第7話 編入

 そもそもアリアスが学校に行っていないのには大した理由は存在しない。ただ、師が最高位の魔法師で行く必要がない、または行く以上の価値があるとされるからだ。

 貴族の身分で魔法の力を持って生まれたが将来魔法師になることはないので学校には通わせず、その他の教養のように教師を雇い基礎のみを習わせる者もいる。

 無論、学校に通わせることの方が圧倒的に多いがそれゆえに、アリアスが学校に通っていないことはそんなに珍しいことではない、はずなのである。身分は別として。


「一人で歩いたら迷いそうだなぁ……」


 魔法学園なるものがあるのだと知ったのは、いつだったか。誰から聞いたのだったか。これは師でも兄弟子でもなかった気がする。

 それはさておき、アリアスがいるのは、王都の魔法学園の学舎。昨日学園長に連れられ乗せられた馬車であれよあれよという間に着き、目にした建物は想像以上に大きく立派だった。

 城のよう……とまではいかないが全貌が見えなくともかなりの大きさ、だがただ大きいわけではなくて全体的に白壁のそれは美しい、と形容できるものだったのだ。

 現在アリアスが歩いている中にしても、通路は長く、学園長室から出てから何分経っているだろうか。

 一抹の不安が過る。これは、いざここでの生活が始まって迷わないだろうか。


「絶対迷う」


 アリアスが目を落とした先には地図……と言える代物。だが、必要最低限しか記されていない。そう、学園長室から教室への道のり。まさにアリアスは今、一人で歩いているのだ。

 もう結構昔のことで覚えていないが城に行ったばかりの頃よく迷っていたような気がする。何年経っても立ち入ったことがない場がたくさんあるほどの広さの城まではいかないものの、アリアスにとっては未知の場所だ。





 やがてアリアスがやって来たのは、ある通路。授業が始まっているのか、歩いてきた通路には人気はなかった。そして、来た通路にも人気はやはりなかった。

 もしや少し前にした音がその合図だったのだろうか。城の鐘とは違う少し高めの音に、学園内に十分響き渡るだけの音。

 けれども今、かつんと小さく響くのは言わずもがなアリアスの靴音。

 アリアスの服装は、学園の制服に変わっていた。どうやら制服があるらしい。制服はワンピースタイプで丈は膝下までもので、堅苦しくなく軽いものだった。靴も普段愛用している短めのブーツではなく、暗めの茶色の革靴。

 その足を止める。

 紙から顔を上げ、上を見る。

 銀の鎖で吊り下がっているが屋内で風もないので揺れはしていない、一枚のプレート。彫られている文字を確認し、目線を下ろす。

 ひとつの部屋――アリアスが所属することになる教室クラスだ。

 ゆっくりと腕を上げてドアに手を触れる。その少し冷たい感触が指に伝わり、息を小さく吐く。

 緊張、だった。胸にあるのは。

 それを息を意識して吐くことで少し落ち着け、アリアスはドアをノックする。


「――どうぞ、入って下さい」

「失礼します」

「途中ではありますが、」


 中にいるほとんどすべての視線が集まったことを感じる。

 その、教師を除く全員が、同じ制服を身につけた同じ年頃の少年や少女だ。

 当たり前だ。ここは魔法学園。魔法師の雛を育てる場所だ。

 だが、アリアスにとって同じ年の人々と関わることは当たり前で自然でいつもの光景ではなかった。

 教壇に立つ教師は柔らかな笑顔をしている男性で、静かに歩いて教室に入ってきたアリアスを横に促す。確認し、それから区切っていた言葉を続ける。


「先ほど言っていた編入生です」

「――アリアス、コーネルです。えぇと、よろしくお願いします」


 仕草で促されて、自己紹介を簡単にし、アリアスはぺこりと一礼してまた背筋を伸ばして前を向く。詰まったこと以外、声には存外緊張は表れなかった。

 しかしながら、好奇の目線をひしひしと感じる。


「皆さんはもう去年の時点で科選択が済んでいると思いますが、アリアスさんは編入したてということでしばらく三つの科の授業を見学体験してもらうことになります。施設が離れていたりすることは皆さんも承知のことでしょう。慣れるまで面倒をみてあげてください」


 その中で教師は見かけ通りの穏やかな声を教室に通す。言葉からあらかじめ言っていたことがうかがえたのでそのせいか教室は騒がしくならなかった。


「アリアスさんはこれを」


 ふいに教師がアリアスの方を向き、何かを差し出す。紙だ。

 紙には線で区切られそれぞれ文字が短く連ねられている。


「当分の間の時間割です。科選択のことは学園長に聞いていますね? これはその選択に役立ててもらうための時間割となっていて満遍なく参加できるように組んでいます。悩んだときは遠慮なくクラス担当教師である私に相談しに来て下さい」

