第15話 駆けつけたのは

 増えた軍服姿。その中の一人。眼帯をした整った顔立ち。少し前に会ったゼロの姿がそこにはあった。

 瞬間、その姿に気を取られていて魔法が鈍った。


「……いっ」


 魔法の光が眼前にまで迫ってきていて、とっさに右手で庇う。直後、右手に痛みが走る。直撃した魔法が及ぼしたのは、ビリビリとした痺れ。それは右腕全体にまで広がる。救いなのは、威力が弱められたあとだったことか。それまでに抑えられた。

 痛みに眉を潜めるが、右腕を押さえている暇はなかった。魔法がまだ飛んで来る。動く左手で音を鳴らす。とっさだったので小さめの魔法が生まれる。飛んできた魔法を完全には相殺出来ずに力の残りがすり抜ける。だが、ここまで届くまでには到らない。ひやりとした。


「止めろ」

「団長?」

「魔法を止めろ」

「あ、だ、団長!?」


 収まらない痛みと痺れを抱えながら、すかさず目を改めて前に据えていたアリアスだったが、そのとき、鋭く制する声がしたと共に魔法が完全に止まった。

 魔法が飛び交うことのなくなった通路の向こうから誰かが近づいてくる。


「アリアス!」

「ゼロ、様……ですよね」


 やがて視界を占めた人物は、さっき見たゼロだった。走ってきた彼は目の前で止まってわずかに目を見張った。


「ああ。右腕は大丈夫か?」


 魔法が当たった右手。その魔法の強さがどれくらいのものであるかを把握しての言葉だった。未だ痺れる腕をぎこちなく動かしてみる。


「大丈夫だと、思います。放っておけば問題なく取れる程度だと」

「そういう問題じゃねえけど……これもか」


 ゼロが手を上げたかと思えば、その手がアリアスの頬に触れる。すっと撫でた親指が離れたときには、赤色がついていた。血だ。

 一番最初に本当に不意打ちで放たれた魔法がかすったことを思い出す。それからの状況での神経の高ぶりからか忘れていたその傷を意識した瞬間、微かに痛みが戻ってきた。


「良かった……」


 それと同時に、攻撃の魔法が向けられる場面から抜け出せたことを実感する。今度こそ安堵する。目の前にいるのは、少なくとも見知らぬ人ではないからだ。この人は大丈夫だ、と思った。


「何でこんなことになってんだ……」


 緊張を解いたアリアスの前では、頬の傷から流れた少量の血、それから魔法が直撃した瞬間を見たゼロが眉を寄せていた。その目は少女への気遣わしげな色と、それから少なからぬ戸惑いが見えた。


「団長! 大丈夫ですか?」

「大丈夫も何も――」


 背後からかけられた声にゼロは身体を横向けにして顔を向ける。その際に、アリアスが肩を緊張させたことがあり、また眉を寄せる。


「何でこんなことになった」


 彼は淡々とまず状況を整理するために問いかけた。たいした理由わけもなくこんなことになっているはずがない。アリアスと騎士団の者が魔法を撃ち合っていた原因は、と。


「最初に対処した奴は」

「……おい、お前だろう」

「じ、自分です」


 直立の姿勢となった三人の内、促された一人が少し落ち着きのない様子で応じる。


「なんで、魔法を使った」

「……その者が他の場所で、怪しい動きをしていました」

「それで」

「手に魔法具を持っていて、声をかけると急に魔法を……」

「で、ここで魔法戦になったって?」

「はい。相手が魔法を放ち続けていたので、それに……」

「もういい」


 そのやり取りの外。アリアスはゼロの背後から顔を出す。

 見る先には軍服姿の男が三人。襟章は……白。なるほどゼロと同じだ。それから内、話しているのはあの怪しい男だ。


「……魔法具を持っているのは、あの人のほうですよ」


 ぼそり、と今まで弁護の機会もなかったものでアリアスは呟く。こちらを怪しい者に仕立てあげようとしている言葉も、もう嫌だった。ゼロが普通に接していることから騎士団の者であることが一つの疑問だが、その立場でその言葉を真実に変えようとしていることにさっきまで感じていたものはもうなかった。攻撃される恐れは少なくともなくなったからだ。

 そもそものところ、一度あの状況を逃れることが出来たならアリアスにはそれをひっくり返す希望はあった。最終手段として、ジオがいたから。

 問題は、どれだけここで自分が信じてもらえるかということだった。が、それを杞憂に終わった。


「魔法具? どんな」

「えぇ、と。黄色と茶色の間みたいな色の石がはめられた、円形の鉛色のもの、です」

「へえ」


 向けられたゼロの目に、かき消えそうな記憶を呼び起こして答える。するとゼロはまた目を戻した。


「その魔法具、出せよ」

「だ、団長……そんな娘の言うことを信じるんですか?」

「聞こえなかったか? 魔法具を出せ」

「そんなもの、持っていません」

「大人しく出せよ。まあ調べりゃあ関係ないか」


 ゼロが、歩きはじめる。自らが現れた方向で、ひたすらに団長と問答することになっている男の方へ。残りの者は、団長と男を交互に見ている。


「同じ騎士団の奴を疑いたくはねえが、一応、調べさせてもらうぜ」

「――っ」


 ゼロの言葉に、男がたまらず走り出した。その動きはすばやかった。だが、敵わなかった。男は後ろから衝撃を受けた。主に背中から。前のめりにさせられた男は立て直そうにも足が追い付かずに倒れ込む。その前。


