第18話 気がかり
南部のとある地域では治療団が奮闘していた。
「うぅ……」
部屋の限界まで用意された寝床の上には、大勢の人が横たわって並んでいた。治療をするために用意された建物すべての部屋が、本来の役割ではなくても病室として使われている。それほどまでに流行り病にかかってしまった人が多い。
どの部屋に入っても共通するのは苦しさに呻く声。
耳にしすぎても慣れない。
「飲んでください」
くぐもった声でアリアスは一人の元にしゃがみこみ、言った。手には濃い緑色の液体の入った小さめの器。同じ器は傍らに置いたトレイの上にもあり限界まで並べているが、すでにそれらは薄く緑が付着している程度で空っぽの器だ。
もう何十回、何百回になろうか分からないこれを続けている。横たわっている人が薬を飲めるように最低限起こして、症状の度合いによって異なる薬を一人一人に飲ませている。
「げほっ」
病により止まらない汗にまみれている顔が苦しげになった。アリアスはむせてしまったその人の背中を擦る。手には手袋がはめられている。
その手で擦り、目が一瞬部屋をさ迷った。同じことをしている魔法師、治療士が部屋の中にばらばらに。
飲み終わった人に片手で触れ、持った魔法石から魔法を引き出し注ぎ込む。すると身体を起こして疲れが加わってぐったりした患者のついていた息が、心なしか緩く。
そのまましばらく。アリアスはトレイを持って立ち上がった。
自分達の病感染を防ぐために治療要員は全員、ほぼ一日中鼻と口は布で覆っている。そのため声はくぐもりがちになり、呼吸は少々不自由だがもう慣れた。それよりも息をつく間もないほどに忙しく、身体は暑いほどに温まりそのせいで息苦しさが増すことに注意しなければならないくらい。
部屋を出ても布を外すことはなく、治療要員が最も多く出入りしている部屋に行くとすぐに手元の器がトレイごとかっさらわれる。
「薬草足りない! ここのなくなったら在庫から持ってきておきなさいって!」
「追加の薬できてますか!」
「あんたこれ持っていって!」
すぐ外で薬を作っているので飛び交う声が耳に入る。
治療団が持ってきたのはすでに煎じてある薬が何割かを占めていたが、残りは薬草が占めていた。すぐに使うために煎じ済みの薬を所持してきたわけで、そこからは現地で作るという形だ。
ゆえに、ここはひどく目まぐるしい。多くの時間を過ごす病室の人々の息づかいや呻き声は力なく、それ以外の声は小さいものだから余計に。
目まぐるしい最中、アリアス目の前の光景が消えた。
「アリアス、大丈夫?」
「クレア様……」
そのあとに現れたのはクレアで、布でアリアスの顔を拭いてくれたのだ。汗をかいていたのだろうと思う。そこまで気が回っていなかったアリアスは拭かれてから気がついた。
城の医務室に属するクレア。彼女もまた治療団の一員として国の南部にいた。
布で覆われている顔の中で、数少なく露な部分の目がアリアスを見つめる。
「少しは休んだ?」
「はい」
前もって情報は入っていたけれど、南部での病の広がりようは予想以上だった。重く、感染力が強め。最悪の形の病だ。
これも前もって聞いていたこと、出ている死者の数もおびただしいものだった。
病も種類によっては魔法で完治させられる。
たとえば軽い病は魔法で治すことができる。
しかし重い病、特に身体に染みつきすぎた病を治し切ることは難しいとされる。現在魔法師の最高位にあるレルルカは治療系の魔法の随一の使い手であるのでどのような重い病でも治してしまうという。どのような、というのはさすがに虚偽が含まれているかもしれないが、おおむね合っているだろう。
が、彼女がいたとしても一人では限りがある。異なる場所に同時に現れることは不可能であり、レルルカは最高位の魔法師ながら自ら治療団に参加しているが現在こことは異なる場所にいる。
「治療魔法には濃淡がある」ととある魔法師が表現したことがあるという。
たとえば攻撃魔法であれば単純にぶつかり合えば力の大きな人がそのまま勝つ。
しかし治療魔法に優れた人というのは魔法の力が大きいということも必要な条件であるが、それだけでは治療魔法に優れた魔法師とは呼ばれない。
大きな力を目一杯注いでもその人の身体が耐えきれないということが起きる可能性がある。だが治療魔法に優れた魔法師は単に魔法の力を多く注ぐのではなく、濃密な魔法を注ぐのだ。
言うなれば、量より質。いくら薄い薬湯を飲ませても効果は薄まるばかりなのだから。
