第10話 三度目



 三度目に、その人が前に現れたとき別人のように『普通』だった。


「アリアス!」


 アリアスは城から出て塔に戻ろうとしていたときに、左手の方から声をかけられた。

 立ち止まってそちらを向くと、軍服姿のルーウェンがにこにことした笑顔でこちらに歩み寄ってくるところだった。歩く度にガチャガチャという固い音がするのは、腰に剣があるからだろう。


「ルー様、こんちには」


 自分を呼んだのが二日前に王都に帰ってきたばかりの兄弟子だと認識し、アリアスは身体ごとその方向に向き応じる。

 ルーウェンの銀色の髪が太陽の光を反射させる。背の高く、足も長いルーウェンは十数メートルあった距離をすぐに詰めてくる。

 しかし、笑顔で応じたアリアスはその横に一人の人物を見つけてしまう。瞬間、意識したわけでもなく身体が強ばることを感じた。


「アリアス、今からどこに行くんだ?」

「えぇ……と、塔の師匠の部屋に」


 先にアリアスの前に来たのは声をかけてきたルーウェンだった。いつものごとく柔らかな笑みで妹弟子に問いかける。

 アリアスはといえば、若干落ち着きを欠きながら返答する。目は主にルーウェンに向いているのだが、時おりその斜め後ろに立ち止まった人物に目線が彷徨ってしまっているのだ。


「ああ、そういえば一昨日仰ってたな」


 塔の部屋へ移る、と。

 そんなアリアスの前で立ち止まったルーウェンはそこでアリアスの様子と視線に気がついたか、斜め後ろに顔を向ける。


「……そうだった」


 そうして一言呟くと、何をするのかと思えば一歩後ろに下がりあとから来たゼロの隣に並ぶ。二人は同じ軍服姿ではあるが、その襟にある襟章の色が青であるルーウェンとは異なり、ゼロは白だ。所属騎士団の違いからだろう。それから、ゼロも腰に剣を穿いている。

 魔法師の騎士団と言っても例外ではなく、普段魔法を使うことは訓練以外では原則ない。もちろん有事の際は別である。加えて、通常の騎士団と変わらぬ業務を行うということもあり剣の訓練も行い、全員が通常の軍人と同じく剣を使える。剣は通常装備なのである。


「アリアス。えーっとな、こいつを改めて紹介したくてな」

「……え?」

「何というか、この前は……あれだったからな。だから――ほらゼロ」


 アリアスの緊張気味の顔の意味が分かっているルーウェンは、しかしながら、言葉を濁して傍らの男の背を一叩きした。色々と誤魔化したように取れる。

 一叩きされたゼロはというと、大した威力はなかったがまさか押すようなことをするとは思っていなかったので、半歩前に出る形になる。ガチャリ、と剣が音を立てる。

 それから当然、アリアスからはルーウェンよりも彼の方が近く感じるようになる。思わず退きそうになってぐっと堪える。さすがにそれは失礼である、と頭の中で分かっていた部分が押し止めたのだ。


「……あー、えーと」


 前に出されたゼロは口を開いたはいいが、頭に手をやり中々意味を為す言葉を言い出せない。これは『普段』の彼らしくないものだった。

 それをアリアスはまだ落ち着きのない様子であるから、これまでの二度とは異なる様子の違和感にも気がつかず。

 ルーウェンはというと、その友人の様子を横目で見て、肘で小突いた。突如のそれにゼロは呻く。


「……て」


 アリアスに見えない角度から素早くゼロの背中を小突いたルーウェンは、それに顔だけ振り向いたゼロに笑顔のままで無言の促しをする。さっさとやれ、と。アリアスのその状態をどうにかしろ、と。今やらないともうチャンスやらないぞ、とも。

 昨日、酒盛りから朝起きてからの会話でゼロが今日の言うべきことは決まっていた。そのことを言っているのだ。ゼロもまたそのことを正しく汲み取りながらも、自分らしくもなく中々口に出せなかったところを促されて心を決める。前を向く。


