第9話 金属音
マリーが言葉通り向かっているのは騎士団の訓練場であるようだった。
しかし、想像とは異なり人が集まっているところが見えてきた。軍服が圧倒的に多いが、どこから聞き付けてきたのか治療専門の魔法師の制服と館勤務と見られる服装の人たちは女性に見える。彼らが覗いているのはひとつの出入口の中。
記憶が正しければ、というかそこはまさに騎士団が訓練している建物のはずだ。
近づくと中を見ないうちに何かの音が聞こえる。聞き覚えのある音だと思うので、それから察するに剣術の訓練だ。
激しい音。
けれどそこでひとつの違和感。刃がぶつかり合っている瞬間がやけに明確に聞こえ、同じもの同士がぶつかっていることが追える。そもそも他に同じような音が聞こえない。
「いやマリーそれは無理なんじゃ――」
「任せといて!」
できるできないではなくて、無理にしようとしなくてもいいのではないか。
マリーが作られている人垣の中に突入したのだ。おかげでアリアスは人の人の間を、先にマリーが通って道が作られるとはいえ多少無理に通ることになる。
「アリアス、頑張って」
「イレーナ……」
どうにか後ろを見るとぴったりとつくイレーナがいた。しっかりついてきていたようだ。
頑張るもなにも、入ってしまったからには「頑張る」しかないのは間違いない。ぐいぐいとアリアスを引っ張るマリーの後ろ姿を見て、宿舎に帰るはずだったのに彼女はもしかして一回こうして潜り込んだのかと考えると何をしているのだと思う。
体力が有り余っているではないか。あとで倒れる予兆ではないことを願おう。
「これ以上は無理っぽい」
やっと止まった。これ以上前方には行けないようだが、
いつもであれば訓練しているときはそこらじゅうに散らばって剣を打ち合っているのに、誰もいない。壁際に下がっている人の姿を何人も見つける。
中心と言わずその場そのものが空けられていて空っぽだと、アリアスは思った。
しかしそのはずはない。音が聞こえるから、たった今もずっと。
隙間から見える明らかな部分に人が現れた。灰色が揺れる。その場に相応しい紺色の軍服の腕が素早く、ぶれて見えるほど素早く剣を振るう。
動きをどうにか目に捉えてほぼ同時と言っても差し障りはない直後、ギィンとまた金属音。
片方は何と、ゼロだった。
目を見張ったのちアリアスは何度か瞬く。
ゼロだとは予想していなかった。
そうと分かれば、一体どんな人とやっているのか。それもこんな状況が作られるなんて。
相手は探すまでもなくアリアスの視界に現れた。
もう片方の人は軍服ではなかった。
遠目では
――サイラスだ。
「……!」
まさかの人の登場を理解した途端にアリアスは驚きを隠せない。
こちらこそ予想する以前に予想できるはずもなかった人だ。
部屋に籠るのは性に合わないと言っていたから、とうとう出てくるだけではなく気分転換に身体を動かしに来たくらいしかアリアスには考えつかない。
金属音以外は皆無の世界になっていた。視線を集めている二人はどちらも息を乱していないように見え、観衆と化している周りの人々が声を洩らすことがない。
目にも止まらない速さとはこのことだろう、アリアスが見える範囲に躍り出た二人は剣を振るい、受け、薙ごうとする。
ゼロが打ち付けられた刃を押し返し、直後間髪入れず踏み込み自らの刃で真横に線を描く。サイラスはギリギリ、見ずに狙ったように最低限の動きで避けて身体が回る勢いを利用して押し返された刃の筋をぶれさせることなくやはりすぐに攻める。
より攻めているのは、サイラスの方か。
それにしてもあんなサイラスは、見たことがない。単に見たことがなかっただけだろうか。動きは洗練されているが勢いは猛獣のごとき荒々しさが覗いている。
「す、っごいよねぇ」
視線は二人からずらせないが、マリーが落ち着きのなさを圧倒され吹き飛ばされたように、珍しくも抑えめの大きさであげた感嘆した声が耳に届いた。
アリアスもすごいという感想は抱いたが、それは少しの間だけ。
「なんでこんなことになってるの」
「訓練でしょ? でもあの人軍服じゃないねぇ」
絶え間なく互いに刃の侵入をさせずに打ち合いが続いていることから、練習された剣舞のようでさえある。
しかし、違う。
見事と称することができる打ち合いの一方で拭いさることができない緊迫が、やっている本人たちのいる場より見ている側に満ちている。それなのに決められた型でやっているものであるはずがない。
