竜のその後
本編が書ききった感があったので、いきなり親となった頃に飛んで来た番外編でしたが、本編最終話頃に時を遡ります。
────────────────
まだ白い竜、ファーレルが思ったよりも早く飛べるようになった。
飛べず、竜の住処となっている巣に行けなかった竜が飛べるようになることが示すところは、もちろん人の世話の手から離れるということ。
普通は飛べるようになると、自然にそのまま他の竜と一緒に飛んで行く……はずだったが。
今回、過去の記録に稀に見られたような稀な事が起こった。
自らの翼、力で空に飛び立てるようになった竜が、いつものように人の元に戻ってきてしまったのである。
そういうわけで、これまで竜を健やかに育てていくことを第一をしていた竜に関わる魔法師たちに、新たな仕事が出来た。
どうやって他の竜と巣に行かせるか。人の元から離すか。これから考えなければいけないのは、そういったことだった、が。
「いいじゃないか……まだいたいっていうことなんだから……!」
竜が巣に飛び立つまでの仮住まいとも言える建物にて、そう叫んだのは一人の魔法師である。
すぐにどうこう対処出来ることもなく、とりあえず竜と戻って来たところ、竜が飛んだことを伝えると喜び一色だった場に、先ほど議題が提示されたばかりだった。
ファーレルが飛べたことに泣いて喜んでいた先輩が、ファーレルに抱きつきながら、まだ半分泣きながら言った。
曰く、こっちに戻って来たということは、まだいたいということなんだから、急かさなくてもいいではないか、だ。
ファーレルは気にした様子もなく、どうして皆集まっているのだろうという感じでこちらを見ている。
対して、アリアスの横からふっとため息が聞こえた。
見ると、ディオンが心底呆れた目で、その同僚を一瞥し、何を言っているんだかといった呟きを落とした。
「ちょっと落ち着きなよ。そう思うことも分かるけど、そういうわけにはいかないし、もう飛べるのに長く続けば続くほど、離れるタイミングを逃してしまうかもしれない」
この先もずっと、ずるずるとこうしているわけにはいかない。
「とりあえずは、エリーゼ様に報告をして、過去の記録を元に色々試してみるしかないだろうね」
最もベテランの魔法師も、前回は体験していない出来事。
戻ってきた竜だけがのんびりといつも通りに鳴いて、魔法師たちはそれが嬉しくもあり、これから為すべきことに意外な困難さを感じていた。
報告を受けたエリーゼにより、正式に竜を竜たちの巣へ旅立たせる──『親離れ』させるための試みを始めることになった。
数少ないが、過去にあった同じ事例を元にどうにかしてみようと。
しかし、いざ過去の記録を精読してみると、明確な解決方法はないようだった。
毎日他の竜に会わせるとか、もう竜が行く気になることを待つか。強制的に飛ばせることは出来ないし、竜が飛んだって、巣まで飛ばせることも出来ない。
結局は、やはり竜がこれから住処とするべきは他の竜と同じ『巣』であると悟らなければならないのだ。
「よく飛んでるな」
アリアスの横で、兄弟子が空を仰いだ。
闘技場の形に沿い、丸く区切られた真っ青な空、ビュンと風を切って白い姿が通りすぎた。
ファーレルだ。
強い日差しを届ける太陽に、白い鱗が輝かせながら、ファーレルは自由に飛んでいる。先日まで飛べなかったことが、嘘みたいだ。
「それなのに、戻って来ることなんてあるんだなー」
「もう一週間になります。毎日ああして飛ぶんですけど、やっぱり戻って来るんです」
毎日連れて来ると、ファーレルは飛ぶようになった。
けれど、やっぱり闘技場から戻るときになると、雰囲気を察して地上に降りてきて、一緒になって歩いて戻るのだ。
「明確な方法はないようなので、どうすればいいのか全く分からなくて」
どうやったら、他の竜と巣に行ってくれるのか、全く分からない。アリアスは微苦笑した。
「そうだな……」
うーん、とルーウェンは自らが契約する竜が空へ飛び立っていく様子を見ながら首を傾げた。
「まあ、思う存分いさせてあげればいいんじゃないか? 急に飛べるようになって、そのまま飛んで行ってしまうと、寂しかったんじゃないか?」
兄弟子は微笑んだ。
その言葉は、竜をすぐ近くで見守ってきた魔法師全員が図星を突かれるものだろう。
「そうですね。少し、嬉しく思ってしまう部分もあるんです」
全員がそうだ。
新たな使命にかかりつつも、まだ一緒にいられる竜の姿があることがやっぱり嬉しい。愛しくてたまらない存在だから。
いつかは飛んで行くと思っていたが、飛んだときは急に思えた。そして、それが意味することを知っていたから、寂しさが生まれた。
