第3話 薬草茶
「室内作業最高」
手元のくっついている葉っぱを一枚一枚に分けながら言ったのはマリーである。
「この季節の洗濯は地獄」
まだお昼休憩の前、三十分ほど前までは外でシーツ等の洗濯をしていたのだが、今日は最近では特別冷える日で水と空気の冷たいことこの上なかったのだ。しかし何しろ快晴で残念ながら洗濯日和ではあった。
というわけで少し前の外でのことを思い出しただろうマリーがげんなりした声で言ってから身震いした。
「仕方ないよ」
「そうよね。この先になるとこんな日いくらでも来るわよ」
「分かってる分かってるんだけどおぉぉ」
寒いものは寒い、冷たいものは冷たいね、とアリアスの隣でイレーナがはいはいというように相づちをうった。
「イレーナの意地悪!」
「共感はしているわ」
こんな会話をしている室内はドアで繋がる隣の部屋で火が焚かれているため温かな空気が流れこんできていて、さらにアリアスたちはひざ掛けを使用しているので中々に快適な環境ではあった。
かといって休憩中なのではなく、大きな机の上には大まかに分けられた薬草の小山がいくつもあり、それら洗った薬草の種類別分けとさらに生で使用するものはそのまま箱に入れ、これから乾燥させるものはそれ用の処理するなど、アリアスは乾燥させる薬草をいくつをまとめて束を作っていた。このあと外に干すためだ。
離れたところの窓を合間に見ると、変わらず快晴のようで太陽の光が満ちている。
もしかすると……。
*
こぽこぽとティーポットの中にお湯を注ぐとおぼろげな白い湯気が立ちアリアスの顔にまで軽くかかるも、蓋で覆ってしまうと収まったことで湯気で少しの温かみを感じた頬が急に冷えたように感じる。
あとはしばらく蒸らすのみ。
「あとは……」
アリアスが場所を借りて作っているのはただの紅茶やお茶ではなく簡単な薬草茶だった。
元より薬草茶は王族や城に勤める人々に調合し出される場合があり、普段から専用に作ってもらったものを愛飲している人もいるとか。そのため薬草は無断使用などではなく、許可を得てもらったものだ。
その際に会ったクレアに「アリアス、具合が悪いの……?」と疑われてしまったのだけれど。慌てて違うと否定すると安堵され、少しいたたまれなくなった。南部から城に戻ってきて体調を崩した際には彼女にも心配をかけたのだ。
では誰かの具合でも悪いのか? との問いに「……そうですね、そんなところです」とアリアスは曖昧に答えた。具合が悪いかどうかは微妙なところ。
それに「彼」がいなければアリアスが自分で飲むつもりであるが、はたしてそもそも彼はすぐに見つかるだろうか。入れ物の蓋を開けている途中で外を見て考えているうちに薬草茶は完成。
出来上がった薬草茶を保存専用の入れ物に移して、アリアスはそれを手に素早く外へと繰り出した。
さあ、サイラスを探そう。
外の気温が低めなので本当ならいないならいない方が望ましいけれど、天気は良く外にいる可能性が高そうなサイラス探しに庭をきょろきょろしながらアリアスは歩く。
ここ最近の中では特に寒いと感じる今日にいるとは思いたくないが、探しに来たのはいると思えてしまうからで……
「あ」
いた。
寒空の下冷える空気を遮断する壁も近くにはなく仰向けに寝ている姿を見つけて、アリアスはそろりそろりとあまり音を立てないようにして注意深く近づく。そうして眠っているのかなと顔を上から確認しようとすると、目がぱちりと開いた。
ぱっと見てくまが濃くなっているのは気のせいではない、と思う。今すぐに起きたということはまだ深く眠れていないのかもしれない。
今起きたのか元々起きていたのか、目を開けたサイラスはアリアスの姿を目に捉え言う。
「……最近よく会うな」
「今日は探しに来たんです」
「オレを?」
「これをよかったらと思って」
アリアスは早々に手に持っていた筒上のものを「薬草茶」ですと説明を添えて彼の傍らに置いた。
「薬草茶……?」
「ご心配なく。不味くないですよ、教えてもらったものなので」
さっきではない。昔、医務室の魔法師たちから教わったことがあり味は保証されている。
不思議そうに反芻するサイラスに味の保証とリラックス効果があるものだと簡単に伝えておく。夢見がよくなく深く眠れていないのであれば少しは役に立つかもしれないから、と。今までにない様子のサイラスから聞いたことが気になっていて、そうだと思い立ったのが今日。そのために探しに来た。
「作ったのか? おまえが?」
「はい」
「……これはまた六年経つと色々変わるもんだなぁ」
