第15話 視線と気配

「視線が怖かった、か」


 夜もとうに更けた時間、ルーウェンは未だ軍服姿であった。ただし、本日の彼の業務自体はすでに終わっている。

 頭上の空では月は雲にその姿を消してしまっており、辺りは真っ暗。そういうわけで、彼はろうそくに火をつけたものを手に外、人気の失せた城の敷地内を歩いていた。

 歩いて来た方向は騎士団――俗に言うと『普通』の騎士団のある方向。

 彼はジオに言った通り、『普通』の騎士団の管轄になっている侍女の尋問に同席してしたのだ。

 一人口に出したのは、自らの所属する魔法師騎士団の方向へ行きながらも思い出すそれ。




 ***




 閉塞感のある、一室。灯りで照らされ明るいが、漂う雰囲気の重さは拭いきれない、灰色の堅い壁に四方を囲まれた部屋には軍服姿の者が四人。ただひとつの出入り口の外にはさらに。

 一人、城に仕える侍女のお仕着せの女だけがその場に似合わぬ様子だった。それにかたかたと手は身体は小刻みに震え、顔色は蒼白で俯いてしまっている。別に彼女の前で相対する男性が怒鳴り散らしているわけではなく、捕らえられてようやく自らの起こした事の重大さを思いしっているのだと思われる。


「王子はご無事であるが、お前がやったことは許されることではない。言うんだ、なぜ王子に召し上がるはずだった紅茶に毒を盛った」

「……も、申し訳ございません……」

「なぜ、と聞いているんだ。正直に話せ。黙っていることはためにならないぞ」


 女は紅茶に毒を盛ったと思われる侍女で、思われる、と言ってももはやそれは確定しているも同然だった。彼女の態度が物語っているのだ。

 ドアに近い隅の壁に寄りかかってその様子を少し離れて黙って見守っているのは、軍服姿ではあるが他の者とは色の異なる軍服を身に付けた、青の目の輝く男ルーウェン。その一室の軍服姿の内、彼だけが魔法師騎士団所属だった。

 彼は口を挟まないということを条件に急遽その場への同席を取り付けたのだ。彼としては元より口を出す気などなかったのでひとつも困らない。ただ『脅された』という事実を確かめに、そしてその人物の手がかりを聞くことが目的なのだ。


「わ、私は、脅されて……あんなことをするつもりはありませんでした、お、王子様に毒を盛るなんて……」


 来た。とルーウェンは思った。

 中々口を割らない侍女がようやく口に出したそれ。


「一体誰にだ」

「分かりません。で、ですが、本当です!」

「分かった分かった。ではどのようにして脅された」


 ようやっとの本題に問いを続ける役目をしていた騎士団の者は話を掘り下げていく。

 取り乱しかけたが落ち着くように言われた侍女の喉がごくりと動く。彼女は何故か狭い部屋に左右に目をさ迷わせ、思うように動かないといったように口を何度か小さく震えさせてから開いて息を吸った。

 そうして、声を発する。


「私が……王子様に出す紅茶を入れに行くときでした……、気がつくと喉に刃物が突きつけられていて……私は動けなくなりました。う、後ろには誰かがいました」


 一言も聞き漏らすまいと他の者は黙っているわけで、一度、息を吸う音が場にいる者たちの耳にまで届く。


「けれど、姿は見えなくて……動けば斬れそうなくらいに刃物が、」


 ここでまたつっかえる。


「こ、小瓶を後ろから差し出されました。これを入れろと……」


 喉を掻き切られて殺されたくなければ入れろと、まさか……毒だとは……。という箇所は消え入るような音量で言われた。

 そこで侍女が口を引き結んだことによって今度はため息が鮮明に聞こえた。慎重に問いかけを行っていた者だ。


「だからと言って王子の飲み物に言われるままに得体の知れないものを入れるとは……」

「どうしようもなかったのです!」


 侍女ががたりと椅子から立ち上がった。その腕は拘束されており、脇には騎士団の者が一人。引き絞られた印象の声を上げて立ち上がった侍女に険しい顔をより険しくさせる。


「座るんだ」

「視線が、視線がついてきていました! ずっと、部屋に紅茶をお運びするときもずっと、確かに視線を感じました。見張られていました……それに……身体が勝手に動いていたのです、いけないと思っても身体は言うことをきかず……」


