第4話 どこか似通った反応
今朝も開かれた会議から
「地図は……どこにやったか」
「あれのどれかだと思います」
部屋を見渡したジオの言葉にルーウェンが素早く応じて壁一面の本棚のひとつに近寄っていく。そこにはいくつも巻かれた紙が乱雑に入れ込まれており、その中をぺらぺらと確認してそれほど時間もかけずにひとつを引っ張り出す。
その間にジオは上着を脱いでソファの背に雑にかけてから先に座っていた。
その前のテーブルの上にルーウェンが持ってきた紙を広げ、彼もまた向かいに腰かける。
「それにしても場所が悪い」
広げられたのは地図で、グリアフル国とその周辺が描かれた地図を一瞥したジオは呟く。それと並行して少し離れたところにある執務机の引き出しのひとつがひとりでに開き、中から小箱、さらにその中からはただの小さな石が何個か出てきてそれらが地図の横に着地する。
「今病が各地――といえども方位としては一定の地で広まり、そこを避けて行くとすればここになる」
ふわ、と石のひとつがジオの言葉と同時に地図の脇から動いて地図の上に乗る。乗せられた地はまっさらで名前だけが一行記されている。
――『荒れ果てた地』と呼ばれる地がある。正式につけられた名前は他にあるのだが、あまりに荒れ何もない地であり、グリアフル国の端にあることから通称である方が広まってしまっている。
木も花も草一本さえ生えない。植物というものが生きることが出来ない。動物も近寄らない。冬には雪が降るのにも関わらず、どれだけ気温が下がろうと霜さえおりず雪は決して積もらない。
「いわくつきの地になったのは、一重に『こちら』と『あちら』の境目の封じられている地だからだ。わずかと言えど地を荒れさせる魔法がいつからか短くはない時、漏れているのだろうな」
「ではやはり病が急激に発生しているのは」
「そうだ、おそらく病の広まりもまた誘導。その地で戦争するためのな」
ルーウェンは地図をじっと見つめて黙りこんだ後、
「アリアスの耳に入るのは、時間の問題でしょうか」
「そうなれば、鬱ぐだろうな」
流行り病にしろ、戦争にしても。
ルーウェンはその青空の目を少し曇らせる。その知らせが彼の大事な少女を悲しませると容易に想像できたからだ。
「ま、病があるのは国境方面。まだ王都に届くのには時間がまだある。それは俺に任せておけ」
「何か手があるのですか」
このことに関して? と言いたげなルーウェンを前に、ジオは表情を変えず足を組んで頷く。
「完全に情報を止めることは出来んが、遅らせる方法ならある。だから気にせず戦争に集中しろ。それこそお前の身に『何事』かあればあれは悲しむ」
「――はい」
国中の民はもちろん、妹弟子も例外なく不安にさせる出来事がやって来る。ジオがどうにかすると言うのであればルーウェンが疑うことはない。彼がそのことに関して出来ることは皆無と同等だからだ。
ただ、騎士団の団長としてやらなければならないことが多くある。国を守るために全力を尽くす、それが第一だ。それは、大切なものを守ることに繋がるのだから――。
ルーウェンは目はまだ少し曇らせたままだが、しっかりとした意思宿る目となって師を見返す。
「もちろん分かっています。俺は護るために騎士団に入りましたから、そのためなら全力を尽くします」
「そうだったか。昔のことは知らん」
「師匠にとっては少し前のことなのでは?」
「俺は一年前のことを思い出すことも億劫だ」
頬杖をついたジオはそんな弟子に本当に億劫そうに言葉を返し、視線だけを地図に落とす。
「そのことが分かっているのならいいが、それはともかくあの地で戦争が行われれば、」
この様子ではほぼ確定だがな、という言葉が挟まれ続けられる。
「『あちら』の魔法が侵食している濃度によれば多少魔法が使い難くなるかもしれん。綻び具合が気になるが……何より、竜には最悪の土地だ」
グリアフル国が周辺の国々の中でも戦力が秀でている理由のひとつともなること、それが騎士団の竜の存在である。
その数は人の数と比べてしまうと微々たるものだが、ほとんどの魔法師と比べることが下らないくらいに魔法の力が強い。竜の炎は魔法を溶かすが、それだけの用途であるはずはなく、どのように固く頑丈な鎧であろうとも人もろとも跡形もなく溶かしてしまう代物――騎士団の竜の持つただひとつの魔法にして、最大の武器なのである。