サイラスがそうやって感慨深げに呟くものの、注目すべきところはそこではないと思うのだ。
「サイラス様、あまりに夢見が悪くて寝不足が続くようなら医務室に行かれてはどうですか? 睡眠薬を処方してもらえると思います。そうすれば夢を見ずに深く眠れるのではないですか?」
「ガキに心配されるようじゃ、オレは相当だなぁ」
「子どもじゃないですから」
帰ってきたサイラスまでそう言うのか。
アリアスが思わず反論すると、短く笑ったサイラスは腕を自身の額の上に乗せたので彼の顔に影が落ちた。
会話が途切れ、アリアスは当初の目的は果たせたことになるのだがなんとなくまだ去らずにサイラスを眺める。と、顔の一部に濃い影を落とす腕に飾り気ない彼の格好の中で目立つ装飾品が光っている。たぶん魔法具なのだろうなと前見たときに思ったそれに視線を向けていると、
「これか?」
はしばみ色の瞳が影からアリアスを見ていた。腕輪を示した言葉と共にそれがある手首を中心に腕が振られる。
「魔法封じだ」
「……魔法封じ、ですか……?」
魔法師から魔法を奪う道具。
さらりと明かされたまさかのものの正体にアリアスは勝手に復唱した声が聞き返す形をとった。
「どうして、サイラス様がそんなものを……?」
「罰則みたいなものだ」
「……それは、それに値することをサイラス様がしたということ、ですか」
「まぁな」
一体何をしたというのか。
魔法封じ。それが魔法師の身にあることは普通、ない。
なぜなら魔法師にとって魔法は不可欠なものだ、言うまでもなく魔法の素養があるからこそ魔法師なのだから。魔法を封じられることは一時的にでも魔法を奪われること。どういうことをすれば魔法封じをつけられることになるのか、アリアスには想像がつかない。魔法で何かをしてしまったのかという漠然としたことが頭に浮かぶだけ。
詳しく聞くことが憚られて、アリアスは黙った。
するとサイラスが呟く。
「覚えてない。覚えてないんだよなぁその瞬間を」
アリアスの質問に詳細を語るものではなく、そもそもアリアスに向かって言っている様子ではない。ともすれば拾い上げられないほどの小さな声。
「――いや、覚えてはいる。オレの意思でそうやったんだ」
声を聞き逃さないように息を潜めて聞いているアリアスは動きも止めてサイラスの様子を窺っていた。
「オレは……」
でも顔を見ていて気がつくのが遅れたが、サイラスの手が端から見て分かるほどに強く握り込まれ爪が強く肌に食い込んでいて、はっとした。
「サイラス様」
たまらずとっさに呼びかけると目の前を見ているとは思えない、どこを見ているか分からないはしばみ色がわずかにさ迷いアリアスを見つける。
「中に入りましょう。寝るのなら中で温かくして寝てください」
サイラスが何も言わないうちに促すと彼はしばらく黙し続けたあとに、
「……そうだなぁ、そうするか」
腕を下ろしてゆっくり起き上がった。
アリアスは心がすっと安堵した感じを覚えながらも立ち上がったサイラスと中に入ることにする。そもそもそうだ、こんな寒いところにいていいはずがない。
それにしてもよくこんな薄着で外にいたものだ。いくら気晴らしに外に来たって寒くては眠れないと思うのだけれど。
寝不足で感覚が鈍っているのだろうか。さすがのサイラスも今日ほどであれば寒いとは感じる思うのに。
大丈夫かなぁ、とあまり良くなさそうな状態に引き続き心配が止まらないアリアスの耳に長く歩かない内にゴッと鈍い音が届いた。
振り向くと、壁でサイラスが頭を打っていた。
「え……!? ちょっと、大丈夫ですか?」
頭をつけたまま身体ごと壁に寄りかかっている状態にアリアスはびっくりしたというものではない。
慌てて来た方へ戻る。
「頭、けっこう強く打ちました?」
この人、こんなに危なっかしい人ではなかったと思うのだが。いよいよ見過ごせない変調ではないかとぴくりとも動かないサイラスに、どこを最初に心配すればいいのかとああ頭かと呼びかけながら手を伸ばす。
手首を掴まれた。冷たいと思ったのが最初それから少し痛いとの感覚で、それくらいの力で掴まれた証拠。
前からアリアスに影が落ち、重みが身体に加わり、何事か把握しないうちにアリアスはよろりとわずかに後退してしまう。見えるものは白で、少し上に肌が覗いている。
アリアスは身長差のせいあって上から覆い被さられるようにしてサイラスに抱き締められていた。
その事実を理解はすれど目を白黒させるしかない。
「さ、サイラス様?」
「あー……やっぱりなんかそうか」
なんかそうか?
