第14話 動くもの

「おかしい、繋がらん」


 と一人ごとのような小ささで呟いたのは黒の髪に紫の輝きをもつ男だった。

 城の中に決して狭くない一室を持つジオは例に漏れず、部屋の中での定番の服装である白いシャツに黒のズボン姿でソファに腰かけている。ちなみにシャツはズボンからはみ出しており、ソファもだらりと斜めに腰かけているものでひとつを一人で広々と使用。

 その向かいにきっちりと座っているのは彼の弟子の一人であるルーウェンだ。

 窓の外は陽がほぼ落ちており、橙というよりはそれに暗みが混ざって不思議な色合いの空となっている。壁一面の本棚に囲まれている部屋内はまんべんなくろうそくに灯る火で照らされており、いるのは彼ら二人だけ。

 アリアスもつい先ほどまでいたのだが、そう時間が経たない内に部屋に帰されたのだ。


「やはり、王子を狙った毒はただの毒ですね」

「そうなるな。だからこそ、繋がらん」


 肘おきに肘をつき、手で頭を支えてジオは同じ言葉を繰り返す。さも不可解だと言いたげだ。


「竜をあれだけ弱らせることは人間業ではない。流行り病を王にだけかからせることも同様だ。そもそもその両方からはこれが見つかっている」


 彼の手にあるのは、毒々しささえ見てとれる黒の石。

 それは『巣』の地中に埋まっていたのを彼が回収してきたもの――と同じ、『病』に倒れた王の寝所から見つかったものだった。

 ジオの髪の色と同じくして滅多に見ることのない珍しい色のそれは彼の所有物ではなかったのだ。彼は手のひらの上の、光を反射せずじっと見つめていても顔を映し出すこともない石を見続けている。


「だが、毒だけが古典的……言えば人間でも出来る。実際毒入りの紅茶を用意したのはただの侍女だ。毒を飲んだアリアスには妙な気配はない。加えて毒は単なる毒に過ぎない」

「アリアスが侍女は酷く手が震えて怯えていたようだったと言っていました。脅された可能性はかなり高いと思われます」

「ま、そうだろうな。それにしても、本当にやり口が雑だ」


 ジオは足を組んでふっと石を手から消した。単に素早く閉まったのか、魔法で移動させたのか。


「で、その侍女はお前たちの騎士団が預かっているわけではないだろう」

「はい、あちらの騎士団が」

「ややこしいな。いっぺんに面倒を見ればいいというのに」

「侍女自体魔法を使用できるわけでなく、魔法絡みとは見られませんでしたから。……念のため、後で侍女の尋問に立ち会わせてもらってきます」

「ああ、そうしろ」

「それで失礼ですが、陛下の方は」

「レルルカが当たっている。病を植え付けられ石は部屋から取り除いた以上もう俺はそっちには直接は関わらん。だが大事には至らんだろう」

「それは安心しました。実はアリアスがフレデリック王子から陛下の病のことを聞いたようで……」

「……流行り病だともか」

「そういえば、そこまでは聞きませんでした。ですが、大丈夫だと言っておきました」

「ならいいか」


 ルーウェンは真剣な顔つきに一時だけ安心と困ったような笑みを過らせたが、すぐに表情は戻る。


「師匠、もしこの一連のことが全て仕組まれたものであるとしてその首謀者は本当に――」

「それだ。そもそも俺はこうして決めつけた前提ありきで話しているがな、確証は持てん」


 ルーウェンが抑え目の声で問うたのに対し、ジオは確信のないどこか投げやりな口調で疲れた様子さえ窺える。

 加えて頭を支えることを止めた腕を肘おきに置いて、指先はとんとんと肘おきを叩く。


「だが、これだけ短期間に狙ってしか出来ないことが起きれば繋げるしかない」

「はい」

「ただ、だ。目的が分からん。それと、どうやってこの地に降り立っているのかが。だから、確証がない。疑いが消えん」

「それでも、師匠はそうだとおっしゃられるのですね」

「ああ。あの魔法石の存在はその場に行けば分かったが、肝心のところに届かん。靄がかかっているような感覚だ。だが、それでもあの魔法石は少なくとも俺はでは手に入れることは出来ない代物だと思うが、どうだルー」

「それは俺には分かりかねます」

「だろうな。俺としても気のせいだと思いたい」


 ほとんど自問自答の形で話していたジオはそこでため息をついた。いかにも面倒そうな様子だ。

 弟子を見やっていた紫の目を離してその向こうを、どこか遠くを眺める目付きをした彼であったがすぐに弟子へと焦点を改める。


「厄介だな、まったく。俺の間違いであればな」

「師匠には失礼ですが、そうですねと言わせて頂きます」




 *




 一人の男が、月明かり不十分な中灯りも持たずに城の敷地を歩いている。

 城の中で働く者の簡素な服装をしているが、彼らが出歩く時間帯ではない。加えて、まるで騎士団の者のようなしっかりとした体つきをしている。黄土色の髪は長めで、首裏で辛うじてくくっている。

