第6話 師




 お叱り、というか事態を自覚させる時間はどの時点かで終わったらしい。

 視界をちらつく容姿の色に慣れないながらも、すっかり空気からも何からも緊張感はなくなり、アリアスは告げられたばかりの事実をぼんやりと反芻していた。正直、色々聞きすぎて手一杯だ。

 見下ろす手に力は感じられない。名残を覚えているから、辛うじて竜の魂という事実を飲み込もうとしている。


「出来ることなら知らせず、生きれられれば良いと思っておった」


 アリアスは反応し、顔を上げる。


「人として生まれたからには出来うる限り何も知らず、人としてな」

「知らない方が良いんですか?」

「知らぬに越したことはあるまい。驚いたろう」

「そう、ですね……」


 自分の一番本質とも言える魂の話。思いもよらなかったことで、こんなこともなければシーヴァーの言うとおり、アリアスは知ることなく生きていったのだろう。

 ゼロもこんな気持ちだったのだろうか。彼の左右で色が違う目を思い出した。


「ゼロ様は昔、竜の住む谷へ行ったと言っていました。ゼロ様もこのような感じでしたか?」

「それは今より十余年前になろうか。突然現れ、我らも少なからず驚いておったが当人も驚いておった。我らの元へ来たあの子はどのようにして辿り着いたのか、覚えてはいなかったが、竜の中でも大きな力を持っておる魂の持ち主。導かれたのだろう。――あの子は特に、左目に色が出ておるために実に戸惑うたようだ。それでも話を聞いて、また来た道を戻って行った」

「ゼロ様の目に竜の色が出て、私には全く出ていないのは……」

「力の大きさによるものだ。ヴィーグレオは、とても大きな力を持った魂でな。――嗚呼今はゼロと言うのだったな」


 ヴィーグレオ、とシーヴァーもその名前を音にした。セウランも気を抜けば呼んでしまっていたような名前は、竜の魂に刻まれた名前なのだという。

 ではアリアスにも、竜として生まれていたら呼ばれている名前があるのだろうか。


「アリアス」

「はい」

「勿論、おまえにも竜としての魂の名がある。我らがおまえを見れば、その名前が浮かばずにはいられない名だ。しかしおまえに言うのは、魂が少しでも引っ張られるわけにも行かぬため言わないでおこうぞ」


 聞きたかったような、そのままで良かったような。


「少し話を戻すに、おまえの魂も竜の中でも大きな魔法力を保持する。そして、竜の中で最も良き癒しを施せる魂だ」

「癒し……」


 再び、手を見下ろした。魔法力を注ぎ込むため、いつも仲介にする手。


「魔法は、癒しの魔法が秀でているのではないか?」

「一番使えるのは、そうです」


 幼い頃の経験により欲しかった力でもあり、幸いにも筋があった治療の魔法。


「魂の影響だ。性質は簡単には変わらぬ。聞けば、この辺りには冬が近づいていた折、人間の病の重病者を治してしまったとか」

「冬に、病の……?」


 心当たりがなくてアリアスは分かりやすく、分からないと首を捻る。シーヴァーが深い慈愛に満ちた笑顔そのままに、会得したように「そうだったな」と一人頷く。


「覚えてはおらぬか、良い良い。その折に一度耳飾りが壊れる恐れがあったようだ。強く願ったことがあったのだろう。魔族によればそのときの一時的なものであったようだ。しかしその後に幾つか問題が起きたと聞く。魔族の魂を持つという人間に傷をつけられたな」


 サイラスのことだ。安堵したところに忘れようもないことを引き出されて、腹に触れても心配しなくてももう傷はない。ない、のだ。


「サイラス様は、魔族の魂の影響でそうしてしまったんだと思います」

「我は元の人柄というものを知らぬが、元々そのようでなかったのであれば間違いなく魔族の魂の影響だろう。おまえの大切な者の一人なのだな。すまぬ、思い出させてしまった」


 アリアスは横に首を振った。


「傷は治されていたようだが、話を聞き念のため傷の名残を探っておいた。魔族の力がどのような影響を及ぼすか、ともすれば不安定な魂を揺らがしかねないと思うたのだろう」


 だろう? 推測と聞こえる言葉だ。


「あの魔族が危惧しておった。これまでの小さな懸念もあり、怪我がどう影響を及ぼすか分からんとな」


 アリアスは今度は腹を見下ろした。少し前、師は傷は跡形もなく治してもらったのに、違和感の有無を問うてきた。


「どうも、そのときに何かしらの影響があったのは事実。魔法石のひび割れが起こったのだと。予備を預けてはあったものの、完全に魂の具合が悪くなれば力が溢れ、魔法石は役に立たなくなる。そうだ、今回のように。それで我の元へ来ようとしていた矢先の、今回であったようだ」