アリアスが驚いたのは急に抱き締められたことにはもちろん、そうされたことにも驚いた。サイラスはアリアスの頭を手荒く撫でることや腕を引っ張られて引き寄せられるまではあっても……。
戸惑う声をあげるアリアスをよそにサイラスは息を吐くように独りごちた。
「なんだろうな、おまえといると……落ち着く」
低く掠れた声がとても近くで聞こえるだけでなく、生温かい息が髪をこえてアリアスの首筋にかかる。
落ち着くとの言葉が聞こえたが、アリアスとしては少し落ち着かない部分があるのだけれど。
実は寒かったのか。くらいにしかこんな行動をする理由が思い浮かばないが、そもそも理由を考える方が無駄な可能性もある。何にしろ答えはのらりくらり交わされるどころか返ってきそうにない。
しかしながらアリアスの中では夢見の悪さとやらとそれが原因での寝不足にやられている可能性が一番高い。
戸惑いが収まらないままにサイラスの様子を窺っているとまた一言。
「落ち着くんだが……」
ほぼ独り言だからか小さくなって消えていく声。
声の様子に見えない顔がどうなっているのか想像がつかなくて、見なければいけない気持ちが唐突にアリアスに生まれた。寄せられている身を離しかけながら改めて声を……
「サイラス様、本当に眠れるように医務室に行った方がいいんじゃ――」
髪に差し込まれた手が無防備な首に触れたかと思われ、普段他人に触れられることのない場所に息が驚きで一時止まり同時にアリアスが声が止まった。が、その間にあちらからふっと身体が離れて、今まで布が触れていた頬を冷めた空気が撫でていった。
気がついたときには抱き締められていた事実がなかったみたいに距離は普段のものになっており、手が置かれていたのは頭だった。
アリアスが呆けているとわしゃわしゃと髪をかき混ぜられる。サイラス的には撫でていらのだろうな、という慣れた動作。
腕の向こうに見えるサイラスは笑みを浮かべていた。けれど、アリアスはさっきのことを忘れたはずがないので尋ねてしまう。
「大丈夫ですか……?」
「何が」
何がって。
「まぁこいつ取ってもらえるまでは踏ん張るかぁ」
「あのサイラス様、」
「じゃあなアリアス。あ、これありがとな」
「え、いえ」
止める隙なく、背を向け伸びをしながらサイラスは去っていった。
伸びをして天井に向かって高く上げられた腕、アリアスにはその手首にある腕輪がやけに目についてならなかった。
見送って背が消えてしまってからアリアスはあの手に掴まれた手首を意識せず確かめるみたいに触れていたので、そういえばその手で乱された髪を放置していることを思い出して頭に触れて髪に手櫛を入れる。
大丈夫だろうか。アリアスは先日から引き続いて心底心配だ。あの様子ではそのうち本格的に体調を崩して風邪でも引きはじめるのではないだろうか。
ひとまず昼休憩が終わる前に戻らなければならない。と髪を整える間も見ていた前方に背を向けてアリアスは走りはじめた。
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