 それでも侍女は必死に自らの身に起きたことを主張する。目には何に恐怖しているのか、恐れ。強制的に座らされるにつれて声の勢いは衰えて行き、ついに力が抜けたように抵抗せずにすとんと椅子に座った。


「お前が紅茶に毒を盛ったことは間違いがないんだな?」

「……は、い」

「それは脅されたから仕方なくやったと」

「……はい」

「しかし誰に脅されたかは分からない」

「分かりません……」

「顔も見ていないのか? 服装も」

「分かりません……振り向いたときには、もう……でも、とても恐ろしくて、恐ろしい気配が、視線が、まとわりついてきているようで……」


 鼻を啜る微かな音。


「お、王子様が飲まれなくて良かったです……っ」


 見ると、一通り語り終えた侍女は息を詰まらせ涙を流し始めていた。

 仕える主人に、王族に大事がなくて良かったと、同時に犯そうとしていた罪に身を震わせていた。

 その痛々しい様子の侍女から最後に洩らされた言葉を耳にして、ルーウェンは僅かに複雑そうな顔をする。王子が毒を飲むことにならなくて良かったということは当たり前だ、しかし、その身代わり――と言うのは嫌なものだが毒を実際飲んでしまったのはアリアスなのだ。無事であったとはいえ、複雑な感情にもなる。

 約束通りルーウェンが一度も口を挟まずじっと見る前で侍女の尋問は続いたが、それからは新たなことは出てこなかった。




 *




「結局誰かは不明か」


 さほど期待はしていなかったため、ルーウェンは侍女が犯人を見ていなかったことについてはそんなに落胆していなかった。

 侍女の話した全てを頭の中で吟味するルーウェンは彼以外に人っ子一人いないので一人言を言いながら建物の壁沿いを歩く。

 昼間より気温の低い空気。辺りには風が少しばかり吹いて植えてある木の葉が擦れ合う自然の音と靴と固い地面のぶつかる小さめの音、そればかり。気にならない音だ。


「気になるのは『視線』なんだよな」


 気配が、視線がずっとまとわりついてきているようだった、と。

 あちらの騎士団の団員はきっとその言葉を気にしすぎたくらいにしか考えていないだろう。魔法師騎士団の団員が聞いてもおそらく同じようなもの。考えられたとしても、部屋に脅した犯人がいた可能性。

 だが……


「俺は『前提』に捕らわれすぎているのか……?」


 ルーウェンは浅く息を吐いた。そうしてから、とにかく聞いた内容を師に伝える方が先だろう。師ならば――

 そのとき、前は見ていたが半ば思考に沈んでいたルーウェンの意識が現実に戻る。耳が捉えた音があったのだ。彼は立ち止まりはしなかったが反射的に瞬間、自分の足音を消す。

 しかし聞こえるのは、足音。もちろんルーウェンのものではない。加えて、金属のぶつかる微かではあるがどこか耳慣れたそれは……剣だろう。

 そして、自らがいるのは。

 十秒足らずで、聞こえてきた人的な音と居場所とを考え合わせた結果足音たちの正体の当たりをつけた。

 歩みも止めなかったので彼の左手から建物の壁が途切れた頃、そちらに灯りが複数現れた。

 そうは言っても距離は近いものではなく、夜であることも手伝って詳しい服装はもちろん顔も見えない。

 だが、ルーウェンがこんな時間に慌ただしいな、とその走っている小さな集団に不思議に思っていたとき、集団の方が足を止めた。複数の灯りが止まる。

 ルーウェンもとっさに足を止め、距離は変わらず。


「誰だ」


 飛んできた鋭い声におや、と思う。


「ゼロか?」


 いる場所が魔法師騎士団の方に近く、集団がそれであることは予想していたわけで、おまけに声に半分以上の確信を持って問いかける。ついでに止めていた足をそちらに進めていく。


