第13話 互いの思い
見える限りの空を覆い尽くす雲が降らせはじめた王都の初雪は、昼過ぎから勢いは弱いものでありつつも止むことはなくちらりほらりと降り続けていた。
夜になっても、ずっと。
ゼロに会い、夜に会う約束をして別れたアリアスの胸には固い緊張があった。どうとも表現しようのない今までにはない種類の緊張、と顔を合わせたくらいと言ってもいい短い時間しか会わなかったゼロのことが、久しぶりに聞いた声と見た顔が思い出されるばかり。午後からは何一つとしてやること為すこと身が入らず、深呼吸してみても変わらない緊張を抱えたアリアスは――
「あの、ゼロ様」
「ん」
「膝の上からは下ろしてもらえると……」
ゼロの部屋で何故かソファに座るゼロの膝に座っている状態になっていた。
とりあえず「話」をする心構えで部屋に入った。ここまではいい、しかしながら促されるままにソファに向かうと、腰を抱かれてバランスを崩したかと思うと座ってしまったのはゼロの膝の上だったのだ。それも、疑うべくもなく故意に。
それで困ったアリアスは落ち着かないから下ろして欲しいの意を含めたことを述べたのだが、
「無理」
間髪入れず返ってきた返事がこれなのでどうしたものか。
アリアスがまた何か言う前に腰に回る腕と手に力が入れられ、アリアスは自然とゼロにもたれかかるようになってしまう。
「俺が安心するまで」
耳に響いたのはいつも二人きりのときに出される心臓に悪い甘い響きの声というよりは、静かな声。もたれかかってさっきより近い距離で見つけた灰色の瞳も昼間と同じように静か。
言われたことに、そういえば彼とは傷が完全に治ってからははじめて会うのだと分かっていたはずのことを改めて思い出した。
この体勢は恥ずかしくて落ち着かないということだけで、居心地が悪いわけではない。だからアリアスは膝の上腕の中で抱き寄せられてすぐ側の彼の存在を感じながらじっと身を任せることにした。
これで安心するというのならば。
蝋燭に灯された火が照らすのは部屋だけではなく部屋にある二つだけの姿も。
膝の上で力を抜いたアリアスを抱いたゼロはしばらくして、生まれていた静寂をゆっくりと破った。
「傷は塞がったんだよな」
「はい。レルルカ様が治してくださいました」
前から回された手がすっと腹部を撫でたのでアリアスはピクリと一瞬反応してしまう。
「聞いてはいたけどよ、会って安心した」
意図して腹に触れた手は持ち上げられて、
「こんなことなら早く会いに行けば良かったのにな」
ゼロは片方の手でアリアスの頭を撫で、艶やかな長い茶の髪をすいてゆく。髪の感触を確かめるように動き下りていく手のひらに、最後に毛先が滑り落ち、髪は元の通りに落ち着いた。
下りていった手は腕を辿って、視線を落とすことはせずアリアスの手を見つけ出す。
「悪い。アリアスが困ること言った」
絡めとられた指に意識が向いていると、ゼロが言った。それが何を指して言うのか、前に会ったときのことだと理解したアリアスは軽く身を起こし直して首を横に振る。
「――いいえ私の方こそ、」
「違う」
違わない。アリアスはそう思うのに、今度はゼロの方が首を振る。
「あのとき俺の方が感情的になるのはおかしかった。アリアスは状況整理出来てなかったと思うのに、悪い」
彼はもう一度謝り、そしてアリアスを真っ直ぐに見て言う。
「俺はサイラス=アイゼンと関わりが全くなかったって言ってもいいくらいであいつがしたことに怒りでいっぱいでそれしかなかった。だから、アリアスが考えてること言ってくれ」
考えていることを言ってほしいと。
言われたアリアスは唇が震えた。
すでに一週間以上の時が過ぎた。サイラスが受け止め難いことをし姿を消し、一週間以上。
サイラスのことを全く考えなくなったわけではなかった。いくら考えることが無駄であり止めようと思っても、考えたくないことほど思考の隙を縫ってふとしたときに出てきてしまうものだ。
ゼロはサイラスに怒りを覚えている。ルーウェンもゼロは怒っていると言っていた。それは明らかにアリアスがあのようなことになったからで――。
目覚めたばかりのときは抱き締め今もアリアスを膝に抱くゼロを側に前に、アリアスは尋ねられ言おうとしていることが正解なのか言ってもいいのか分からない。
「アリアス」
兄弟子とは異なる穏やかな声が口を開かないようにするアリアスを促し、触れられていた手が握られる。
灰色の目、声、手の感触で促されたアリアスはぎこちなく息を吸い、口を開く。
「――サイラス様は、様子がおかしかったんです」
サイラスは師を殺しかけるという罪を犯した。残虐な行動をしていた。アリアスもあわやというところであったと聞いた。
師は魔族がいるのではないと言った。それなら――サイラスは彼自身の意思で全てを行ったことになると思わざるを得ない。
でもアリアスは、ここまで来てもなおサイラスが自分の意思でそうしたと思いたくないのだ。彼自身の意思ではなく何かが作用したと思いたい。
否定をし、否定を肯定してほしい。
