第10話 彼がしていたこと
思考を鈍らせて俯き、衣服だけを視界に入れて身動ぎひとつせずにアリアスがベッドに座っていると、慌ただしくドアが開いた気配がした。
「アリアス……!」
兄弟子の声、と慣れ親しんだ間違えることない声がすぐに分かるも動きはすぐにはついて来ず。ずっと動いていなかった操り人形みたいにぎこちなく、アリアスがようやっと反応しはじめて顔を上げようとするときには――抱き締められていた。
顔を見ることなく、ずっとぼんやりと衣服を映していた目の前は軍服の紺色に染まって、背後に回った腕は引き寄せるというよりはルーウェンが上から覆い被さる形でアリアスを身体で包み込んでいた。
「寝ていないと駄目じゃないか……」
頭上からの声はいつもの心配そうなものに別の感情が混ぜられたように響いてきて、腕が力はそれ以上加えられてはこないけれど確かめる手つきで背中を動く。
「ルー様……」
「傷は痛まないか? 熱は? 身体は怠くないか?」
「ルー、様」
「うん」
心配に溢れた言葉には答えられずに、アリアスは額を元々つけられていた場所に押しつけた。
「サイラス様が」
「……うん、そうだな」
名前を出すとそれだけでルーウェンの腕がもっと深くアリアスを包んだから、ろくに動かせなかった手が動いてアリアスは目の前の人の背中に手を回してしがみつく。そうでもしないともう一人では抱えていられない気持ちだった。
どれくらいの時か、しばらくはずっとそのままだった。アリアスは何も言えなくなって兄弟子にしがみつき、ルーウェンももう何も言うことなく優しく抱き締め続けてくれていた。
この兄弟子はいつも無条件にアリアスを落ち着かせてくれる。
落ち着いた頃にベッドに入るように促されたアリアスは彼が心配していることは分かっていたので、大人しくベッドに上がり毛布をかけられるままになった。
ベッドに腰かけたルーウェンは手を伸ばして上半身を起こしているアリアスの髪を耳にかけて頬に触れた。
「アリアス、何も考えなくていい」
柔らかくそう促す声音で言われるけれど兄弟子と目を合わせたアリアスは無理だ、と思う。悪い考えに向かいたくなくてどんなに逸らそうと思っても考えてしまうか、思い出してしまう。
「……ルー様、サイラス様は、とても苦しそうだったんです……」
それゆえにアリアスがぽつと話しはじめたのは信じられない思いから思い出された『以前』のこと。
「帰って来てから様子もおかしくて、調子が悪そうで……王都を出たがっていました……」
整理をするように、異なる顔をしたサイラスをどこかの記憶に当てはめようと。
六年ほど振りに帰ってきたサイラス。会って、乱暴に頭を撫でられ快活な笑い声を聞いて。
けれどいつが初めだったろう、『らしくない様子』『見たこともない様子』が過っていたのではないか。掴み所のなく飄々としていたはずの彼に。
明らかに目に見えたのは目の下にくまができていて見るからに具合が悪くなっていきそうな雰囲気を出していたときか。さすがに気がかりが止まらなかったけれど、彼があまりにも最後には『彼らしい』ことを言い笑うものだから何だかんだいって大丈夫だろうと、風邪でも引くのではなかろうかなどと軽く考えていた。
知らないサイラスを見る前に会ったときだって庭から一緒に城の中に入った彼は最後には笑みを浮かべていたから。
彼はあのとき何を考えていたのだろう。
何を考えていたのだろうか、と考えてもその『何か』がどのようなものか予想もできない。
あのとき彼の中では――
「サイラス様が王都に戻ってくるまでにサイラス様に何かあったのでしょうか……」
呟くと、頬に触れている手がわずかに動いたことを感じた。
サイラスはいつ、どこで、どのタイミングで『あのようなこと』をするに至ったのか。サイラスは何も明かすことなくいなくなったから誰も知るはずがなく当然ルーウェンも知るはずがない。
けれども聞かずにはいられなかった。どこかに、どこかに理由を見つけたくてならなかった。考えるなと言われても、まだ。
急にすべてを受け止めることができるだろうか。それも
知りたくてたまらなかった。
アリアスの言葉をじっと聞いていた兄弟子が視線を逸らさずに沈黙を続けた後――一度瞬きして表れた青い瞳は意を決したように見えた。
「サイラスさんは約六年、少なくとも城には戻ってくることはなかったな」
「……はい」
「あの人は、放浪魔法師ではなかった」
「…………え」