二度と会えないわけではないけれど、以前とはかけ離れてしまう、と。
それゆえに、今予想外にも挟まった期間が嬉しく感じてしまったりする。
「だろう? ──でもアリアス、ここに来るのはいいんだけどな、これまで以上に気をつけるんだぞ?」
兄弟子は、視線をアリアスの腹部に向ける。示すところはすぐに分かり、アリアスは「はい」と素直に頷いた。
ルーウェンが闘技場を出ていくと、近くでアリアスと同じく壁際に寄って邪魔にならないようにしつつ、空を見上げている先輩が言う。
「確かに、心の準備期間が出来た感じはするよなあ。今度こそ完全に飛び立ったときは、達成感に包まれるかもしれないし」
やっぱり寂しいだろうけど、会えないわけじゃないし、と竜専属の先輩は先日大いに取り乱していたわりに気持ちの整理をつけたらしい。
「準備期間って言っても、もう十分だろ」
「ゼロ」
「──ゼロ様」
合同飛行訓練を終え、ルーウェンと入れ違いでゼロが手袋を外しながら、竜がいる方からやって来た。
「飛行訓練でついてきてることから言っても、あの様子からしてももう相当の距離は飛べる。本能で巣まで行けねえって思ってるってわけじゃねえな」
「じゃあ、何か案ないか?」
「案?」
同期の知り合いに聞かれたゼロは、白い竜がまだ降りてきていない空を見た。
兄弟子はまあいいんじゃないかと言ったが、ゼロは──。
「戻ろうとするファーレルを、建物内に入らせなきゃいいんじゃねえか?」
「……閉め出せって……言うのか」
「もう帰る場所はそこじゃねえって教えてやればいいわけだからな」
空から視線を下ろしたゼロは、確かに一つの案を示した。
「ゼロ、おまえは鬼か……!」
心の整理はつけられても、竜に酷い仕打ちをすることは言語道断な先輩はうち震えていた。
「それでももうすぐ親になる身か……! 親になるのはおめでとう!」
「いきなり祝って来んな」
ゼロは頭を掻いた。
「案がねえかって言うから、こっちからでも出来そうな案出しただけだろ。あんまり甘ったれてるようなら、最終手段としてはありだと思うけどな」
「子どもにも厳しくしそうな発言だ」と入り口を挟んだところにいる先輩がぼそっと言った。
アリアスが妊娠し、そのうち折を見て産休に入る予定なので周りはその事実を知っているわけで。アリアスが子を持つということは、当然ゼロもそうなるわけで。
周知のことだった。
「あっはっは、案外嫁さんを大切にしているから、子どもに対しても意外な一面を見られるかもしれないぞ! そっちに一票だ!」
そして騎士団にはもちろんと言うべきか、広まっているようで。
竜のいる方からまた一人歩いてきた魔法師がそんなことを言いながら、先に闘技場を出ていった。
ゼロは「うるせえ」と言いながらも、アリアスを見る。あまりにじっと見るので、アリアスは「どうしましたか?」と尋ねる。
「……アリアス、あの竜の突進には気をつけろよ」
「ファーレルですか?」
「ああ」
「大丈夫ですよ。ファーレルも、なぜか分かってくれているようなので」
むしろ、アリアスの妊娠が発覚する少し前から突進はなかったような気がする。あの竜は、小さな命に気がついていたのだろうか。
最近は全くそんなことはなかったので、心配はいらないとアリアスは微笑んだ。
十分に気を付けるように、というのは先程のルーウェンのみならず、ゼロはもちろん、周りから言われていることだった。
これほど心配をかけているなら、早めに休むべきなのだろうか、と思いながらも、何だか気にかかることと言えば、ファーレルが巣へ行っていないことだろうか。
今日はまだ降りてきていないけれど、どうかなぁ、と上を見る、と。
「あ」
ゼロを下ろし、地上から空へ向かったはずのヴァリアールが屋根のない闘技場の縁に止まった。
続いて、空から──ファーレルがその隣に落ち着いた。
それは、ヴァリアールが巣から来たときにすんなりと地上に降り立たないときに見られる光景で。
アリアスと同じく気がついた誰かが、「ヴァリアール二世誕生」と呟いた。
「……いずれああなるかもしれないとは思ってた」
中々降りてこないヴァリアールを知っているこの場の誰もが、この先呼び掛けても降りてこない竜に困らせられる未来を想像しただろう。
それも、まだ契約していないファーレルだ。ヴァリアールはゼロの言うことは素直に聞いて降りてくるが、この先ファーレルが常習犯となって素直に降りて来てくれるだろうか……と。
「ヴァル、いらねえこと教えんな!」
「いえ、元々やんちゃではあったので、ファーレルが真似をしているのではないかという部分もあると思います……」
