第10話 分厚い手紙

 学園での授業はどれもアリアスにとって新鮮なものだった。

 だが、これまで同じ年頃の人と話す機会はそうそうなかったので――フレデリックはともかく――どこか緊張するし、まだまだ慣れない。

 学園はひとつひとつが大きな学舎がいくつもあり集まったもので、用途別に分けられているのだと教えてもらった。その敷地全体で言うと端の方にアリアスは来ており、建物から出た片隅の階段に座った。

 時刻は昼頃。

 昼食をとるために授業間の休み時間にしては長い休憩のまっただ中だ。食堂で昼食をとったアリアスは一度クラスを経由してからここに来ていた。

 近くに木が植えられているおかげで強くはないがちょうど真上からの眩しい太陽の光は緑鮮やかな葉たちに遮られている。人気もなく一人で落ち着くには絶好の場所と言えるかもしれない。

 手には厚さ数センチに及ぶ封筒があり、一度開封したそれは容易に中身を取り出すことができる。


「何枚あるんだろ、これ」


 今朝、兄弟子からすごく分厚い、開いてみると何枚にも及ぶ長い手紙が届いた。当然寮では読みきれなかったので休み時間に読もうと学舎にまで持ってきたのだった。

 この封筒の限界値を試しているような分厚さはどうにもならないものか。そもそもこれはあの大きめの身体をした猛禽類に持ってこさせたのだろう、が、大丈夫だったのだろうか。

 配達先は直接個人個人にとはならない仕組みで、一旦寮でまとめて受け取られ生徒たち受取人に渡されるという感じだったので猛禽類の姿は見ていないアリアスは心配になった。

 ……大丈夫だろう。きっと慣れているはずだ。


「ルー様は心配性だなぁ」


 手紙の内容は、心配事だらけだった。

 騎士団に正式に入り、さらには団長職についてからはジオの放浪にほいと着いていくことは出来なくなったルーウェン。そのため、彼が仕事でしばらく城を空けることになったりアリアスが師について王都を出ると彼は必ず手紙をくれる。

 それは嬉しいことで、思わずアリアスは微笑む。

 だが、温かかった空間に突如すきま風が吹き込んだ、そんな感覚がアリアスを襲う。

 何だろう。一瞬、戸惑う。

 動きも完全に止めてしまって紙がこすれる音が消え、風がふいていないものだから葉がこすれる音もしない。無音。に包まれる。

 周りには、人が一人もいない。

 ――ああ、分かった。

 思えば、師と出会ってから一人でお使いに行ったりすることはあっても、こう……何日も、


「一人、でいるのは……」


 そうか、こうやって離れるのは、初めてかもしれない。記憶の限りでは、ない。

 師が王都を出るときにはついていくことになっていたし、騎士団の団長職に就いている兄弟子とだって彼がよほど忙しくなければ数日に一度は会う。

 会える距離に、いたのだ。

 そんなことに、気がつく。

 編入したてで色々と息つく暇がなかった。まずは慣れようと息巻いた。今日、今、この場で一息落ち着くまで。

 手紙を持つ手に力がこもる。

 寂しい、とはこういうことを言うのだ。という感情を思い出す。

 同級生はアリアスにとてもよくしてくれる。けれど、たまらなく『帰りたい』という思いがどこに隠れていたのか顔を覗かせた。


「こんな風になるんだ……」


 他人事みたいに呟いたけど、自覚してしまったら全く他人事ではない。

 少し前の日々であるはずなのに、懐かしい気持ちにさえなってくる。どうも自分は結構そういう意味では弱いらしい。それとも一時的なものだろうか。

 アリアスはちょっぴり息を吐く。

 師は部屋を散らかしていないだろうか。会議には遅れていないだろうか。

 兄弟子は序盤でこの分厚さの手紙であるなら、この先どれくらいの分厚さの手紙を寄越してくるのだろうか。嬉しいがその内運んでくるエル猛禽類が可哀想になってきそうだし、その時間を有効に使って欲しい。

 『彼』は、どうしているのだろうか。

 アリアスはそこまでつらつらと考え、止めた。

 灰色の彼が兄弟子とは違う意味で心の中を占めているのだと実感することになる。彼にも言ってくることは出来なかったが……。

 ――会いたいな、とぽつりと思った。

 彼のこととてすっかり日常の一部と化していたのだ。色んなことに気がつく。彼は、会いたいと思ってくれているだろうか。


「私って、」

「こんなところで何をしているの?」

「え! あ……」


 読み終えた手紙を読み返すでもなくぼんやりと見つめていたアリアスはふいの声にぴくりと肩を揺らして同時に顔を跳ねるようにあげた。

 そちらからは栗色の髪をリボンで二つに結い、緑の目でこちらをみつめている女の子が歩いてくるところだった。制服姿の彼女はぱちぱちと目を瞬き上手く状況を理解できずに固まっているアリアスの元までやって来た。


「お昼は食べたの?」

「――あ、はい」

「名乗るのが先ね。わたし、イレーナ。あなた、アリアスでしょう?」

「そうです」

「敬語はなしよ。あなたも魔法師になるんでしょう? 『学園の中では魔法師を意識せよ』」


 多くの教師が口癖のように言うことをイレーナはなぞった。

 学園に来て少ししか経っていないアリアスであってもその言葉の意味を理解しはじめていた。

 王都には実はもうひとつ魔法教育学校があり、そちらは跡取りとなったり魔法師を生業にするつもりがない貴族が主に通う。つまりは専門めいたことは習わず、また修学期間も『学園』より短めのようだ。

