であるように思えてきた。
「それに、したことあるから出来る?」
「……?」
ああ魔法石を使ったことがあるという意味か、とアリアスが遅れて理解して頷こうと思ったとき。
「二年前」
「……二年前……?」
なぜか年数が限定されてやってきた。元々教わっていたこともあるし学園でも魔法石の扱いは学んだが、それは二年前に限らない。
思わずアリアスが戸惑った表情になると、ディオンも「あれ?」という風に首を傾けた。
「聞いていない?」
「というより、指されていることが分からないといいますか……」
「二年と少し前。竜に不可解な現象が起こったときのこと」
きっかり二年前ではない。季節的にも二年前と何ヵ月か前。
日常、なんてことない記憶であるならまだしもその記憶はアリアスの頭の中に明確に残っている。
「竜が、飛べなくなって……」
「そう」
竜に異変が起きた。
その日の朝に騎士団へと飛んでいくはずだった竜が一体も到着せず、やっと現れた竜は地に落ちぐったりしていた。
そして向かった先である竜の寝床、通称『巣』にいた竜はすべて地に伏していた。寝ているのではなく、そうせざるを得ない状態。
アリアスは
「そのとき、アリアスいたよね」
「はい……え」
「僕もいたんだ」
なぜ知っているのかという疑問が返事したあとに出てきたが、口にする前に答えが与えられた。
あとから竜の『巣』に現れた竜に関わる魔法師たちがいたことは覚えているが、見知らぬ人たちであったから現在まで顔など詳細は覚えているはずもない。
目の前の先輩はその一人だったというのか。
「その様子は聞いていないということ。別に支障があるわけではないし話す必要も……あったわけではないから。
けれど、今回アリアスが一人、この職に関わるように声をかけられたことには関係はある」
アリアスは流れではじまったはずの話が読めなくなってきていた。二年前、そのことがどう関係してきているというのか。
「ここまで話したのは僕だ。聞く?」
「はい」
ここで止められては気になるだろう。アリアスが頷き言うと、ディオンも頷いた。
「どこから……うん。
最初は巻き込まれて来たらしいと聞いてそれは気の毒だな、程度だった。それよりも竜のことが気にかかったこともあって。でもそのあとあれは誰なんだろうって話になった。ルーウェン団長と親しそうで、ゼロ団長とも親しげだったから」
「それは」
「ジオ様の弟子だということはすぐに耳に入ってきた」
エリーゼがその情報を持ってきたらしい。
「いい人材だ。今から育てることができるのではないか、なんて僕たちは言っていたけれど冗談が混じっていた。でも、それを耳にしたエリーゼ様は本気だったみたい。場合によってはジオに直談判をして正式な魔法師にしてこちらに預けてもらおうか、と考えを聞いたことがあった」
「まさか」
「うん、アリアスがこうして学園を経てきたということは実行されなかったということ」
「……じゃあ、今回私が声をかけられたのは」
「二年前から目をつけられていた、ということが大きいことはある」
二年前から。
そんなこと考えたことがあるはずなく、アリアスは種明かしを聞いて驚いた。
「でも、話しておいて何だけれど、エリーゼ様が直に見て必要なと思ったのであれば今回の話は存在しなかったから深く考えない方がいい。二年前のことがなければ、という話でもない。実際、アリアスに声をかけたことは正解だったと僕は思う。それはエリーゼ様も思っているはずだから。そんなことがあったんだ、くらいに思っていて」
「そうします」
コネでなどでは全然ないが、二年前……とアリアスは予想もしていなかった理由を頭の隅に閉まっておくことにした。
「ディオン」
「時間?」
「そろそろ。やらせるのか?」
「うん」
一人の魔法師が
「アリアス、これ持って」
「あ、はい」
なにかを持っている手を差し出され、アリアスが差し出した手のひらを上にした手に落とされた瞬間重いと感じるものが。
つるりとした表面。
両方の手のひらにしっかり持った魔法石を見下ろしてから、少し上の位置にある目を見上げると、ディオンの身体は前方に向き直った。
「やろう」
「はい」
少しくすんだ色合いの白い竜は最後まで目を覚ますことはなかった。人間の赤ん坊のように生まれてしばらくの頃はほとんどを寝て過ごすのだろうか。単にもう寝る時間なのだろうか。
*
魔法石の交換管理の他、建物内の説明等があって帰ってもいいとされ出た外はすっかり夜だった。陽が落ちる時間が早くなってきているから、思っているほど遅い時刻ではないはずだ。
昼間より冷えた空気を吸い込んだアリアスは早速宿舎に帰るために歩きはじめる。吐いた息は白くはならない。
元々城の敷地内、外とは思えないくらい静かな一角だったのだが夜ではそれが増している気がする。人がいないのももちろんあるが、暗くて他のものが紛れてしまっているからだろう。
「……あ」
歩きながら何気なく見上げた空。星が見えるから、雲は出ていないようだった。澄んだ空気に相応しく、星輝く頭上は澄みきった夜空を広げている。
月も、満月と半月のちょうど中間をとったような少しだけ膨らんだ形をしていた。
こうして夜にゆっくり星空を見上げるのは久しぶりだ。次の日に備えて食事をとったらお喋りもほどほどに寝るという日は今日も変わらないだろうが、帰るまでは……。
「上向いて歩いてると危ねえぞ」
声がして、アリアスは空を仰いでいた顔を瞬時に戻し周りに巡らせる。暗くてよく見えない周囲。
どこから。横から?
