第13話 彼にとってのこの場所
アリアスを連れていった旨が記された紙を握り潰したゼロは、手紙を持ってきた男を捕まえ、
「大体よく見ればお前、見た顔じゃねえか」
「最初に気がついてもらえなくて傷つきましたよゼロ様! というか離してもらえますか!?」
手紙を持ってきた男は、よくよく見ると会ったことのある者だった。
ゼロが生まれたとき、急遽乳母となった者の息子。つまりは一応乳兄弟のようなものになる。まあ彼は学園へは行かずゼロは学園を経て騎士団へと入ったので縁はとうに薄い。
記憶の中では学園在学中に帰ったときに偶々見たときのままだったので、気がつかなかったらしい。でかくなったなと親が思いそうな事を思うはめになった。
とはいえこの男もゼロの眼帯の下は知らない。実家では遠慮は薄めに関わった方な男は、単に襟首を捕まれているだけなのにぎゃあぎゃあ喚く。逃げようとするから悪い。
「だから嫌だったんだよおおお……見かける度に怖くなってるんだから……!」
「お前うるせえって」
「じゃあ離して下さいよ!?」
「お前証拠として突き出すんだよ」
「俺じゃなくてもいいじゃないですか!」
「大人しくしてろって」
扉を開いてさっさと中に入ったところで、ゼロは足を止めた。中に、待っていたかのように立っている人物がいた。
ゼロが何か言うより先に、その人物に気がついた捕まえている男が声を上げる。
「旦那様! 酷いですよ! 俺もう帰って来られないって一瞬思いました!」
「おい人聞き悪いぞ」
「だってあの目付き! 俺のせいじゃないのに!」
「あーもううるせえ」
どうせ無理矢理連れてきたのは腹いせだ。離してやると男は素早く離れ、この場にいた人物の背後に下がった。熊でも相手にしたみたいな逃げ方だ。
ゼロは逃げた先まで見なかった。用がある人物はもう見つけた。
「趣味悪い文面送って来やがって」
「名前を書き忘れた気がするが、よく分かったな」
「わざとだろ」
手紙に差出人の名前は無し。
アリアスを預かったなどという内容が先に頭に入ってきて思考が沸騰しかけたが、後から入ってきた筆跡により差出人はすぐに分かった。それにより別の意味で怒りがこみ上げてきた。ふざけているのか。
「こういうの何て言うか知ってるか」
「結婚前の挨拶だな」
「それはこっちから行ったときに使う言い方だろ。この場合は誘拐だ、父上」
不機嫌丸出しの目、声、雰囲気でゼロが睨むのは、スレイ侯爵――自身の父。
玄関で明らかに待ち構えていた父親は、ゼロの様子を無視して笑う。
「それはそうと早かったな。よく帰った、ゼロ」
「それはそうとじゃねえよ。ふざけんな」
「一度言おうと思っていたんだが、お前はまあ口が悪くなったというか……」
「悪かったな」
ゼロと父親は決して全く会わないわけではない。稀に城の中で会えば「元気か」「見れば分かるだろ」くらいの会話は生まれる。ゼロは訳あって父親寄りで育てられた方だから、家にいた頃は跡継ぎとあってやり取りは一番多かったのではないだろうか。
とにかく、今流されずに問い詰めるべきはアリアスのことだ。
「こっちから行くって言ってんのに何してんだ、堪え性のない親父だな。大人しく待ってろよ」
「父親をなんて扱いしてくれる」
誘拐犯に決まっているだろう。
無駄な問答をしている気分になった。
「アリアスはどこだ」
「ランセに任せた」
今、応接室にいるはずだと言う。
「そういえばあの子はランセと学園での同級生だったようだな」
「……どこまで知ってる」
「基本情報のみだ。国一の魔法師の弟子、同時にルーウェン=ハッターの妹弟子。学園には二年、今は魔法師として騎士団の医務室に勤務。それから両親は亡くしている。これくらいだ。いやはやお義父様という響きはいいな」
「何させてんだよ」
先走る父親だ。頭が痛い。
行く予定だから待っていろというのに、無断で連れて行ったばかりか何をさせているのか。反省の色が全く見えず、ゼロの額に青筋が浮かびかける。
どんな連れて行き方をしたかは知らないが突然極まりなく、アリアスは驚いただろう。
「ゼロ」
「何だよ」