「はい」

「ぴったりの科が早く選べるといいですね」

「ありがとうございます」

「あとは……そうですね、席です。席はあの空いている席を使って下さい」


 示されたのは一番後ろ、通路側から二番目の席だった。

 アリアスが席につくと、どうも授業ではなく朝礼だったのか、教師は連絡事項と思われることを言って教室を後にした。

 途端、女子生徒たちがアリアスの席の周りに集まってきた。渡された紙をじっくり見ようとしていてびくりとしたアリアスをよそに女子生徒の一人が話しかけてくる。


「編入生でここまで飛び級ってことは、他の学校に通ってたの?」

「いや、そういうわけじゃないです」

「やだ、なんで敬語なの? いいよ初対面だからって」

「え、と、癖で」

「もうっ、最初っからぐいぐい行きすぎ。困ってるじゃん、アリアスちゃんが」

「でもさー、通ってたわけじゃなくて飛び級ってすごくない?」

「うんうん、それは確かに」

「誰かに魔法、教わってたの?」


 歴史、計算等の一般的な教養。魔法石、魔法具の知識仕組み。等魔法師の専門的な分野。それから、魔法そのものの技能。

 昨日、早急に筆記と実技とでアリアスは力を測られた。その上で五年生に編入することが決まった。


「はい……じゃなくて、……うん。一応」

「じゃあ、師匠がいるんだもしかして」

「へー、そういうの珍しいよね」

「師匠ってなんかいいよね」

「何がよ」

「響きとマンツーマンな感じが」

「師匠ってすごい魔法師の方?」

「すごいって」

「だってそうじゃない。通ってなくても進度に差し障りがないってことでしょ?」

「聞き忘れてたんだけど、いくつ?」

「じゅ、十六です」

「あ、また敬語。ほんと癖なんだね」


 ひとつの答えでぽいぽいと会話がなされ、流れていく。

 圧倒された、というかその流れの早さに飲み込まれつつあるアリアスは普段一人言でしか使わない口調に切り替えることが難しく、笑われる。無論邪気のない笑いだ。

 そして、その後にも問いは途切れない。


「なんで編入してこようと思ったの? あ、別にこれは変な意味じゃないよっ」


 魔法学校、魔法学園、とは言い表し方は違えどどちらもほとんど同じ意味で使われている。魔法師を育てる学びの場だ。国内に王都にあるここの他、いくつか存在する。

 しかし、その中でもただ『学園』とだけ呼ばれる際には王都の魔法学園を指している場合が多いらしい。王都の魔法学園は王の膝元、国の中心――王都にあり国内一優秀な者が集まることにより、『魔法学園』の最たるものとされているためだという。

 その『学園』には十二もしくは十三歳からの入学が可能で、順調に行けば十八歳で卒業――これが成人が十八ということに関わっている――で一年生から六年生制。

 しかし、王都の学園は国で一番レベルが高いので卒業試験に落ちる者が多々出る、学年が上がるごとに留年する者が現れるだけでなく増えることで有名であるらしい。そのため、他の魔法学校に転入して卒業する者もいるとか。

 ゆえに、


『編入ということはこの学園においては極めて異例です。貴女は少なからず注目されることになるでしょう』


 と早朝学園長に学園長室で言われたことを思い出す。


「ねえもう授業始まっちゃうよ。一限はどこの授業に参加するの?」

「えっと……」


 ひょいと一人の言葉で皆して机の上の紙を覗き込む。


「あれ? もしかして騎士科の授業にも行くの?」

「ほんとだー、うちの学年って騎士科の女子いた?」

「いないんじゃない?」

「うわあ、忙しそうこれ」


 編入した当の五年生にもなると三つの学科――騎士科、普通科、医療科。とそれぞれの進路に従い分かれているようだった。

 つまり、朝礼では同じひとつの教室にいる彼らではあるが選択している科は人によって別々だという。

 アリアスの机の上にある時間割には毎日六限までが記されており、授業の名前が四種の色で色分けされていた。

 黒、藍、茶、緑。たとえば剣術、と目についたそれは藍色だった。


「藍色は騎士科、茶色は普通科、緑色が医療科……で、黒は、」

「共通授業よきっと」

「ほんと、そうみたい」

「あ、ありがとう」

「いいよーこれくらい。わたし普通科だからそのときは任せておいて」

「ありがとう」


 頭の右側からひとつに結った茶の髪が揺れる女子生徒がどんと音がしそうな勢いで胸を叩いた。胸元にはリボン。

 あれ? とアリアスはあることに気がつく。リボンの色がその隣の女子生徒とは異なるのだ。


「このリボンって、」

「そうだよ、リボンで科が分かるようになってるの」

「男子はタイだけどね」

「少なくともうちのクラスには騎士科の女子はいないから女子は茶か緑よ。ほら、その文字はそういう色分けっていうことね。クラスの男子の半分は騎士科だから藍」


 アリアスは自分を見下ろす。胸元で存在を主張しているリボンは茶色。科が決まるまでの措置だろうか。

 周りの彼女たちもそれに気がついて同じような考えを話していた。


「一限はっと、騎士科の……剣術って、参加するの?」

「するの、かな?」

「あたしたちは見学だけしたから、見学だけかもね。ねえ男子、誰か――」

「騎士科の授業に参加するのか? それなら案内は僕が引き受けよう!」


 突如割って入った男子の声。

 どこかで聞いた声がした。

 声の主はちょうどアリアスの後ろを通りすぎるところで反応したらしい。真後ろから声は聞こえた。


「お、お王子様がいち早く反応するとは思わなかったわ」

「あたし王子と初めて同じクラスなったからまだ慣れないわー」

「分かる、わたしも去年そうだったもん」

「全然近寄り難くないよねー……でも躊躇しちゃう。王子様だもの」


 振り向くまでにまたも言葉がいくつも飛んだ。

 結果、短い間にも関わらずぼんやりと心当たりが脳裏に浮かぶ。そういえば、彼は――


「アリアス、久しぶりだな!」


 真後ろで足を止め、大変涼やかな色彩で輝くような笑顔をしていたのはまさに、この国の王子様フレデリックであった。

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