第13話 編入に隠された理由

 目指すのは、学園長室。

 師が編入を頼み、城の師の部屋で会ったのは学園の長。彼女であれば――


「迷った……」


 しかしアリアスは大切なことを忘れていた。いくら慣れてきて一人で移動できるようになっていたとはいえ、それは普段授業で移動する教室であったり食堂であったり図書館であったりする場所に限られていたのだ。

 学園長室なんて編入初日とその前日しか行ったことがない。

 それゆえに、迷った。

 広い学園、一度迷えば迷い続け……


「知ってる場所探そう」


 ここで立ち止まるわけにはいかないアリアスはひとまず来た道でも辿ろうかと曲がってきたばかりの角に戻る。


「……!」


 前方不注意と早足だったために誰かとぶつかった。


「ごめんなさ……、あ、」

「いやこっちこそ、あ、」


 ぶつかった相手の身長はアリアスよりも高かったので急いで見上げて謝っていると、ダメージ少なくほぼ同時に謝ってきてくれていた生徒。

 ランセだ。

 同じクラスの生徒の姿にアリアスは思わず声を上げた。対して相手もアリアスだということを認めたのか、同じような意味を為さない声を出した。

 授業終わりだからかわずかに灰色の髪が乱れている彼と顔を合わせて数秒。アリアスは厚かましいとかいうことは一旦どこかにやって、彼にすがることを思い立つ。


「ランセくん……、教えてもらいたいことがあります」

「なに」


 冷めている色彩はかなり真剣で改まった様子のアリアスを見据え返してきた。







「あの扉だから」


 ランセに頼んで、彼が予想もせぬ行き先に訝しげになりながらも二つ返事で案内してくれて三分。

 編入初日とその前日とで二度だけ入ったことのある扉がある通路に辿り着いた。

 どうやらアリアスは結構近くまで来れていたらしい。

 視線で扉を示したランセにお礼を言う。


「ありがとう、それからごめんなさい手間をかけてしまって」

「これくらい別にいい。というかイレーナに連れてきてもらえば良かったのに、なにしてるんだか」


 言い返しようもないという状態のアリアスを小さく鼻で笑ってランセは去っていった。あれはくせなのだろうか。なんだか不思議と嫌味な感じはしない。

 その背中を見送ってから扉に向かって歩き出す。

 冴えざえとした銀のプレートに刻み込まれた学園長室の文字を目にいれてから、アリアスは右手を持ち上げる。

 ノックをし、名乗るより先に、


「お入りなさい」


 中から紛れもなく学園長である女性の声が入室許可を出した。

 驚きながらも普通より重めの扉を開いたアリアスの目に飛び込んできたのは、おぼろ気に記憶にある部屋。なによりも、奥の執務机の向こうに座している女性ドローレス


「そろそろ来ると思っていました」


 本日も一筋も乱れなく髪をひっつめ、背筋を伸ばしてアリアスを迎えた彼女はまるでアリアスが来ることを知っていた口ぶりだ。先ほど名前を聞かずに入室を許したことからもそれは窺える。