 男は迷いなく、足音もさせずに歩いていく。どこか目的地があるらしい。

 やがて来たのは人気のない一角。先にあるのは、城の地下への入り口だった。城の地下とは言え、中から入ることは不可で、外からしか入ることは出来ない石で囲まれた入り口。

 その両脇には人が二人立っている。身に付けた衣服は軍服。魔法師騎士団の者であることが一目で分かる彼らは真っ直ぐに向かってくる男を捉える。目を凝らして、明らかに自分達の方向へ来る城の召し使い風の男に訝しげな表情をする。当然だろう、本来その場には騎士団のそれも一部の者しか近寄らない場所なのに、似つかわしくない服装の者が歩いてくるのだ。

 ゆえに、彼らは目を交わし合ってから一人が口を開く、


「ここに何のよ……」


 だが、直後、その言葉が終らぬ内に暗闇に光が弾け、彼らは同時に崩れ落ちた。その両目は開いているものの、もはや生気は欠片もない。

 一方の男は足取りを乱すことなく二つの屍に目をくれることもなく通りすぎる。立ちはだかる入り口には鍵がかかっており、開かないことを確認した男は小さく舌打ちした。

 にわかに鉄の扉に触れさせたままの手の内に白い魔法の光が瞬く。


「駄目か……面倒な魔法避けがしてあるなァ」


 暗闇引き裂く音がしたが扉は開かなかった。魔法が効かなかったのだ。

 それによってまた響く舌打ち一回。どうも舌癖が悪い。

 それはそうと、男はそれでも踵を返そうとはしなかった。それどころか、その口にへらりとした笑みを浮かべる。


「俺じゃ無理か、仕方ないな。――ちょっとばかし頼む」


 再び瞬いたのは、だった。

 ガコン、と重い音が立ったかと思えば、男の前にあった扉は蝶番も外れ内側に倒れてしまっていた。


「一丁上がりッてな」


 すぐさま扉を足蹴にした男は入り口から中へ入る。すると何メートルもしない内に階段が現れ、それはどんどんと地中へ地中へと下がり繋がっている模様。


なが、でもここだよなァ」


 二秒下を覗きこんで感想を述べ、男は急な部類の階段の一段目に足をかけると躊躇いなく降り始める。


「竜は弱らせられたが完全に使い物にならなく出来たかは不明。どうやら一匹弱らせ損ねて飛んできたようだ。王への病の仕込みは上手くいったはずだ。毒は急ごしらえだったから仕込みが足りなかった、当の王子にさえ飲ませられないとは馬鹿馬鹿しすぎる」


 降りる先に灯りは存在するようだとぼんやりした光が見えることで分かる。が、長い階段、男が進む位置には全く光はない。右も左もひんやりとした壁のみ。それなのに男はここでも灯りを持たず、壁に手を這わせることもなく淡々と普通に降りていく。


「目的? いいや果たしたけど果たしてないな。まださ。まだ混乱が欲しい。あと少し、だなァ」


 男の姿は一人、そうであるはずだ。それにも関わらず、男は自問自答しているというよりは誰かと話しているような口ぶりだった。それは今彼を見るものはいないが、おそらく端から見ると奇妙なものであった。


「灯りくらいつけて降りて来いよ転げ落ちても知らない……ぞ……」

「おいどうした――」


 階段を降りた先にも見張りはおり、一人が暗い中灯りもなしに降りてきた男が同じ団員だと勘違いして声をかけた。もう一人いた方は急に身体が傾いだ同僚に声をかけた。

 ぱっと壁に二回血飛沫が飛び散った。


「うわ、飛んできた。別にいいけど、まだいるつもりだから着替えるのがなァ」


 階段を降り切りった空間。そこには地下であるため窓は当然なく、空間を照らすのは壁に等間隔にかけてあるろうそくの火のみ。その灯りの元に姿を晒した男は続く空っぽの牢を確認しながら足を進める。簡素な服には大小の点々とした赤い染み――言わずもがな、見張りの騎士団の者のもの――がまんべんなくついていた。