「ルー、何やってんだこんな時間に」


 すると向こうからもひとつ近づく灯りがあり、ルーウェンが相手の顔を認識出来る前にこれこそ確信した言葉がかけられる。

 その間に互いに灯りで顔が認識出来るくらいに歩み寄ってルーウェンが認めたのはぼんやりと灯りに照らされたゼロの顔。


「夜番か?」

「いいや、ちょっと侍女の方の尋問に立ち会わせてもらってたんだ」

「侍女の?」

「そのことであとで話したいことがあるが、そっちこそ何やってるんだ?」


 今度はルーウェンが尋ねる。

 こんな時間に慌ただしい。何があったのか。ゼロの後ろには騎士団の団員が五人。ただ事ではないことを悟る。

 そうすればゼロはちらとルーウェンが見た後ろに目を向けてから眉を寄せて低く短く答える。


「ブルーノ=コイズが逃げた」


 一時、周りが自然の音だけに戻った。

 そういう報告がついさっき為されたところらしい。

 ルーウェンもまた予想外の言葉に眉を寄せる。しかしながら、内容はすぐに頭で処理し、同行する意を表す。


「何? ――俺も行く」

「おう、とりあえず今牢に確認に行く途中だけどよ逃げてたら事だからな、助かる。よし、行くぞ」


 集団に加わったルーウェンはゼロたちと共に走り出す。方向は魔法師騎士団の管轄下の地下牢。ブルーノ=コイズを捕らえ入れていた牢屋。

 そうしながらも、ルーウェンは『逃げた』ということに理解はしたが納得がいかない。見張りの人手はさておき、逃げられないように厳重な設備にはなっていたはずだ。


「封じは」

「知らねえよ。完璧にやってたはずだ。奴が外から解こうとしても解けないくらいのものだ。されてる状態で解けるなんてもんじゃねえ」


 ブルーノ=コイズを牢に繋いだ鉄枷はただの鉄枷ではなく、魔法具の一種。枷をつけられた者の魔法の力を封じ込め、使えなくするもの。

 魔法師騎士団が管理する牢に入るのは大抵が魔法師であるので、基本的に念のため枷だけでなく牢自体も内側からはもちろん外からも魔法は跳ね返す、通じない仕様になっているのだ。

 確かに魔法の力がそれよりも断然大きければ解けるという可能性もある、が、今回、その強力さは元団長ということもあり強いものだった。だからこそ、事実かどうかが疑わしい段階。

 見た方が早いな、とそれ以降は走る音だけとなって黙々と一行がそれほど時経つことなく着いた先には軍服姿の者たちが幾人か立っていた。

 地下牢への入り口だ。

 足を緩め、近づくといた者たちが気がつき直立姿勢になる。

 ルーウェンが辺りをざっと見ていると同じくしてゼロがまず問う。


「番をしていた団員の死因は何だった」

「詳しくは……ですが、死因になり得るような打撲や切られたような傷はありませんでした」

「魔法か。封じが本当に解けてんのか――ったく、すぐに団員を集めろ」

「はい!」


 出入り口の番をしていた団員が死亡したことを知る。ゼロの指示で一人がその場を離れる。

 次いで、さっさと入り口から中に入るゼロの後ろからルーウェンも続いて入り、慣れたように階段を降りていく。


「牢の鍵も枷の鍵も元々見張りは持ってねえし、その鍵も来る前に確認させたが奪われてなかった。合鍵っていう手が一番現実的だな。そう考えると、協力者は炙り出したはずだったがまだいるってことか……」

「合鍵もそんなに現実的じゃないけどな

 。この状況だと考えられることはそれしかないか。奴が枷を鎖ごと持っていったという荒業はありか?」

「ぶっ飛んでるな。この際可能性としてはあるかもしれねえけど」


 とにかく、やはり枷をブルーノ=コイズ本人が解いたということは考えられなかったのだ。

 先程のゼロの「封じが本当に解けているのか」のあとにはきっと「それとも協力者が殺したのか」といった言葉があったに違いない。

 長い階段を挟む壁にはろうそくはなく、自分達で照らすしかない。変わらず手元の火で照らしながら足早に階段を降りる。

 地下に降りる切ると、降りていたときから徐々に鼻に入ってきていた臭いが濃くなったと感じていた横、運び出される途中の軍服姿。服は所々切り裂かれた痕があり、服だけに終わらず白い顔には派手に赤が散っている。続いてもう一人。

 目線を壁に移すと、赤はそこにまで及んでいる。少ないと言える量ではない。足元に目線を落とすと、乾ききっていない溜まり。


「牢にいた団員は、全員殺されましたね……」


 後ろからついてきていた団員の呟きが聞こえた。


「みてえだな……ああ本当マジだいねえ。全員上へ戻れ。ブルーノ=コイズが逃げた、城の門をまず固めて速やかに探させろ。念のため外もな」

「分かりました!」


 確認したのは奥に近い牢。他の通りすぎてきた牢と同様に空っぽ。そこに、一人の男がいたはずだった。だが、あるのは転がる鉄枷、地を垂れる鎖。中途半端に開いた、腰を屈めてようやく通れる出入り口。

