第16話 心配性



 城の一角、比較的こじんまりとした一室には傷を癒す魔法に長けた魔法師が常駐している。ゼロによって『医務室』と呼ばれている癒しの空間へ連れて行かれ、頬の傷を治してもらい、右腕を診てもらったアリアス。どうやら会議の途中での報告で会議を抜けていたようなゼロと本日二度目、別れて塔へ戻ってジオの部屋を片付けた。

 そうして本棚は一つ空っぽになったが、一冊見落としていた館の蔵書があったので再び塔と繋がる隣の建物、館へと来ていた。


「アリアス」

「……あれ、ルー様?」


 これで今日はもう仕事は終わりだ、と本棚のずらりと並ぶ図書館で担当の魔法師に本を返したあと本を物色していたときだった。ぽん、と肩に手を置かれた。

 本を手に横を見ると、そこには軍服姿のルーウェンがいた。いつものごとく穏やかな笑みをしている彼ではあったが、自らの方を向いた妹弟子の姿をくまなく観察するように目が上から下へといく。


「こんばんは、どうしました?」

「んー、どうも危なかったことを聞いたからな」


 アリアスはああ、と理解する。一時間ほど前のことだろう。魔法具を拾ってしまったがために攻撃されたことは記憶に新しい。あのとき人が来なければ、ゼロが止めなければどうなっていたか分からないと思う。思わず本を持った、痺れのなくなった右腕をさすってしまう。大丈夫だ。


「大丈夫だったのか?」

「大丈夫です」

「怪我は?」

「ありません」

「ないんじゃなくて治してもらったんだろう?」


 見透かされていた。治った……治してもらって怪我はもうないからないと言ったのだが、そこまで分かっているらしい。ゼロに聞いたのだろうか。


「ゼロに聞いた」


 当たりだったようだ。事の経緯も聞かれたから、それも耳に入っているのかもしれない。


「よく頑張ったなー」


 アリアスはすっと伸ばされてきた手に、髪をぐしゃぐしゃにしないようにか優しく頭を撫でられる。


「ルー様、私はもう子どもではありませんよ」

「そうか?」

「そうですよ」


 子どもにするようなそれに、アリアスは本当に子どものときからのいつものことではあるが少し複雑な顔で言った。そうすると、まだ頭に手を伸ばしたままのルーウェンは顔をちょっとだけ傾けてみせる。

 アリアスの兄弟子は若くも騎士団の団長を勤めるほどに有能である。魔法の才能からしてずば抜けているルーウェンに、きっと自分は一生敵わないだろう、とアリアスは思う。比べ物にもならない。そんな、自分とは八つほど歳も離れている彼からすれば、子ども扱いしたくなるものかもしれないが……。


「もう十六なんですよ」


 出会ったのは師に拾われてからすぐ。それももう十年ほど前のことだ。当時はそれは子どもではあったが……。未だに抱き上げられたりするのはさすがに中々複雑な面がある。その意味も兼ねて、アリアスは歳を強調する。この国においての一般的な成人は十八であるとされるのだ。もうその年齢に差し掛かろうとしているというのに。確かに、八歳の差が縮まることはないけれど、それはそれで別だろう。


「うん、そうだな。もうアリアスは子どもじゃないんだ。師匠の弟子でもあるし」

「そうです」

「でも可愛い妹弟子の心配はさせてくれよ? アリアス」


 妹弟子の言葉に、ルーウェンはそんなことは分かっているぞ、というように軽く頷いた。だが、子ども扱いをしないで欲しいという内容は読み取った上でのことか、わずかばかりに眉を下げる。

 アリアスはその顔を見上げながらも、目線がかなり上なのにも関わらずこちらを覗き込むようにしてくるのはルーウェンはどうやっているのか、と思う。なんというか、ついあっさりと頷いてしまいそうな感じがしてくるのは何でだろう。


「…………」

「まあ心配するのは止められないから仕方ないよなー」

「ルー様、」

「それよりも、もう暗くなるから部屋に帰った方がいいぞ」

「ルー様、何で今急に目を逸らしたんですか」


 アリアスが口を開く前に手を離し、さっと視線をずらしてしまったルーウェン。おまけに珍しくも話を聞こうとしてくれない。声が聞こえていないはずがないのに。

 背に手を添えられて、誘導されそうなところで腹のあたりの軍服を引っ張る。背の高いルーウェンが目を上げてしまえば、こちらから目を合わせることなどほぼ不可能だからだ。けれども、それでやっと兄弟子の目がまたこちらを向く。真っ直ぐに見上げると、困ったような表情になる。アリアスは少しだけ不安になって表情を曇らせる。急に何なのだろうか、と。

 だが、


「いやな、……もし心配するなって言われてもそこはどうにも出来ないことに気づいてなー。だからこっちから聞いておいて何だけどな、それは聞きたくなかったっというか……」


 何やら躊躇いがちに言われた言葉には、微妙な顔をするしかない。

 目を逸らしたと思ったら、それはアリアスが口を開いてから気がついてしまった『心配させてくれ』の言葉への拒否の言葉を聞きたくなかったためだという。

 アリアスは目の前で弁解し始める兄弟子を、師へ時おり向けるものには及ばないがじとりとした目で見ることとなる。何を言っているんだこの人は、と。何があったのかと思った、と。無駄な不安をしてしまったがために。


「だからさっきのは忘れて欲しい……アリアス?」

「ルー様」

「うん?」

「心配してくれて、様子を見に来てくれてありがとうございます」


 そもそものところ、アリアスが言いたかったのはこれだ。色々と話がそれてしまったが、ルーウェンは数時間前の出来事のことを聞いてここに来てくれたことは明白なのだから。

 普段は頭が冴えているはずなのに、今は検討外れなことを弁解している兄弟子の可笑しさも相まってアリアスは笑った。ルーウェンも一瞬ふいをつかれたようになったが、少女の言葉と笑顔にいつものように微笑んだ。


「うん」


 ともう一度軽くアリアスの頭を撫でて。

 それから、改めて彼は促す。


「暗くなる前に帰らないとな」

「はい。……あ、そういえばゼロ様にお礼を言っていないんですけど、お忙しいのでしょうか?」

「ゼロか? あいつはしなければいけないことがあってな。会議のあと直行してたな」

「そうですか。……じゃあ今日は無理そうですね……あのときに言っておけば良かった」

「…………そういえばあいつ、妙にやる気だったけどやり過ぎてないかな」



 アリアスと二人本棚の間を歩き始めたルーウェンは確実に何かを忘れている気がした。頭の大部分にあった心配はこの場で消えた。アリアスに怪我がないことをその目で見たからだ。だから、それではないはずのことが何かあったはずなのだが、その時点では彼は何か引っかかっていることを思い出すことが出来なかった。


「あ、そうだ。ルー様」

「何だ? アリアス」


 結局はルーウェンにとってはアリアスが何ともないことが分かったばかりだったのだ。




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