第15話 今だけは

 ゼロもまた、竜に乗って戦地に行くためまだいるようだ。そして、おそらく城にいる。というので、ルーウェンと二手に分かれて探すことになった。

 アリアスは待っていてくれと言われたのだが、そういうわけにはいくまい。むしろ一人で探すべきでもあるのに。

 かといって思えばアリアスに探す心当たりはなくて、いざ探し始めるととりあえず手当たり次第にいくしかなかった。

 通路を小走りで行っていると、ふら、と足がもつれた。そのせいで手近な壁にもたれるとそれだけでは済まず、ずるずると座り込んでしまう。

 ――駄目だ、立たなくては

 立たなければ……

 ぽた、と手の甲に雫が落ちる。

 遅かった。

 ジオやルーウェンと離れ一人になってそうすまいとしていた糸が緩んだのか。

 それ以上は流さないようにそうっと目を閉じて手を押しつける。静かに拭う。

 これではどうもゼロに会ったときが心配だ。と自嘲して息を長く吐いて立ち上がる。


「アリアス、か?」


 探していた人の声がアリアスを呼んだ。

 通路を見下ろしていた顔を反射的に上げる。でも、少しだけ躊躇する。さっき彼にも見せてはいけないものが流れた。

 ぐっと眉間に力を入れて、大丈夫だと言い聞かせ、それでようやく声の方を見る。うつむいていたのに、よくアリアスだと分かったものだ。


「やっぱりな。でもよ学園にいるはずじゃなかったか……ああそれ学園の制服か変わってねえな」


 そういうのも似合うな、などと普段なら赤面もののことを言われている中、顔を上げたアリアスはちょっと呆けていた。

 制服の話をもってきたあたりこの人もかという感想がよぎらないでもなかったが、ごくごく隅のほうでだった。

 ついさっきこらえきれずに流れた涙は力を入れなくても引っ込んでおり、前に来た人を見つめるばかりだ。むしろ、凝視。

 そして、アリアスはアリアスでまずの一言目に前に会ったときとの明らかな違い――ただしジオの部屋に飛び込んだときとは雰囲気が全く異なること――を口にする。こんなときであれ、口にせずにはいられなかった。


「ゼロ様、あの、髪切られましたね」


 そう、ゼロの髪が短くなっていた。

 そういうわけで、想定外の姿に失礼ながらアリアスはしげしげと彼を見つめるに至っていた。

 あの長い髪はどこへやら、灰色の髪は肩にも満たない長さ。


「あー、邪魔かと思ってな。切った」


 別にこだわりあって伸ばしていたのではないのか。


「変か?」

「いいえ、とてもよく似合ってらっしゃいます!」


 尋ねられたので慌てて頭を振り、


「かっこいいですよ!」


 いつものアリアスからすると豪快に口が滑りもした。それはもう、自分の発言に赤面することになるくらいには。


「…………え、いやいまのは、」


 我に返るのは早かった。わたわたとする前ではゼロが顔を片手で覆って若干下を向いてしまった。


「久しぶりすぎて、特にやべえ」

「す、すみません、編入の話は本当に突然だったので……」

「そっちはいいんだ、それは」


 良くはなかったけどな……というほとんど独り言のような大きさの声で呟いたあと、彼は顔から赤みの引かないアリアスに視線を戻す。


「会いたくて仕方なかった」


 濃い甘さが乗せられた言葉は容易にどきりと鼓動を跳ねさせてくる。

 久しぶりだと心臓に悪い。でも、懐かしいような感覚に陥る。

 おまけに大事そうに頬を撫ぜられる。

 ここで自分も会いたかったのだと口を滑らせることは戻ってきた羞恥が邪魔をしてできなかった。


「会えてそりゃあ嬉しいけどよ、何で城に。学園にいた方がいいだろ」

「戦争のことを、聞いて」

「それはルーが隠してたはず……まあ時期的に考えりゃさすがに耳に入るか」


 知っていたのか。

 想定外のことに調子が狂っていたが、やっとしようとしている話になった。アリアスは一気に落ち着いて神妙な顔になり声のトーンもいくらか落ちる。

 けれど「耳に入るか」のところで触れられたままの手が耳を掠める。手の温かさと感触をまざまざと感じることになって、それでも息を吸う。


「ゼロ様も、まもなく行かれるとか」

「ああ、行く」


 白の騎士団団長たる彼は言葉少なに頷き認める。


「言わなくて悪かった。ルーが隠したいってのが俺にも分からねえでもなかったからな。それを無駄にするわけにもいかなかった」

「……はい」

「でもすげえ会いたくなって困ったぜ」


 この人は今日も真っ直ぐすぎる。


「私も……会いたかったです」


 喉の奥に引っ込んでいた言葉を今度は素直に引っ張り出すとゼロは目を見張って、次いで笑みを深めた。

 その彼に、その言葉を口にするべく心を静める。


「ゼロ様、」

「ん?」

「きっと――ご無事で」


 グリアフル国は戦争に向かう伴侶や恋人に花を送る風習がある。これは戦争少なくなった今の時勢にも年に一度開催される「武術大会」において本来の意味はさておき形は残っている。賑やかで華やか、微笑ましい形で。