 最近外出していなかったのに、留守にしていた師。

 自分では知らないところで異変をきたしていたアリアスのことで、竜の元へ行くために、留守に……ということか。

 武術大会があるから城と、王都を出るような口振りだったのに。


「全てが事なきに終わると、危害は加えぬとは思ってはおれどあのようになっておるのは、実に興味深いことよ」


 シーヴァーが微かに声を上げて笑う傍らで、アリアスは言い表しようもない感情を抱えていた。

 ――ああ、本当に、アリアスが知らなかったことを知っていた上であの師は何を思っていたのだろうか。

 何を考えているのか、分からなかったはずだ。今だって、分からない。


「……シーヴァー様」

「何ぞ」

「師匠とは、昔からお知り合いでいらっしゃるんですか?」

「いや」


 そうでもないらしい。


「今のあの魔族との繋がりは、一重におまえがおるが故の繋がりだ」

「でも、私を竜の元へ連れて行ったのは師匠なんですよね」

「そうだ」

「……師匠は、私を拾ってくれたときから私の魂がそうであると知っていたのでしょうか」

「知っておったろう。分かっておったからこそ連れて来たのだろうからな。おまえが師と呼ぶ魔族と出会うたのは、魔法力が目覚め、同時に竜の魔法力も目覚めてしまったときだったと聞く」


 シーヴァーは囁くように、静かな声で言う。


「家族、身の回りの人間を無くした」


 師と出会ったのは、十数年も前。アリアスが家族と、顔見知りの全ての人を見送り、失ったときだ。

 思わぬところでその話が出てきて、喉が詰まる。


「……我は、我が子の傷を甦らせることばかり言うているな。悲しいことだったろうに」


 昔のことで、不意討ちだっただけだから大丈夫だと言おうとしたが、それより先に抱きしめられていた。

 優しく、柔らかく包む腕は親のようだ。


「その傷こそが、おまえの最も深き傷。最初に魂を揺らがし、ただの魔法力を目覚めさせるどころか、竜の力を目覚めさせた出来事」


 あのときを境にアリアスは魔法というものを知った。魔法力があり、師の弟子になることが決まった。

 だが空っぽの町を出たあとしばらくのことは茫然自失としていたからか、あまり覚えていない。もしかして、そのときにアリアスが覚えてはいない竜の谷への訪問がされたのだろうか。

 よく考えてみると耳飾りは故郷にいた頃はつけていなかった。


「竜の魔法力が出れば、竜や魔族には分かる。おまえの魂が竜のものであると勘づいた魔族は、我らの元へ連れてき、我は魔法力を制限する術を施して人の世へと返した。もしも連れて来られなければと考えると、恐ろしいことだ」


 手が、幼子を寝かしつけるときのように背を撫でる。


「竜の魂が巡れば当然竜の元に生まれるが、人の元に紛れた竜の魂は人として生まれ、我らには分からぬ。ゆえに我らが直接人に関与することはない以上、訪ねられて初めて事実を知ることとなる。感謝せねばならぬ」

「……師匠は、どうして魔族だったのでしょう。竜の魂を持つと分かって、私を救ってくれたようなものなのに……」

「不変せぬものはない。変化するものはある。過去がどうあれ。――おまえにとってあの魔族はどのような存在だろうか」

「師匠は、」


 白い衣服に埋められたまま息を吸うと、すっと喉に澄んだ空気が通った。


「師匠は、私にとって恩人で、……今回、『あちら』に還ると言われて、いなくなって欲しくなかった人です」


 だっていないことを考えたことがないし、師には『あちら』は似合わない。

 答えを聞いた竜の「そうか」と染み入った声が直接響いてくる。


「あの魔族は少し、おまえと縁がある。おまえの魂と、と言うべきか。……まったくあの魔族もであるとも、よう分かったものよ。実に、実にこの世には稀に説明がつかぬことや信じ難いことが起こり、そういったものがある」


 これまでとは異なり、独りごちるような声。


「元は同じ存在だったとはいえ、変わった魔族だ。おまえ自身に情も湧いたのであろうな。魔族が情とは――魔族が皆あのようであれば哀しきことは起こらなかったものを。……そうであれば、我らの道が分かたれることもなかったか……」


 竜の橙に、哀しげな感情が過った。




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