第5話 王都の学園の長

 一種の魔法具になっている鈴が鳴ったということは対の鈴を持っているジオが鳴らしたということで、事情により少し時間が過ぎてからではあるがアリアスは師の部屋に向かった。


「すみません遅くなりました、ししょ……」


 いつものようにノックはほどほどにアリアスはノブを捻って部屋に足を踏み入れる。

 しかし、そこにいたのは予想に反して師だけではなかった。だからといって、他にいるのがこの部屋で時おり見かける兄弟子というわけでもなかった。そういうわけで、アリアスは部屋に入った瞬間に声を途切れさせてしまった。

 ソファにいつものごとく背もたれに完全に背を預けて足を組んでだらりと座っているのは間違いなくジオ。だがその向かい側にいるのは、女性だ。

 お客様。という言葉が浮かぶ。


「アリアス、来たか」


 ジオと目が合って、視線で来いと促されたアリアスは動きを止めていた手でひとまずドアをさっと閉め、とりあえず素直にそちらに歩いて行く。

 テーブル上にお茶はすでに用意されていたからその用件はなくなり、口の中に出される準備をされているのは「どなたですか」と「師匠、服ちゃんと着てください」くらいだ。でも誰か、というのはいち早く思ったとしても聞くべきではないと判断できるもので、それも消える。

 ではとにかく貴人然とした雰囲気の感じられる来客の前で普段通り――ズボンはさておき上に身に付けているのがそのまま気にもせずに寝転がったりするのでしわの目立つシャツのみ――の格好のジオはいかがなものか。と、ソファの背に雑にかけられている上着を目ざとく見つけたアリアスが小声でそれを指摘する前に。

 ジオの向かい側にいる、ひっつめた髪型の厳しい顔つきの歳を重ねていることが分かる女性。詳しい年齢を詮索するのと初対面であまり見ているのも何なのでアリアスは失礼ではないほどにしていたのだが、その彼女が明らかにこちらに目線を定めている。目も合った。そして、


貴女あなたがアリアスさんですね」

「は、はい」


 名前を確認されて、アリアスは女性に身体ごと向けて立ち、急いで返事をした。


貴方あなたはこんな雛を隠しておいででしたか」

「隠してはいないが」


 ジオは女性と一言言葉を交わしてからアリアスを見、隣に座るようにこれまた目線だけで促す。いやいや……とアリアスは躊躇していたのだがそれさえもジオは視線と隣への指さしで無視する。

 これは座るしかない、とアリアスが悟ってソファに浅く腰かけるとなおも師はこちらを見たまま。

 何だろう、と首を傾げるしかない。そういえば、なぜ呼ばれ、ここに座らされているのだろう、と。

 そんな考えを知ってか知らずかジオは表情の薄い顔はいつもながらに、向かいの女性そっちのけで話しかけてくる。内容は少なくともアリアスにとっては突飛だった。


「アリアス、世の中には学校というものがある」

「はい」

「王都には魔法学園が存在する」

「はい」

「そこの学園長だ」

「はい」


 立て続けに返事してから続けて……はい? と聞き返しそうになった。二つ目までは知識としては持っている情報で何だ突然と思いながらも返事していた。知っています、と。しかしながら、三つ目は群を抜いて突然すぎた。

 学園長。王都の魔法学園の学園長。誰が。

 師であるはずがもちろんなくて、アリアスはやっと思い当たる節あってテーブルを挟んだ向こう側に顔を動かした。

 もしかして……ではなく確実にこの女性が。


「こんにちは、わたくしはドローレス。王都の学園を預かる立場にあります」


 女性はドローレスとだけ名乗り、その正体を明かした。学園を預かる立場、とはつまりは学園の長に当たる地位。

 なぜそんな方がここに。といやでも師の地位を考えると知り合いでもおかしくないかもしれないが、なぜ自分が呼ばれたのか。と部屋に来て数分。アリアスが何度目になるかのなぜを頭に浮かべ疑問を重ねかけたとき、別のことを思い立ってはっとして口を開いた。しかし、止められる。


「名乗りは結構。貴女のことは聞いています。アリアス=コーネルさん」


 名前だけでなく名字も言われて口を閉じる。

 一筋も乱れていない髪。上品な着こなしのドレス。ジオとは対称的に背もたれを使っていないんじゃないかというほどに伸ばされた背筋。きびきびした丁寧な口調。全てがきっちりしているという印象を受ける。