 それが、本当の意味で復活することになろうとは。

 城に来る途中の花屋で手に入れた花をアリアスはそっと差し出す。白い花。

 花は一週間で枯れる。これは、早く戦争が終わり、あなたが帰って来られますようにとの意味があるらしい。白は怪我をしないようにと願いを込めて。

 一瞬ゼロは虚をつかれた顔をしたが、すぐさま受け取ってくれた。


「必ず」


 と真っ直ぐに、こちらにその灰色の目と簡潔ではあるが一片たりとも揺らがない声を向けて。

 でも、それだけでは終わらずに反対側の手でアリアスの手首はとらえられ、背に腕が回り抱きしめられる。


「会えたってだけで十分だと思ってたのにな」


 このままでいてえ……、と触れんばかりの距離で囁きがなされて息がかかりアリアスは微かに震える。


「そんなわけにはいかねえんだけどな」


 本当に惜しむ声音に胸の奥から感情が湧きあがりそうになったとき、「あ、」と突如密着していた身体が離れ温かさを冷ます空気が流れ込む。


「ちょっと来てくれるか」


 アリアスは首を傾げた。





 手を握られ、引かれて連れられるに任せてついて行ったのはとある一室。「俺の部屋」というゼロの説明があった。

 どうも騎士団の部屋とは別に城にも部屋があるようだ。部屋の中はこざっぱりとしている。

 する、と離された手に一抹の寂しさ。

 部屋の奥に進んだゼロは机で何やら動作をして、すぐに戻ってきた。

 手には細長い形状の箱。綺麗にリボンが施されたもの。そのリボンを来る過程でしゅるりとほどいて脇の卓に無造作に落とし、アリアスの前で箱から取り出されたのは、首飾り。薄暗くてよく見えないけれど、華奢な細い銀色の鎖の先にはまわりに装飾の施された輝きが。

