第13話 その表情

 話が一旦落ち着き、彼らは『医務室』の外へ出ていた。ルーウェンを除き。

 ルーウェンはクレアに呼び止められてまだ中にいて通路にはアリアスとゼロの二人だけだった。

 ゼロは壁にもたれ掛かって、隣に立つ少女に目を向ける。すると、彼女は何やら目線は下気味になっており表情は真顔とはまた違い明るくはなかった。


「侍女のことは忘れた方がいい」


 とゼロは声を発した。

 何を考えているのか――付き合いが短く彼女の兄弟子ほどには分からないものの――今回ばかりは何となく分かった。侍女のことだろう。

 声の出ない少女は毒入りの紅茶を用意したと思われる侍女を庇っていた。きっと本当の犯人は彼女ではないのだと。手が震え、怯えていたのだと。けれど、同時に侍女が毒入りを知っていたことを証言してしまったことに気がついて表情を曇らせた。

 そんな顔をする必要はないというのに。自らが毒を飲んでしまったのに。

 しかし、正式な魔法師でもなくましてや自分のように騎士団という色々なことを割り切らなければならない職にあるわけでもない。

 兄弟子があれくらいに過保護なのは、こんな風にどこか自分を大事にしていない所があるからかもしれない、と同時にゼロは思った。この前もそうだったな、と地下通路でのことも思い出した。


「王族を害そうとした罪はもしもわざとじゃなかったとしても逃れられるもんじゃねえ」


 捕らえられたという侍女は完全に何らかの罰を受けることとなる。そんなことは明らかで、いくら暗い顔をさせたくないからといって薄っぺらい、嘘にもならない嘘はつきたくなかった。

 それならば、いっそ忘れてしまえばいい。それに関して何も考えない方がいい。出来事はきっと忘れられないだろうが、無闇に頭を悩ませる必要はない。

 ゼロは言葉に反応して顔を上げ、見上げてくる少女を真っ直ぐ見返す。


「難しいと思うけどな」


 率直に話す。歯がゆいほどに他に術が見つからなかったからだ。

 そうすると、少女は複雑そうな顔になる。二つの反する感情が混ざった風な表情。

 それから口を開けて、閉めてを一度。話そうとしていることは分かったのでゼロはじっと待つ。

 さらに十秒ほど経って、彼女は真っ直ぐにこちらを見て話し始める。声は出せないので、口だけを動かして。


(王子が無事で良かったんです。それはとても安心していて、侍女の方が捕まったこともしようとしたことを考えると仕方がないと、当然のことだと分かっているんです。でも……何だか難しいですね。……これまで、接して来た方が捕まってしまうなんていうことは、少なくともなかったので……その人が、と思うとどうしても、ですね……)


 続ける言葉を見失い、口が閉じられる。

 (すみません)と最後にひとつ呟かれるように口が動いた。

 謝る必要もないのに謝り心の内が上手く整理できていないと悟れる彼女は視線を前に戻す。無理もない、目を覚まして三十分も経っていない。失敗したか。

 それとほぼ同時にその横髪でほとんど隠れてしまった横顔にああ、抱きしめたいとゼロはにわかに感じる。

 だから普通に手を伸ばして、少女に触れる。ゆっくりと彼女が顔を上げることが目に映る。


「悪いな、待たせたなー……ゼロ何してるんだ」

「……ルー……何でもねえよ」


 そのとき傍らのドアが開いて、通路に出てきた友人に訝しげな表情で見られた。

 そうだった。ゼロは伸ばしていた手を軽く息を吐きつつ引っ込めるはめになる。


「ならいいが。アリアスもごめんなー、行こう」


 ルーウェンの促しによって歩き出し、ゼロも壁から背を離して何だかな、と頭に手をやりながら続いて一二歩足を進めたとき。

 袖を引っ張られる微かな感覚にすぐに気がついたゼロはそちらを見る。

 彼を見上げるのはもちろんアリアスだ。ルーウェンは出てきた位置からして先にいる。

 少女の手は服の袖をちょっとだけ掴んでいる。声が出ないから、何か言いたくて注意を引いたのだろうと分かる。

 が、その前に。

 無意識での行動で作られた状態にゼロは一瞬息を止めた。手を彼女から伸ばされたのは初めてではないか?

