第19話 将軍の事情
ずきんずきんと痛みを訴える脚だが、歩けないほどではなかった。男は手加減したのだろう。
応急処置はできた――実は「やってやろうかァ?」と言われたが、当然断った。誰がやったと思っているのか――、傷は浅くはないようで血は止まりそうにもない。
「あ、ごめん。ここからちょっと徒歩ね」
「ちょっとって何だ。魔法族とやらにしても、さすがに遠くて一発で移動できるくらいの魔法力は持ってないのか?」
「失礼だな、持ってるよ。でも出発点が僕にとっては悪いし、それでも君についたままやると将軍、君が困ることになってたよ」
「お気遣いどうも。……それならあんたが比較的出てこれるっていうここに来てからもう一回飛べばいいんじゃないのか」
「あ、気づいちゃった?」
「おい」
「最短で行くなんていう話ではなかったからね。いいからしばらく歩きなよ」
ストライプ柄のリボンが巻きつくシルクハットを頭に乗せた、長い漆黒の髪がうねる青年が姿を現していた。
妖しい深紅の目がいやに鮮やかに輝やくのは、色の感じられない、味気ない空間。
終わりの見えない空間。
奇妙極まりない空間。
いたはずの学園ではもちろんない。
二度目、となるだろうか。
周りをじろじろと見ることなく、男に雑に腕を掴まれてアリアスは歩いている。
こんなところで、逃げられるはずなんてないのに。
「私を、どこに連れて行くんですか」
「俺が運んでもらう先は戦地だが、お嬢さんはどうだろうなァ。あの魔法族に聞いてくれ」
いくらか前を行き迷いなく歩く魔性の青年は長いリボンの端を揺らしながら案内をしている。
「それにしてもお嬢さんは強情だなァ。脚痛いだろォ?」
「あなたが、したんでしょう」
「それはお嬢さんが抵抗したからだ。俺としてはお嬢さんに用があるわけでもないし、また会うとは思ってもみなかった」
「それなら、何で私を、」
「取り引きでのあちらさんの要求さ」
示されたのは軽やかな足取りの全身ほぼ真っ黒な後ろ姿。
「追加の取り引きをしたのさァ。その代償に俺がここについて来たというわけだ」
「取り引き?」
「取り引きだ。元々最初俺はあの魔法族に身体を貸すことと引き換えにその力を貸してもらった。仕掛ける戦争に勝つためになァ。身体貸すっていうと軽く聞こえるかもしれないけどな、キツいからな。子どもおんぶしてるみたいにはいかないものなんだ。色々削られるっていう感覚がするなァ」
淡々と歩きながら、男は話すがどうも話は読めない。
「それなのに俺の蒔いていった火種はことごとく駄目になったらしい。だが、その前からどうせ戦争を仕掛けることは決まっていてな、今さら止めるなんていう選択肢は鼻からない。っていう事情を話しても興味はないかな?」
「ないです。それが何で私が連れてこられた理由に、」
「まァもうしばらく聞いておけよ。不本意ながら時間はあるからその限りでなら話してやるから。お嬢さんが気の毒に思わないでもないからな」
どうも、ようやく話してくれるらしい。
そして絶対気の毒には思っていない、そう思うような人柄でないことは数少ない情報ながらその中に入っている。
「俺は今回の戦争に勝つために戦争への直接の力の貸与を要求した。その代わりに、あの魔法族はお嬢さんを拐ってくることを提示してきた。と言ってもそのための移動とかはあちらさんの力で来てるんだけどな。俺が地道にしてるとどれくらいかかるか。なぜお嬢さんをご所望かは知らないさ。以前お嬢さんと会ったときもそうだっただろ?」
「……それは、つまり実質分かってないってことじゃ……」
男がアリアスを連れてきたのは、要求されたから。それだけ。
ということは本当の理由は前を行く、あの存在しか知らないこと。
余計に不気味さが増した。
アリアスは口を閉じ尋ねることを止めて、男も聞かれたこと以上話すつもりはないらしく沈黙が満ちる。
ああ、足音がしないのだというくだらない発見。
これから行くのは、まさか戦地なのだろうか。
自分は、どうされるのだろう。
不安しか渦巻かないし、恐怖の根は取れるわけがなくますます深く根づいた。
それはこの、空間にも要因がある。どこか、どこ、という概念が当てはまらない感じがする場。
実質一人だ。
前、引きずりこまれたときはゼロがいた。でも、今はいないし、他にいるのは敵。
強くあらねばならない。この空間に空気に彼らに負けてはならない。精神的に。
それとなく確認した首飾りの存在にだけ、少しほっとする。
そのときげほ、と男が突然咳き込んだ。驚いたアリアスが見た横顔は目の下のくまのせいかよけいに苦しげだった。
加えて、男が口をおさえた手に何かが吐き出されたことが見えた。鮮やかな、赤。
「将軍、大丈夫かい?」
「あーまだましな方だ。あんたが出てくれてるからなァ」
「あはは、皮肉だね。互いに対価は支払ってきたでしょ。それにもう安心しなよ、君はこれで僕に用はなし。僕も君に見せてもらうものを見せてもらう」
血を、吐いた。
足取りはしっかりしている。身体が痩せているわけでもない。体調が悪いようには見えなかった。
だが、どことなく雰囲気がやつれている。覇気が、ない。