 鋭いくらいで、わけもなく緊張してしまうほどの眼差しは真っ直ぐアリアスに向けられていて、自然と背筋が伸びる心地がしたばかりかおそらく実際に背筋を伸ばした。


「貴女の師にあたるそこの方から聞いたことはもちろんのこと、実は元より『黒の魔法師』が放浪から帰ってきたかと思うと、元から弟子であったルーウェン殿のみではなく少女を連れて帰ってきたということは聞いていました」

「何だ、知っていたのか」

「ええもちろん。わたくしだけではありません、貴方は常に注目されています」


 面倒くさい話題だな、という言葉は聞こえなかったが一瞬そんな空気がジオから出た。この人は人混みも嫌いだが、こういう話も好まない。

 わずかな変化、わずかな範囲でのことだったが、それに気がついてか女性は微塵も表情は変えなかったが話題を戻す。


「話が少々外れました。貴方とルーウェン殿のことを必要以上に考え併せるつもりはありませんが、この子の素質は十分のようですね。分かりました、預かりましょう」

「そうか」

「詳しい実力及び必要知識の有無は分かりませんが年齢に相応しい学年に編入することも可能でしょう」

「そうか」

「ですが、当の本人に話を通していらっしゃらないと見受けます」

「あー……まあ」


 ちら、とアリアスにジオの視線が降りてきた。


「師匠、話が読めません」


 読めない、というか一気に途中で話が飛んだ気がする。順序についていけなかった。

 じっと師と学園長なる女性の会話を追っているばかりだった――そうするしなかったアリアスはやっと口を開ける機会がやって来て正直に説明を求める。

 やっと聞ける。どういう状況であるのか。


「城にいるばかりで同年代と触れあっていないだろう。行ってこい」


 求めていた分かりやすい説明は降ってこなかった。

 だからアリアスは付け加えられたそれ含め流れを整理して自分で理解しなければならないこととなった。

 行ってこい、とはさっきから話に出ていてさらにはこの場にいる人のことを考えるとひとつで。

 学園長。学園。同年代。預かる。編入……。

 編入?


「編入……?」


 考え込んだアリアスはぽつりと重要だと思われたことを呟いた。ジオは頷いた。

 口に出したことが正しいということ。アリアスは次いで具体的に考えが正しいのかを問う。


「私が、王都の魔法学園に行くんですか?」

「そうだ」

「どうして、こんなに急に?」

「ん、お前の歳を思い出してな」


 歳って急だな。

 しかしながら、歳が歳だとはいえ、魔法学園に行っていなかったのはルーウェンもだったのではないのか。


「ルーは半ば騎士団に混ざってる状態だったからな」


 その思考を読んだ、予想していたとしか考えられない付け足し。

 ああそうだった。兄弟子は騎士団に正式に入る前から騎士団に混ざっていたのだったか。とアリアスはひとつの事実を思い出す。


「お前もそろそろ進む道を決める歳だ。考えてきてみろ、どうしたいか」


 師は、珍しくとても『師匠』らしいことを言った。

 歳、とはそういうことか。魔法師の成人は基本的に十八とされる。アリアスは十六だ。その歳まで、あと少しなのだ。

 アリアスは師の紫の目と目を合わせて、考えた。


「これは師匠が、」

「そうだ、頼んだ」


 預かりましょう、と女性は言った。それはこちらが申し出ていないと出ない言葉だろう。このジオが、頼んだという。


「別に俺は今のままで構わんと思うが、うるさいのはいるからな」


 師は自分のことを考えてくれていたのかとちょっと何だか感動に似た驚きという言い表し難い感情を抱き始めていたのに、その一言で台無しになった。ぼやきになったことから本音じゃないかと勘ぐってしまいそうになる。