「あの、」

「そこにお座りなさい」

「はい」

「紅茶はつい先ほど淹れたばかりです。お飲みなさい」


 拒否することなく、示されたソファにまで歩いていき腰かける。前のテーブルには言われた通り、繊細な茶器に湯気の漂う熱々だと分かる紅茶が用意されていた。


「……頂きます」


 学園長を目だけで窺ってみると音も立てずに紅茶のカップを持ち上げていたのとこちらをじっと見ていたので、アリアスはそう呟いてカップを手に取り香り高いそれを口に含む。

 確かに紅茶は淹れたてで、下手をすると舌が火傷するくらいに熱くて、身に染みた。


「用件を聞きましょう」


 アリアスがカップを置くのを見計らったと思えるタイミングで学園長は口を開いて、ようやく本題に入るよう言った。


「師匠が、いえ師が私の急な編入を頼んだ理由をご存じでしょうか? それを、聞きたくて来ました」

「やはり聞かされていないのですね」

「やはり、ですか?」

「ええ、やはりです。貴女はわたくしと初めて会ったあの日に初めて編入の話を聞いたようでしたね」

「はい」

「ジオ殿から編入のことについて聞いたこともあの場のことのみですね」

「はい」

「――いいでしょう。私が知る限りのことを話しましょう」


 アリアスは最後の返答の前に空白ができて居ずまいを正していた。

 学園長はきびきびとした口調変わらずに言葉通り話し出す。


「珍しくも珍しい、貴女の師から手紙が来ました。貴女に会ったほんの数日前のことです」


 曰く、


「『弟子を預かって欲しい』と」


 ジオがあの日予想もしなかったことを言い出した。学園に行ってこい、と突然。


「貴女がここに来たのは戦のことを聞いたからですね」

「……はい」

「どのくらいの情報がこの学園内――生徒の間に流れ込んでいるのかわたくしには正確には分かりません。しかし確かに今、戦がすぐそこにまで近づいています。兵の一部はもう初めの戦地となる地へと向かっていると聞いています。その戦に入ると戦地に赴くことになるだろうからと、預かって欲しいと言われました。ついでにこの機会に進みたい先を決めさせたいと。ついでが間違えていると教育者としては私は言いました」


 急だった。急だったのだ。それはアリアスからしてもであり、学園長からしてもだったようだ。

 学園長の話を大まかに理解すると学園にアリアスを預ける、そのこと自体が優先事項。その場で出来る、アリアスの年齢を考えみても考えなければならない将来の展望探しが二つ目にあたると解釈していいのか。

 師の言ったことはどこまでが急ごしらえだったのだろう。

 同年代と触れあってないとか歳を思い出したとか、うるさいのがいるだとか。

 師の考えていることは、いつまでたってもまるで読めない。


わたくしと貴女が会う前にその話をしていました。そして、貴女と会ったあの場ではジオ殿はその話をすることをよしとはしませんでした。単に貴女に将来を考えさせるために預かってもらう体裁にあの方はしたのです。念のために聞きますが、戦のことは聞いていましたか? 」

「……いいえ」

「そうですか」


 戦のことなど、編入のことだけで理由だってそれらしいものを言って、欠片も出ていなかった。

 アリアスとてまさかまさかとは考えていたのだ。それでも現実になろうとは思ってもみていなかった。少なくともアリアスにとって戦争とは現実に身近に起こったことのないことだったから。

 しかし、全ての原因は心当たりはもちろんある。アリアスが非現実的ながらちらとでもそれを考えるきっかけとなっていたのはあの男のせいだ。

 隣国レドウィガ国の将軍。彼が行ったことは普通考えてあり得ないことだった。二つの国の関係を揺るがしかねない事。否、揺るがす事。

 彼らが去ってからジオが部屋から出ることが多くなった――会議のためだ。

 それでもアリアスの周りの空気は変わっていないように思えて、それに学園編入を結びつけようとは思っていなかった。

 違ったのだ。変わっていないように思えただけ。そうされていただけだった。

 アリアスのすぐそばには国の大事をいち早く知る人たちがいて、それでも隠されていた。

 どれだけ平和なのだ、自分の頭の中は。叱咤したい気持ちだ。でもなぜ、隠そうなどととれる行動を。


「私が考えるに、戦が始まる前から預けたことは隠したかったからではないかと思います。貴女に迫り来る戦の気配を、あるいは関連する他の何かも」

「それは、」


 同じく遅れてやってきた流行り病のことは、関係あるのだろうか。


「塀に囲まれた学園は見方を変えると閉鎖された空間です。やろうと思うのなら情報操作が可能ということです。もちろん、今回ほど上手くいったのは奇跡に近いことです。ですが中途半端に情報が流れている今となっては不明瞭であればあるほど不安と恐怖心を煽ります。そのため情報を解禁しようと思っていたところでした」


 学園内の情報の鈍りは、仕組まれたことだったのか。そんなことが可能だとは。

 明らかにされた事に耳を傾け洩らさないようにしているしか、なかった。


「貴女に外出許可を与えます。あの方はどうも必要な話を貴女にしていないようです。私は貴女が聞くべきことを全て知っているわけではありません。聞きたいことを聞いていらっしゃい、あの方はまだいらっしゃるはずです。私が帰したとなれば、話してくださるでしょう。そのあと、必ず戻ってくることが条件です。それは私の約束事であるため、私はそれを必ず守ります。最低でも、貴女が望まなくとも戦の間は貴女を預かるということを」


 学園を出てもよいという証らしきものを学園長は引き出しから取り出す仕草をし、机の上に差し出した。

 糸に引き上げられたように、アリアスは立ち上がり、深く頭を下げた。


「ありがとうございます」

「それにしても、あのように過保護なジオ=グランデを見ることになるとはいい機会でした」

「え?」


 顔を上げドローレスを見たが、齢八十六であるらしい彼女は厳しい印象を受ける顔で素知らぬ表情のまま、外出許可証をずいと前に押し出した。

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