 ゆえに、ここにおいて例外を除いては敬語というものが存在しないことになる。

 フレデリックに関しては例外中の例外に入るだろうに何だか持ち前の気質で溶け込んで……溶け込みすぎて、同級生たちは五年目という空気もあるからかそんなに堅くない。

 それは、イレーナがするりと示した言葉にも依る。

 『魔法師を育成する場』。

 魔法師は魔法師の地位関係がある。出身が貴族であろうとなかろうと関係ない。

 この学園には貴族出身の生徒はもちろん、そうでない生徒もいる。けれど、そんなことを気にして同じ年頃、同級生に敬語を使うことはするなという意味が込められている。

 それは、相手を敬わずに気安い口調で接せよということではもちろんない。貴族出身であれそうでなくとも平等に接せよということだ。卒業し魔法師となれば関係がなくなるのだから。


「……うん」

「ここでの生活を続けていると、そんな感覚になるのよ。ごめんなさい、編入したてなのに」


 アリアスのことを知っているということは同じクラスの生徒、で合っているのだろうか。と突然のことに張られた緊張を宥めながらアリアスは思う。


「ここ、わたしよく来るの。だけど、他の人と会うことなんてなかったから驚いたわ」


 隣いい? と聞かれたのでアリアスは二度縦に首を振り頷く。


「何をしてたのか、よければ聞いてもいい?」

「手紙を、今朝受け取ったから読もうと思って」


 手元を軽く示す。分厚さには触れないで頂きたい。


「ご両親から?」

「ううん、兄弟子から」

「……分厚くない?」


 触れられた。


「急な編入で、言ってこれなかったからだと思う」


 たぶん、とつけそうな感じになったが当たり障りない返答をしておく。間違いではあるまい。


「過保護なの? 兄弟子さん」

「そう、なのかな?」

「『かな』って何それ」


 おかしそうに笑うイレーナは口元をおさえる仕草が自然で上品だ。

 こうやって (おそらく) 同じ歳の少女と喋っていることに上手くやれているか、という緊張以外に不思議な感覚。意識しすぎているのかもしれない。きっとその内慣れてくるかな、と半ば投げやりに考える。だって周りにいるのは教師を除いてしまえば、同じ年頃の生徒たちばかりなのだ。

 そのときイレーナの胸元のリボンがちらりと目に映って、無意識に確認する。

 緑。医療科だ。

 医療科は、治療のための魔法を主とし、さらに魔法を使わない治療のすべも学び、主に治療を得意とする魔法師となる生徒が所属する科だ。

 ちなみに騎士科は名前から分かる通りに卒業後主に騎士団に進む生徒たちの所属する科。普通科は二つ以外、つまり館に勤務するような事務方を主とすることを目的とする生徒たちの所属する科。のようだった。今のところ、アリアスが把握している部分によると。


「医療科……」


 いくつか参加した医療科の授業を思い出して小さく呟いてしまった。


「そう、わたし医療科よ。あなたはまだ決めている途中なのよね?」

「うん」

「医療科には興味があるの?」

「うん」


 本当のことだった。

 アリアスが城にいて関わるのは、この学園で言うところのおそらく医療科出身と普通科出身の魔法師が多い。騎士団には全く (言うまでもなくルーウェンとゼロは除く) 関わることがないので、そうなるだろう。

 医療科、つまり治療専門の魔法師として真っ先に思い浮かぶのはクレア。彼女にも色々教わったものだ。

 とアリアスがちょっと思考の中に入っていると、イレーナが前置きをする。


「聞いてもいい?」

「何を?」

「なぜ今さら編入してこようと思ったのか」


 学園に来て、よく聞かれることだった。

 話題がころりと変わったように思うが、前置きしたのはそういうことか。


「上手く答えられないと思うけど、それでいい?」

「ええ、もちろん。わたしの興味本意だけだから。本来答えなくてもいいのよ?」

「そういうもの?」

「わたしはそう思っているわ。うん、やっぱりいいわ、もう何度も聞かれているでしょう?」

「まぁ……」

「編入生ってとても珍しいの。噂の的だわ、今」


 さっきの質問なんてなかったみたいに気にせずイレーナは喋る。

 何だか人柄が見えてきたような気がする。


「王子様とも知り合いだって聞いたのだけど」

「知り合いというか、顔は知っているというか……」


 こればっかりは歯切れ悪くもなる。

 言うべきか言わないべきかの情報選択は難しい。アリアスは編入してから頭を悩ませている。


「すごく仲良いみたいって」

「そんなに……」

「アリアス、見つけたぞ!」


 上から降ってきた声があった。反射的に見上げると、窓から顔を出している王子がいた。


「ふれっ……フレデリック王子!」

「次は騎士科の授業だろう? 一緒に行こう!」

「それは、ありがとうございます」

「礼には及ばないぞ!」


 通路を歩いていて見える場所に座っているわけではないので、あっちの通路から見えたから来てくれたのかもしれないな、と右手の方をずっと行くとある、棟と棟を繋ぐ通路を見た。


「『そんなに』?」


 するとそちらの方向にはいたずらっぽい笑みを唇で描いた弧で表すイレーナがいたわけで、アリアスは会話の内容を思い出して曖昧な笑顔を返すことになった。


「隣にいるのはイレーナだな」

「こんにちは、王子」

「アリアスは借りてもいいか?」

「返してくださるの?」

「もちろんだ!」


 手早く手紙をしまって立ち上がると、同じタイミングで立ち上がったイレーナと目が合う。同じ、いや少しイレーナの方が目線が低いくらいか。

 フレデリックと言葉を交わしていた彼女はそれはもうおかしそうに笑っているところだった。


「ねえ、」

「……?」

「今さらだけどアリアスって呼んでいてもいい? わたしのことはイレーナって呼んで。そのままイレーナね」

「う、うん」


 じゃあ頑張ってね、と彼女は制服の裾と足取り軽やかに去っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る