第4話 待つ



 武術大会より三日。

 魔法師の会議は常ならざる光景が展開されていた。魔法も何も使わず、白い髪と橙の瞳をそのまま現した竜がその場に現れたのだ。


「代替わりの際には人の王にお会いしましたが、他の方にお会いするのはとても久しぶりでしょうか」


 さらさらと衣の音が耳に涼やかな女性の竜は慎ましく微笑む。


「初めまして。あなた方に竜と呼ばれる者でございます。ここで竜と呼ばれる姿を取ることも可能ではありますが、少々手狭ですから割愛させていただきましょう」


 隣の少年と共に挨拶の動作をした。


「さて、わたくし共が今回お訪ねしたのは他でもありません。魔族の魂を持った人間により起こされた事について」


 竜は、自らの正体を信じているか否かの確認などしなかった。

 色彩の意味、形は似ているように見えて人とは思えぬ空気を感じ取れない愚鈍な魔法師はここにいない。


「問題の人間の様子を見に行かせていただきましたが、目覚めても問題はないでしょう」

「問題がないとは、如何なる意味合いかお聞きしてもよろしいじゃろうか」


 人成らざる者の存在を認めた上で、アーノルドは丁寧な物言いをする。


「そのままの意味に。今後魔族の性に飲み込まれることはないでしょう」

「……もしやあなた方がサイラスを、魔族の魂を持つ者をそのようにしてくださったか」

「そうであると言えましょう」


 食えない様子の竜の女性は読めぬ微笑みを浮かべ、正直な少年は視線をさ迷わせ、一席に座るゼロは素知らぬ様子を貫いていた。

 サイラス=アイゼンを連れ帰った後の報告はジオが引き受けた。原因は分からないが、収まったと。まさか正直にゼロやアリアスの魂云々を話すわけにもいかない。


「恥ずかしながら魂のことはよく分からんのですがな、同じことが引き起こされる可能性はあるじゃろうか」

「その人間の根が元から同じようなものであったのであればありましょうが、そのような人間では収まるものも収まらなかったでしょう。――あなたの隣の実例を信じるのであれば、同じことと思っていただけます」


 竜が視線でにこやかに示したのは、アーノルドの横の椅子に肘をついて座っているジオ。


「おお、そうじゃったな。忘れておったわ。ジオ、ぬしから見てサイラスはどうじゃ」

「……普通に生きて行く分にはまず問題はないだろうな。起こしたことは、起こしたことだが」


 過去にしたことはしたこと。結果的に善人、罪なき一般人は殺めなかったとしてもそうなる恐れはあった事実。


「その人間が行ったことの詳細は知りませんが、魔族の魂により起こされたこともあるでしょう。しかしわたくし共が口を出すことではありません。魔族と成り果てることはないことは保証致します。後の処遇はどうぞそちらで」


 収まったようだとジオが言えど、原因不明のままでは安全性が疑わしい。竜によるこの説明はは明らかにせず、サイラスの魂が魔族に侵食されることはなくなったとの保証。同時に、武術大会のときのことだけでなく長期間に渡ったサイラス=アイゼンの問題の本当の一区切り――今後の処遇の件は残っておれどようやく解決と言えるためのもの。

 円卓に着席する者達の表情が僅かに弱まった。弟子への複雑な思いを抱えていたべネットは息を吐いた。彼は、小さき時から面倒を見てきたサイラスのことを息子のように思っており、一度重体と陥っても、最高位の魔法師であっても正直切り離すことが出来ていなかった。


「それから、お一方」


 一つの問題がなくなったところに、竜が再度口を開いた。


「今、塔に運ばれておられる方について」

「アリアスちゃんのことですかな?」


 名前に、女性の竜はちらりと下を見ると少年が大きく頷き、女性の竜が前に向き直り、「そのお方です」と肯定した。


「竜に連れて行かれたのがそうであると明らかになり、……体調が悪いと報告を受けておるが」


 アーノルドが見たのは、ジオの方。ジオはうんともすんとも言わない。


「やはり、何かあったと?」

「少々魔族の影響をお受けになり、わたくし共の長が診ております」

「なんと」

「魔族の影響とは……そのように悪い状態なのですか」


 レルルカが深刻そうな顔で訊ねた。


「心配には及びません。じきにお目覚めになります」

「そうであれば良いですが……ジオ様もそうであるのならそうであると正直に仰ってくださいませ。目撃者がいたため、言われました通りにエリーゼには問題はないと説明をするように言いましたが、彼女によれば姿が見えないことで不安視されているそうですわ」

「……それも元通りに姿を現せば解決する」




 *






 サイラスも実はまだ目覚めていないが、目覚めても大丈夫だと言うのなら平気なのだろう。これでサイラスの件は、後の処遇はそれとして解決。不穏な先行きは、なくなった。

 アリアスのこともゼロのことも、余計な事情を明かすことなく話も収まったから一安心――今回の事に安堵するには早い。アリアスが目覚めていない。

 連れ帰られたアリアスが魔族の影響でという会議での説明も、前もって示し合わされたこと。ある視点から見れば間違いではないのだろうが、単に力にでも当てられたような言い方に隠れているのは死よりも残酷な状態に陥りかけた状態だ。


 アリアスの安寧を守ることは、難しい。手探りだった。

 ルーウェンは、アリアスの魂についてのことは聞いていた。竜の魂を持っていること。それはアリアスは大丈夫なのかと聞いたルーウェンに、師は語った。

 魂が時不十分にして巡ってきたがために、何か魂が揺れるべき要因があり、竜である部分が出てきすぎると存在の定かさが危うくなること。竜の魔法力が原因と成りうるもので、魔法力は感情の揺れによっても左右される。


