第21話 特別な反応の考察
竜の体調調査からディオンと戻ると、子どもの竜が外に出ていた。さっきまで巨体を持つ竜たちを見ていたからだろう、とても小さく感じる。
整えられた芝生の上で歩く姿はよちよちと表現する段階は過ぎている自然な歩き様。本来空を翔ぶためにある翼は身体の大きさと同じで成体の竜より小さく、風や空気の流れを掴みとるように広げられず中途半端に身体から離れている。
まだ、翔べないそうだ。よく考えると生まれて半年も経っていないのだから当たり前。過去には早くて半年で翔びはじめたという竜もいたらしいが、身体の大きさにしろ身体の作りの速さにしろ人間と同じで個体差はあるだろう。
竜にとっては今の住居となる建物の側で、蝶でもいれば追いかけていそうな様子で走っている白い竜はこうしてみると実に子どもである。
可愛いなと感想を抱くと、なるほど一部の熱心すぎるほど熱心に竜の育成に携わっている先輩の気持ちも多少分かる、かも。
「可愛いですね……」
「これからの成長であの何倍にもなるだろうから、今だけだろうね。まあ、成長の過程に携わっていれば別かもしれない――あ」
「あ」
竜が外にいる姿を見たことがなかったので中に入るのは名残惜しい気持ちで、かといっていつまでも眺めているわけにもいかない。
と、そろそろ視線を前に戻そうとしていると竜の顔がこちらへ向いたことでアリアスはディオンとほぼ同時に声をあげた。
直後、竜はこちらに向かって走りはじめてくる。首から下げてある魔法石の働いている証拠の淡い光が揺れ、鱗も陽光を反射させて動くたびに光る、その様子がどんどん近づいて――
「ちょっ、と待って!」
走ってくる竜との距離が縮まるにつれまっすぐにこちらに向かって来られているわけで焦る。避けてもいいのかどうなのか、考えている内に意外と足の速かった竜は待ってはくれずにおまけに勢いそのまま、ぶつかられた。
「うっ……す、すみません」
「いいよ」
衝撃で後退るを飛び越えて倒れそうになったアリアスを支えてくれたのは、向き的に後ろにいることになったディオン。
「これでも可愛い?」
「……」
考えどころである。
落ち着きを崩さなかったディオンのさっきの会話の続きのような問いに、衝撃は一時だけだったので重みに耐えて立ち直りながら体当たりしてきた竜を見る。
「……ファーレル」
アリアスのどこが気に入ったのか、なついた竜が悪びれもせず鼻面を擦り付けるように押されて、せっかく体勢を立て直したのの重心が後ろに傾き、倒れることを回避するために後ずさって耐える。
原因の竜はアリアスのそんな状態には気がつかず、キュウキュウと何とも言えない声で啼く。
分かっている、この竜も悪気があってしたのではない。成体の竜が何気なく降った尾と接触してしまった人が軽く飛ぶように、彼らは人間より大きすぎる身体で過ごしているだけ。
生まれて少しのこの竜ならなおさら、自分の身体が大きくて人が受け止めきれないことも分からないのだろう。
何よりこれだけ寄ってきてくれるとやっぱり可愛くないはずがないから、ようやく落ち着いて竜を見下ろしながらアリアスは口元が綻んでしまう。
「おお、お疲れさーん」
怒る気は欠片も生まれず竜の頭を撫でていると、外のお守りの当番をしていたらしい先輩魔法師が軽い感じで走るでもなく歩いてやって来た。
手を挙げ来た先輩は竜に引っ付かれているアリアスに首を傾げる。
「怪我は? ってこれ聞くのこれから定番になりそうだな」
「ありません。……縁起の悪いこと言わないでください」
「つい。しっかしすっかり母親みたいに見られている感じがすごいな」
母親。
竜の巣に置いていかれ実質人間に託される竜の卵は、野生の竜が置いていっていることとされている。ただし、誰も見たことはない。
人間の手に渡るまでの過程がどうであれ、結果的に卵には卵を生んだ母である竜がいるはずで、騎士団にいる竜たちは生まれたときから親がいないことになる。
いない母親を求めてアリアスになついたということ……なのか。果たしてどうか。
