第14話 本当の理由
城の雰囲気は、ものものしかった。
戦争だ。戦争の気配が、空気がある。情報がおぼろげな学園の何十倍もの濃さであり、肌を刺すようだ。
戦争。
出軍。
アリアスが知らない内に、彼らが戦地に行ってしまう。
恐怖。
不安。
慣れた通路をアリアスは走った。とにかく走った。学園長はまだいると言ったが、早く早くと気が急いて仕方がなかった。
迷わず一番に足を向けたのは、やはり師が余程のことがなければ必ずいる城の彼の部屋。塔の部屋に移っていなければ、そこに違いない。
師の部屋がある通路には人気が全くなかった。これはいつものことだ。部屋の前に着くやいなやアリアスはノックもせずにドアを開く。
「……アリアス?」
部屋の中にいたのは二人。師と兄弟子だ。
素早く反応したが意表をつかれた表情のルーウェンもいたことに安心する。
「どうして。……いや、学園はどうしたんだ?」
表情が変化し、緩く浮かべられた笑みは以前からのものと違いはない。そういう風に見える。彼がそういう風にしている。
執務机を挟み立っていたルーウェンは机から離れる。入ってきたものの何を最初に言うべきか頭の中にありすぎてまとまっていないので、必然的に黙り込むことになっているアリアスに優しく問いかけながら歩み寄ってくる。まるで、日常の一部のなんてことない問い。
「医療科に入ったんだったなー、学園生活は楽しいか?」
「……」
「制服、似合ってるぞ」
兄弟子に怒りを覚えたことなんてここ数年ない。でも平素ならいざ知らず今ばかりは怒るきっかけにならないはずのその言葉に怒りに酷似した、いくつもの感情が複雑に絡み合った感情が芽生える。
優しい声に、今ここにきても普通の話題に。優しさを感じないわけではなかった。だが――
「――ルー様、私に手紙書いてる場合じゃないじゃないですか……」
あれだけの量があって、戦争を欠片もにおわせなかった手紙。数日に一度送られてきている手紙。
やっと出すことができた声は震えていた。すぐそこ、アリアスの前にまで来ていたルーウェンが足取りを鈍らせた。
見上げた兄弟子はよく晴れた日の空の目を一度揺らした。そのせいか、笑みの印象が変わる。悲しげなそれに。
「ドローレスか」
口を閉じた兄弟子と入れ替わりにしたのは、確かに苦々しげな声音だった。
声の主はすぐに分かった。執務机の向こう側にいるジオだ。
無表情な師はアリアスが学園にいるはずなのに学園を出てこれ、ここまで来ることが出来た許可者及び協力者にすぐに当たりをつけた。
胸騒ぎに駆られ向かった先の学園長室で聞いた話を思い出し、アリアスは今度は師に向かって言う。
「どうして、どうして話してくださらなかったんですか? なんでわざわざ学園に行かせたんですか、情報が入り難い、場所に」
わざわざ。偶然か、違う。それはもう分かっていること。わざと、だ。
ドローレスは言った。戦だからと頼まれたと。だが、最後には単に戦だから預けたのではなくその気配すらも隠したかったのではないか、あるいは関連する他のことを、と推測していた。
「私に将来を決めさせるためなんて嘘ですよね歳を思い出したから急だったとか。戦争のことどうしてそうまでして隠してたんですか、それに……流行り病も、流行り病だから、ですか……!?」
息継ぎは上手くできなくて、言い切ると少し息が切れていた。
師は表情を変えなかったが、兄弟子はもう笑顔ではなかった。
「嘘ではない」
「でも、」
「聞け」
ジオの声は有無を言わせぬものになってアリアスは口をつぐむ。
「大体いつまでそこにつっ立っている。ドアを閉めて入れ。ルーも動け」
くいと顎でソファを示したジオ。
並行して、彼の前では机から浮き上がった大きな長方形の紙がくるくるとひとりでに巻き上げられていく。
それを一瞥もすることなく、ジオはさっさとソファに向かいどかりと音がしそうに座る。
突発的に高ぶった神経が落ち着いてきたようなアリアスは師の機嫌が悪いかもしれないと思う。服装は
もしや学園を飛び出してきて怒らせてしまったのか、と決意固めてやって来たのに近づくのをためらってしまいそうだ。
「アリアス、おいで」
「……ルー様」
足を動かせないアリアスはルーウェンに手を差し伸ばされ、昔から自分よりも大きな手を反射的にとった。
触れただけのような、そのままソファに誘導されて隣り合わせで座る。
ジオはアリアスの向かい。
足を組んで肘かけに腕を置き、指先で叩いていた。
「以前、お前を学園にやることは考えたことはあった。今回この機会を利用しようと思って行かせることにしたまでだ」
譲らぬ主張にアリアスは口を開く。
「全部話すから聞け」
だがやはり、その声に押し止められる。
「お前の言うとおり、戦争と流行り病は事実だ。ドローレスにどのくらい聞いたかは知らんが、将来を見定めろというのは二の次。それらの情報をお前の耳に入るまでの時間稼ぎが目的として学園に入れた」
隣のルーウェンが言葉を引き継ぐ。
「城にいると、戦争の気配は一番感じてしまう。情報が集まり軍も活発に動くからな。だから、そうさせたくなかったんだ。それに流行り病のことは出来るだけ耳にいれたくなかった」
そして、ジオが視線をいくらかどこかにやって、呟くようにそれを明らかにする。
「流行り病と知ればお前は鬱ぐだろう」
――十年ほど前、アリアスはジオに拾われた。
それは当時アリアスがいた小さな町が、人々が重い流行り病に侵され為す術もなく死んでいってしまったことによる。
それは長い、とも言えるほど前のことなのに思い出そうとすると胸が塞がる思いがする記憶だ。