きょろきょろと前左右を確認。
「右だ」
「……右?」
右。と一度通りすぎた右手に顔を向け、目を凝らしているとその人はもう近づいてくるところだった。
「ゼロ様?」
暗い向こうからやってくる長身の正体をほとんど呟やくように呼ぶ。
「よお」
かけられたときから聞きなれた声だったのだけれど、ようやく明らかになった姿に確信を持つ。こんなに暗いところだから、声をかけられた瞬間だけは身体が固まったのだ。
「見えてまさかと思ったが、もう暗えのに何してんだ?」
灯りも何もないこんな暗い中で誰だと分かる人も限られるが、相変わらず目のいいゼロは暗闇、離れて歩いていたアリアスの姿を捉えたようだった。
「えぇと、生まれた竜の世話、といいますか」
「ああ生まれたんだったな。夜番にでも駆り出されてんのか?」
「いえ、今日ははじめて竜がいる建物自体に行ったので説明みたいなものだけでした」
欠かすことなく一日中誰かを配置し交代交代だということで、ディオンはこれからそのまま交代要員で夜の番をするのだと言っていた。
アリアスも夜だか昼だかはまだ分からないものの、今日連れて行かれて説明されたということはその仕事が回ってくる可能性は高いだろう。ますます変則的な生活になりそうである。
「無理すんなよ」
「平気です」
少なくとも今のところはまだ。
それにしてもアリアスが正式な魔法師となってから、何度この類の言葉をかけられたろう。ゼロに限らずルーウェンやクレア……。
「……そんなに私は頼りなく見えるでしょうか?」
「頼りなく? 逆だ逆。体調崩してもちょっとじゃあ無理しそうだからだろ。……想像できるが、誰かに同じようなこと言われたのか?」
「はい、まぁルー様とか」
「だろうな。あいつは妹弟子離れ出来てねえっていうか、子ども扱いしてんだろ」
「そうですよね……」
他から見てもそう見えるのであればそうなのだろう。自覚済みで知ってはいたが、完全に確定されたというか何というか。
「俺は子ども扱いしてねえぞ?」
「……え」
前から伸ばされてきた手がアリアスの前髪を避けて、ゼロがその長身を屈める。何ら動きないまま、違和感ない自然な流れの動作を目に映すだけのアリアスの露になった額に軽いキスを落とした。
「俺とルーとの『心配』は一緒であって『別物』だ」
どうしてか兄弟子と一緒にされたくないらしいゼロの言葉は、彼の顔が再びアリアスの視界に収まったときのもので。
本当に目の前に灰色の瞳を見たアリアスは一度瞬き、
「こ、子ども扱いとそうじゃないっていうのは、そういう意味じゃありません」
とっさに前髪と一緒に額を手で押さえたアリアスの様子に、ゼロは笑った。
不意打ちが好きなのだろうか。度々突然、前置きも突然にそういうことをするのだ。彼は。
「それより止めて悪い。送る」
「え! いいですいいです。すぐそこですし」
「いいから。言うほどすぐそこですもねえし、誰が夜暗いときに恋人一人で歩かせたがるんだ」
「……、でもゼロ様は、」
「俺はさっきまでちょっと呼ばれててな、やっと終わって騎士団に戻るところだっただけだ」
なるほど、竜の赤ん坊がいる建物は騎士団に近い。
それで会ったかと思うが、タイミングが少しでもずれれば会えなかったのだな、と当たり前のことも思う。
「お疲れ様です」
「ん、けどこうしてアリアスの顔見れたなら良かったって思うな」
運が良かった、と考えていたアリアスではあるが彼ほどすんなり言い表し、伝えられない。
「ってことで行くぜ」
そうこう考えている間に手をとられてアリアスが何か言う前にゼロが続けて言う。
「せっかく会えたんなら、ちょっとでも一緒にいたい」
結局アリアスはいつだってゼロのそんな言葉には抗えないし、そもそものところ言われることは嬉しい。
短いけれど二人で歩く、不思議と肌寒さ感じない夜の散歩になった。
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