それはアリアスの感覚で、男が咳き込んだのを見たからかもしれない。
――『身体貸すっていうと軽く聞こえるかもしれないけどな、キツいからな。子どもおんぶしてるみたいにはいかないものなんだ。色々削られるっていう感覚がするなァ』
けれども、男の言葉で、さらりと混ぜられた、愚痴を思い出す。
男と軽く会話している、妖しいまでの存在感を放つ青年を見てしまう。青年の姿をしているのは、『人』ではない。
その人ではない、大きな魔法の塊そのもののような存在に身体を貸す。そのことは、アリアスが思っている以上に蝕まれることなのかもしれない。
――この人は、命を削っている。
くまは寝不足とかいう問題ではない、きっと。顔色も良くはないのは……。
覇気がないのではなく、そもそもの根本――生命力が弱々しい。
どうしてそこまでして。
アリアスは声を出していないつもりだったが、口に出してしまっていたらしい。男が反応して、こっちに顔を向ける。
「国のためだ。他に何がある?」
口の端から流れた血を拭い、男はするっと答えた。それまでと同じように。
「これで勝てる確率が跳ね上がるんだ。願っても無いことだ」
命なんて惜しくはないと、男は言う。勝てるなら。
それは、愛国心なのか。そうだとしたら、アリアスには歪んだ愛国心だとしか思えない。
戦に命はかかるものかもしれないが、これはそれとは違う気がする。
「隣の国の資源に目を眩ませた狂った老人に仕えるのには結構骨が折れるんだよ、お嬢さん」
戸惑うアリアスに、男は脈絡なく言った。
「あの魔法族とやらに会わなければ、俺は無謀な戦争に身を投じていたことだろうよ」
「そこまでして何で戦争なんか……」
どのみち、戦争を起こしていた。負けると分かって無謀なものとなっても。
どのみち。
「どうして、」
怒りが湧いたのは、その戦に行くことになっている人たちがいるから。アリアスの周りにも、そして今このときにも命の危機が隣にあり、実際に命を落としている人がいる。
人の死なない戦争なんてない。
それを、アリアスは分かっている。
でも、自国の人さえも無謀な戦争であっても戦わせようとしていた人がいるというのか。わけが分からなかった。
この目の前の男に怒りを覚えているのか、戦を言い出したであろう名前も顔も知らない人に怒りを覚えているのか。
全員かもしれない。
足を止めていた。そして、男を見据えた。睨んでいた。
「そういえば、前にお嬢さんといた団長殿は戦場にいるのか?」
「……」
「へェ、いるのか。それが心配なのかなお嬢さんは」
何も答えなかったのに、男は止まったアリアスを引きずろうとはせずに止まり、軽い口調で言った。
だが、その次に発した言葉と共に、
「殺してきてやるよ」
男はへらりとした笑みを一変させた。
「バカみたいに平和な国だったなグリアフル国は。どこまでも甘ったるい。それに浸りきった
憎悪。に混ざるのは妬み、か。
凄絶なまでの歪んだ笑みは重く、アリアスにそれ以上のことを言うことを良しとさせない。でも、アリアスは目を逸らさなかった先で男はまた魔性の青年――黙ってこちらを見て立ち止まっていた――の方を見る。
「で、魔法族様よ、これで俺はやることをやったはずだな? あとはそっちの番だ」
「それならもうやってるよ。君たちの軍隊は簡単には倒れないようになってる」
「それはありがたい。ついでに俺だけ先に飛ばしてくれないかァ。さすがに時間を食ってる。戦地にまでお越しになった無能共がせっかく勝てるものを潰す可能性があるからな」
「しょうがないなあ。まあいっか、距離もそれほどだし、君について行った先でいいこともあったし。飛ばしてあげるよ、その子から手を離して」
やれやれといった様子で、しかし軽く了承した青年姿の存在はそう指示した。
アリアスを拘束していた男の手が外れる。
「じゃあ将軍、頑張ってね」
「あんたには勝敗は関係ないんだろ? 興味があるのは戦いそのものだっていうのは最初に聞いた」
「うん、それが最初の取り引きだった。でもうまくやりなよ、僕が手を貸したんだ」
「やるさァ。――じゃあなお嬢さん」
こちらを見ずに最後についでのように投げられた言葉。
黒い光が生まれ、消えたときには将軍の姿も消えていた。
残ったのは、アリアスと魔性の空気を纏う青年のみ。
「相当ガタがきちゃってたなあ。惜しい宿だったけど人間にしてはもった方だったんだろうな。でもお楽しみの舞台はもう揃ってるしもう会うこともないから、あれもどうせなら人形にしちゃおうかな」
ひたすらに理解ができず、でも恐怖を感じさせる独り言。
「僕の人形軍隊は勝てるかなあ。でも、それは二の次になっちゃうかも。もうひとつ、大きなお楽しみができてるもんね」
シルクハットの影から覗く、深紅の瞳は邪気に輝く。にんまりとした笑みを意味ありげな言葉と向けられ、ぞっとする。
「さ、もう少し進もうか。『お嬢さん』?」
この存在が自分を連れてこさせた意味は、一体何なのだろう。
アリアスはけらけらと笑う人ならざる青年姿の魔族におどけたように促された。
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