「だから、だから私は、……サイラス様が自分の意思でしたのではないと、思いたいんです」
口に出してしまって一旦口を閉じて、表情の変わらないゼロに言葉を重ねる。
「サイラス様は、どうなるんですか」
「どこにいるか分からねえからとりあえず目撃証言を集めて探してるところだ」
サイラスはどこに行ってしまったのだろう。彼は何を考え、どこに。これもまた、考えても分からないこと。
師は全く話題を出さない、兄弟子も極力それに触れないようにしていたこともありどうなっているのか全く分からなかった。
「探させるだけだ。で、連れ戻す。仮の罪人だからな」
言葉を絞り出すように出したアリアスの頭を宥めるように撫でるような手つきで髪を流す手が、するりと頭の後ろに回って引き寄せられた。アリアスがとっさに手をついて止まると、唇に息がかかるほど近くにゼロの顔があって息を潜めた。
まるでキスする寸前のような距離でゼロは静かな目をして、言う。
「今さらだけどな、あいつのこと考えるなって言ったら困るか?」
決してその距離を変えずにゼロは首を微妙に傾けて問うてきた。
「……ルー様に、何も考えなくていいと言われました」
「ルーか、確かに言いそうだな。けど、あいつが言う理由と俺が言う理由は違うと思うぜ」
何も考えなくていい、考えるのは止めよう。と、サイラスのことで困惑し混乱していたアリアスは兄弟子に言われた。
そのルーウェンが言った理由とは違うと言ったゼロの顔に微かに苦笑に近い笑みが過る。
アリアスがすぐ目の前のその複雑な表情に目を奪われていると頭に回っていた手ともう片方の手が背後に、腕に囲われ抱き寄せられて上半身が正面ゼロに飛び込み――抱き締められた。見えなくなった顔が肩の辺りに沈んだ。
深く息が吐かれたことを聞き、感じ、強く強く抱き締められる。
「アリアスが倒れてるとこ見つけて、起こったことを理解したくなかった」
アリアスを見つけたのはゼロだということを教えてくれたのも、他に状況に関連することを教えてくれた兄弟子だった。
出血が酷かったのだとどれだけだったのかは見ていないから分からないままだけど、意識を無くしておそらく倒れていた、血を流したアリアスを見つけたゼロはどのような気持ちだったのか。
声音と腕の力で、分かる気がする。
「一瞬考えたくねえこと考えて――失ったらなんてな、あり得ねえ。そこからも一瞬だ、怒りしかなかった。ずっとそれは消えねえし意味分かんねえし色々混ざって本気で気が狂うかと思った」
アリアスを覆い隠してしまえそうな身体をする彼が、抱き締められてその大きさを実感している間なのに小さく思えた。
抱き締める腕の強さがアリアスを留め置こうとしているようにも思えて、声は押し出したもののようで。言葉も少し、途切れ途切れなのに最後は早口で普段の様子には見られない。
押しつけられている顔は、どんな表情なのだろうか。
「――アリアスはそれでいい。無理に考え変えなくていい。でもな、俺はかなり醜いことを言うぜ」
なあアリアス、と身に直接響く距離で呼び掛けられてアリアスは黙して耳を傾ける。言われることを待つ。
「俺は、アリアスを傷つけたあいつが嫌いどころじゃ済まなくて正直殺してやりたいのは本音だ」
前、同じ事を彼が言ったことを覚えている。
「アリアスにそんな顔させて、思考に入るあいつが嫌いだ。けどそこんとこは仕事との折り合いはつけられるから必要以上にサイラス=アイゼンをどうこうしようとかもう思ってねえよ」
本音を明かし、その上で。
「生け捕りで連れて戻ってくる」
「…………連れて……?」
「色々考えると厳しくてな……俺が直接行くことになるかもしれねえ」
姿を消したサイラスを連れて戻りに、ゼロが。
「大丈夫だ。約束する、連れて戻ってくるから」
「ゼロさ――」
「だから、そんな顔しなくていい」
醜いのはこちらだ、とアリアスは泣きそうになった。ゼロに言うべきでないことを言った。それなのに彼はそれを受け入れようとしてくれている。
ごめんなさい、と謝ることは正しくないからアリアスはもっと強く抱き締めてくる彼の首に腕を回して抱き締め返した。
互いに考えることが違うのは仕方のないこと。けれど起きたことから目を逸らすことは出来ないし、いつかは向き合わないわけにもいかない。
互いの考えもまた、解決するまで知らんぷりして言葉を交わすか顔を合わせることさえ避けることも一つの手であろうが、それはきっと苦しい苦しいものであったろう。今回とった方法と比べても差異はあれどどちらも、苦しさは伴うもの。それでもこんな形で考えていることを言い、聞き、受け合えるのは一番良い選択だったのかもしれない。
互いに互いの思いを聞いた上で互いを否定することはなく、アリアスとゼロが取ったのは聞き、受け止めること。そしてぎこちなく空いていた時間の分を埋めるように、互いを抱き締め合うことだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます