第6話 噂の出来事




 数十分をかけ竜の状態を調べ終えた頃を見計らったタイミングで、先輩がやって来た。


「……うん、問題なし」


 竜を一周し確認用の紙と見比べられて言われたことにアリアスはほっとする。竜には大抵のときそうであるように異常は見当たらなかったが、見落としていたら事だ。


「それにしてもゼロ団長珍しい。いつもは早くしろって感じなのに。僕、ヴァリアール任せてからしまったなって思った」

「しまったってなんだよ」

「ヴァリアールは他の竜より好戦的でもあるから危険度が別、そういう意味でも」


 そうなのか。と今は大分離れている灰色の竜は尾を左右に動かしつつ晴れた空を仰いでいる。早く、飛びたいのかもしれない。

 これから飛行訓練のようで、さっきから竜の背には騎士団団員数人がかりで鞍がつけられようとしている。

 けれど、気に入らない部分にでも当たったのか急にぶるり、と竜が首を振り慌てて軍服が離れていく。

 その中に同期の顔を見つけて怪我をしなければいいな、と嫌な情報が頭を駆けたので、反対にじっと目を離せなくなる。


「今、極端に人手がこっちに回っていないからアリアスには次から一体担当してもらうことになると思う」

「……え、あ、はい」

「ヴァリアールがいけるならたぶんどの竜も大丈夫」

「どういう基準だそれ」

「暴れん坊の基準。この前のやり過ぎ、レルルカ様に怒られたって聞いたけど」

「怒られてねえよ――遠回しに嫌味言われただけだ」

「聞いた。『いくら一番竜が制御できているからといって――それでやってもらうことになったと思うのですがどういうことですかしら』だったかな。完全に注意」


 どうも、結局怒られたらしい。

 ゼロを見上げると、決まり悪げに目を逸らされる。


「そろそろ行く」


 そのまますっと身を翻してその場を離れて行ってしまった。

 残念なような、元々は城の医務室に配属される予定だったから今の時間に会えているのが幸運なのか。少しだけ、その背を見送った。


「彼、そんなに分かりやすい人じゃなかったんだけど」

「……え?」


 ぽつりと聞こえた呟きに先輩に向き直る過程――同期の姿が目についた。さっきの鞍つけを終えたばかりかほっとしている様子で歩いている……が、その後ろに迫っているものを見て目を見開く。注意を促す声を出す暇もなかった。


「――ウィル!」


 竜の太く巨大な尾がぶつかった同期はその場に倒れてしまった。

 注意散漫。あちらこちらにいることになっている竜に気をつけていなかった。

 巨体を持つ竜はそんなことに気がつかず、ゆらりと尾をもう一振りしようとしている。

 意識せず、身体が動いていた。何も考えずに。


「ウィル、大丈夫!?」

「いってえー大丈夫って言ったら大丈じょ、アリアス後ろ!」

「……え?」


 振り向く前に、「それ」はここに来る前に予測はついていたはずだった。なぜなら、その瞬間が来ることを恐れその光景が形作られることを恐れて、彼をその場から離さないといけないと思って勝手に身体が動いたから。けれど、安否を先に確認してしまった。

 同期の顔が強ばり向く先を見ると、視界には竜の尾が迫るところだった。

 一瞬止まって見えたのは当然錯覚。

 視界は黒に染まった。

 とっさに目を瞑ってしまったためだ。


 しかし。

 代わりに直後。瞼の裏にまで白い光が瞬き、身構えたアリアスではあったが、身体に何らかの衝撃が加わることはなかった。

 ズシンという音は聞こえたが、はたして。

 不思議に思い、どこを庇おうとしたのか自分でも不明であるが中途半端に浮いた腕をそのままに、そろりと目を開くと目の前には背中。その向こうに茶の竜の顔。何やら不機嫌そうに牙を向いているように見えたが、すぐに顔を逸らしてのそのそと向こうに身体を向けてしまった。

 尾を向けていたはずの竜がこちらを向いていて、けれど元通りになり、何が起きたのかいまいち理解出来ていないアリアスは未だに動けない。


「おい新人! 死にたいのか! 注意を怠るなって言っただろ!」


 怒鳴り声で呪縛でも解けたようになり、反応するとこちらは座り込む同期の向こうの方から足取り荒くやって来るのは騎士団団員。

 表情が険しい。


「すみません!」


 同期ウィルが即座に謝る声がし、視線からして彼にのみ叱責の言葉は向いているのだろうがアリアスも身を縮める。軽率な行動をしたと起こした行動が頭の中に甦り、怒鳴り声で思い知らされた。

