第20話 戦地会議
「ルー風邪かよ」
「いや、そういうわけじゃ」
「おやルーウェン団長大丈夫ですか?」
「ジョエル団長……おそらく砂埃でしょうからおかまいなく」
天幕で交わされたのはどこか和やかな会話。
しかし、その服装は和やかとは言いがたく、また、場所もそれに倣う。
戻ってくるなりルーウェンのくしゃみに遭遇したゼロの服装はいつもながらの軍服。しかし、よくよく見ると血しぶきが散っており、顔にまでその
そして、すぐさま部下によって脇から差し出された毛皮の施された軍用コートをいらないと首振りだけで断る。
戦地となっている荒れはてた地は国の北部にあり、王都が春となり温かくなったといえどもその地はまだまだ冬並の寒さであるのだ。それにしても寒すぎる気候ではある、不可解な土地。
「ジオ様がこちらに合流されるそうなので、これからの動きの詳細はあの方がいらっしゃってから行いましょう」
黄の騎士団団長ジョエルは軍服と戦地の似合わぬ所以となる、にこやかな笑みでそう言った。その笑みが不謹慎と取られることがないのは、あまりに自然で真顔がそれではないかというほどだからだ。
ところで、戦う軍隊は魔法師騎士団だけで編成されているのではないので普通の騎士団と連携しないはずはなく、状況・戦略を随時確認し頭を突き合せる場に情報は一番に集められるためほとんどの時間は彼らはそこにいるはず。
現在彼らが魔法師騎士団だけの天幕に来ていたのには理由がある。
「師匠がいらっしゃるということは……向こうの準備が出来ているということですか」
「そうなりますね。あとはここを片付け……となるのですが、少し手間取っていますね」
「そのことですが、もう報告は来ていますか」
「ええ来ています。厄介ですが、魔法であることに間違いはないと思います。実際に見てどう思いますか? ゼロ団長」
「間違いないかと。しかし、かなり広範囲に渡ると思いました。報告は全体からですか」
「満遍なく」
普段から誰にでも丁寧な口調のジョエルが、ここに集まる理由を戦闘の真っ只中から呼び戻したゼロに語る。
「考えられる最善の策として、竜を出すことになりました――レルルカ、お疲れ様です」
途中で入ってきたのは、無地のドレスに白のエプロンをつけた装飾品をひとつも身につけていないレルルカ。治療の魔法に長けた彼女は今回の戦において回復要員として戦地にいる。髪もキツくない程度に編み込んだレルルカは全体的に見慣れぬ姿である。けれども、怪我人が絶え間ない状況、疲れた様子は欠片も表さずおそらく治療の場では確固たる安心感を与えている。
「あなたも、ジョエル団長。遅くなりましたわ」
「いいえジオ様が到着なされる前ですよ」
歳が同じ、昔から知り合いの二人は軽く互いを労う挨拶をする。
その後ろ、すぐに再び入り口が開けられ、全身黒い衣服の長身の男が入ってきた。
普段着そのもの――つまりはこんなときには彼もまた軍服めいた服を着るはずが、全く防御要素等考えられていない普通の生地の服――で来たジオは戦地に来たようには思えないほど、いつも通りだ。寒さも感じているようには見えない。
「押されているようだが、どうなっている」
耳に届いていたのか見てきたのか、まず彼は戦況の理由を尋ねた。
戦力から考えて悪くなっても互角という見積もりがあったからだ。
中央にある卓に歩むジオを奥に通したジョエルがまとめて答える。
「敵の様子がおかしいようです。切っても揺るがず、深手を負わせても魔法で吹き飛ばし倒れても立ち上がります」
「死なないとでも言うのか」
「いいえ急所を違わず刺せば死ぬようです。何らかの魔法ではないかと」
卓には敵軍の動き自軍の動きが示されるものがあったがジオは一瞥しただけで、他の者も今はそれを見ていない。
「一部だけではなく、全体がそうであるとの報告が上がっています」
「痛覚を遮断しているのでしょうか?」
「痛覚を遮断するのは繊細で難易度の高いものですわ。そんなに都合よく広範囲にかけられる魔法ではないはずです」
「痛覚を元に戻すことを考えなければ、多少雑にもできる代物になりますか? レルルカ様」
非人道的とも言える考えがルーウェンの口から出た。痛みを一時的に感じさせなくし元に戻すためにその魔法の難易度は上がる。その配慮せず完全に痛覚をとってしまえば?
