第12話 不意打ちの少年




 次の瞬間、アリアスはずれてしまった少年のフードを勢いよく元通りにかぶり直させた。


「ふぐっ」


 勢い余って鼻の下まで伸ばしてしまい布の向こうは変な声を出したが、そんなことに構ってはいられない。

 そうだ、こうしてはいられないと急に見かけて幻か何かかと信じようとしなかった頭が急激に働き始め、クレアの方に向き直る。


「く、クレア様、私、この子が転んでしまったみたいなのでちょっと医務室に行ってきます」

「私が、行く? 試合が始まってしまうかもしれない」

「大丈夫です。医務室の近くからでも見られるところはありますし」


 少年を背後に隠しながら何とか誤魔化し捲し立てクレアと別れ、人目が少ない場所へ行く。幸い、人々の注目は舞台に向いていて、隅にいる者のことなど気にも留まらないだろう。


「ごめんね、大丈夫?」


 ぐいぐい引っ張って来てしまったため、人気のない細い通路に来てから我に返って引っ張ってきた存在を振り向く。


「平気なのです」


 フードの影で少しだけ驚きに真ん丸になっていた目は通常に戻る。戻っても大きな目には変わりはない。

 澄んだ橙色の瞳。あの場でとっさに衣服の内側に隠すことは不可能だった白い髪を持った少年。その姿を再度見直し、今一度間違いないらしいとアリアスは思った。今度は、幾分か落ち着いていた。


「さっき転んだところは大丈夫? 痛くない?」

「大丈夫なのです。慣れていますです!」


 胸を張って言われた。

 慣れているのか。それはそれで心配だ。

 念のため地面についたと思われる箇所を見せてもらうと、少し赤くなっているが擦りむいたりはしていなくて良かった。

 軽く捲っていた衣服を整え、向き合う。


「……あなたは前に会ったことのある竜、だよね?」


 騎士団の竜と反対に野生の竜と呼び表せる存在。

 橙色の瞳は竜しか持たない色彩で、人の姿をしている少年は二年前に会ったことがあり、竜だとゼロが教えてくれた。

 会ったと言えど少しだけで、二年前。今の今まで薄れていた記憶が、目の前の存在と重なる形で思い出され、確認の意味で問いかけた。


「そうなのです、覚えておられるです?」

「うん」


 少年は嬉しそうに表情をますます明るくした。


「あ、前は名乗ることを忘れていましたが……ぼくはセウランと申しますです。そのままお呼びくださいです」

「私はアリアス」

「アリアスさま」

「『さま』はつけなくていいよ」

「どうしてです?」


 きょとんと心の底から、なぜ様付けを遠慮されるのか分からないという風にするので、アリアスは困る。単に「様」をつけられるほどの立場ではないし、慣れないのでむず痒いのでと普通に断ったのであるが……。

 これが少年――セウランの普通なのかもしれない。誰にでも敬語なのだという人にも会ったことがあるので、アリアスは納得するところに結論を落ち着かせて話を進める方を選んだ。


「え、と、セウラン?」

「はい!」


 色々聞かなければならないことがあるはずだ。

 竜の谷と呼ばれる場所におり、人の前に姿を現さない竜であるはずのセウランがどうしてここにいるのか。何よりまずこれに尽きるだろう。

 アリアスが驚いたのは、人が満ちてもその中にいると予想もする以前の問題である存在がいたからだ。


「どう聞いていいか分からないんだけど……」

「何なりとお聞きくださいです」

「……うん。……もしかしてゼロ様に会いに来たの?」


 どうしてここにいるのかという聞き方ではつっけんどんに聞こえるので、この可愛らしい少年に聞き辛くて心当たりを聞いてみた。

 ゼロに会いに来た。それが一番ありそうなことにして、唯一の心当たりだった。


「ゼロさま……ゼロさまに会えるです?」

「うん」


 期待に輝く瞳を向けられて、やはり唯一の心当たりは的中したらしい。若干安堵に近い感覚がしたのは、竜が来た理由が不明だったところが明らかになったことに依る。


「すぐには会えないけど、もう少ししたらゼロ様に伝えてあげられると思う」

「忙しいです?」

「うん、今はちょっと。次に試合があるから」


 試合と言うと、セウランが分かりやすく首を傾げる。


「今ここでは武術大会って言って騎士団の人同士が戦う大会が行われているの」

「そういえば、ここはとても賑やかだと思ったのです」


 今気がついたようだ。セウランは賑やかな方に立っているアリアスの後ろを覗き、深く頷いた。


「それにゼロ様も出ていて、ちょうど次が試合だから今は会うのが難しいの」

「ゼロさまが出ていらっしゃるのです!?」

「うん」

「それは見られますです?」


 こちらを見上げる瞳が輝く輝く。

 さっきから、というより最初からにしろ何だか小さな子どもを相手にしている感じだ。外見がそうだからかもしれない。

 見られないとは言えない笑顔。そもそも見られないことはない。


「見られるよ」


 さっきからろくに耳に入ってきていなかった会場の声に意識を向けて、今どのような状況なのかと把握に努める。団体戦の第一試合目は終わったのかどうか。終わったのであればこの次に白の騎士団が出てくるはずで、アリアスも見たいし、この少年もこんなに見たそうなのであれば見せてあげたい。

 しかしそれには一つ、解決しなければならない問題がある。


「そのためにはしっかりフードを被ってもらうことになるんだけど、いい?」

「?」

「セウランの瞳の色と髪の色は竜特有のものだから、見た人が驚いちゃうかもしれなくて……」


 おそらくセウランを見たときにアリアスが驚いたよりも、もっと。アリアスにとっては綺麗な色だけれど、見慣れない色だろうから難しい。注目を集めてしまうことは避けるべきであり、注目を集めてしまったらどうなるか分からない。