 魔法力の発現は人によってそれぞれだが、ある日突然、しかし大抵穏やかに小さな力が小さな事象を起こし、分かるもの。

 子どもの頃に発現することがほとんどで、幼ければ幼いほど、力が大きければ大きいほどにちょっとした感情の爆発で魔法が発動されることはある。この感情による、魔法の暴発は言わばそのときの一時的な感情に左右されただけで、成長するにつれ制御出来るようになる誰しも通る道。


 だが、トラウマによる感情の爆発は別物になる。

 アリアスの魔法力が外に出てきたのは、おそらく子どもの頃、ルーウェンが出会った日。周りの人間が全ていなくなるかもしれない恐怖と絶望に、幼子の心は滅茶苦茶になった。それがきっかけ。竜の魔法力共々、出てきてしまった。


 だからルーウェンは、酷く感情が揺れるかもしれない何物からもアリアスを遠ざけた。きっかけになりそうなこと、些細なことから。

 もしかするとそこまで敏感になることはなかったのかもしれない。

 けれど明確な線引きは分からなかったから、そうすれば全て、防げる。アリアスが辛いことを思い出すことも、瞳が翳ることも、ルーウェンには想像がつかない魂の揺れによる存在の危うさも。全部。


「……駄目だったな」


 物事は全てが全て、思い通りにいくことの方が少ない。


 いつの間にか大きくなり子どものときの弱々しさと痛々しさは希薄に、笑顔が増え、子どもではないのだと、心も強くなっていた。

 心が強くなることはいいことだ。動揺、力を暴走させるかもしれない感情の抑制へと繋がる。ルーウェンが過保護にしていたとは思えないほど、小さかった女の子は心身共に成長していた。

 そこまで過剰に心配する時期はすでに終わり、大丈夫なのかもしれないと思ったのは流行り病の広がった南部へアリアスが彼女自身の意思で行ったとき。


 でも、起こるときには起こる。


 会議を終え、騎士団に戻らなければならない足を止めて壁にもたれかかった。


「守るのは、難しいなー……」


 アリアスが何をしてどうなったか、アリアスの魂が持つ力の詳細を知ったのは事が起きてから。

 懸念事項であったサイラスのことをその手で留めたのだから、良かったとも言える。だがそれは結果があってこそ言えることだ。もしも最悪のことが起きていれば……。

 細い息を吐き、首を振って悪い思考を追い出した。


「ルーウェン」


 声をかけられるまで、近くに来られていたことに気がつけなかった。


「――父上」


 そこに立っているのが父公爵であったことで、ルーウェンは壁から背を浮かせた。武術大会に見に行くと手紙が来ていたことを思い出した。


「疲れているのかい?」

「いえ…………少し、立て込んでいることがあって」


 言っても良いことではないのでぼかして言い微笑んで見せると、なぜか父公爵は青い目を曇らせた。


「そうだね。武術大会であったことを思えば当然のことだ。……怪我はなかったかい?」


 父は闘技場が隅々まで見渡せる席にいたはず。クレアと同じく、一部始終を見られていたのだろう。


「治してもらったので、今は傷一つありません」

「それなら安心したよ。何があったのかは耳に挟んだからこそ、気が気ではなくてね」


 母と弟も心配していると言う。


「すみません。知らせをやれば良かった……」


 直後から後処理やら現場のみに思考を回して、そこまで考えが至っていなかった。


「いいよ。ルーウェンの役職では忙しくなって当たり前だ。それにこうして直に無事を確かめられたからね」


 父は穏やかに微笑み、ルーウェンの肩をぽんぽんと叩いた。いつもの流れであれば「無理のないようにするんだよ」やもうすぐ『春の宴』であることもあるので、一家揃って武術大会から王都にいるため「たまにはうちに帰ってきておいで」等となってもおかしくはない流れ。他の他愛もないことでもいい。とにかく、一つの話題が終わったかに思えた。

 自分と違わない色の目に無言でじっと見られるルーウェンは、内心何だろうかと考えはじめていた。


「ルー君」


 久しぶりの呼び方だった。家族内ではほぼ家の中でのみ使用されていた呼び名は、父からは随分久しぶりのことのように思える。

 実際、久しぶりなのだろう。

 ルーウェンの反応は遅れ、父が先に続ける。


「ルー君は寝ているのかい?」

「……寝ていますよ」


 どれほど眠っていられているかは別として。

 本音を言うのなら、アリアスの側にずっといたいところだった。熱や怪我でも心配だが、自分には完全に未知で全く何もしてやれない状態は堪える。


「アリアスちゃんのことは聞いているよ」


 先ほどあったばかりの会議の内容までをも知っているとは考え難いので、竜に連れて行かれ、そのまま体調を崩したとされていることだろうか。


「心配だね。早く良くなるといい」

「はい……」


 ルーウェンがアリアスのことを可愛がっていることは知っている父は、アリアスにも会ったことがあるので心配そうな目をしていた。


 竜は直に目が覚めると言い、長であるという男性の竜がアリアスの傍らで目を瞑ること二日。魂を落ち着け、そうしてようやく再び目を覚ますことが出来るのだという。

 アリアスのことは任せるしかない。後何日かかろうと、目が覚めるのであれば。


「アリアスは、大丈夫です」


 ルーウェンは微笑み、自分に言い聞かせるように言い切った。






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