痛覚を遮断する魔法はときおり治療の際に使われる。専門であるレルルカに尋ねられた。
「そこまでして、という問題は今考えることではありませんわね。……そうしても一人一人に施すのには非現実的かと思われますわ。広範囲であることを考えみるに、それほどまでの魔法師が何人もいるのであればもっと使い用があるでしょう」
「魔族の仕業では」
魔法師が何人もというレルルカの言葉を聞いてから、ゼロが言った。実際に見てきた彼は敵兵の様子を思い起こし、考え込んでいたのだ。
「魔法師がやったと考えて不可能なのであれば、魔族と考えれば可能です。レドウィガ国の将軍はどういうわけか魔族に力を借りていました。それからこれは一応ですが、痛覚がないだけではないと思います。目の焦点が合っておらず、剣の振りが訓練している兵にしては雑で、脅威になっているのは中々倒れないことが大きいのではないですか」
「そうでした、魔族が戦の前段階で関わっていましたね。なるほど、そう考えると可能となりますね……ジオ様はどう思われますか?」
ジョエルが確認のように最終判断をジオに尋ねたとき、彼は何もない空中をじっと見ていた。
「……『盤上の駒』とはこういうことか」
呟きは、どこを見た上でのことか。戦場を見ているのかもしれない。
「ここまで手を出してきたか」
「では師匠、師匠からしても魔族の仕業で間違いないということですか」
「ここはあちらの魔法力が流れ込んでいて分かりにくいが、そうだろうな」
「……この土地には魔族のいるという空間との境目があるというのは事実だったのですわね」
ここにきて関与してきた存在によって一気に空気がより緊迫する。それほどまでの魔法力があるのかと、存在の認知はさておき未知の存在に顔を険しくさせる者もいた。
しかしそれでも悲観するような人物はおらず、何やら考えていたジョエルがおや? あることに気がついた様子で案を出す。
「魔族の仕業であるのなら、竜の炎が効くでしょうか?」
「ああ、だが竜は万全ではないだろう。ルー、魔法石はどうなっている」
「全て働いています。ですが、この地の魔法の濃度は予想以上で順応に少し時間のかかっている竜がいます。しかし全てというわけではありません」
「ええ、ここに来る前に様子を見聞きしてきましたが、支障なしと判断済みの竜は十分おりますわ」
「実は飛び立てる竜はすでに待機させてある状態です。先ほどゲルオグ総団長と話し竜を飛ばす予定でしたので」
総団長、とは魔法師騎士団より数の多い普通の騎士団を取りまとめる団長の上の職の名称だ。
案の内容はジオやレルルカが現れる直前にまさに話されかけていたことだった。
準備もされている。
「普通の魔法であれ竜の炎であらかた解いてしまおうという荒っぽい作戦のためだったのですが、ちょうどでしたね」
「それなら、これ以上の議論の余地はないな」
「問題の魔族はどうしましょうか。直接手を下すことはないということは見学してくれると取りたいところですが、そう安易に考えられる存在ではありませんからね」
「現れたときに考えればいい」
「ジオ様、それは真面目におっしゃられていますかしら」
「俺が対処する。これでいいだろう」
「いくらジオ様と言えど、魔族相手に……」
そこでレルルカが言葉を途切らせ、訝しげな顔になる。首も傾げてしまいそうな様子。
その隣でジョエルがにこやかに頷き、話を変える。
「ジオ様が仰ると何だかそうなさってしまいそうですね。それは後としてひとまず竜の出陣の方が先ですか。出られる竜の乗り手はもう招集できているはずです。指揮なのですが、」
「俺がやります。ヴァルは元気な方でしょう」