 そのとき後ろから声。


「怪我ねえか?」

「ゼロ様……ないです」


 顔だけ振り返ると、いたのはさっき向けられていた背中の持ち主であり、状況によるものもあるが小さな声で答えると安堵したようにわずかに息が吐かれた。


「……気をつけろって言っただろ」


 小声で囁くように言われて、すぐに灰色の目はアリアスの背後へ。

 張られた声もまたアリアスの背後に向けられる。


「怪我がねえならとっとと立て。説教は後だ」

「すみませんでした! 団長!」

「返事より行動見せろ」


 通りすぎる瞬間、竜の方向から離す感じで背を押された。




 *




 聞いたところによると、ゼロが竜の尾に魔法を当て尾を弾き、注意も逸らしたらしい。攻撃魔法をぶつけられた竜の注意は即座にゼロに行ったが、敵意を向ける相手ではないと分かったのか深刻な事態にはならなかったようだった。強固な竜の鱗にも傷ひとつなかった。


 時間は夕方。アリアスは呼び出されていた。

 部屋は城の一室――ではあるがあまり広くはなく雑然としているようでもある部屋。完全なる仕事部屋なのかもしれない。


「まさか間に入るとは危険行為です」

「すみません……」

「逃げる者はさておき、見たことがありません」


 「実際わたくしは見ていませんが」とアリアスの前に脚を組み椅子に座るのはエリーゼだ。話題は言うまでもなく、今朝のことである。

 竜に吹き飛ばされにいく行動をするとは……ということ。

 アリアスは謝る言葉しかもたず、視線は下に降りそうになるところを辛うじて合わせている。


「竜を恐れないことは私たちの職においては才能ですが、それにより怪我をしに行く行動は愚かなことです」

「はい」

「騎士団の者も飛ばされたからといってさすがに死ぬことはありません。不幸にも竜の機嫌が悪く威力が大きく打ち所が悪ければ別ですが」

「はい……」

「怪我人が増えては元も子もありません」

「はい」

「今後は十分にお気をつけなさい」

「はい」

「と、いうのは注意しなければならない決まりのようなものなので別に気にしなくても良いです」

「は…………はい?」


 急に話があっさりと終わり、変わった。

 アリアスの口からは勝手に呆けた声が出た。

 顔にも視線にもそれは出てエリーゼを改めて見ると、彼女はにこりと赤い唇に笑みを浮かべているではないか。


「何事も勉強です。無事であれば問題はないでしょう?」

「……そ、そうですか」

「そうです。ということで、今日ここに呼んだのは別にあなたを怒るためではありません。これを」


 エリーゼは椅子の背もたれの後ろにある机の上からなにかを取り出し、それらをまとめてアリアスに渡した。反射的に受け取ったアリアスの両手にはずしりと重いもの。

 本。何冊にも及ぶ本。

 それよりも、やはり独特のスピード感の話運びで、何の話に移ったのかまるで分からず本からまたエリーゼを見つめる。

 本題はこれではなかった風なことを言われ、疑問しかない。


「これは……?」

「本です」


 もちろん、そうだろう。


「竜が生まれる前にも人手が必要ですが、生まれてからも人手が必要なことに変わりありません。むしろ、生まれた後の方が人手がいるくらいです。夜番など……細かいことはそうなってから話しましょう」

「は、はい」

「それらはこれからあなたに必要となる知識です」


 どれをとっても分厚い本。

 話からするに、竜に関してであることは間違いない。今までアリアスが学んで来たことは、当たり前と言うべきか人に対することである。

 これまでとは異なる知識が必要であることを、認識する。それはそうだ、相手は人ではなく竜なのだから。身体の作りからしてまるで異なるだろう。


「竜は、いつ生まれるのでしょう?」

「もうじきに。現在魔法師が交代交代に卵を温め続けています。厳密には温めているだけではないのですが、省きましょう。いずれ次はいつになるかは分かりませんが、あなたがその役割につくことになればそのときに教わることになるでしょう」


 もしくは今すぐにでも、と言われ無意識に身を後ろに傾けてしまう。


「可能性は常にないとは言いきれません。次の卵がいつになるか分からないことを考えると、少しでも若い者に継承して行くべきことでもありますから」


 冗談を少しも表情を変えずに言いそうなエリーゼであるが、たった今言っていることは冗談ではないようだった。


「今日はもういいですよ。本を渡しはしましたが、実施教育が一番だとわたくしは考えますからその時々にあなたの教育をしてくれている者が教えます。

知識を詰め込もうと躍起になり、無理をしすぎることが結果一番よくありません」


 くるりと椅子が回り、エリーゼは背を向けた。


「起こったことは起こったこととして捉えることも仕事ですよ」

「はい」


 アリアスは一礼して、しっかり顔を上げてから本を抱えて退室した。

 起こったことは起こったこと。一度騎士団に戻って、同期の様子を見よう。あの様子では大丈夫だろうけれど。

 それから……。

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