 おまけに、何だこれは。

 可愛い。

 可愛い、が良くはない。なぜなら彼女の喉が『焼けて』しまったがゆえのことなのだから。だがまあ可愛いものは仕方がない。

 今までにない行動、袖を遠慮がちに掴まれ見上げられる、それらに目を惹き付けられていたゼロ。


「――ゼロ、ぶっ飛ばすぞ」


 振り向いた親友はそんな彼の心の内を正確に読み取っていた。不可抗力だと言いたい。


「あー、アリアスどうした?」


 気を取り直して、何事もなかったようにゼロは尋ねる。そうすると、少女はぱくぱくと口を動かし用件を話し始める。

 ゼロはじっとその口元を見つめる。


(王子は、どうなさっているんですか?)


 と、少女は言った。それから首を傾げた。


「…………ルー、交代してくれ」


 早々にギブアップすることになってしまった。

 唇の動きを読むことに加えて、どうもこの状態はくるものがある。


「お前な……」


 同じように口の動きで言っていることを読み取っていただろうルーウェンがそれだけを呟いてきた。

 が、仕方がないだろうとゼロは思う。『春の宴』のあとに釘を刺したのは誰だ。それで、せっかく色んな表情を出してくれるようになったわけだからそれだけで我慢していたのに……。

 確かにさっきは手を出しそうになったがそれはそれだ。おまけにそれを邪魔されたこともあるし、そもそもはどれもこれも毒の件のせいだ。無事を実際に確認して安心したはいいが、安心したからこそ何か緩んでいる気が彼にはしていた。危ない。




 *




 なぜかゼロが一歩下がってしまって袖を離したのだが、アリアスがそんな彼の様子を窺う前に兄弟子が前に進み出てきた。こちらもなぜやれやれといった風な表情だったのかは不明だ。


「王子は元々不自然にならないように休みに城に帰って来ていらっしゃったから、明日休みが明けるので今日『学園』に戻る予定だったんだ。でも、そういうわけにはいかなくなってな、まだ城にいらっしゃる。しばらくは……この件が落ち着くまでは戻ることは出来ないだろうな」


 当の王子は今どうなっているのだろう。そういえば、今日戻ると言っていたけれど。と思い立って失礼して前を行く袖を引っ張ったのだけれど、返ってきたのはその言葉。

 命を、狙われているから。


(そう、ですよね)


 ということは、フレデリックは現在も城にいるわけだ。それはそうか、『学園』よりも城の方が守れる、安全なのだろう。

 部屋から出られない状況、ということが想像できる。訓練だかくれんぼだと言って走り回っていたフレデリックが。犯人が判明するまで、そうなのだろう。何しろ彼は王族も王族なのだから。まぁ、部屋が広いからどこかの部屋で素振りをするのかもしれない。

 それにしても。


(竜に陛下の病、毒)


 不幸なことが起こり過ぎている。今年は厄年なのかと思えるほどに。それも、こんな短期間に。竜が庭に落ちてきてから、一週間経ったろうか。


「アリアス、どこでそれを?」

(え?)


 首を軽く捻っていると降ってきた声、にそっちを見る。

 いるのは、当然さっき自分の問いに答えてくれた兄弟子。ただし、その表情は少し固い。


「……陛下の病のことだ」


 さっと周囲を確認した彼は小さな声で言った。

 あ、とアリアスは気がつく。口だけを動かして――声は元々出ないのだが――自分の中で考えていたはずが、ルーウェンは口の動きを続けて追っていたのだ。


(ええ、と。あの、フレデリック王子に)


 聞いたのは王子で、おそらく兄弟子は知っているから広げるという対象には当てはまらない。加えて、言ったのは王子だから誰が洩らしたとかいう心配する必要もない。ので、ありのままを答える。


「王子か。……それは仕方ないな」

(ルー様、誰にも言っていませんし言わないので安心してください)

「いや、それは心配してないんだけどな…………うん、陛下のことも心配しなくていいからな、大丈夫だ」


 ぽんぽんと頭を撫でられて、言われる。


(ルー様、)

「うん?」


 彼は、どこまでも先回りする。


(……何だか不幸なことばかり、続きますね)


 言おうとしたことは喉の奥に消えて、さっきまで感じていたことを口に出すことになる。何気なく。


「そう、だなー」


 兄弟子の表情はまたどこか固くなった気がするのは気のせいだろうか。彼にしては珍しい。不意をつかれたような、感じ。


「それはそうと、暗くならない内に帰らないとな」


 たいていのときそうであるように、彼はそんな言葉でアリアスを促した。そっと彼女の髪を撫でて。

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