 やはり、倒れた者たちには目を向けない。

 ぴちゃ、と広がる血溜まりを踵で踏んで越えていき、その靴の踵によって数歩は石の冷たい地面に血の跡がついて回る。

 男の足音だけが響く時が過ぎる。

 跡がつかなくなり十数歩目。

 奥へ奥へと足を進めて行って、男はやっと足を止めることとなった。

 目を留めた空間。


「あァいたいた。さァ元気か、えーっと、誰だっけな。……ま、『国を裏切ってしまった団長殿』、かな」


 空っぽの牢が終わりを告げ、ひとつ有人の牢の前に男は立ち止まり牢に身体を正面に向ける。

 狭い牢の奥の壁際に座り込んでいる者に嘲笑混じりの言葉を発する。

 牢にて手にも足にも鉄の枷をつけられているその人物は捕まってから数週間が経って、さらに別人のようになっていた。無精髭が生え、頬はますます痩け、例えるならば幽霊のようだ。

 ブルーノ=コイズ。『春の宴』直前に捕らえられた男である。

 ブルーノは異変に伏せていた顔を上げていたのだが、現れた男の逆光で見えづらい顔を認識して凝視した――後、


「た、頼む……っ妻と子どもは助けてくれ!」

「ふんふん。会うなり言うのはそれ、助けてくれか。なるほどな」


 立つこともなく這うようにして鉄格子に取りすがる。通路と牢を隔てられ届かない男に懇願の声を上げる。必死さが表れる声だった。

 威厳も何もない、元騎士団の団長とは思えぬ哀れな姿を見下ろす男は顎に手をあてて首を傾ける。気の入らない相づちを打つ。

 真面目に取り合っていない。


「どうやら失敗したっていうことは自覚しているようだなァ」

「わ、悪かった……だが頼む! 私の妻と息子は無事なのか!?」

「さーてなァ」


 笑みを口に浮かべたままブルーノにのらり、くらり、という評し方が相応しく明らかな温度差で応じた男。返答に絶望の色を目に表したブルーノの様子に、彼の要求を一通り聞いて様子を見て堪えきれずに嘲る。


「――ハハ、黙って聞いてやってれば馬鹿言え。何だよ助けてくれとか取引になってないだろうよ団長殿よォ。自分の立場分かってるのか? え?」


 ブルーノの顔が強ばる。

 男はへらりとした笑みで声音だけを普段のもきより低くガラリと変えて話し出し、鉄格子に近づきしゃがむ。

 もう手を伸ばせば届く位置だというのに、ブルーノは鉄格子を掴む手の力こそ緩んでいるがむしろ男から身を離している。


「俺はあんたに、めでたいめでたい祝いの場で平和惚けしたこの国に恐怖をくれてやれと言ったんだよなァ。王族を殺せ。王を殺せばなおよし。竜を使い物にならなくしろ。国が注意を払わねばならないことを起こせって言っただけだろうよ」


 ただ、この国の中心部に混乱を。

 固まって動くことのできなくなっているブルーノの目に目を合わせて、男は囁く。


「それなのに、せっかくあんたが作った内通者共々捕まるなんてどういう了見だ? 二年前にしくじって学んだかと思えば、元騎士団団長なんて優位なもの持ってたじゃないかよ。ご立派だった団長に唆された奴は意外といたろ? 今回はせめてそれを使って騎士団のひとつでも揺らせられれば大目に見たのに」

「そ、れは」


 男の手が、牢の入り口を探り、触れる。鍵のかかったそれを視線は向けずに確認する。


「なァ、俺が今からあんたをここから逃がすのは、どういうことか分かるな?」

「……私は、何をすれば、何をすれば私の家族を殺さないでいてくれる……解放してくれる……」


 灯りの下で――男の影の元とはいえ――暗い場所で放ったよりも鮮明に色を現す黒の光。バキン、という破壊音。

 ギィ……と手が離れた鉄格子の出入り口が開く。

 ブルーノは目を見張る、合わせて恐怖に似た感情が生まれる。彼は以前騎士団団長であったこともありこの地下牢の鉄格子にどれほどの強さの魔法避けがかけられているか知っていたのだ。それを易々と、この男はそれをものともせずに開けてみせた。

 しかし、ブルーノの恐怖に類した感情の原因はそれだけでなく、魔法を放つ際の光。彼も含めて魔法師が魔法を使う際の白の光とは――言えば、正反対。

 得体の知れないもの。


「そうだな、団長を一人くらいは殺してこいよ。方法は問わないさ。あァこれいるならやるけど、いるか?」


 もう牢から出られるのにも関わらず座ったままのブルーノの横にこん、と硬質な音を立てて落ちたのは漆黒の石。

 「なァ、妻子を助けたければ今度は上手くやれよ。国まで裏切ったんだからよォ」と石を落として立ち上がった男の目は錯覚か不気味に赤みを帯び、壁に伸びる影が揺らぎ、蠢いた。

 ブルーノは息を飲み、彼の意思とは関係なしに身体が目に見えてぶるりと震える。


「ま、そんなに当てにしてないけど。せいぜい死ぬ気でやれよ」


 嗤い声が、響いた。

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