と、見ていた竜は気が済んだのか少し離れたので自分には何か好むような匂いでもついているのだろうか、とアリアスには新たな考えが湧いてきた。
「でも、これだけなついているのに契約の相手に選んだわけではなさそうだ」
考えもしなかったことが耳に入ってきてアリアスが再び竜から目を離して顔を上げると、ディオンが目を細めていた。
「まだ赤ん坊だからじゃないか?」
「それはどうかな。記録に記されていないだけで、こんな風になつかれた人間はいたのかもしれない。同時に、確かに赤ん坊だからまだ契約できないのかしないのかそれに至っていないだけかもしれない」
どうやら先輩方は竜のこのなつきようを、別の見方で見ていたらしい。
選んだ魔法師ただ一人を選び、契約と呼ばれる関係を結ぶ竜。生まれたばかり、まだ何の色にも染まっていない白い鱗。いずれはこの竜も誰かを選ぶ、という事実。アリアスも頭のどこかでは分かっていたはずだが、成体の竜と比べると小さいから子どもだから本当にこの子どもの竜に当てはめて考えていなかった。
しかしその可能性の当事者になると考えるとして、そうなった場合――可能性の高さ低さは別として――アリアスはどうすれば良いのだろうか。
「竜が契約する相手を選ぶときってどんな感じなんですか?」
「どんな感じ……っていうと」
竜が人を選び、契約が成される瞬間とは如何様なものなのか。
アリアスが質問すると、先輩は思い出すように目を
「ここ最近なら……って言っても過去十年以内のことになるが」
竜の契約は竜の生涯に一度、ただ一人ではない。
しかし、頻繁にはない。一人を選べば、そこから長ければ三十年くらいにも及ぶもの。
ただし竜と人間の寿命は異なり、契約した人間が死ぬまで契約が続くのではなく、不思議なことにその魔法師がある程度の歳で引退、または大きな怪我で現役を引退すると竜も悟ったがごとく身を引くのだとか。その場合にも鱗の色は白には戻らず、次に契約するとまた鱗の色が変わるのだという。
これを考えると、白い鱗を見られるのは子どもの間か一人目の契約の相手を選ぶまでの間だけ。
現在竜と契約している魔法師のうち「最近」、つまり若い部類に入るのは。
「サファエルのときはすごい啼いたらしい。これは又聞きだけど。おれはそのときいなかったから」
サファエルは青い竜、ルーウェンと契約している竜のこと。
「呼んでるみたいに啼いていたとは聞いたかな」
実際呼んでたんだろう、と先輩魔法師は呟いた。
あの温厚穏やかな竜も啼くのか。鱗が青に染まる時とはどのような光景だったのだろう。
「おれが直接見たのはヴァリアールのときで、ゼロ団長に会った瞬間急に……頭下げたって言えばいいかな」
「頭を?」
「な、ディオン、お前もその場にはいなかったけど聞いただろ?」
「うん」
頭を下げるなんて、人がする敬意を払う動作のようだ。それにあのヴァリアールがすると思うと……。
「どの竜にしろ性格は違えど、選ぶ人間には何か感じるところがあって選ぶことには間違いないはず。特別で、他に対してはしないことをするんじゃないかなと思う。総じて契約した相手の言うことを一番よく聞くということが示してる」
「ファーレルも人懐っこい性格だとしてもアリアスに特になついていることに変わりはない。……訓練は厳しいらしいぞー」
その前提ありきで話さないでいただきたい。
その後アリアスとディオンが建物の中に戻り一時間ほどすると、疲れてしまった竜が戻ってきた。
遊び疲れたのだろうか、本格的に図体は別として子どもなのだなぁと実感する。整えられた寝床に落ち着き、魔法石に囲まれた竜はふっと息を吐いたように思えた。
すぐに側に用意されていたご飯――大きな器に盛られたいつくもの肉の塊が置かれると、竜は口を開いて肉にかぶりついた。
その食べようは野生を感じさせるもので、一度では口に含みきれない肉を、鋭い牙で裂き、強靭な顎で咀嚼する。大きな骨はさすがに取り除いているので、中に混ざっている細い小さな骨をポリゴリと噛み砕く音が鼓膜を打つ。
ちなみに、人がご飯から寝床まで、生まれたばかりのときは魔法で温めてもやると隅々まで世話をしている頃を過ぎた成体の竜たちは自分たちで狩りをし、食事を摂っている。