互いに刃の侵入を許さない以前に、もしも刃が当たってしまったら。
「だからってこれは……」
ぎらりと二人が持つ剣に鋭く光が反射する。だって、木などで作られた模造剣ではなく真剣だ。
騎士団の訓練では普通、模造剣が使われる。そうでなければ毎日怪我人がもっと出ているはずで、毎日血が流れかねないことになる。
従って、この光景は見ようによっては異様だった。
二人ともが真剣を手にし、一瞬たりとも目を逸らすこと許されない攻防をしている。瞬きをした次の瞬間、どちらかにどちらかが切り裂かれ怪我をしてもおかしくはない状況。それは否応なしにこの空気が生まれるというものだ。
はらはらするを通り越してひたすらに心配だ。アリアスがそうして意味はないのに息を殺す。
どうなったらこれは止まるのだろう。
視線の先でまた刃がぶつかる。両人のそれが弾かれ、かなりの衝撃が手にきているだろうに剣を離すことはない。むしろ弾かれた位置から相手のその隙を逃すまいと思いっきり鋭く剣を向かわせる。
両方が。何度目かなんてもう分からない金属音が鼓膜を刺激する。
どちらかがどちらかの剣を飛ばすことができないのであれば、どうやって。
前のめりになりかけたとき、背後に大きな動きを感じたとともに自分の意思以外の前への力をかけられる。前に押されて限られた足元でたたらを踏み――支えられた。
「大丈夫か?」
後ろから前に回された腕がアリアスを後ろから片腕で抱き締めるみたいな形で支えていた。
「ルー様!」
アリアスを止めてくれてきちんと立ったことを確認して腕を離したのはルーウェンだった。
またまた予想しなかった人が現れて、アリアスは正確には斜め後ろにいる兄弟子を見上げる。
「アリアス、来てくれと言われたんだが何があったんだ?」
「ゼロ様と、サイラス様が」
誰かが危機を覚え、もしものときを考えて止められそうな兄弟子を呼んできたのだろうか。
アリアスとて説明できるほど何も知らないけれど、とにかく見たことを口に出した。
それを聞き上から人垣の向こうを目にしたルーウェンの顔が厳しさを帯び、アリアスを見る。
「ここにいるんだ」
「ルー様……」
「止めてくるから、大丈夫」
アリアスの肩に軽く手が置かれ、視線と同時に離れる。
「道をあけてくれるか」
切り合いにひきつけられ見入っていた人たちがルーウェンの声に気がつき、はじめて視線を前から後ろに。
「ルーウェン団長だ」
水が引くようにすんなりできた道を兄弟子は通っていく。
誰も踏み込むことなかった、できなかった張り詰めた場へ。真っ直ぐに向かう先には近づき、ときに間合いを取る二人。
ルーウェンは転がっていた模造剣を足で浮かせ取り上げ、片方の手では腰の剣を抜いた。
切っ先が鞘から解き放たれた瞬間、銀の頭が沈む。彼が一気に距離を詰めた。
それを目にしたアリアスは思わず息を吸った。
ガキィン、今日一番の激しい金属音が鳴り響いたが最後――それきり音が消えた。
二人の剣を右手と左手に持った剣でそれぞれ受けきるルーウェンの姿がそこにはあった。
一拍後、ゼロが間に入った姿を認めてか剣を下げた。後ろに少し下がる。
それにより右手を下ろすことができたルーウェンも姿勢を真っ直ぐに立ち、サイラスの方に向く様子が見えた。
「サイラスさん、呼ばれていたので止めさせてもらいました」
「――ルーウェン」
サイラスも名を口にすると受けられた剣を見、刃がこすれる軽い音をたてて離した。
「誰だ。ジジイか」
「ベネット様が」
くるりくるりと手元の長い刃物を弄び辺りを見回したようなサイラスは、
「いい汗かけた、邪魔したな」
笑みを浮かべ、ガチャンとほとんど落とすように剣を鞘に戻した。
そのときになって、アリアスは止めていたらしい息が洩れる。安心した。
*
訓練場を出ていく背中が完全に消えてからルーウェンはゼロに尋ねる。
「差し出がましかったか?」
始まる前のやり取りを聞いていないので、割って入ったが収束する見通しはあったのかもしれない。しかし心配する者が現れていたのも事実だ。野次馬が増えていたのも。
探されていたのは口実ではなく本当だった。べネットが、サイラスの師が探しているらしいということを耳にしたがルーウェンは騎士団に戻るところでその途中で騒ぎを耳にしたのだ。
