第9話 若き騎士団団長たち



 ある部屋の扉を少しだけ乱暴に開けたのは、旅装を解き、白いシャツに前を開いたベスト姿のルーウェンだった。

 彼が入った部屋の中は薄暗かった。時間は真夜中に差しかかる。月が出ている真っ暗な外は見えない。窓にはカーテンが引かれているからだ。

 部屋は無人ではなく、ルーウェンの部屋ではなかった。部屋に入って左にただ一つ小さな灯りが周りを少しだけ照らしている。灯りの元のろうそくがテーブルの上に一本だけ立っている。


「ルーじゃねえか」


 部屋の主は、ソファにずれかけているぐらいにだらりと腰かけていたゼロだった。

 ドアが開いた音でむくりと起き上がりソファに座り直し、入ってきたルーウェンを見て口の端を上げる。その顔には夜、自室とはいえ眼帯がある。


 入ってきたルーウェンはというと、手に持った黒紫の瓶をゴトリと卓に置きながら、ゼロの正面に位置する一人掛のソファに腰を下ろす。

 帰ってきたばかりもあってか、少々疲れが滲んでいる。


「帰って来て早々酒盛りか? 寝た方がいいんじゃねえのか」

「今のままで寝られるか」


 持っていた瓶は三本に至り、最後の一本をゴン、と置く。小さなグラスも持っており、その一つを中心より少しだけ向こうに滑らせる。


「アリアスのことだ」

「仲でも取り持ってくれる気になったってのか?」

「そうだと思うか?」

「いいや。やってもらう気もねえな」


 酒の注がれたグラスが二つ。しかしどちらも手をつけない。

 ルーウェンは部屋に入ってきたときから、真剣な顔をしている。酒を注いだ手をそのまま頬につく。


「あれは本気か?」

「まだ疑ってんのか」


 ゼロも頬杖をつき、呆れた目をする。ルーウェンが振った話題は、今日の彼が戻ってきたときに突然発覚した妹弟子へのゼロの『一目惚れ』の件だった。


「お前に疑われちゃあ困るな」

「自業自得だろ」


 笑みを浮かべるゼロに対し、ルーウェンはずっと真顔だ。


「相手にするなら、一晩の相手がいい。それ以外の時間に干渉されるのはごめんだ。だからといって同じ人物だと後々面倒になるから、関わるのであれば、後腐れもない遊んでいる女がいい」