 ゼロがその牢を見たまま、目を団員たちに向けずに命じる。そして、団員たちは一様に返事をして来た道を戻る、その足音が遠ざかって行く。


「派手にやりやがって……どんだけ殺すつもりだ」


 片方だけの灰色の目は冷ややかな色を表しており、それは二年前を彷彿とさせた。当時出奔したブルーノ=コイズ及びそれに付き従った元騎士団の団員たちを追いかけた騎士団の者たち。追いかけていた者たちの実力上何人も殺された。

 そのとき、自らも血にまみれながら運ばれていく軍服を見ていた目。それは決して死んでいった彼らを悼まない上で彼らに向けられたものなどではなく、その向こう、殺した者に向けられていたのだ。

 それは、今もそう。

 団員たちを一足先に捜索に向かわせたゼロは無人の牢の入り口を見ているようだった。

 ルーウェンはというと、血溜まりと壁に散った血をもう一度確認する傍ら、先ほど通りすぎて行った命ない団員を思い起こしてそれほど時間は経っていないかと考える。

 ならば問題はブルーノ=コイズはどのようにして逃げたのか。協力者がいると完全に確定すれば協力者も探さなければならない。その判断材料となるのが、枷と出入り口の破られ方。低い可能性で、魔法具の状態によりブルーノ本人が破った可能性もあるにはある。

 その壁に背を向けて牢に近づく――壁に完全に壁を向けたのは一秒ほど。

 後ろに何か気配があった気がしてルーウェンは突然腰に手をやり、差してある短剣を抜いて背を向けたばかりの方に振り向き様に投げる。

 それは、いくらか前にゼロにしたようにではなく、確実に刺すために投げられたものだった。まさに目にも止まらない、何倍もの速さ。


「……急に何してんだ? ルー」


 鉄格子をくぐり牢に足だけ踏み入れたところだったゼロがそのままの体勢で音に反応して振り返る。そこで彼が目にしたのは壁に突き刺さった短剣だったろう。投げたが誰だとはすぐに分かる状況、怪訝な様子で彼は尋ねてきた。


「……何か、いた気がしたんだけどな、気のせいだった」

「そうかよ」


 壁に突き刺さった短剣は何も捕らえてはいなかった。何も単に気配を感じたからと無闇に投げたわけではなかった。だが、事実として何もいない上に感じた気配は最初からなかったようにもう感じなかった。

 ルーウェンは身の内にすっきりしないものを抱えつつも短剣を回収する。

 改めて牢に寄ったときにはゼロが中におり、鎖を持って枷を宙吊りにしていた。


「鍵で外したんじゃねえな。――壊されてやがる」

「入り口もだな」


 砕けている、と表すことがしっくりくる。

 これは、一体どうやったというのだろうか。想像もしていなかった有り様だった。専用の鍵であれば普通に開けることは可能だ。だが、壊すとなれば話は別。ハンマーで砕こうと思って砕けるような代物ではなく、かと言って元団長のブルーノ=コイズが枷をされていない状態でも壊すことは不可能な代物。だがそんなことが出来る協力者など……。

 故障していたのだろうか。と低かったはずの確率の選択肢が残ることとなる。

 入り口は背が低い作りのため屈んでいたルーウェンは入り口に目線を注いだまま背を伸ばし立つ。

 ガチャン、と牢の中では鎖と枷が落ちた騒々しい音が響き、音が収まるとゼロが落として枷を見下ろしたまま声を話しかけてくる。


「何かいた気がしたって言ったかよ、ルー」

「それがどうした?」

「いたかもしれねえぞ。嫌な臭い――気配が残ってる」


 声は苦々しげだった。


「姿が見えねえってのは腹立つな」


 それから、苛立ち混じりでもあった。


「ゼロ、それは……」

「とりあえず、ブルーノ=コイズは一晩で捕まえるぜ」

「……そうだな、どうも聞かなければならないことが増えたみたいだ」


 一連の事がいつからどこまで繋がっているのか、意外なところに繋がりが出てきたかもしれない。協力者とは。これは、攪乱かくらんなのか。はたまた――。ルーウェンが師へ行う予定の報告案件が増えることは確実だった。

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