「おそらく。レルルカどうでしたか?」
「ええ。その通りですわ」
「ではゼロ団長お任せしますよ。陣形は六式で構いませんか? 勝手にですが判断して伝えていますが」
「妥当かと」
「準備済みの竜は五体です」
そうと決まれば早いもので、揉めることなく決まることが決まった。
*
魔族が出てきた際のことを考え作戦を練るという天幕からゼロが出ると、外には冷気が漂っていた。
「ジオ様って魔族とやり合えんのか」
「師匠だからな」
共に出てきたルーウェンがさらっと言った。ゼロはそのことをそれ以上考えるのは止める。この問答はもうする気がない。
――風が吹き、唸る
地に染み付き空気に染み付く血のにおいが運ばれてくる。それだけでなくもしかすると、自らにも染みついているのかもしれない、と軍服にこびりついてしまっている汚れを意識して、逸らす。
ゼロが身体が平素より重いと感じるのは気のせいではない。中途半端なこの身は竜と同じくして影響されているのだ。
怠いような感覚が身体にはびこっていることを感じながら、息を吐く。
「空気が悪い」
ぼやくように、言った。
あちらとこちらの境目とやらが正確にどこにあるのかは知らないが、魔族がいる以上そしてここが計ったように戦地になった以上、綻んでいる境目はここにあるものに違いないと改めて思う。
地に染み込んでいる、混ざっている魔法が
空を確認したが、さすがに雪は降らないようだ。
――急に、ひどく彼女に会いたいと思った。けれども、こんな手で会えるはずはないし、こんなところに彼女がいたとすれば耐え難いことだとも思った。
落としきれなかった色を隠すようにしてゼロはポケットから取り出した革手袋をはめる。
がちゃがちゃと鎧が硬質な音をたてる小集団とすれ違う。見るからに重そうな鈍い色の鎧を身につけているのは普通の騎士団の者たち。反対にそれほど軽装でいいのかというほどいつも通りの軍服で自陣を走っているのは魔法師騎士団の者たちだ。ときに鎧を着ているから見分けがつかない者たちもいる。
鎧は一緒なのだ。別々では一体感が削がれるとかなんとか。否定しない。士気は大事だ。
「ゼロ、大丈夫か?」
「何が。問題ねえよ。お前が追加で魔法かけなきゃならねえ事態になる前に蹴散らしてきてやる」
「それは頼もしいが、」
以前左目を見たことのあるルーウェンがこの地の現在の状況ゆえの言葉をかけてくる。が、ゼロは笑い飛ばす。
「落ちるなよ」
「冗談よせ」
竜の背から自分から降りたことはあっても落ちたことはない。
歩いて行った、自陣の後方の開けた場所には飛び立つ準備のできた竜が五体。残りは離れた場所にいることが視界の端に映る。
準備が出来ている竜の中に青い竜がいるのにも関わらず、ルーウェンが出ないのは竜がこの土地で弱ることのないようにとの要である魔法の、戦地にいる存在で唯一の使い手だからだ。消耗させるのは得策ではない。
竜に乗る者たちの装備は軍服と剣のみ。といっても乗り手がするのは竜の背の上からの魔法攻撃なので剣は使いはしない。
一列に整列している彼らの前に、ゼロは立ち止まる。
「陣形は六式。持ち場もそれに沿う」
「はい!」
「攻撃を受け、戦線離脱しなければならない状態になった際の合図は分かってるな」
「はい!」
「あとは各自判断」
「はい!」
必要事項を確認のため述べると、四名の確かな頷きと返事と視線が返る。
この空気に触発されてか、五体の竜の内
空は濃い灰色の厚い雲に覆われていた。
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