「…………」

「以前、そんな話になって言っていただろう。それは、どうした?」


 先にグラスを手に取ったのはゼロだった。一気に中の液体を煽る。ガンッ、グラスをテーブルに置く。

 いつもは高い位置でまとめられている灰色の髪は、低い位置でくくられて垂れていた。加えて、ルーウェンを再び見据えた顔には口の端にあった笑みはなかった。


「なあ、ルー」

「何だ」

「そりゃあ、いつの話だ?」

「……一年前くらいか」

「信用がねえわけだ」

「ゼロ、教えろ。お前は本当に本気か?」


 ルーウェンがこれだけ友人を疑うような真似をする理由がある。

 一つは、騎士団の団員内での酒の場ではあったが、そのような話になって、ゼロが答えているのを聞いたことがあったから。

 二つ目は、あの言動。ルーウェンの知る限りでは、ゼロは跪いたりする男ではなかったはずだ。まして周りが見えていないような。

 だから、自分の目が信じられず戸惑った。こいつは本当にあの友人か、と。


「俺だって信じられねえ部分がある。一目惚れなんてこの世にあるなんてな」

「ゼロ、」

「俺は本気だ。こんなの初めてだ」


 それが分かっているのかは分からないが、その前でゼロは目を細める。何かを思い出しているようだ。


「言いたくて仕方ねえ、伝えたくて仕方ねえ、自分のものにしたくて仕方ねえ。俺のことを、俺のことだけを見ていて欲しい。つーかもう結婚したい」

「ゼロ」

「くらい、好きだな」

「……お前、それアリアスに言ってないだろうな?」

「どれを」

「全部」

「全部はさすがに言ってねえよ」

「そうかなら良……くない。全部『は』って何だゼロ。どれを言ったんだ」

「『好きだ、結婚してくれ』」

「…………おま、…………ゼロ、お前アリアスに五日前に会ったって言ったな」


 飛びすぎた言葉に額を指で抑えながら、どうにかルーウェンは言葉を繋げる。


「ああ」

「どこで会った」

「……訓練場から竜の『巣』へ行く方向にある城の庭の一つだったな」

「どれだ。いや。もういっそのことそこはいい。そこで会ったとして、まさかお前今日の『あれ』みたいなことしたのか?」

「まあな」

「……膝ついて、手を取った?」

「ああ」

「アリアスはどんな反応した?」

「逃げられた」

「……そうだろうな」


 とうとうルーウェンはため息をつく。

 彼の記憶の限りでも、アリアスとゼロの様子からしても、二人が会うのはゼロの言う五日前が初めてだろう。

そこで一目惚れした、というだけでもルーウェンにとっては耳を疑う出来事であった。それにも関わらず、目の前の友人はあろうことか初対面で求婚までしたらしい。

 求婚。事実か?

 ルーウェンには、聞いていることとそれをしたらしい人物が頭の中で繋がらなかった。だが、もうその場面を今日見てしまっていた。妹弟子の酷い戸惑い様も。


「ルー、お前ぐいぐいくるな」

「……当たり前だろ、アリアスのことだぞ」

「人のこと言えねえだろ」

「妹弟子のことを心配して何が悪い」


 ゼロは呆れた顔をする。それに気がついたルーウェンはなぜ今ここにいると思うんだ、と言わんばかりに顔をしかめる。


「お前が本気なのはこの際もうよく分かった」

「おう」

「でもな、今日みたいなことこれから絶対するなよ。ぶっ飛びすぎてる。というよりも俺が見るに耐えない。誰だあれは」

「そりゃあ心外だ。でもまあ、」


 友人の表情に心底心外そうな表情になったゼロは、真剣なものにまたそれを戻す。


「さすがに俺も思ってる。相手のことをちゃんと見てなかった。正直今日はお前に止めてもらって良かったと思ってる。また逃げられるところだったぜ」

「理解が得られたようで安心した」


 どうやらあれから少し冷静になったらしい。ルーウェンは背もたれに背を預けながら安堵する。しかし、ゼロによって続けられた言葉にまた心なしか前のめりになることになる。聞き捨てならない、と。


「これからは出来る限り自粛する」

「『出来る限り』は止めろ。触るのは厳禁な。跪くのも止めろ。いきなりすぎる言葉も止めろ。それから……」

「ルー、お前こそ誰だ」

「兄弟子だ」

「お互い様じゃねえか」

「どこがだ! とりあえず、アリアスが困るようなことは止めろよ」

「大雑把だな」

「それから、」

「まだあんのか」


 ゆら、と二人の間のただ一つの灯りを提供する蝋燭の火が揺れる。その小さな光がルーウェンの青色の目に映る。


「それこそ、ふざけた真似してるとぶっ飛ばすからな」

「大雑把な上に物騒だな」

「覚悟がないなら止めろ。俺の妹弟子だぞ?」

「そりゃあ無理だ」


 ゼロもまた、その灰色の目を蝋燭の橙色の光に染めながらルーウェンを真っ直ぐに見返す。


「どうも消えそうにもねえわこれは」


 二人の間には、緊張した空気が流れた。友人同士が流す空気では決してない。

 それが、一分。

 緊張感を緩めたのは、ルーウェンだった。根負けしたように再び背もたれに背を預ける。


「どうもお前は本物のゼロらしいな」

「今頃そこかよ」

「疲れて帰って来たっていうのに、殴られた気分にされた俺の身にもなってくれよ」

「大げさだな」

「どこがだ。俺は今日で何度お前を疑ったか分からないぞ。一生分疑ったかもな」


 再び頬杖をついたゼロ、背もたれにもたれたルーウェンは、互いを見る。


「あーもう今日は飲む。疲れた」

「寝ろよ」

「付き合え」


 話はそこで終わった。ルーウェンは口元に緩く、ゼロはにやりと笑みを浮かべる。ルーウェンの手には瓶。ゼロは席を立ってすぐに戻ってきたかと思えば、手には蝋燭があり蝋燭立てに刺し、その手をそのまま翳すと、魔法の火が灯った。

 二人の酒盛りは、酒を足して足して火が消えるまでに至った。


「ぶっ飛びすぎてる……か、……俺もそんなつもりはなかったっての」





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