灰色の竜に注意するゼロに、控えめに言っておいた。元々ヴァリアールに興味津々であったファーレルなのだ。
ヴァリアールの行動あっての行動かもしれないが、真似をする方にも責任はあると思うので。
ヴァリアールは叱られて、白い竜を見て、ゼロを見て、いつものように地上に降りた。ずしん、と重い音が聞こえると、次に白い竜も。
「──ファーレル」
ヴァリアールが翼を一切使わずに、落下と言ってもいいほどの降り方をするのは何度か見たことがある。
しかし、白い竜が爪を闘技場の縁から離し、宙に身を踊らせて、「あっ」と思った。
ずしん、とさっきよりは軽めの音が立てられて地上に降り立った竜は慣れない衝撃だったのか、その場を踏みしめているように見える。
灰色の竜も、首を下げて自分より小さい白い竜を窺っている。
大丈夫だろうか、とアリアスは近づいていく。
白い竜は近づいてきたアリアスを見つけて、キュイキュイと鳴いた。……楽しそうで何よりだ。
爪に傷もなく、見えるところに外傷はなかった。
「ファーレルは真似っこさんだな」
「そうですね」
困ったなという声音の先輩の感想に、同じ気持ちで相づちを打っていると、ゼロも側に来たようで目の端に姿を捉えた。
「ゼロ様?」
彼は、ヴァリアールを見ていた。
ヴァリアールは、ゼロに見られているからか飛んで行ったりはせずにじっとして見つめ返している。
「竜は竜に任せるのが一番いいんじゃねえか?」
「え?」
「ファーレルが巣に行かねえって話だ」
ゼロの言葉に、アリアスだけではなく、先輩も彼を見る。
「周りの竜は自分達は自然に行ったからか知らねえが、そのままにさせてるみたいだが、人間に言われるより竜に言われた方がそうしなきゃいけねえっていう意識になるんじゃねえか? 竜には竜の説得の仕方があるかもしれねえだろ?」
確かに。しかし、そうは言っても、そんなこと出来ないのではと思ったときだった。
「ヴァル、巣に行かねえこいつ、連れて行ってやれよ」
とんでもなく軽く、ゼロが言った。
そこに残っていた灰色の竜に聞こえるように言い、灰色の竜はぱちぱち瞬いて、にわかに白い竜の方に向く。
ヴァリアールが、短く鳴いた。
すると、ファーレルが反応した。なぜかヴァリアールから少し距離を置く。鳴いて、答えているようである。
そうすると、またヴァリアールが声を発する。次にファーレル。またヴァリアール、と繰り返される。
会話の中身は残念ながら分からないが、これは……。
さっきゼロが言ったことを皮切りにということは、ヴァリアールがファーレルを説得しようとしているが、ファーレルが抵抗している……?
「……と、いうことでいいんでしょうか?」
考えを口に出せば、ゼロが「いいと思うぜ」と言った。彼とて正確に竜の言葉が分かるわけではない。
「人間が無理に連れて行けねえなら、竜に連れて行かせりゃいい。さすがに同じ竜に言われるとなると、聞くだろ」
ゼロは笑った。
そういう観点から来たかあ、と、周りにいた魔法師は思っただろう。
竜に説得させる、なんて普通は思いつけない。
とにかく、これでヴァリアールが説得しているのなら、渋々ながら飛んでいくのかもしれない。
と、周りで竜のやり取りを見守っていたのだが。
ヴァリアールが鋭めの声を出しはじめた。怒っているのだろうか。
そこからあっという間に声の激しさが増していった。反対にファーレルの声は弱めになっていく。
ヴァリアールがもはや唸り声でも混じりそうな雰囲気で何か言い、重ねるごとに、ファーレルが叱られる子どもみたいに、大きくなったはずの身体を縮めようとしているように見える。
何も知らずに見ると、苛められているようだろう。
「……ヴァル、やっぱりいい」
あまりにファーレルがしり込みする様子が続いて、見ていられなかったのか、ゼロが途中で止めた。
灰色の竜の体を軽く叩くと、気がついた竜は口を閉じた。
「このまま連れて行けても、また戻ってきて、今度は二度と行かなくなりそうだ」
若干呆れたようにゼロは、決してすんなり用件を受け入れようとしなかった白い竜を見やった。
白い竜はちょっと決まり悪そうに目を逸らした、気がして、頭をアリアスに隠すようにした。自覚が芽生えたのだろうか。
ヴァリアールは説得には向いていなかったらしいが、ファーレルもまた存外頑固であったようだ。
その後、アリアスが産休に入る前に無事にファーレルは巣へといき、魔法師の世話の手から離れていくのだが、それはまだ少し先の話。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます