第18話 故郷





 濃い午後を過ごした翌日、予定通りアリアスとゼロは王都を出て、国の南部にあるアリアスの故郷へと出発した。

 王都からは遠い部類の土地。一日では着けないため、数日かけて着いたのは近くの少し大きな町。故郷にはもう誰もいない。この町で宿をとり、明日故郷へ帰ることになる。


「ここから山一つ越えれば、か」

「はい」


 地図を仕舞ったゼロが見たのは、周りに見える山々の内の一つ。深い緑に覆われた山は、夕陽の橙色が被さっている。


「ここにもよく来てたのか?」

「そうですね。こちらの方が大きい町で、山の向こうまでは来ない物があったりしたようなので、時折父について来ていました」


 ここは故郷から一番近い町であって生まれた町ではないが、来たことは何度もある。夕刻に着いた町の風景に、懐かしいと感じた。

 生まれた町ですら十に満たない時しか過ごさなかったのに、不思議なものだ。断片的に覚えている。父親と手を繋いで歩いた道、店。二度と得られないものだから、幼いときと言えど残っているのだろうか。


「……アリアス……か?」


 道を歩いていると不確かな様子ではあるが名前を呼ばれて、アリアスは立ち止まった。

 声の主を探すと、こちらを凝視している一人の男性がいた。歳は、アリアスの父親が生きていればこのようだろうかと言ったところ。茶色の髭を生やした人で、しっかり目が合っているので他にいる誰かという可能性はなさそうだが、顔に見覚えがなくてどう反応すればいいのか分からない。


「ああ、やはりアリアスなのか」

「アリアスではあるんですけど……ええと、あの……」

「お前のお父さんお母さんの友人のアルバだ。覚えていないか?」


 両親の友人と言われても思いだせることは無かったが、代わりに男性が立つ後ろにある建物に気がついた。この建物……。今歩いている道を見て、建物の前まで視線で辿っていく。父親と歩いた記憶のある道、ああ、父は決まってここに来ていたのだ。

 両親の友人の「おじさん」の面影は、髭を無くした顔に重なった。


「アルバおじさん……」


 呟くように言うと、両親の友人はくしゃりと顔を笑顔に変えて、駆け寄ってきた。


「あまりにミーナそっくりだったからな。だがもう彼女は……だから、アリアスかと思ってな。本当にアリアスか」

「はい」

「それは……大きくなったなあ」


 信じられないような眼差しでアリアスを見た両親の友人は「ああ信じられん」と小さく首を振った。

 最後に自分を見たのは十数年も前だろうによく分かったものだ、と驚いていたアリアスは母親そっくりという言葉に自覚がなくて瞬く。

 鏡を見て、母と似てきたと思ったことは無かった。アリアスの中にある記憶が明確ではないからか、自分で自分を見ているからそう思わないのか。

 そっくり、なのか。亡き両親の友人から見て。自覚はないのに、嬉しいに似た気持ちが生まれた。


「もう十年と少しも前になるか……黒い髪の人と一緒に行ってそれきりだったから、どうしているのかと……」


 アリアスが、故郷である町もこの辺りからも去るときは兄弟子もいたはずだけれど、どうも師の色の印象が強烈だったようだ。確かに黒髪は生まれて初めて見た色だっただろう。

 たった今まで、本当にそれきりだった。


「全く顔を見せに来ずすみません」

「いやそれはいいんだ。アリアスにとっては辛い記憶がある土地だ。こうしてまた顔が見られただけで嬉しいものだ」


 涙を滲ませアリアスを見つめていた両親の友人は、そこで初めてアリアスの側にいるゼロに気づいたようだった。


「そちらの人は?」


 アリアスもすっかり思ってもみなかった再会に気を取られていたもので、ゼロを振り返った。ゼロの方は全く気にしていない様子で、自分に話が移ったらしいと察した感じでアリアスの隣に立った。

 アリアスは今回帰って来た目的もあるので、両親の友人にゼロのことを紹介する。


「私が結婚する方です」

「初めまして。ゼロと申します」


 名字は名乗らずゼロが簡潔に挨拶をすると、両親の友人は大きく瞬きをした。驚いているのだろうか。「結婚……」と復唱して、ぽかんとして。

 けれど動きを取り戻したとき、浮かべられた表情は染々とした笑顔。


「ああ、結婚とはめでたいなあ。あいつにも教えてやりたいもんだ――もしかして挨拶に来たのか」

「はい」

「そうだったのか。……場所は分かるかい?」

「はい」


 きっと喜ぶと言われて、そうだといいなとゼロを見ると、微笑みが向けられる。

 この人と帰って来た。





 次の日、朝に出て山を一つ越えるために通った道。進むにつれてまだ家の一つも見えない内に、もうすぐだと何の目印もない道に見覚えが出てくる。


「師匠とルー様と会ったのは、この辺りでした」


 最後の記憶では雨でぬかるんだ道だった。

 今日は違う。空はよく晴れ、地面は乾き、風が緑を穏やかに揺らす。


「アリアスは、なんで会ったばかりだったジオ様とルーについていくことにしたんだ?」

「……どうしてでしょう……。その辺りはよく覚えていないんですよね」


 共に馬に乗り後ろで馬を制御しているゼロの問いに、自分のことなのに心の底から首を傾げることになる。

 昨日、夕食の席を共にした両親の友人夫婦が少しだけ言っていたことがある。十数年前一人になったアリアスを引き取ると言ったが、幼いアリアスはジオやルーウェンと行くことを選んだという。師は魔法力があるから連れて行くと言ったそうだが、アリアスは……。

 両親の友人は辛いことがあったことを思い出す場所にいるより、出て良かったのかもしれないと今のアリアスを見て言っていた。

 当時の自分が何を考えてその判断に至ったか、覚えていない以上は考えても推測になる。

 思うのは、あの日師と兄弟子に会わなければ、二人が来ていなければどうなっていたか。アリアスが運良く生きていても、どんな生活を送ることになっていたはもちろん分からないし想像もできない。魔法師になれていただろうか。

 そして、ゼロに会っていたかも分からない。人生とは実に奇妙なものだ。


 やがて着いた先にあるのは、小さな小さな、人のいなくなった町。いや、もう町と言えるのかどうか……。

 馬を降りて町に入った辺りで繋ぎ、住人のいない家々が並ぶ道を歩く。

 どの家も廃れ、年数もあり崩れている家もある。空っぽだ。町全体が空っぽ。建物は辛うじてあるのに、人の声はもちろん聞こえないし、気配もないからどこかちぐはぐな心地も出てくる。

 建物が並ぶ道を通り抜け広い場所に出ると、石で作られた多くの墓が並んでいる様が目に入る。ここにまとめて作られた墓は、全てかつて流行り病で亡くなった人々のものだ。

 墓が縦にも横にも並ぶ場所に入る前に、足が止まった。

 一つ一つ作られた墓は、長い時が経ったにしては寂れていなかった。埋葬する際には今日出発してきた町の大人が塞がっていた道をどうしたのか、幾人か来ていたのだったか。


 ――見れば思い出すものなのだ。幼い頃の記憶、景色が鮮明に瞼の裏に甦る。

 田舎と評するのが相応しい小さな町で、先に起こることなど知らず、ある日は親の手伝いをし、ある日は他の子どもと走り回っていた。

 ちぐはぐな心地を抱いたのは、知る人ばかりが行き交う景色しか知らないからだ。人の消えた町、消えた人の墓。胸が詰まって仕方ない。

 一番近い町では笑顔も浮かんでいたくらいなのに、涙が、出てきた。


「アリアス、大丈夫か」

「……大丈夫、です」


 涙が流れたことにすぐに気がついたゼロに答えることはできた。


「悲しいわけではないんです」


 悲しいは昔に置いてきたはずだから。けれど帰ってきたのはあれ以来初めてだった。涙は勝手に出てきた。

 ここで悲しいことがあった。あんなにもたくさん同時に大切な人を失った悲しいことは、この先の人生でもきっとない。ずっと覚えていて思い出すだろうが、その度に悲しいとばかり思うのは止めたはずだった。