そんなものを敵の頭の上を縦横無尽に飛び回り放つことが――無論、鋭い爪や牙で刈り取りなぎ倒すことも――可能であるのだから、戦力にもそれはなる。
否、可能であるのなら。今回の戦に関して、その手段が使えないかもしれないという。
「竜の巣の地面に埋め込まれていた魔法石に込められていたのはこの地に宿る魔法とはまるで正反対のもの。それが『巣』であるあの場に充満していたために竜はそれを受け付けずに弱っていた。さっき言ったように土地の特性上、それと同じ事が起こる可能性が極めて高い」
体調を崩すことなど稀、そんな竜に飛べないほどの異変が起きたそのとき竜の寝床からジオが回収した真っ黒の魔法石。それには魔族の魔法力が強く込められ、周りにそれを発していた。
「魔法師の多少の魔法の使い難さはいいが、竜の方は対処をしておかなくてはならない」
「そうですね。それは巣で行ったように俺の結界魔法でどうにかなりますか?」
「十分だ。と言っても、それしか方法はない」
かつて地を荒そうとした邪悪なものを竜と共に追い払った『人』。人によって使われたという結界魔法はまさに魔族とは対極と言ってもよいほど。
ゆえに、
「魔法石の準備は俺が話を通しておく。この後騎士団の会議だろう」
「はい」
「俺が口を挟むのも何だが関わっているものがものだからな……地の状態の詳細が不明だ。その地に実際に行ってみなければ分からん、が、竜を頼りには出来ないと考え戦略を立てた方がいい」
竜は余程のことがない限り温存しておくことになるだろう、とジオは念押しのような言葉をルーウェンに言った。
「重々承知しています」
師の言にルーウェンはしかと頷き理解と了解の意を示した。
騎士団の会議に出席するルーウェンが部屋から出ていってから地図をくるりと魔法で巻き取り戻したジオは静かに目を閉じていた。
その部屋の中だけ時が失せてしまったがごとき時間が過ぎ、ジオの瞼がおもむろに動いた。紫の色が現れすい、と動く。
「そろそろだったか」
彼が視線を向けた窓の外に広がる、白い雲が途切れ途切れに散らばる空には鳥が円を描き遥か遠くを飛んでいる。
「俺から言っておいて……面倒だな」
言葉が終わってしばらく、コンコンとドアを叩く硬質な音が響く。
物音を微かにもさせずに立ち上がったジオはドアへ向かう、かと思いきや……執務机へと近づいて引き出しのひとつを引く。その中に入っていたのは鈴。それをジオが取り出したすぐあと白い光がほんのわずかばかりに鈴を持つ指に灯った。
*
「アリアス、ゼロ団長が相手って本当なの?」
アリアスはテレナに……簡単に言い表すと、絡まれていた。肩に満たない長さの短い髪型の女性魔法師はアリアスの立っている横にしゃがみこんで話しかけてきている。
こそっと入ってきてこそっと小声で話しかけてくるという全体的に人目を避けているみたいにこそこそしているのはなぜなのだろう、とアリアスは思っていたところだったが小声でのその内容に下を見る。
「テレナ様、どこで、」
「クレアよ」
出された名前、クレア、というのは木の幹を思わせる落ち着いた色合いの髪と雰囲気の、治療を専門とする魔法師であり、普段は医務室にいることが多い女性である。その彼女はアリアスの足元にしゃがみこんでいるテレナと王都の魔法学園時代からの友人で、また同期であったらしく互いに少し異なった分野に就いても定期的に会っている様子。
で、先日ひょんなことから話の種となったそのことをクレアから聞き出したのだろうか。
「昨日聞き出してもういてもたってもいられなかったのよぉ」
「そういえばテレナ様、仕事は……」
昨日聞いたのか。いてもたってもいられなかったとは……そもそも今は仕事中ではないのだろうか。アリアスの中に少しだけ芽生えていた疑惑が育つ。
「休憩よ!」
「自主休憩ではないですよね」
「も、もちろんよぉ?」
声が浮いた気がするのだが、気のせいか。アリアスが何気なく返した言葉は図星だったのかテレナは一瞬あらぬ方に視線をやったが、すぐにびし、とこちらに人差し指をつきつけてくる。
