第17話 兄弟






「今回、家に来るにあたってどうするべきか考えてた」

「ランセくんのことですか?」

「ああ」


 部屋を出ていったランセの後ろ姿を思い出した。見ている側が哀しいと感じてしまう表情も。


「ランセくんは、ゼロ様の左目を見たことはないんですね」

「その頃には習慣はついてたからな」


 左目を覆う習慣。思っていた通り、ランセはゼロが隠している左目のことを知らない。そうすると、左目がゼロと家族の関係の不自然さや家を出た一因になっていることも知らないはずだ。


「あいつに避けさせてるのは俺だ。……あいつは何も知らねえから、我ながら理不尽なことしてる」


 母親がゼロを避け、ゼロも母親を避け、ゼロが弟を避け、ランセもゼロを避けるように。ゼロは「本当、あいつの方が理由も何も分からねえ分理不尽だ」ともう一度繰り返した。


「必要以上に避け過ぎたんだろうな。隠すなら隠したで接していけばいいのに、隠した上で避けてりゃ救いようがねえ」


 けれど、今のゼロ周囲との関わりを見ると騎士団の中では実に多くの人と関わっている。ランセのことを避けたのは、他人ではないからこそ。家族だからだ。


「こう言うと、俺も今さらだ。何話しても今度は俺の勝手になるんだろうな」


 そうではないとは言えない。ゼロがさっき母親に対して感じたように、避けられてきたランセも急で、複雑な感情が生まれる可能性が高い。でも、とランセを見てきて、アリアスは思う。


「それでも、『嫌』だとはランセくんは思わないと思います」


 ゼロと母親とは少し事情が違うけど。ゼロと同じように、どれほど戸惑って混乱してもランセは絶対嫌なんて思わない。彼は、ゼロのことが好きだと思うのだ。気にしているからアリアスにゼロのことを聞いたりした。あんな風な表情をした。どうでもいい、関係ないと思っているならもっとなげやりだ。


「アリアス」

「はい」

「もう少し時間くれるか。ランセ探す」

「――はい」


 ランセと会う。それは、母親と話したことによる影響だろうか。


「馬鹿な兄貴になる覚悟でやるしかねえな」


 弟と向き合うことを決めた彼は躊躇いなく立ち上がった。部屋から出ると、この部屋に来た方ではない方へ行く。


「あ」


 少し歩いたところで、ゼロを見た男性がやって来た。


「ゼロ様、旦那様がお探しになっておられました」

「あー、そういえば帰るって言って出ていったんだったな。用があるからしばらく屋敷の中にいるってだけ言っといてくれ」

「はい」


 クレイグが探しているらしい。ゼロは漠然とした言付けだけして、止めていた足を動かす。


「あ、ゼロ様、」

「何だ。まだ何かあるのか」

「そちらにお行きになると……いえ、何でもありません。旦那様にお伝えして来ます」

「待て」

「う」


 ゼロが去ろうとした男性の腕を掴んで止めたことで、男性が呻き声を出した。腕を掴まれただけでそんな声が出て、アリアスはぎょっとする。


「な、何でしょうか。ゼロ様」

「言っていけよ。こっちに行ったら何だ。気になる言い方して行くな」

「いっそ言わなければ良かったあぁ……」

「言ったものは諦めろ。言えば済むことだろ、とっとと言っていけ」

「……その、そっちに行くと、ランセ様がいらっしゃいます」

「ランセが?」

「はい」

「ちょうど良かった。探してたところだ」

「……探して……?」


 男性はぽかん、と呆けた。


「それだけか」

「ああ、はい」


 呆然としたままの男性を残し、ゼロとアリアスは今度こそ歩きはじめる。ゼロが独り言を溢す。


「……完全に気い遣われてるな。……元からだとすれば、気づいてなかったな」


 ランセがいるとわざわざ知らせようとした男性の意味するところ。避けているから鉢合わせしないように、と。それがこの家の常識。


「そういえば、部屋にいるとすればさすがにわざわざ言う必要ねえよな」


 部屋に戻ると言っていたランセだ。それを聞いていないとはいえ、ランセの部屋に行こうとしていたらしいゼロが気がついたとほぼ同時であった。


「……って言ってる」


 聞いた声が耳に飛び込んできた。

 前から聞こえるが、廊下の先に人の姿は無し。つまりいるのは突き当たりを曲がった先。

 歩いて突き当たりまで行って見た右手。一組の主従が何やら立ち止まり、言い合いをしている。一人が抵抗し、一人がそれを廊下の先に連れて行こうとしている。


「一言くらいご挨拶しておいても良いと思います」

「さっき部屋を出るときには、そんなこと言わなかっただろう」

「あそこでごねて鉢合わせするのはランセ様のことを考えて止めたまでです。しかしゼロ様のお帰りを知ってから心の準備をするための時間はあったはずです」

「クロード、しつこいぞ。おれは」

「また後悔なさるおつもりですか」


 ランセの姿はほとんど見えない。従者の男性の向こうにランセがいるからだ。時折灰色の髪がちらちらと覗くが、顔は完全に見えない位置。

 見えないけれど、ランセは黙った。


「前にゼロ様が帰っていらしていた時、まだ家にいらっしゃったとき。迷い、止めて。――このまま疎遠になっても良いのであれば、私は何も言いません。ですがランセ様がそうお思いになっているとは思えないから言うのです」


 ランセの従者の言葉に、アリアスは傍らを見上げる。


「ゼロ様?」

「いや……あいつ、でかくなったなって」


 そこか。ゼロの記憶の中ではランセは何歳の姿のままなのだろう。

 前方に目を向けたままの彼がふいに一歩、足を踏み出した。また一歩。靴音が鳴る。前方にいる二名が、靴音に気がついた様子。


「ランセ」


 彼が弟の名前を呼んだ瞬間、アリアスはとっさに廊下を戻って壁に隠れた。幸い曲がる前だった。

 ゼロとランセが一緒にいるところを初めて見た。今まで似ている部分はあるとは思ってきたが……。

 髪の色は同じ。瞳の色は少し異なる。背丈はゼロの方が少し高い。目付きも僅かに異なるものの、顔立ちが似ていることは隠れようもない。

 一瞬見ただけだけれど、名前を呼ばれて従者の向こうから顔を出したランセはひどく驚いた顔をしていたように見えた。


「――兄上」


 声にも驚きが反映され、固さもあった。あの部屋でのゼロの様子と重なる。表情も、想像出来る気がする。

 部屋で離すなら外にと思っていたが、離れる機会を失ったアリアスは壁に背をつけて、息を殺す。ランセと従者の会話が響いていた廊下に今あるのは、静寂。少し不自然に、長めに続いた静けさを破ったのは。


「あー……、久しぶりだな」


 何を話すか考えていなかった、と読み取れそうな話し出しをゼロがした。

 伝わってくるのは、ぎこちなさ。母親のときとは異なるぎこちなさだと感じた。感覚的なものでしかないけれど。


「――――お久しぶりです。……僕に、何か用ですか」


 ランセは一人称を使い分ける。「おれ」と「僕」。「おれ」は友人に対してなど気軽に話す相手に。「僕」は丁寧な言葉使いと合わせて使われる教師に対してだったりの一人称。

 一人称一つで、壁を感じてしまう。


「用ってほどのものでもねえが、帰ってきたからお前に会っとこうと思ってな」


 少なくとも聞こえる形ではランセは何も反応しなかった。たぶん驚きだけでなく、戸惑っている。いつの機会にしようと、この反応は免れられないのだろう。

 しかしどんな話をするのか。


「学園、主席卒業したんだろ」

「え」


 王都の学園、アリアスたちの代で主席卒業したのはランセだ。

 知っていたのか。アリアスはランセの話をしていない。影から僅かに目を覗かせると、ランセの従者は後ろに退いていて全身が窺えるランセは瞬きも忘れ、瞠目していた。


「まあ、一年前のことで今さらだが卒業おめでとう」

「……え」

「それだけだ。いきなり悪かったな、家にはまた来る」


 混乱の渦の真っ只中に放り出されたであろうランセにそれ以上の混乱は重ねず、ゼロが会話を終えた。

 とても短い会話だ。でも、彼ら兄弟にはこれだけでも異例のこと。これが初め。他の話題が思い付かなかったのか、先ほどの彼自身の戸惑いから短くしたのか……。

 きっかけになればいいな、とアリアスは動きを取り戻せないランセの姿を捉え、ゼロがこちらに足を向けるのに合わせて壁に引っ込もうとする。

 その直前、去っていこうとするゼロを前に、固まっていたランセが体を前に乗り出した。


「――兄さん」


 あの人、兄貴、とゼロを呼び表していたランセ。

 兄さん、と呼ばれたことに驚いたようになったのは弟を振り返ったゼロのみでなく、アリアスもだった。引っ込みかけたところ、止まって覗いたままになる。


「おれ、」


 勢いで声をかけてしまった様子のランセは、一度息を飲み込んだ。そして再度口を開いた彼から言葉が溢れる。


「おれが学園に入ったのは、――おれは、兄さんに憧れて、追いつけるところまでは追いつきたくて学園に入った」

「俺に……?」

「昔、武術大会で見た姿が見たことがない姿で、格好良く見えて、――同時にどうして兄さんが家を出たのか知りたかった。同じ道を辿れば、同じものを見れば分かるのかと思って……」