 その首飾りを、ゼロは前から手を回して首にかけてくれる。


「発つ直前に学園に送ろうと思ってたんだけどな、ちょうど良かった」

「これ……」

「俺が側にいれなくて不安だから」


 アリアスをその灰色の右目で射ぬいたまま、彼は首飾りに口づけた。

 手から離されアリアスの胸元に落ち着くその感触に、胸が苦しくなる。

 きっと師が聞けば間髪いれずに一蹴し、くだらないと言いそうなものだがアリアスは考えずにはいられない。もしも、もしももしもと。

 今度こそ、言い様のない感情が頭どころか顔を出した。

 さっき壊れかけた涙腺はどうにも脆くなっていて、アリアスの意思を最後の最後で無視をした。

 涙が、零れる。

 頬を流れることを感じてとっさに下を向く。手で拭うけれど、いっこうに止まりそうにない。それどころか、その手が震えてくる。

 ここにきて一気に放たれてしまったようだ。

 ――だって本当はどこにも行ってほしくない。誰にも。

 しかし、どれだけアリアスが胸のうちを叫んだって現実は曲げられない。置いていかれる。待っているときを思うと、憂鬱などではなく苦しい。

 後から後から生まれる涙はここ何年も流すことなかったからか、際限ない。


「アリアス?」

「違う……です、ごめんなさ、」


 よりにもよってゼロの前で泣いてしまうとは。

 距離のこともあるが夜目のいい彼には薄暗い室内でも様子がおそらく見えており、逃げ出したい気持ちに駆られてアリアスは無意識に一歩下がる。

 けれども、手を掴まれた。


「アリアス」


 ゆっくりと落ち着かせるように名前を呼ばれる。


「……ごめんな、さい……っ」

「謝んな。とりあえずこっち向け」


 アリアスは顔を見られないようにうつむいたまま真横に首を振る。

 困らせている。分かっているのに、どうすればいいのか判断できない。


「アリアス」


 再度の呼び掛けに答えられないでいると、強制的に上を向かされた。

 ばちり、ともろに灰色の目と目を合わせることになってもぼろりと拭くことができない雫が伝う。

 灰の目が通常よりわずかに見開かれた、けれどぼやけた視界では本当かどうか定かではない。

 それでも、その、色彩自体は冷めている目の奥に熱が宿ったと分かったのはがすごく近づいているからだろうか。

 背の高いゼロが身を屈め、ゆっくりと唇をアリアスのそれと触れさせた。

 瞬間、アリアスの頭からごちゃごちゃした考えが吹き飛んで、真っ白になった。




 *




 消えてしまいそうで痛ましいくらいに弱々しい少女が現れた。

 ぼろぼろと涙を零しはじめた彼女に抑えきれずに口づけしてしまった。

 しまったと思った反面、ゼロはすぐにはその行為をやめなかった。

 唇をやっとの思いで引き離し顔も距離をおいて様子を窺うと、急な行為からだろう少女の涙は止まっていて結果的にはには良かったと思う。

 泣くなとは言うつもりはさらさらなかった。自分がいないところで泣かれるよりずっといい。

 けれど、色々な表情を見られることは嬉しいが、悲しい表情は見たくなかった。かと言って無理に笑う姿も同様だ。

 少女を腕一本で引き寄せ、もう片方の手は頰に添えたまま。指で輪郭をなぞると半ば放心状態だった彼女は徐々に顔を真っ赤に染めていく。

 見つめているとまたその唇に自らのそれを重ねたくなり、今度は歯止めが効かなくなると自覚していたので抱きしめた。


「――待っててくれ。やるべきことやって、帰ってくる」


 すぐにという嘘っぱちは言えなかった。

 言葉ひとつで彼女の不安が取り除いてやれたなら。それが無理でもせめて、彼女が一人で涙を流して震えることがないようにしたい。それくらいの安心は与えることが出来るようにと腕に力を入れる。

 そうすると、少女から身を寄せてきていとしいと感じる。

 本気でずっとこうしていたいと思うが、戦争が避けられないからにはとっとと不安の原因を取りに行った方がいい。期間は決して短いものとは言えなくなるだろう。

 ゼロは息を吐く代わりに目を静かに閉じる。今だけは、腕の中の少女を感じていられるように、と。

 しかしながら、瞼が目を覆いきらない内にだった、


「ゼロいるか、入るぞ」


 ドアの一枚向こうから、にわかに聞こえたくぐもった第三者の声。

 急いでいるのか何なのか、言葉が終わるか終わらないくらいでドアがガチャリと開く。

 これほどまでにぽかんとした友人の面を見たことがあったろうか。

 ドアノブに手をかけたまま、開けたときのままおそらく部屋の主が中にいるかどうかをさっと確認したと思われるルーウェンとほどほどある距離で顔を合わせた。

 ゼロはアリアスを抱き締めた状態をやめるはずなく、ルーウェンの方がどう思ったのか、


「すまない出直す」


 ドアが閉められた。

 しかし、三秒後、その倍の勢いで開かれる。


「アリアス!?」


 これくらい驚きに満ちた友人の声も聞いことがない。自分の左目を見たときでさえこんな反応はなかったのではないか。それくらいに普段は動じないくせにこれだ。

 この後の展開が容易に想像できてため息をつきたくなる。


「おいゼロ」

「……ノックしてくれりゃ居留守使ったのによ」

「何だと!」

「――ルー様!?」


 もぞりと頭が動いてやり取りからか兄弟子にあたる人物に気がついたからだろう、腕から少女が離れていったことに心底残念に加えて不満だ。

 まだ足りない。離れていた分をあれくらいで埋め合わせられるか。それにこれからのことだってあるのだ。

 が、少女がうろたえ暗闇でも自分の目でははっきり見える顔が赤くなっているのを目にするとまあ悪くないかと思う。

 この状況下となっては、という諦めも混じってはいる。


「聞いてるのかゼロ」


 ひとまず胸ぐらを掴まれそうなくらいに低い声で何か言っている友人ルーウェンをどうにかする方が先かもしれない。


「落ち着けよルー」

「落ち着けるか! ……部屋に連れ込んで何してた」

「落ち着けって」


 連れ込んでとは言いがかりだ。

 親馬鹿ならぬ兄弟子馬鹿と――場所が場所だからかいつもより倍に――化したルーウェンとやっつけになりつつも問答をしていたゼロは気がついた。

 一歩と半分ほど離れた場所に立っているアリアスがこちらを見て目を丸くしているが、もう悲痛な顔はしていない。

 彼女に必要だったのは、こういういつもの――ゼロとしては不本意ないつもだが――光景だったのかもしれない。

 あとは、帰って来て、いつもみたいに困った顔でもいいから欲を言うならば笑った顔にできるようにするだけか。より欲を言うならば――。


「よそ見するなゼロ……それとも後で時間が許す限りじっくり話すか」


 その前に、発ってすらいないのにも関わらず疲れそうな案件が出来た。

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