狩りは巣の近くの山、またはもっと遠くの人の目には触れないそれ専用の山でしているのだとか。そのため時折竜たちが動物を狩りすぎていないか山の生体調査が行われている。
しばらく、他の魔法師と同様に竜の食事風景を眺めていたアリアスは今日はこれから騎士団の医務室に行くのだと思い出して出口に向かう。
通路に一歩出ると、背後からの竜の食事の音に、カツカツと鳴る靴音が混ざった。アリアスの靴音ではないので、誰かが通路を歩いている。
「アリアス」
「はい。――エリーゼ様」
呼ばれて反応すると、向こう側からやって来たのはエリーゼ。まだ話をするには開きすぎている距離を詰めたエリーゼが目の前で止まり、靴音も止まる。
アリアスは復帰してからエリーゼに会うのは初めてだ。
「久しぶりですね。もう身体は平気ですか?」
「はい。あの……長く休んでしまい申し訳ありませんでした」
「いいえ、事情は知っています。あなたが休む理由はわたくしが作ったものだから」
「え」
例の奇病云々が甦る。
アリアスが唐突に休むことになった理由。レルルカが作ったものにしては発想が飛んでいる、とアリアスにのみならずルーウェンにも思わせた理由だ。
首を傾げた通りその理由を作ったのはレルルカではなかった。が、エリーゼが作ったにしてもにわかには信じがたい。
「レルルカがどのようにするか迷っていましたから、期間が容易に予想できない理由を用意すればいいと考えあなたの直接の上司になるわたくしが引き受けました」
「あ、ありがとうございます」
はきはきと言われると、なるほど正論となる。どうも師はアリアスに仕事復帰させる期間を具体的に述べていなかったようだから、「珍しい病」にかかったことにすればどのタイミングで戻っても治ったのかで終わる。
それにしても奇病はあまり思いつく人はいないのではなかろうか。
「それはそうと、ファーレルに大層なつかれたそうですね」
「え、あ…………そう、みたいです」
「わたくしは早くも契約相手を見つけたのかと思ったのですが、違うようだとも聞きました」
エリーゼの視線がアリアスの後ろに向いた。
アリアスもつられて振り向くと、奥には食事途中の竜の姿。
「竜は、騎士団の方以外の人を選んだことはあるんですか?」
アリアスが向き直って尋ねると、エリーゼの視線が戻ってくる。質問の答えを探るように「過去には……」とエリーゼはゆっくり話しはじめた。
「わたくしが知る限りではありませんね。現在での傾向からも分かるように明らかに魔法力も身体的な強さも申し分ない魔法師を選ぶようです。そのため必然的に騎士団の魔法師を選ぶことになっているのでしょう。元より竜に会わせられるのは騎士団団員に限られ、それ以外に彼らに接する魔法師は私達の職以外にはありませんから」
確かに、騎士団にはそういう魔法師が集まることになる。一方、竜の育成に関わる魔法師は治療専門の魔法師であり、体力勝負の要素もあるにはあるものの竜が求めているのはそうではないのだろう。
「しかし、あなたが素質を見込まれている可能性は捨てきれません。何事も可能性が全くないということは考え難いものです」
エリーゼは慎重な考えを示し、「引き留めてしまいましたね。傷が完治したことは聞いていましたが、元気な姿を見ることができて何よりです」と、アリアスの肩を軽く叩いてすれ違った。
エリーゼが入れ違いに中へ入っていく背中を見、さっきの彼女の言葉を思い出す。「可能性は捨てきれません」――確かに可能性を全否定できることは世の中には少ないだろうが、そんなに慎重な考えは置いておかなくても良いと思うのだ。
竜の契約の実態は聞いただけで、よくは分からない。竜がなついているのは、自分でもそうだと分かる。
しかし竜のこれまでの判断基準もさることながら、あの竜は契約相手として自分を見ているのではないと、アリアスは感じていた。
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