 声が、途切れた。その場を後にしようとしたゼロに向けられた目が伏せられ気味になってしまう。

 また音の無い廊下になるが、感じる雰囲気が変わっていた。ランセの告白を聞き、今度はゼロがすぐには声も出せず動きをみせないのは、彼にとっては思わぬ言葉だったからだろうか。

 一方でアリアスは腑に落ちていた。

 貴族であり、さらに次期侯爵であるランセが魔法師を育てる魔法学園に入学した。王都には他に貴族が通う学校もあるのにも関わらず、だ。アリアスは、本当に何となくその姿がゼロを追ってきたのではないかとは思っていた。それに対して今日直接返された答えが――「魔法の才能はあったからどうせなら本格的に学びたいと思っただけだ。父上だって魔法学園に行って、魔法師の資格を持っている」だったのだが、やはり理由は別にあった。


 アリアスにゼロがどんな風に見えているのかと尋ねてきたランセ。家の外で見た姿が見たことのない姿だと言っていた。

 だからランセは、ゼロが通った魔法学園に行った。兄がかよった学園、とおった道。細かいところはさておき、ほぼ同じと言っても良かったのではないだろうか。騎士科トップ。学年主席。騎士科の模擬戦では片方の組の指揮をとった。

 ――けれど彼は、答えを見つけられたのだろうか。兄がどうして家を出たのか。見つけられたはずはない。外に何かあったからゼロは学園からそのまま騎士団に入ったのではないのだから。

 ゼロはどう答えるのだろうか、と見ても完全に背中しか見えないゼロがどんな表情をしてるのか……。


「俺が家を出たのは、俺の我が儘だ」


 左目のことは言わないつもりなのだろう。ゼロは穏やかにも聞こえる声で答えを返した。単なる我が儘だ、と。


「だが、家を出たことが間違いだとは俺は思ってない」

「でも兄さんが家を出たのは、」

「俺が母上と上手くいってなかった、ってのか。それもあるにはある。それも含めて俺の我が儘だ。相談無しに家督放り出して勝手に騎士団入るような奴だからな、俺は」


 彼は、そんな言い方をした。


「なあ、ランセ」

「――なに」

「悪かったな、家のこと押しつけて。それと、こんなに急に来て混乱させて悪かった」

「別に、混乱なんてしてない」


 いつものような憎まれ口が混ざったランセは、口調とは裏腹に泣きそうに顔を俯けた。


「あの、……おれも、遅いんだけど……」


 何だか、ランセが小さな子どものように一瞬思えた。小さく、躊躇いがちに言うものだから。「何だ」と次はゼロが促せば、ランセは小さく声を出す。


「武術大会優勝おめでとうございます」


 と。それはたぶん現在からでは去年となってしまったが少し前にあった武術大会で白の騎士団が優勝を飾ったことだろう。

 見に来ていたのだな、と部屋で話していたときに薄く勘づいていたアリアスは思ったが、ゼロは思いもよらなかったのではないだろうか。例によって、背中しか見えないので計りようがない。


「あと」


 ゼロが何か言う前に、少し大きめの声でランセが続ける。


「――結婚、おめでとうございます」


 次々と言葉を出したランセの様子は、吹っ切れたというよりは、彼からゼロを呼び止めた瞬間にまるで堰が切れたようで。ここで言えなければ、一生言えないのではないかと思っているような勢いでもあって。

 それだけのものをランセが見続けたゼロの遠い姿に抱いていたことを、アリアスも知る。


 やはり彼らは兄弟で、家族なのだ。本人の知らないところで、見ていたり、思っていたりする。

 こちらは、ゼロがまず近づいて、ランセが近づける。この二人は、元々ランセがゼロと縁が薄くて兄と呼んでいいかと分からないと言いつつも、見ていた姿に無意識に「兄」を見出だしていた。だから、一歩踏み出せば後は少しずつ、けれど確実に近づいていくのだと思う。兄弟に。


 その後、廊下に侯爵が来て「こんなところにいたのか。帰ると言うから玄関に行ったのはいいが、いないどころか来ていないと言われて探した。ゼロはどこだ?」とこの場を知らずして話しかけられたアリアスは、隠れていたので懸命に身ぶり手振りで忙しくなった。

 馬車の準備が出来たと自ら探してくれていたクレイグにより、今度こそゼロと屋敷を後にすることになったアリアスは色々と聞いたこと、知ったことがありながら、今日来られて良かったのかもしれないと思った。








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