レルルカや彼女に次ぐ魔法師たちは治療魔法が使え魔法の力が大きいだけではなく癒しの魔法の濃度が濃い、「治療魔法の才覚」がある魔法師たちなのだ。
クレアもまた、その中の一人でこの地では「主要戦力」として動き回っていた。だから、
「クレア様の方がお疲れのはずです」
「大丈夫。回復しながらやっているから」
城に保管してあった治療系の魔法の込められた魔法石や新たに城に残る魔法師たちに魔法を込めさせた魔法石を持ってきて、治療の助けに使っていた。
まず病にかかりはじめの一番軽い症状の人を魔法で治してしまう。その上で新たな感染者を出さないためにすでに病にかかっている人たちとの接触を断つ。
少し病の進んでいる人たちにも薬と魔法を併用して治していく。それより重い症状の人たちはまず魔法である程度回復をはかる。
その重い症状の人たちの担当が優れた治療魔法の使い手たちだった。彼らは魔法を使い、使い、最も疲労していることになる。魔法力が枯渇すると身体も疲労を覚えるので、魔法力を魔法石から補給し身体の疲労も回復し……本当の限界が来る前まで彼らはやりつづける。そういう人たちに限ってとてもタフだ。だからこそ、なのかもしれないと思うほど。倒れかけた人もいた。けれど病にはかからない。気力がそうさせているのかもしれない。
他の治療要員の中でも病にかかってしまった人たちがいるものの、病状がそれほど進むことにはなっていない。今のところは。
少なくともこの地に来た治療団の中は荒療治だった。すべてが。
「それに私はさっきまで休んでいたから」
休むといっても数時間のはず。
確かに柱として動いている人たち以外よりは休んでいるかもしれないけれど、必要だから。魔法の質を下げないために。
クレアは城の医務室で見るような、声に感情が乏しいことあって普段のように見えた。彼女は強い。
「それに、最初の目的はほぼ果たせている」
「そうですね」
どうやっても今以上の広まりと重症化を食い止めることが一つの目的だった。最大の目的は、病の収束だ。
部屋は重症患者と病が進んできた人たちで分けられている。病が進んできた人たちの中でもまた大まかに分けられ、かかりはじめの人たちは別の場所で対処している。
患者はもう急激に多くはならず、病にかかっている人たちも回復の兆しを見せる人が多くなり、治った人もいる。
「前は戦争と同時期だったから、大変だったみたい。薬はともかく、魔法石や人員はどちらにも回さなければならなかったから。今回は細かく各地域に人が回せている」
「一気に対応ができるということですよね」
順に巡るのではなく、各地に応じて人数を派遣し一気に病を収束にかかる。
深刻な病にかかっている人が多い、より重度の高い地域に優れた魔法師たちを。レルルカが行っているのは一番深刻な場所だったはずだ。ここからも近いといえば近い。二番目がここ。
二年前の際は今回とは別の大変さがあったと城で治療団の集まりがあったあと、当時実際に行ったと思われる魔法師が話していた。
怪我人がでる戦争、収めなければ広がる流行り病。
戦争には負けるわけにはいかない。言うまでもなく多大な人が投入され、流行り病も収束しなければ戦地に至っては冗談にならない。
魔法石はそのときは戦地に多く持っていかれたと聞く。
けれども今回は魔法石は各地域にばらつきあるものの重度の高い場所には多く支給されるので、思ったより早く回復の兆しが来はじめているのかもしれない。レルルカも、それから傍らにいるクレアも二年前は戦地に行っていたはずだ。
「でもクレア様……」
気がかりなことがある。ここにきて正確にどれくらい経ったかアリアスには分からない。気がつけば外は暗く、朝でも薄暗く、時間の感覚が失われたよう。
状況の変化だけが時が経ったことを感じさせてくれている。
けっこうな日が過ぎている。このまま行けば新たな感染者は完全にいなくなり、回復している人や回復に向かっている人たちは病が治るだろう。踏ん張りどころだ。
しかし。
アリアスは気がかりを口に出すことをためらって止めた。
「薬足りるのかしら。魔法石も……」
クレアではなく、アリアスでもない。誰かが近くで呟いた。
物資が尽きるという恐ろしいことになったときが怖い。薬草は無限にあるわけではなく、そこらに生えているわけではない。魔法石は特に。
予想以上にそれらを消費しているように思えるのは気のせいではないようだ。
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