機嫌は悪い。 次は何だ。場所を聞いたので応接室に向かってしまうべきかと奥に目を向けていたところだった。前に来たのはいつだったかは記憶に薄いが、造りはさすがに覚えているので勝手知ったるものだ。
「彼女を選んだ理由は何だ?」
「は?」
理由だ?と唐突な問いにゼロは奥に向けていた視線を戻して怪訝な顔を向けるが、父親は冗談は抜きの表情で見ている。だから何のために聞くのかと思いながらも、答える。
「好きだからだろ。好きで、愛してて、側にいたくて、側で守りたいからだ」
聞かれたことの答えは考えるまでもなく言うと、驚いたように僅かに目が見開かれ、そんな顔をすることかと思う。
しかし、気がつく。もはや同僚に言うのは普通になっていたが、この父親にこういったことを言うのは初めてだ。だからだろうか。
「……おいまさか結婚が嘘だと思って確かめようとしたんじゃねえだろうな」
「それが含まれていないとは言えないことは事実だ」
「そんなことのために連れて行くなよ」
余計に頭が痛い。
「ゼロ、お前は本当に良い子に出会ったな」
本当に頭痛がしてきそうだったゼロは、父親のやけに染々とした声音を聞き取った。
「……何か、話したのか」
「少しだけな」
「少しって何だよ」
「少し、家のこととかな」
咄嗟に、何と言い返そうとしたのかは分からない。「勝手なことをするな」だったかもしれない。だが言われて困ることでは、ない。すでに家とのことは大まかに話してある。
「実に良い子だな。それは、結婚する気配もなかったお前が結婚する相手だからある意味当然と言えるか。まあ私そっくりの息子だから、あんなにもいい子に恵まれるのも当然のことだろう」
そっくりになったつもりはない。
アリアスと一体何を話したのか詳しく聞くべきかどうか迷う。言われて困ることはないが、何を話したのか。何をどこまで、どれほど詳しく。ゼロは無意識に眉を寄せる。
「……応接室にいるんだったな」
「何だ、もう行くのか。父親ともう少し話をしてからでもいいだろう」
「何話すんだよ」
「そう言われると、むしろアリアスと話したいかもしれないな。お前の話が聞けそうだ」
「さっさと帰るからな」
「ゆっくりしていけばいいだろう」
「あのな、今日予定外のことだって忘れたのか」
「予定した日に来てもお前のことだから長居しないつもりだろう。それならば、これくらい許せ」
図星だった。予定した日にここにアリアスと一緒に来ても、長居するつもりはなかったのだ。
「長居する用もねえだろ」
「この機会でもか」
「関係ねえ」
「ゼロ」
歩きはじめようとしていたゼロは足を止めた。
「応接室に行けばランセがいるぞ」
アリアスは、どうも弟といるらしい。学園で同級生だったようだから面識もあるのだろう。場合によっては、自分より余程。
ゼロは無言で父親を見返すばかりだった。
「ランセはお前に似た」
「……何で俺に似るんだよ。ろくに会ってねえのに似るわけねえだろ」
「いいやお前に似た。会っていないからこそ、似た」
父親は不可解なことを言う。どうして自分に似るというのか、もしも似たとしても普通親に行き着く。事実として、同じ両親から生まれたのだ。
「この機会にランセと話してやれ」
「……話し方は忘れた。元々、知らねえってのが正しいかもな」
「お前の弟だ」
「知ってる」
後輩や部下との話し方は意識しなくとも分かる。だがゼロは弟との話し方を知らなかった。今ある距離が、昔自分が距離を作ってしまったからだとは自覚していた。
今回、家に帰るという事。ゼロにとってはただの帰省という見方にはならなかった。家を出てから、ろくに帰らず、同時に縁も薄くなった「家族」。特に母親と弟。
稀に帰ったときがあったとしても面と向かって顔を合わせることもなかった。一重に用がなかったからだ。
しかし今回は違う。家に帰る。報告と挨拶、アリアスの紹介をする。つまりそれはまともに向き合い行うことを意味する。
ゆえにゼロは心のどこかで考え続けていた。これは一つのきっかけ、この機会に自分は何らかの形で家に向き合うべきなのかもしれない。と。
