第22話 それぞれの役目

 天幕に残ったはずの漆黒の髪のジオが竜たちがいる場所へと姿を現した。竜の何体かが頭をもたげ、反応する。

 しかし、対してそれに構わず彼が歩いて行った先は、青の竜に話しかけていた弟子の元。


「ルー、結界魔法の準備をしておけ」

「師匠、何かあったのですか」

「ゼルギウスが来た」


 師の姿に何事かと歩みよって行っていたルーウェンはその言葉に眉を寄せる。


「まさかまた王都にまで行くとは思わなかった」

「王都に、一体何をしに」

「アリアスだ。腕輪が壊された、近い」

「まさか、アリアスはここにいるんですか……!?」

「ああ」

「なぜです師匠」

「ルー、動じるな」

「――分かっています」


 ルーウェンが一度目を強く、耐えるように閉じた。そして、瞼が開いたときには生まれかけていた動揺は消され、団長たる顔に戻っていた。


「……師匠が、出られるのですね」

「そうだ」

「俺はそれに備えて結界を張る準備をしておく、分かりました」


 淡々と、そうするように言い聞かせたような声。


「必ず降りてくる。魔法が見えたら全体に結界を使え、巻き添えを喰わせるかもしれん。それにその状態であれば竜は飛べるだろう」

「はい」

「レルルカ」

「なんでしょう」


 突然出てきたジオの後を来たレルルカが落ち着き払った様子で応じる。ジオもまたそれが分かっていて少し離れたところにまで来ていたレルルカに大きさのわりに通る声で難なく言葉を通す。


「ルーの補佐をしろ。大規模な魔法になる、魔法力の回復だ」

「詳しいことをお聞きする時間はないということですわね?」

「魔族が来る、それだけだ」

「ジオ様がお止めになるおつもりですか?」

「他に誰がやる」

「皆で」

「邪魔だ」


 規格外の魔法力を持つ男はなんということなく言った。


「こうなれば根を断ち切ればいい。元を断てば、敵の魔法も解ける」


 独り言のようなそれはいつもよりますます感情が表れていないような、欠けている声である。


「師匠、アリアスは今、正確にはどこにいるのですか。そもそも問題の魔族は」

「上だな。元よりこの地にある境目の綻びはどうも空中に生じているもの。ここに来るまでのを選ぶならその近辺を選ぶはずだ」

「あの魔族はアリアスをどうするつもりでしょう」

「落としでもするんじゃないか」

「師匠」

「怒るなルー、俺は真面目だ。少なくともあいつは落とす。餌のようにな」

「それは、」

「目をつけられていたな」


 ジオが空を仰ぐ。

 その動きにつられた者は一人や二人ではない。空は変わらず雲に覆われているが、その雲が不気味に動く。黒みが増したような気がするが、さっきまでの色を覚えているわけではないので誰も確信はないだろう。


「……師匠、俺はここを動けません」

「気を乱せば命取りになるからな」

「はい」

「言いたいことはアリアスのことだな」

「はい」


 ルーウェンはそれでもなお団長の顔を保っていたが、微妙な表情の動きと動作が動揺を隠しきれていない。

 いかな戦争状況の情報であっても彼を動じさせることはない。落ち着き払い的確な判断をしてみせるはずだ。

 だが、その情報だけは別だった。

 私情を挟むまいとしているが、不透明な安否と安全の確保をしたいのだ。


「俺が隙を見てやるしかないだろう。ますますあいつの気を引くことになるが、はさせん」

「それならば……いいえ師匠、一人適任がいます」


 言うなり、青い竜をひと撫でしてからルーウェンは踵を返した。




 *




 ぐいっ、と後ろ襟を掴まれた。

 突然、竜に登ろうとしていたところらしくなく乱暴にルーウェンに引っ張られたのだ。


「おいルー、落ちるなって言ったのにお前が落とそうとしてどうする」

「ちょっと降りろ、ゼロ」

「作戦始まるっての――」


 割増で真剣で険しい表情、殺気さえも漂わせそうな友人にゼロはそれ以上は言わず、地に足をつける。


「なんだよ」


 後ろから悠然と彼の師までもがこちらに歩いてくる。天幕にいなかったか? 何か起こったと察し、促す。


「俺が行きたいのは山々だが、ゼロ、お前に任せる」

「まず話抜かすな、どうしたってんだ」

「アリアスが魔族に連れてこられてここにいるらしい」

「はあ?」


 理解できない、のか理解したくないのかここはどこだ。戦地だ。

 王都、学園にいるはずの少女がここに?

 そして魔族、やはり魔族が来たのか。

 以前見た魔族、あれがアリアスをここに?

 全て聞いたわけではないのにその事実のみで激情が起ころうとしたとき、友人と恋人の師が近づいたことがないくらいに、ずいと寄ってきた。

 ゼロは職務以外の場で、私的なことでジオと言葉を交わしたことがない。


「ゼロ、お前はあれを守れるか」


 紫の目は感情読めず、淡々とゼロを見ている。

 単刀直入に言われたことが誰を示すのか。


「守ります」

「人をやめてもか」


 構わない、と間髪入れられなかった試されるような質問内容を理解するより先に、答えていた。

 戦地にいることなど耐えられるはずない少女が近くにいる、あろうことか安全の保証されない魔族に連れて来られている。

 怒りが芽生える。傷ついているかもしれない。守れないのか。もどかしくて仕方がない。


「馬鹿か、人をやめない程度に守れ。上に注意して役目を果たしながら上手くやれ」

「無論です」


 言われなくともゼロは自分が今ここにいる立場は忘れてはいない。するべきことを。

 だが、どちらも譲る気はない。どちらも為す。


「返事はいいが、実行できなければ弟子はやらんからな」

「その許可、あなたに取らないといけないんで……」


 友人に聞いていた過保護の言葉が似合わなさすぎる男にその断片を見て、思わず言い返す。

 けれども、途中、途切れさせる。

 その目に夜が明けるがごとく異なる色が混ざり始めたのだ。

 目が他に移ったとき、色彩は少なくとももはやゼロにその正体を惑わせた邪気ない紫などではなかった。

 ゼロは思わず左目を意識した。


「あんた、やっぱり」

「俺は人に近くあろうとすることをやめれば何も守れん」


 いつも無表情だとしか見えなかった顔に過ぎった感情はなお読み取れない。


「だからお前が上手くやれ」


 ゆら、と揺らめいた黒は髪だろうか、服だろうか。他のものだろうか。


「望み通り戦ってやろう、ゼルギウス」


 響かず落とされた声は無情で冷たすぎるもの。

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