「ま、だが考えなければならん歳にあることは否定しない。編入にしては中途半端な時だが考える手助けにはなるだろう」


 それはもう、ほぼ決定事項のようだった。

 あまりに急だった。呼ばれたら、いつものような用事かと思っていると全く異なった。思いもよらぬことだった。

 が、考えてみると目的としては当然のことであった。

 アリアスは漠然と、自分は魔法師になるのだと考えていた。環境上、そうだろう。

 けれど、魔法師の中にも種類が、異なる役目がある。

 自分は、どうしたいのだろうか。

 初めて、ではないか。師にこんなことを言われるのは。そんな兆しが一切なかった。でも問われてみて、真面目に、具体的に考えなければという思いが強くなった。

 別に、師の元を離れたいとか思ったことはなかった。それが当たり前の生活だったから。でも、こんなにも魔法師に身近な生活をしていて自分の行く先を明確に考えようとはしていなかったのだ。

 考えてみたいと思った。そしてそれに適した環境に身を投じることが出来るのならば、


「……師匠が部屋を散らかさないのであれば」


 行かせて頂きます。とアリアスは言った。

 けれどきっと師はこの部屋が散らかっても自分では掃除しないだろうから。思いついた気がかりは隣の師のことである。

 無表情と言ってもいいほど表情の薄い師はやっぱり表情は変えなかったが、どこか苦い空気を出した。


「貴方様という方がお弟子にかかるとこうですか」

「何がこうだ、放っておけ」

「失礼致しました」


 王都の学園の長が微かにではあるが向かい側で笑っていた。

 口角が上がると一変、優しい雰囲気になるのだという発見をアリアスはしたが、あっという間にそれが通常なのか固いものになる。一見すると怒っているように見えるのだが、そうではないことをアリアスは早くも悟った。


「話はまとまったようですね」

「そうだな。そういうことで、頼む」

「頼む、とは貴方にそう言われるなどとは思いもよりませんでした」

「ドローレス」

「本当のことです。アリアスさん」

「は、はい」


 再びの交わされるやり取りからまた突如呼び掛けられた。


「学園において貴女の研鑽を期待します。そして、その過程で貴女が将来を見つけられることを願います」

「はい。――よろしくお願いいたします」


 アリアスは立ち上がり、頭を下げた。


「まったくルーウェン殿にされてもこの子もだらしのない節のある貴方の弟子とは思えないほどきっちりとしていますね」

「ルーもアリアスも元々だ」

「それは納得致しました」

「今日はよく無駄話をするな」

「こうして貴方と会う機会はそうありません。今回におきましては大層お弟子を――」

「ドローレス」

「大事にされていらっしゃる様子で驚きました」


 一転して異様な、固い空気が流れた。ジオとドローレスの間に、だ。

 それはとてもわずかな時間。空気を霧散させたのは王都の学園の長で、彼女はこれもまたきびきびとした動きで立ち上がる。


「では、早速お預かりしていきます」

「……え?」

「今からか。ま、早くて困ることはないからな」


 あなたがそれを言うか。つい先日も寝過ごしていた師に似合わない言葉すぎてとっさにアリアスはそれに気を取られた。だがすぐに状況を理解する。

 早速、と言いながら立ち上がりアリアスの手を取ったのは学園長。

 まさか、今から……? アリアスは取られた手を見下ろしたあと、ジオを振り返る。


「ルーには俺から言っておく」

「そういうこともありますけど、そういうことじゃなくて……、」

「卒業までいることはないが、しばらくは帰ってくるな」

「そういう言い方しないでくださいよ!」

「冗談だ。だが、しばらくは根を上げるなよ」

「上げません!」


 やっぱりそうか。と思うジオの返答。自らはソファに座った状態での言葉は肯定のもの。

 今から学園に行くのか、まさか、と思っていたアリアスはまさかの可能性を状況と言葉で肯定されてますます驚くばかりだ。

 けれども、冗談だと言っているわりに冗談に聞こえない声音でしれっと気がつけば何やら話が脇にそれるようなことを言っていた師。彼はにわかに何を考えてか立ち上がった。

 伸びてきてぽん、と大きな手がアリアスの頭に乗せられる。珍しい、彼にこうされるのは。いつぶり、だろうか。

 アリアスは思わず言い返すことを止めた。

 手と、腕で隠れてしまった師の顔。

 気配では、師が笑った気がした。けど、手が退けられあらわになったらやはりジオは通常通りの表情がないと表することのできる顔だった。


「しばらくの間だ」


 それはジオが自分を卒業まで預ける気がないということか、それともしばらくたてばまあ戻ってきてもいいんじゃないか的な意図での言だったのか。もっと別の意図からなのか。

 アリアスが問う暇なかった。


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