「……この前は悪かった」

「……え?」


 さ迷っている目を見て、ゼロは言う。

 アリアスは呆けた声を出す。


「いきなりあんなこと言って困らせて」


 アリアスは拍子抜けする。初対面と二度目の衝撃から、その行動に思わず身構えてしまっていたのだ。視線だって定まっていなかったことは自分でも分かっていた。

 けれども、目の前にいるのはあの衝撃の人物と明らかに同じはずなのに……自分からすると別人のようだ。いきなり……意図の分からない言葉を言われることもなく、膝をつかれることもない。


「とりあえず、今さらなんだが俺はゼロ。白の騎士団の団長をしてる」


 そう言って差し出された手を凝視してしまう。

 言われた言葉を頭の中で反芻する。

 自己紹介。普通のことのはずなのに、何だか驚いてしまうのはなぜか。きっと第一印象だろうなとアリアスは思う。そうしながらも、手を取ることはまだ出来ずにそっと手の主を見上げる。ルーウェンと同じく背の高い手の主は、こちらをその灰色の目で真っ直ぐに見ている。顔は真剣そのもの。

 それからちらり、とその僅か後ろに立つルーウェンを窺う。

 すると兄弟子はなぜか一人頷いていた。が、視線に気がついたのか目を合わせて、それからにこりと笑ってくれる。

 そこでアリアスは思い出す。ああ、そういえばこの人は兄弟子の友人なのだったか。

 やはり、兄弟子の友人で騎士団団長であるならば妙な人ではないのだろう。いつぞやのことは何かの間違いだったのだろう。

 その瞬間、アリアスの中に構築されたのは、兄弟子への信頼から移った、目の前のその友人の挽回された印象だった。

 アリアスはルーウェンの青の目から目を離し、改めて目の前を見上げる。その目はもうさ迷うことはない。


「――はじめまして、ジオ様の弟子でルーウェン様の妹弟子に当たるアリアスと申します」


 その手は、多少遠慮がちにではあるがゼロの手を取った。

 ゼロが『ルーウェンの友人』、としてアリアスに『普通』に受け入れられた瞬間であった。

 ゼロはアリアスに触れられた瞬間、ピクリと動いたのみだった。



「じゃあアリアス、師匠によろしくなー」

「はい! ルー様もゼロ様もお仕事頑張ってください」


 それからほどなくして、アリアスと二人の団長はその場で別れた。





「ゼロ良かったなー」

「……ああそうだな」


 歩き始めた二人の内、ゼロは微妙な顔をしていた。

 それというのも、意を決したは言いすぎかもしれないが、差し出した手をとられる前の少女のルーウェンへ向けられた視線。それから初めてと言っていいほどに真っ直ぐに向けられた目と共に言われた『はじめまして』の言葉。地味にダメージを受けていた。

 確かに手を取られなかったらという最悪の状況は避けられたが、一度目と二度目が綺麗に消去されたような気がするのだ。

 だからと言って、ルーウェン曰く『ぶっ飛びすぎてる行動』をすればその距離はあっという間に開くだろう。そもそもさっきの言動だって昨日改めてルーウェンに言われたものだったからだ。

 一度印象を改めた方がいい、と。

 それはきっとアリアスの様子を見て成功だろう。何しろ『はじめまして』だ。確かに一度目と二度目はろくに挨拶も出来ていないとはいえ……。


「今、俺がどれだけ複雑か分かるか?」

「分からないな。良かっただろ? 距離の修復は出来た」


 隣のゼロの真顔とは反対に、ルーウェンはそれはもう笑顔のままだった。

 アリアスとゼロとの関係に満足しているようだ。妹弟子が挙動不審になることもない。友人の見慣れぬ行動を見ることもない。彼にとっては理想だった。


「ルー、」

「いいかゼロ。くれぐれも突拍子もないことを言ったりすることは止めろよ」

「それ、具体的にどれくらいの範囲だよ」


 先は長い。しかし、アリアスの当初の反応を思い出して、ゼロは仕方がないかと思いとどめる。だが、本音を言うと、今のような行動がいつまでもつかというところだった。

 二人は騎士団の方へ歩いて行った。





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