「ぐっ……!?」


 彼は今度は首が圧迫され、同時に固い地面に倒れ込む衝撃が訪れることなく止まった。止まらされた。


「おい、どこ行く」


 低く聞こえた声はすぐ後ろからのものだった。男が首を圧迫されていたのは、軍服の後ろの襟を掴まれたからだった。ゆえに、倒れる方向とは異なる方向に引っ張られ息が詰まった。

 そして、それをしたのはゼロだった。彼は男が逃げた瞬間に自分もまた走り出し、その合間を詰めると同時に蹴りを一つ入れたのだ。それから、倒れる前に襟を掴んで止めた。


「話は終わってねえし、上司の前から話の途中で無断で去ってもいいと思ってんのか?」

「だ、団長」

「おまけに、これは何だ?」

「そ、それは……!」


 体勢を立て直した男の襟を掴んだままに、その眼前に突き出したのは鉛色のものだった。男が袋に入れてしまったはずの。


「落とし物だ」


 足元で音がした。がちゃりとした固いものがぶつかり合った音が。男が見ると、そこには黒い袋が落ちていた。加えてその口は開いている。縛りが緩かったのだろう。いくつか魔法具が溢れている。落ちたそれらが足にぶつかり気がついたゼロがその一つを、持っていた。


「これは何だ? 『春の宴』の一ヶ月前からは、申請されているもの以外の魔法具を持ち歩くことは禁止されてる。さらに、新たな申請もすることは出来ない」


 魔法師は支給されている魔法具以外に、個人で魔法具を身につけることができる。それはもちろん騎士団の者も同じである。

 だが、今年の『春の宴』の一ヶ月ほど前から、それ以前に申請して許可が出ているもの以外に身に付けることは原則禁止されている。原則、といえども一介の騎士団所属の者がそれを破ることは許されない。


「それに、こんなに大量に」


 それから、個人が持つ魔法具の数も制限されている。


「忘れて……」

「忘れていました、は聞かねえよ。理由にならねえ」


 襟を持つ、ゼロの手に力が入る。

 それは感じてはいないはずではあるが、その声に男は後ろの彼を見ていないまま身体を緊張させる。追い詰められたことを感じてか唇を噛む。自らが持っていた魔法具を没収したものとせずにアリアスが魔法具を持っていることにしたのは、それほどに見られたくなかったのか。調べている間に逃げるつもりだったのか。とにかく、そうであるならばそれらは失敗したと言えるだろう。


「一つ、教えといてやる。お前が貶めようとしていたのはジオ様の弟子だ」

「……え?」

「誤算だったな。まあだからって言うことを優先したわけじゃねえよ。状況が状況だからだ。意味、分かるか?」

「なんの……」

「詳しいことは、あとでじっくり聞いてやる」


 バチッとゼロの手から光が発され、男に震えが走ったと思うと男は今度こそ倒れた。ゼロは意識を失ってしまい重さの増した身体を地面に転がす。


「牢に入れてろ。封じも忘れんな」

「は、はい!」


 腰を屈めて魔法具入りの袋を取り上げながらの命令に、残り二人の者は迅速に行動を起こす。ぐったりとした男を二人がかりで抱え、素早くその場を去っていく。

 あっという間の捕縛劇。それをただ見ていたアリアスはぱちぱちと目を瞬く。そうしている内にも、ゼロが戻ってきて、


「ぜ、ゼロ様?」


 アリアスの左手をとる。引っ張られるままに足を動かすことになる。だがそうしながらも、アリアスはどこに行くのかと声をあげる。まさか、自分も牢にでも? でも騎士団の人が行った先とは異なる方向だ。


「そうだ」

「うあ」

「悪い」


 急に前を行っているゼロが止まって小走りだったアリアスは軽く顔を打つ。何かを思い出したように止まったゼロはそんな少女を見下ろして、謝る。


「大丈夫です。それより、どこに行くんですか?」

「医務室。診てもらった方がいいからな。で、他に怪我ねえか? 足とか」

「いえ、ないです」

「なら良かった。早めに行くにこしたことはねえから行くぞ」

「だ、大丈夫ですよ。痺れも取れてきてますし、頬の傷も浅いですから」


 また前を向いて歩き出すゼロに、慌てて主張する。自分に構うよりもすることがあるはずだ。


「俺が良くねえよ」

「え?」


 そうすると、ゼロがまた振り返る。片方だけの灰色の目が、こちらを向く。


「俺が良くねえんだ」


 その灰色の目は真剣そのものだった。


「俺が今すぐにでも治してやりてえくらいだが、下手にやるなら専門の魔法師に任せる方が確実だ」


 手を取っている手を外して、そのまま滑らせた先はアリアスの頬だった。一筋の赤色の線。薄く流れた血の跡。乾いている途中だ。その証拠に、傷の下をなぞったゼロの指には何もつかなかった。

 それでも、傷を改めて見たゼロは目を細める。


「――それに、ルーがそれ見たらやべえしな」

「え、ああそうでしょうか?」

「ああ。あいつなら笑顔で牢に行きそうだ」


 頬から手を離すと同時に目線を若干逸らしてその場の空気を変えたようなゼロの言葉に、アリアスは首を傾げる。ルーウェンが笑顔で牢に行くとはどういうことなのだろう、と。

 その間にも再びアリアスの手を取ったゼロは歩き出す。


「とりあえず医務室行きは覆らねえから」

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