 そう言うとセウランは意図を理解した様子になって、「安心してくださいです」と笑った。


「アリアスさまには見えておられるです? 問題ないのです。他の人には最も馴染み深い色に見えているのです」


 錯覚させる魔法をかけているのだという。

 アリアスに白い髪と橙の瞳がはっきり見えているのは一度見たことがあるからか。


「そうなんだ……。竜の魔法は炎しか見たことがなかったから」


 思いつかなかった。

 強固な鱗、鋭い牙、鉤爪。魔法を溶かす炎。竜の唯一の魔法にして、魔法を使う者には最強と言える魔法。

 するとセウランは頭を振る。


「それは人間の元にいる竜だけなのです」

「そう、なの?」

「はい。ぼくたちはあの『魔法』は使えませんです。使う魔法はここにいる人と、魔法力の関係で起こす事象の大きさは違いますが、変わりませんです。人に魔法の使い方を教えたのは『竜』だからです」

「そうなんだ……」


 そうなのかと呑み込む他ない。


「……じゃあ見に行く?」

「はい!」


 竜がどれだけ大きな力を持っているのかは未知数。けれどここまで自信満々に言うのなら、この人の多さの場所に混ざっても大丈夫ということで良いのだろう。

 ここまで来るのにも、フードを被っていても完全に隠し切ることは難しいので誰の視線も引きつけていなかったのは、魔法のお陰だったのだと今思い至った。


 ゼロに会いに来た要件は何にしろそれは大事なものであろうし、それまでは放っておけない。

 今はとりあえず試合を見に行こう。


「行こっか。始まっちゃうから」


 十歳前後の子どもの外見であるのではぐれないように手を繋いで行こうと、つい手を差しのべると、少年は手とアリアスの顔を交互に見てから、そうっと手を取った。

 アリアスが手を包み握ると、繋がれた手に少年は嬉しそうに笑顔になった。


「あぁそうなのです」


 きゅっと握り返される手が可愛らしくて、アリアスにも笑みが溢れる。竜だとか何だとか関係なく、この少年は庇護したくなるものがある。無防備に見事に転んだところを見て危なっかしいと思っている部分があるのだと思われる。


 歩きはじめながら、騎士団の生まれて一年も経っていない子どもの竜ファーレルが人の姿になればこのようになるのだろうかと想像した。

 隣の少年の竜の姿は見たことがなくて正確な年齢も全く分からないけれど……ファーレルよりは大きいのだろうか。竜の少年と会ったのは約二年前で、ファーレルはそのときはまだ生まれていなかったはずだからこの少年はファーレルより年上となる。


 ――野生の竜と騎士団の竜の違いは一体何なのだろう


 さっきちらりとセウランが話したことが遅れて気になる。

 ファーレルが人の姿になったらと想像しても、騎士団の竜は人の姿を持っていない。魔法師が使うような魔法は使えない。野生の竜が騎士団に卵を運んでくる理由は誰も知らない。

 ただ一つの魔法しか使えないから、竜の姿しか持たないから?


 誰も知らない理由は、人に紛れているこの竜ならば知っているのだろうか。

 アリアスが自分より背の低い少年姿の竜を窺うと、セウランは視線に気がついた様子なくきょろきょろと物珍しそうに忙しなく左右に目を動かしてきた。

 髪は外に垂れフードも外してしまったのに、魔法が働いている証拠に誰も気に留めない。


「出てきたぞ!!」


 誰かの大声が耳に飛び込んできたことをきっかけに、周囲の音が鮮明になる。雄叫びに近い歓声を直に耳にして、耳を塞ぎかけた。

 場所は観覧席の途中。後ろ、前、横全てから声が発せられる場所。今まで耳に届き感じた空気とは段違いだと認識が塗り替えられた。


「すごいのです!」


 近くで小さな存在も初体験の出来事に興奮に頬を染め、手を離せばそのまま立ち止まり視線の先に集中するだろう。

 この様子、見た覚えがある。今は後で合流すると分かれ、午前中は個人戦を一試合だけ見ることを許され食い入るように見ていた友人が朧気に被さった。


 幸か不幸か今から団体戦二試合目。落ち着いて見られる場所を探すのは難しそうだと判断し、アリアスは手近な邪魔にならなさそうな場所に寄る。

 舞台には左右から各騎士団の集団が入場を終え、整列していた。


「ややっあれはもしや!」

「うん、ゼロ様だね」


 鎧をつけた姿が揃う中には灰色の髪をしたゼロの姿も見られる。訓練中はいつも軍服だから鎧をつけている姿は初めて見た。

 武術大会規則で鎧着用が決まっているのかもしれない。

 遠目だからあれが彼だと分かっても、表情までは見えない。


 どのような試合になるのだろうかと、今までにも思ったことを思うが、実際に前にすると思ったよりも緊張する。アリアスが試合する立場にいるのでもないのに、どきどきしてどうか怪我をしませんようにという思いが自然と出てくる。


「あっ始まりましたです!」


 興奮して試合展開――特にゼロの行動に一挙一動するセウランの横で、アリアスは初戦観戦を息を詰めて見終えた。

 個人戦と同じく初めは距離を置いていた二つの集団が開始の合図と共に相手方へと突進していくと、一分も経たない内に敵味方混ざり、乱れ、砂埃が巻き上がる。

 そこかしこから剣を打ち合う金属音と気合いの入った怒号。魔法戦とは異なる迫力。

 結果白の騎士団が勝利しアリアスが息をついた傍ら、少年はまだ興奮冷めやらぬ様子であった。


 ゼロに会うのであればしばらくは無理だろうからアリアスが面倒をみてやらねば。

 とセウランの話を聞きながら決意新たにした。







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