 でも、涙が頬を伝い続ける。


「……私は、ここに残ることが怖かったのかもしれません。だから、師匠とルー様について行くことを選んだのかもしれません……」


 昔の自分はここに残るのが怖かったのかもしれない。一番近い町であったとしても、両親と来た場所なのに両親はいない。皆いない。町を出てから今日までアリアスがここに帰って来なかったのも、怖かったのだろうか。

 墓を見て呟くと、腰に回っていた方ではない腕も伸びてきてアリアスを包み込んだ。

 抱き締められた腕の中で、アリアスはゼロに指先でしがみついてしまいながら、それでも目は墓を見続ける。涙はまた一筋、一筋と止まらない。


「少ししてからにしよう」


 ゼロが言ったけれど、アリアスは首を横に振った。

 大丈夫。今日帰って来たのは、嬉しい報告をするためだ。大丈夫です、ともう一度言って指を離すと、ゼロはぎゅっと一度強く抱き締めてくれた。

 涙は瞬時にとはいかなかったが止まって、アリアスはゼロと墓地に足を踏み入れた。


 全ての墓に挨拶したいのは山々だけれど、探す墓がある。墓石には綺麗な文字で名前が刻まれていた。

 そういえば、と名前を追っている過程で思い出す。両親の遺体が埋められるという、嫌な記憶。

 ――「お父さんとお母さんの名前は?」

 当時は会ったばかりだった青年――ルーウェンの声が聞こえた気がした。汚れるのも構わず地面に両膝をついた彼に、時間をかけて絞り出すように答えて、抱き締められて。そして、両親が消え、代わりにあらわれた石に名前は刻まれた。


 涙は流れなかった。懐かしさはいっぱいだった。両親の墓を見つけて、ただいまと口の中で呟いた。

 両親の面影は表さない、ただそこに両親が眠っている証が刻まれた石を見て、目を閉じる。

 お父さん、お母さん。と語りかけて、果たして届くかどうかは分からないけれど、伝えたかった。

 一人になって、故郷を出ることになった。出たばかりは、いや、しばらくは兄弟子に抱き上げられたり手を引いて行かれるままだったと思う。悲しくて夜泣いてしまって、気がつけば兄弟子が抱き締めてくれていた記憶がある。あの師さえも抱き上げてくれていたときがあった。

 そうやって、家族を失い一人になったけど、本当に一人にはならなかった。そして今、家族になる人が隣にいる。自分は今幸せだと伝えたい。

 目を開いて側を見上げると、ゼロも目を閉じていた。彼も何か、言っているのだろうか。じっと見つめていると目が開いて、アリアスが見ていることに気がつく。


「許してもらえたと思いてえな」

「何がですか?」

「アリアスを嫁にもらうこと」


 そういったことを含めた挨拶をしていたらしい。


「会わせたかったです」


 一際思ったことが口に出ていた。ゼロに、両親を会わせたかった。


「一人娘をもらうとなると、俺はアリアスの父親に殴られることになってたんじゃねえか?」

「父が怒っているところは見たことがなかったので、大丈夫ですよ」


 冗談めいた口調だったけれどどんな心配だろうかとアリアスは笑う。笑ってから、思った。ああ、この地で自分はまた笑えるのか。

 視線を周りの景色に巡らせた。生まれ、確かに過ごした故郷。


「ゼロ様と一緒に帰って来られて、良かったです」


 再度ゼロを見上げて心の内を声にすれば、彼は笑みを深め、アリアスを引き寄せた。

 ゼロの胸に寄りかかりアリアスはしばらく、彼と共に故郷の風に吹かれていた。





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