第36話 籠る者





 ジオの部屋に突然やって来て、勝手にソファーに腰かけたのは最高位の魔法師たる老人アーノルド。ここのところ部屋の中に有り続けた持ち出されていた文献は、大方元の書庫に返還されていた。僅かばかりに残った十数冊ほどに思われる本は、執務机の上に数冊ずつ重ねられて置かれていた。

 ソファーに座るアーノルドはジオを横目に、おもむろに話しはじめる。


「アリアスちゃんを見かけたわい」


 最近出てきた深刻な問題にして早急な対策が要求される問題への対策は見つかった。古来から為されてきた唯一と見なされる方法はただ一人の命をもって為される。

 アーノルドはその人物のことをよく知っていた。生まれの真実から、黒髪の人ならざる魔法師への弟子入り、妹弟子への接しようまで見てきたのだ。

 また、弟子取りが珍しい時代に城に幼い年頃の魔法師見習いがいることも目に珍しく、少女と少年から青年の間の年齢の二人の姿を合わせて見ることはよくあった。


「暗い顔をしとったのお。わしらは優先事項を優先出来るが、あの様子を見ると心が痛むわ」


 そのため、兄妹弟子の内妹弟子に当たる子の姿を見かけたときに心が痛むことは避けられなかった。

 しかしながら、割りきることは慣れたものだった。


「わしらとて本意ではないが仕方がないことは存在するじゃろう、ジオ」


 アーノルドが部屋に入ってはじめて明確に話しかけたジオは、向かいのソファーにはおらず、机についてアーノルドの方に顔を向けもしていない。視線は下に、何をしているのかはアーノルドからは見えない。

 アーノルドはジオが会議に出席しないためにここまで来たのだ。


「おぬしが弟子を取ることも予想外じゃったが、弟子のためにここまで粘るとも思ってはおらんかった」

「俺がルーを『弟子』などというものにした理由は、あいつがしつこかった。それだけだ」


 やっと口を開いたジオはそっけなく述べた。視線はそのまま。


「ろくな先祖ではない。『その魂のみぞ知る』とは馬鹿げている」

「そうは言ってものお……それしか残されていなかった事実には変わりあるまい」

「事実として説明しようがないにしろ情報が途切れていることにも呆れるが、人間が境目の封じを担っていること事態に呆れる。

竜と違い、人間からは魔法が離れていく。今魔法師の数が減ったなどと言っているのは本来あった有りように戻っているだけに過ぎない。俺にしてみれば人間が小さいにしろこれほどまでに魔法力を持っている現在が異様だ」


 昔と比べると人口が何倍、何百倍にもなったのにも関わらず、魔法師人口が魔法力の大きさ変わらず増える方がおかしい。


「元々人間には魔法力はない。土地に根付いた魔法をその身に受け自らの『力』としただけの存在だ。これだけ数が増えていることもあるだろうが、いずれは人間の身からは魔法と呼べる力は外に表せなくなるほどになり、人間の最後の魔法は最初にものにした『結界魔法』になるだろう。――結局先々まで考えれば封じを担えなくなることは確実だ」

「それはこれから考えなければならないことじゃな」

「その姿勢が悪いと言う。『これから』とするから次の時までに一生分の時を挟むかもしれないのに、人間は悠長だ。昔の人間がそうやって無駄な責任感だけで境目を引き受けるから悪い」

「わしは当の人間じゃから耳が痛いわい。そうは言うても、引き受けてしまったものは仕方あるまい?」


 アーノルドは珍しいものを見るような目でジオを見て言うと、昔の人間が引き受けたからこうなっているとばかりの非難の言葉を淡々とではあるが重ねていたジオは、一旦黙する。


「……あれにまともに会ったときには今の人間には稀な部類の、あれだけの魔法の才があっても血筋を優先させるとは人間の性かとしか思っていただけだったが、今に繋がるとはな」

「惜しいか」

「才がか」

「そうじゃ」

「才は惜しいとは思わない。才があると言ってもに過ぎん。とは比べ物にならん」

「それならば哀惜か。――下の結界もいよいよ見るからに危ないものじゃ、いつ限界に至り、境目が開けばどうなるか分からんもの。ルーウェンも覚悟を決めてくれたことじゃ、おぬしも覚悟を決めてはどうじゃ」


 歳のわりに衰えぬ眼光を宿した老人の視線に、ジオは答えない。


「竜には出来て人間には出来ない、魔法の違いではない、魔法は効果があるから封じは出来る。人間が封じるには唯一の結界魔法のみが有効。ルーがやるしかない」


 一人で。

 人数を増やせば魔法力の量が増えるのにも関わらず、成功率が下がる。それは使う魔法が結界魔法であるからだと考えられる。単に力を乱暴に放っただけの攻撃魔法であれば成功率も何もあったものではない。また治療魔法としても状態にはよるが、難しいことではない。

 ある意味治療の魔法よりも繊細な部分を持つのが結界魔法。

 本来の使い方として外から向かってくるものを弾く使い方が主流のそれはもちろん複数人で息を合わせ、大きな結界を張ることは可能。けれども、互いに張った結界魔法を繋ぎ合わせるような繊細な作業。

 おまけに今回の件で複数人でする場合を考えるに、王族の血筋にのみ伝わる結界魔法でのみしなければならない。王族の血筋はいずれも高位貴族で、魔法師としての資格を持っている者はいるが魔法師として働いている者はいない。複数人でやるには少しでもずれが生じれば霧散する結界魔法では……そう結論付けられていた。

 ただしこの城の中でおそらくただ一名、当人であるルーウェンを差し置いてジオだけが一人でしなければならない理由を知っていた。


「ところでジオ、先ほどから何をしとる」


 独りごちるようなジオが机でカチャカチャ音を立てていることを、アーノルドはとうとう指摘した。


「魔法具を作っている」

「何のじゃ」

「愚かな方法とは別の方法で境目を封じるための方法を考えた結果の試作だ」


 返答に、アーノルドは一瞬呆けた。


「なんじゃと」

「言っておくが完成してはいない。組み立てた理論も実際に通用するかどうか定かではない」

「ジオ、おぬし」

「やってみる価値はあるくらいにまではなった」

「今までずっと模索しておったのか」

「急くなと言っただろう」


 ため息でもつきそうに、ジオは窓の外から少しだけ入ってくる明かりに手にしているものをかざした。

 複雑な作りをしているそれを、またいじりはじめる。


「……早く言わんか」

「確実でないことをか」

「そうだとしてもじゃな、方法はないということに異論は唱えんかったじゃろう」

「『今のところはない』と言ったはずだ。正確に聞き取れ」

「まったく屁理屈じゃ。全員が覚悟したところで……」

「言うが、完全に上手くいくものはどれほど時間を使っても作れない。これをやるにしろ、賭けに過ぎない」


 釘を刺してアーノルドの言葉を封じ込めた上で、ジオは続ける。


「それから誤解しているようだが、俺は惜しいや何だでこんなことをしているのではない」

「……ここまで粘っておいてか」

「そうだ。まったく……俺も何をしているのか」


 時々分からなくなる、とジオは今度は確かにため息をついた。


 彼の机の上にあるのは、一筋の希望だった。






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