第6話 何に代えても
ゼロが部屋にはおらずどこにいるのか不明のサイラスを、アリアスの部屋ではなく庭で会っていたという言葉を思い出しそれだけで見つけたにしては上出来だったろう。早すぎたほどだ。しかし出来ていた状況は最悪としか言いようがなかった。
*
会議室から出て十分ほどか。
「本当に居やがったぜ……」
ゼロは走り、目を配っていた外に立つ『それ』らしき姿を見つけて呟いた。可能性は極めて低いがいるかもしれないと考えてしまっていたのだろう、他に立つ姿はないことに安堵を覚え、変わらず足早に対象の元へと向かう。
背後から近づいていく先の男は逃げているにしてはただ突っ立っているのみで、一体何をしているのかや理由を考えなければずっとここにいたのかと思わせる立ち姿。無関係なら無関係で構わないが、と近づくゼロは念のため剣を抜く準備と魔法を使える準備をしながらサイラス=アイゼンの背後から――
近くに行って、安堵が間違いだったことを知らされた。
近づくにつれて元々緩めていた歩みが意思とは関係なしに鈍り、不規則になる。徐々にゆっくりになり最終的には足は勝手に止まった。
それにも関わらず、ゼロは当初の目的であるはずのサイラス=アイゼンの拘束に取りかからなかった。すでに男はすぐそこにおり、声をかけ抵抗するなら剣を突きつけるなり何なりしてやればいい。もしくは声をかける前にやるのも手だ。何よりもう少し進まなければ万全とは言えないだろうから足を進めなければ。
できなかった。その男が立つ地面の前方に倒れている姿があると気がつき、うつぶせの姿を認識したが最後誰だと分かるにつれ動けなくなった。
陽が隠れ灯りも持たない暗い中でもよく見えるのは単に元の夜目がいいというより、眼帯越しにでも関係なく目の前が見えている左目のことが大きい。橙色をする左目は宵闇をものともしない。
だからこそよく見えた。
ぴくりとも動かない身体に纏う衣服が汚れていることと、衣服を染めているものと正体が同じであろうものがじわりじわりと地面に広がりはじめていること。
その周りに、わずかに見える顔に細かく散った鮮血。
自分の頭ではないみたいに、認識した光景を上手く飲み込むことができなかった。
髪が地面に散らばり、一部が黒く染まったように見える衣服は治療専門の魔法師のもの。
「――アリアス……?」
動きをひとつも見せない姿が彼女のものであるということが疑いようもなく、けれど目を疑うしかなかった。
このような状況下において無防備なほど動きを止めていたゼロは動かない男の横を通りすぎ、地面に倒れる身体に引き寄せられたように膝をついた。
一番に確認するのは生死。
息を確認する瞬間、ゼロは息を止めていた。
「……」
生きている。
最低限のことで、最も
なぜなら凶器が見当たらない。それだけ。
傷口には直接触れないように衣服にわずかにだけ触れ、見える限りで具合を見ていたゼロは手を離した。指先は濡れ、この手を染めた血は大切な恋人から流れたものである。どうしてこのようなことに、なっている。
――一体、誰に傷つけられた?
以前覚えたのはおそらく恐れだったのだ。気がついてしまえば滅多に抱かないそれは恋人がある男といたのを見たときに、彼女が傷つけられるのではないかという野生の勘に限りなく近かった感覚。現実と重なる。
状況に絡まりかけていた頭の中が
「おい」
ゼロの口から出た声は地を這うように低く、短い一言にこれ以上ない感情が込められていた。
「お前がやったのか」
それが向けられたのは立っているくせに身動ぎひとつしない男。逃げもしない何もしていない。こいつは一体何をしている?