別に、この先家と今のままの関係でも何一つ困ることはないのだろうが、そういう考えが生まれてきていた。どこか、自分にも気にしていた部分があった証か……。
その点が未だゼロ自身に探り切れていないように、未だどうするかも明確には決断できかねていた。
「急に修復しろなんて言うなよ」
それだけは絶対に無理だ。ゼロの気持ちの問題ではなく、長年に渡り積み重なった結果の事実。
「言わない。――だが、ゼロ。お前が今回アリアスを連れて来ることにしたのは何らかの覚悟はした結果だろう?」
「覚悟なんてねえよ。ただ、俺は」
ゼロは言葉を切った。
調子が崩れている。理由は分かっていた。この場所だからだ。たかが場所一つ、されど場所一つ。そんなに弱いところを持っているつもりはないのに、妙な調子になっている。舌打ちしたい衝動に駆られた。
――はっきり言って、この家が好きだとは口が裂けても言えない
だから、家を出た。そうでなければ、出ようとは思わなかっただろう。
「連れて来ることにしたのは、そうするべきだと思ったからだ」
「義務はないぞ」
「義務じゃねえよ」
義務でそうしようと思ったのではない。ゼロには、自分の思っていることを正確に言葉にする術はなかった。
「少なくとも、ランセを避けてたのは俺だ。そこら辺は、分かってる。今回どうするべきかも考えかけてた――が、急にここに来るはめにさせたのはどこのどいつだよ」
「私だな」
本当に腹が立つ。こちらにも予定というものがある。八つ当たりにも近い苛立ちだ。
「とりあえず、今日は帰るからな」
「後日来てくれるというのなら構わない」
「今日来たんだから来ないっていう選択肢があるな」
「それだけは止めなさい」
そうしてやろうかと今は思う。本気で。
突発的な苛立ちと複雑な心地だとは自覚していたので、息を吐いた。
「アリアスの反応による」
「それなら心配ないな。私はきっと好印象のお義父さんだ」
「どこからその自信が来るんだよ」
時折本気か冗談かという言い様を挟んでくる。真剣なときはあくまで真剣な顔なのに、どこで切り替えているのか。
付き合っていられないと判断したゼロは今度こそ歩き始めた。父親の横を通り過ぎる。
とりあえず、今日のところは帰る。アリアスはどんな顔をしているだろう。この家にアリアスがいるというのは、不思議な感じがした。今は滅多に帰らないとはいえ、紛れもなく自分が過ごした家である場所だ。こんな心地になるものなのか、と新たなことを発見した気持ちになると、苛立ちや他の感情が宥められていくようだった。
その不思議と落ち着いた状態のままで、これから向かう場所に弟がいることについて考えた。どう声をかけるべきか、接するべきかと慣れない考え事――。
「ゼロ、オリビアにも紹介してやってくれるだろう?」
ゼロは、足を止めた。
勝手にアリアスを連れて行って何をしたかったのかはいまいち分かりかねるが、満足したらしく止める様子はなかった父親の声。
背後からかけられた言葉に止まった足は、無意識からのことだった。
内容は理解出来た。ゼロは振り向かないままに、口を開く。その顔は真顔。
「今回、アリアスが家族に挨拶したいって言って会わせてたとして、俺は『母上』に会わせるかどうか迷ってた。あの人は紹介されても、結婚の報告をされても困るだろ」
父親とは関わってきた方だ。弟は、自分から距離を作り接し方が分からないが、今となっては距離が出来すぎたかとも思う。弟は何も知らないのだ。
だが、「母」は違う。はっきりと顔が思い出せない人だけは。いくら時経とうと、自分の左目のことを考え客観的に見れば仕方ないことだとも思うが、隔てられた壁と実の親子にしては深すぎる溝を埋められると感じたことはない。感情的にではなく、これは無理だろう、と客観的に見ても思ったことだ。
それに自分だけなら未だしも、アリアスが不安になるような反応をされるのは避けたい。
「……ゼロ、時が経てば変わることはある」
しかし背後から返されてきた言がそれで、長らく家に帰ることのなくなった侯爵家長男は怪訝そうな顔をした。
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