アリアスは父と母を、周りの人々を、大切な人々を奪っていった『流行り病』は大嫌いだ。
そのとき会ったジオやルーウェンはそれを知っているから……。
「……」
流行り病のことを聞いて、情報と考えの断片を繋ぎあわせたときにそうではないかと考えはしていた。
けれど、本当にジオが学園への編入を頼むまでしてすることかと、思って……。
出すべき声は、喉に張り付いていた。
戦争と流行り病のことを耳に入れないように、それゆえに学園に自分を行かせたのだ。表向きには色々ならしい理由を張り付けて。
簡潔な説明に絶句した。
「言っておくが、学園に通わせることを以前考えていたことは事実だ。二の次とはいえ将来のことを考えさせようと思ったのも事実だ」
「……それっていわゆるついでじゃ……」
「悪いか」
なぜここで子どものようになるのか。
「文句は認めん」
こんなに自分のことを考えてくれてそうしてくれたのだ。
でも――アリアスは嬉しさとかいうことではなく異なる意味で泣きそうになる。
「戦争がじき始まる。俺もルーも戦地に行くことになっている」
ここにまだ二人がいるのは、ルーウェンは竜で戦地に向かうからでジオは魔法でひとっ飛びする予定だかららしい。
その事実が改めて本人から突きつけられる。
「アリアス、お前はどれに憤っている」
戦争を知っていたのに流行り病も知っていたのに、むしろ知っていたからこそ隠してさらにはアリアスが知ることを遅れさせるために学園に入らせたこと。
もしくは――
「アリアス、」
「なん、ですか? ルー様」
「アリアスが帰って来た理由は、」
彼の青の目は、とても深い色でアリアスを覗き込んで、
「一番は黙って行こうとしたからだろう? 知らないままに発とうとしていたからだろう?」
奥深くに沈んでいるそれを、的確に当てた。
目にこみ上げてくる熱いものを反射的に抑えつける。
戦争のことを隠していた――言ってくれればよかったのに。
流行り病のことも――どうせ耳に入るのに。
どうせ、耳に入る情報が隠されていたことに不満だった。本当だ。本当なのだ。
そんなに気を使わなくていい。ジオがわざわざ学園に編入出来るように頼むのだって、彼らしい行動ではない。
気を回さなくてもいい。
知らない内に、彼らが戦地に行ってしまうくらいなら。
そのことが、もしも後から耳に入ってきたときに予想される、予想もできない恐怖に比べたら。戦争が近づいてくる不安にだって、流行り病に張りつく嫌な記憶だって耐えられるのに。
アリアスはそう思った、けれど、それを知った上で為されたのだ。どうしてこうも上手くいかない。互いが考え思っていることはある角度から見ると正反対だったのだ。戦争準備で忙しいだろう最中にすることではないではないか。
八つ当たりだと、わがままだと分かっているから、これだけをせめてもと口にする。
「……それ、分かってて、なんでしたんですか……」
「ごめんな」
部屋に入ってきて安堵した。
けれど、発ってしまう。
「あの情報を隠せば、それも隠さずにはいられなかったんだ」
アリアスは目をゆっくり閉じる。どうしようもない現実を飲み込んでしまうために。
何かの拍子で目から落ちてしまわないように。
「アリアスが悲しむことにはならない。国の人々も、そうなるようにしてくるから」
忘れてはならない。
ルーウェンは青の騎士団団長だ。
ジオは最高位の魔法師だ。
それを、忘れてはならない。その役目が何たるか。この状況下を忘れてはならない。
「決して一人にすることはないから」
恐怖だ。一人になることは。
幼いとき、目の前で親しかった人たちがいなくなっていったとき、一人になりそうになった。
けれど、どうせ行ってしまうにしても、行って欲しくないと言うことが出来なかった。昔から困らせ迷惑をかけていた兄弟子を今になってまで困らせたくなかった。
言うと彼はすごく困る。アリアスが言わなければ困らない。
子どもではない。子どもは止めなければならない。
「もう少しだけ辛抱してくれるか?」
おもむろに目を開いていくと同時にぐっと唇を噛んだ。内側を。なるべくばれないように。
言葉も、何もかも抑えるために。
兄弟子が同じように、けれども彼はアリアスより強いからアリアスとは異なるものを我慢しているような表情になっていたから。
「約束、ですよ」
「約束だな」
震えそうになると自覚したので声も十二分に意識して慎重に出した。
気がつかれなかった、とアリアスは思いたいがルーウェンは優しく答えてくれた。
それこそ子どものときと変わらず撫でられることに、今回ばかりは子どもみたいに飛び出して来たことに間違いないのでアリアスは大人しく撫でられる。心の中ではとても丁寧な手に感じたことのない何とも言えない思いがあった。
下を向いてしまいそうになることをこらえ、視線を何気なく横に滑らせると師が頬杖をついていた。
「何だ、俺が死ぬとでも思っているのか」
「そういうこと、言わないでください」
死ぬとか。
この人は表面だけでなくて実にいつも通りだ。
「そうですよ師匠、自信満々にでも止めてください」
そうしたら師はどことなく決まり悪げに見える感じで視線をずらした。
早々にアリアスの肩をもったルーウェンはふとそうだ、と言う。
「ゼロもまだ城にいるはずだ。あいつ馬鹿なんだ。会いたくなるからってなー……」
胸が詰まる感覚。
嗚呼、自分はまだこらえることが出来るだろうか。
しかし、一目でも会いたいと思うことに歯止めはききそうになかった。
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