その姿を下からゼロの目が凶悪なまでに睨んだ。
問う形はとったが、この場では確信しかなかった。
サイラス=アイゼンの腕に傷が見え赤く染まっていたがそれは今どうでもいい。魔法封じの腕輪がなかった。腕輪の破片と思わしきが地面に大きさまばらに飛び散っている。どうやって破ったのかには興味はなく、今ここでその腕輪が完全に壊れるような事象が起きたという事実が得られれば十分だった。
答える声はなかった。
「――ああそうかよ」
ゼロは立ち上がり、目つきそのままにサイラス=アイゼンを正面から見据える。
ただ目に宿る感情は強くなっており、思考も強いものになっていた。
なぜ傷つける? 昔からの知り合いだとも聞いた、それなのに。アリアスがこの男のことを話していたことを思い出す。気にかけていた様子であった。なぜこんなことをした。
なぜだとそんな思考がある一方で身を焦がすような激しい感情が生まれ身に渦巻く。
怒り。
どうしてもっと早く来なかった。どうしてこいつを野放しにしておいた。どうして――
瞬時に駆け巡った後悔。それを瞬時に凌駕し圧倒する怒り。それしかなかった。
彼女を傷つける輩を逃すことはあり得ない。それだけがゼロの頭の中を占める。
拳を握る。
――何に代えてもこいつを殺さなければならない
そのときサイラス=アイゼンの顔が上がった。目が奥で異様に爛々と輝き確かな殺気が放たれたと同時、手が振られた。
魔法。
白い光の攻撃魔法が向かってきてゼロも魔法を放ち相殺する。向けられてきたのはおふざけや訓練では済まない高い殺傷能力を帯びた魔法。だからといって危機感は持つことはなく、これならば遠慮する必要はないと理由を得たと思ったくらいだ。
サイラス=アイゼン、天才と呼ばれるにふさわしく魔法力は大きい部類だった。戦闘能力もあるのは剣を交えたときにゼロは把握済みだったが――視界が白く塗りつぶされ途切れることはない最中に放たれてくる魔法に何か違和感を覚えるも、それを振り払う。
ゼロが仕留めるべく魔法を強力にするとあちらも強力にしてくる。それが続く。続くにつれてこのままでは何かまずい気がした。さっきから感覚の隅にごびりついたような違和感に似た直感。
じりじりと焼けつくような感覚が身体、心臓を焼きそうに蝕む。むしろすべてを解放してでもこの存在を
眼帯をかなぐり捨ててやるべく手を左目にやる。予感が的中してしまう前に仕留めるべきだ、と。
が、そのとき死角から強烈な魔法が放たれ、ゼロが相対していた男が壁に打ちつけられた。固い大きな音が響き渡った。
「――やめておけ」
強烈な魔法に紛れて現れていたのは黒髪の男だった。持つ色のせいで暗闇から溶けて出てきたようなジオが自身が打ちつけた者には目もくれずゼロの前に立ちはだかり言う。
「人をやめるつもりか」
「やめてもいい」
――『魂』もあれを殺せと叫んでいるのだから。
「愚かなことを言う奴だ。怒りに身を任せて我を見失うな」
「俺は正気だ」
「今はな」
がらがらとおそらく壁が崩れる音がした。
前の光景を隠していたジオがそちらを見たことで壁にいるはずの男が見える――光が弾け、さっきまでそこにいたサイラス=アイゼンの姿はなくなっていた。空間移動の魔法。
「逃げたか」
「おい逃がしてどうすんだ」
「知らん。それより一度冷静になれ」
知らないとは無責任な。あんな奴を野放しにしてどうする。と噛みつこうとしたゼロはそれでも冷静になった面があった。
はっとして後ろを振り向き倒れているアリアスに駆け寄る。さっき確かめた息はもちろんある。
それでも思わず確かめて、彼女の頬に触れた。
頭が沸騰して怒りに支配された。放置してしまっていたことに後悔が生まれる。苦痛を和らげてやるべきなのに。
ゼロはなるべく余計な衝撃を与えないようにそっとアリアスを抱き上げ、慎重に立ち上がる。
するとすぐに彼女の師が来て、彼女を見下ろす。感情が読めない顔。
「……あんた、なんでここが分かったんだ」
「不可解な魔法を感じたからだ」
「……不可解?」
それはゼロが感じた『違和感』と同じものだろうか。
ジオはそれ以上は何も言わず、ゼロは腕の中のアリアスに視線を落とす。苦痛に歪む顔。浅い息。痛々しくも血に染まる服。
「……今聞くべきことじゃないと思うが、これは、」
「言いたいことは分かるが、黙れ。俺は今問われようと何も言う気はない」
「……」
「飛ぶぞ。見られては敵わん」
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