「いや」
ゼロが剣を収める、鞘を滑る音。
「どうしてこんなことになっていたんだ」
「あっちから来た。そりゃあ何年も放浪していたような性格なら室内に閉じ籠るのも苦痛になるかもしれねえだろ? 俺がそうなったとしたら同じように発散しようとするだろうしな」
周りを見て誰もいないことを確認したのち、ゼロは壁際に後退してしまっている団員に訓練を続けるように促した。
その声を聞き集まっていた人々も出入口から散っていく。アリアスはもういない、とルーウェンはさっき見かけた妹弟子の姿がないことを無意識に確認。
目をゼロへ。
それにしても同情して付き合うことにしたのか、と自然と出口の方へ二人して向かいながら言いかけるも「それと」とゼロがつけ加え、続ける。
「実力見とくのも有りだと思った。が、軽い気持ちでやるもんじゃねえな」
「助かった」とらしくない言葉さえ出てきた。
「あのままだったら、どうなってたか分からねえ」
「どういうことだ?」
「見ろよそれ」
ルーウェンは自らの左手を見た。持つ模造剣の刃にはヒビが入っていた。
こちらで受けたのはサイラスの剣。あの一撃で、重く顔をしかめそうにはなったがこれほどだったとは。とヒビが入っていたことは今はじめて認識したもので、ルーウェンは驚く。
「いっそ模造剣でしてたなら、どんな形でもとっとと終わりになってたかもな」
ルーウェンの手から模造剣をとり、団員に渡したゼロは薄く笑みを浮かべたのは一瞬、真顔になる。
訓練場を出た。
「あれは殺す気で来てたぜ」
「――まさか」
ルーウェンは低く言われたことを反射的に否定する。まさか、だ。
「別に本当に殺す気なんて俺も思っちゃいないが、殺気だけは本物だった」
ルーウェンは黙った。
よってつかの間の沈黙が流れるが、しばらくの後ゼロが話しはじめる。
「俺はあの人のことそんなに知らねえが、学園で見たことがある」
「学園で?」
指されているのはサイラスのこと。
そういえば学園に入れられたとか入れられなかったとか聞いたことがあるような気はする。
それほど記憶にないということは短い期間だったかルーウェンが城の外に行っているときに被ったか、何かしら理由はあるはずだが……。何年前の話だ、定かではなかった。
サイラスは学園にいた時期があったようだ。
「天才」
短く、高い才能表すことば。
「いたのは短期間だ。けど、それだけは聞いたことがある」
しかし。
「それと同じくらい問題児だって噂でそれがあって学園辞めたって話だけどな」
「あまり決まりやその類が好きな人ではないからな」
「その反面で持ってるのは他に類を見ないほどの才能だ。天才だからこそ多少の問題があっても留めときたいってそういうことだろ? 今なってんのも」
サイラス=アイゼンは天才だ。
魔法具を作る才能だけではなく、魔法そのものの才能が類い稀なるものだった。それゆえに若き頃よりいずれは最高位となるだろうと噂されていたほどだ。
それにも関わらず彼は噂を嘲笑うように城から姿を消し、各地をさ迷っていた。地位を欲しがるような人ではないから周りが納得できない行動にルーウェンは妙に納得したのだったか。
ルーウェンのように騎士団に通い続けているよりも、気分のままに来て、時には庭で寝ていたと妹弟子から聞いたことがある言うならば自由人。
制限してしまうには惜しすぎる天才を持っているから、問題行動があっても多少は許して留めておきたい。そういう方向に持っていけないかと思われている。
けれどサイラスを連れ戻す任務の責任者となり人材を放ち連れ戻し、今も関する「管轄」はそのままの男は言う。
「今のところ、だ。だがあれは『奔放』じゃあ収まらねえもん持ってるぜ」
おそらくそれは勘だろう。野生の勘に限りなく近いもの。しかし、だからこそ信じさせるものを孕んでいた。
ルーウェンも以前の「サイラス」との差異を感じていた。それは長いと言える時会わなかったがために違うと感じてしまっているだけと言われればそれまでの感覚。
だが、空けられていた六年は長い。人は時過ぎるにつれ変わるものなのだから。
「魔法封じしてなかったら、魔法使ったと思うか?」
ルーウェンは自信を持って出せる答えを持ち合わせていなかった。
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