「それよりも!」
「はい」
「ゼロ団長との関係は本当なの!?」
「……えぇと」
戻ってきた話題にアリアスは口ごもる。本当なのか本当ではないのかと言われれば……。けれど、自分で言えという状況にされるとこれは……照れる。
「本当ですよ」
「そ、ソフィアさん」
退室していたソフィアがいつの間にか戻ってきていて、アリアスの近くを通り過ぎながら代わりに返答していった。顔を赤くしつつあったアリアスが驚いて見ると、ソフィアに微笑みを返される。
「う、嘘。あたしのアリアス……」
「テレナ様!?」
頭を抱え込んでしまったテレナに気がついてアリアスは慌ててしゃがむ。
「こんな照れ方するなんて……」
「大丈夫ですか?」
「だってアリアス本当じゃない」
今度は見上げると、ソフィアが作業をしながらどこか芝居かかった動作で肩をすくめて言う。
「あんな場面を目撃した私はいつまでも自分の中だけに留めおけないのよ」
「ソフィア詳しく……でもちょっと待って事実を飲み込みたい、事実……ああゼロ=スレイ許すまじぃ」
「落ち着いて、落ち着いてくださいテレナ様。あんな場面て何ですか、ソフィアさんは誤解を招くような情報は、」
「おもしろくって」
うふふとソフィアはこちらを見ておかしそうに笑った。楽しそうなのはいい――良くはないか――のだが、それによる影響がどうも予想以上である。それにあんな場面って結局何だ。言葉を意識的にぼかすといいように聞こえない気がする。
「何でクレアはあんなに冷静だったのよぅ」
「テレナ様、あの、聞こえてますか。……ソフィアさん」
「アリアスそんな情けない声出さないで、落ち着いて。でも、私もここまでとは思わなかったわ。テレナさん、しっかり」
ぶつぶつと呟くのみで反応をまるでしてくれないテレナにアリアスはお手上げで、ソフィアに助けを求める。おかしくなった、と言わんばかりに。
そこでやっとふざけていたようだったソフィアが目を丸くして腰を曲げてテレナに声をかけ始めた。
「大丈夫ですよ。私が見たところでは問題なんてないどころか、」
「聞きたくないぃぃ」
「これは重症ね」
「ソフィアさん諦めるの早すぎますよ」
「そうだけど、仕方ないじゃない?」
「でも!」
「でも?」
耳を塞いでしまったテレナを挟んでソフィアと話している最中、ばっとテレナがいきなり勢いよく顔を上げた。その言葉をソフィアが聞き返した。しかし、それをよそにテレナはアリアスの方を向く。どうも言葉の続きはこちらに用があるみたいだ。
「でも! アリアス困ったことがあったらいつでも、いつでも言うのよぉ」
「ぅ」
勢いよく抱きつかれて、アリアスは床に尻をつけてテレナをどうにか受け止めることになった。
なぜだろう、収集がつかなくなってきた。
けれど、そんな中。
「――困ったことは、ありませんよ」
アリアスは笑う。本当に困ったこと、ということはない。
テレナが「いつでも困ったことがあれば」という言葉にクレアのそれを思い出す。城に来たばかりのとき出会った彼女たちは、ルーウェンが『兄』のようであれば『姉』のようでこの状態での言葉であっても素直に嬉しくなる。だから何気なく自然に言われたそれに「ありがとうございます」とも付け加えた。
「そういえばこの前元気なかったけど、それは解決したの? アリアス」
「はい。……すみませんでした」
「いいわよ、どうもないなら」
「……あたしは小さな頃からアリアス見てきたのに、ゼロ=スレイぃ、」
「て、テレナ様?」
なぜだかぶり返したそれにアリアスがさすがに戸惑っていると、リリン、と涼やかな音が響き落ちた。
一拍おいてから、目を一度瞬き「師匠だ」、とアリアスは呟き震え鳴った鈴のついている腕輪のある腕を上げた。
「テレナさんいらっしゃいますかー? 姿が見えなくて困ってるんですけど、いたら直ちに引き渡して頂けるととてもうれしいです」
ほぼ同時にテレナのサボりが発覚した。
だがこの様子のテレナをどうしたものか、とアリアスはドアの方を見たはいいが思案しながらソフィアの方を窺った。
「しばらくすると収まるんじゃないかしら」
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