サイラスは城だけでなく王都を出て、それきり長い間帰ってくることがなかった。その彼が帰ってきたとき、兄弟子は各地を回っていた理由を各地の様子を見て回り報告する『放浪魔法師』だったからとアリアスに言ったはず。
「誰にも何も言わずに城を出てそれからずっと国内各地を、国外を放浪していたが『放浪魔法師』としての任についていたわけじゃなかった」
嘘をついていたんだ、と謝られた。
「じゃあ、サイラス様は何のために」
「分からない、サイラスさんは何も語らなかったんだ。だがあの人が連れ戻されることになった理由がしていた行動にある」
「それは、」
前に教えられないものだと言われたものだろうか。アリアスはそれを重要な任にでもついていたからだと考えていたけれど、『放浪魔法師』に任命されてもおらず彼が勝手に放浪していていたのであれば、何をしたというのか。
「言ってもいいと言われているから話すことはできる。でも俺はアリアスには聞いてほしくないと思っているんだ」
教えてください、とアリアスは言った。
ルーウェンは眉を下げて青い瞳が翳って見えたが、駄目だとは言わなかった。
そして明かす。
「サイラスさんは、各地で金銭で雇われてはいなかったようだが傭兵のようなことをし、他国同士の戦に参加し、盗賊退治と称されて彼に退治された賊は少なくとも国内では――無惨に殺されていたそうだ」
姿を消したきり消息を絶っていたサイラスのそんな情報が城に届きはじめ、届く情報の全てが問題視された。結果連れ戻されて、罰として魔法封じの腕輪をされていたという。なぜか魔法師の性質を奪う魔法具をされていた理由までも明かされ、聞いたアリアスは予想以上、予想外の事に無意識に息を吸った。
傭兵、戦、無惨な殺し。
繋げられない。
サイラスが、何をしたと。
そんなことを、サイラスが。
「それにべネット様も襲われた」
「襲われ……? ――それもサイラス様、が、ですか」
「おそらく。アリアスが見つかる前に」
「そんな……」
完全に声を失った。
頭にとてつもない衝撃、現実を突きつけられた気分に陥っていた。求めたはずの真実は既存の事実を上塗りして固めるものだった。
アリアスは目を見張り、揺らし、与えられた情報を処理しようと頭が必死になっていて身体は身動ぎひとつしなかった。
そんなアリアスを見て、簡潔に事を語ったルーウェンの方が辛そうにしてアリアスに両腕を伸ばして抱き締めた。
「ごめんな、こんなこと話して」
どうしてルーウェンが謝るのだろう。
アリアスが教えてほしいと言い兄弟子は教えてくれて、容易に受け入れられないことをしたというのはサイラスなのに。
耳元から届く声が酷く苦しそうだったから、彼が泣いている光景を見た気がしたことを思い出した。
「ルー様は、サイラス様のことを、どう思ってるんですか……?」
「俺は……」
聞き返しに不意を突かれたように声が途切れた。
兄弟子はどう考え、どう見ているのだろうか。
すぐ近くにいるから口を開き閉じて、また開く様子を感じる。
「――サイラスさんは変わった。六年前より以前に見ていた人とは明らかに変わった部分がある、そう俺は思う」
それは最早疑うべくもないことだ。
飄々として快活に笑っている様子は健在だったけれど、弱々しい面も見えた。攻撃的で狂暴な光を宿した見たくなかった面も見た。
ただし、決して良い変化ではないことが問題で――。
「サイラス様は……どうしてそんなに、変わってしまったのでしょう……」
しがみつくことも出来ずに身体を抱き寄せられたときに傾けもたれたまま、呆然と溢れた声は小さなものだった。
すぐ近くにいるルーウェンには聞こえたようだった。腕に力が、込められたから。
「今サイラスさんは探されている。最終的には捕まる、そうすれば……何もかも分かるはずだ。だから待つんだアリアス。きっと、理由はあるはずだから」
あればいい。
「だからもう、考えるのは止めよう」
懇願にも似た響き。
二度目のそれに、今度は抗う気持ちは欠片として生まれることはなかった。
「今はおやすみ」
言葉に従ってアリアスは兄弟子の腕の中で静かに目を閉じる。絶えず回り続け絡まり続けている思考は、動きを止めていた。
――すがり求め聞いた事実は全て今まで知らなかったサイラスの姿を明らかにするばかりだった
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