第11話 彼についての話
まあ殴られたなんて無いがね、とゼロの父は付け加えた。
「息子がどれほど話したかは知らないが、ゼロと我が家は少し複雑というか関係の薄い部分がある。そのことは知っているだろうか」
「家の関係」とゼロの父は言ったが、アリアスはすぐにそれが示すところを読み取った気がした。
ゼロの父は左目のことを言わなかった。
けれど、示されているのはゼロが生まれつき持った左目の色彩ゆえに作られてしまった家族の形のことだろう。
母親とは左目のことで距離が置かれたと聞いた。弟とも仲が良いと言えるほど遠慮のない距離にあるとは言えないようだった。
ゼロは左目を覆われ、そして魂のこと自分のことを知った上で家督を放棄して、騎士団で生きてきた。
「はい」
この人は、この話をするために先にアリアスと会ったのだ。知りたかったと言い、本当に投げかけたかった質問はきっとこれだ。今までの質問も、これに根差すものだったと知る。
ゼロと家族との距離。――その原因となったであろう、眼帯で覆われた左目。ほとんどの者が見たことがないその下を知っているのかと、彼の父は言っている。そうアリアスは解釈し、間違えていないと確信があった。
第一印象やどうしてゼロを選んだのだという質問は遠回しに、とても遠回しに問うていたもの。
「侯爵様」
「お義父様」
「……お義父様」
すかさず訂正されて調子が崩されながらも、アリアスはしっかりと話しはじめる。
「私は、ゼロ様が隠していらっしゃる左目のことも知っています」
それにその理由も。
おそらくゼロは事実――魂の事情――を言っていないと思うから、アリアスはあなたが懸念している事項は知っているのだとだけ伝わるように述べた。
真っ直ぐに、色彩は少し異なりながらもゼロと同じ目をした目。
ゼロの父は、アリアスの言葉を聞いて少しの間何も反応しなかったが、やがて「そうか……」と呟いた。安心が混ざっているような声だった。
「初めて見たとき、どう思った?」
「驚きました」
ゼロが隠している左目を見たのは出会ってしばらく経ったときのことだ。突然のきっかけがあっての出来事で、当時はとても驚いたと思う。
余計なことは言うことは出来ないので、アリアスはそれだけを答えた。
「驚いただけ?」
「強いて言えば、はい」
「あの目の色は人にはゼロ以外には見たことがない。――竜の持つはずの目の色だ」
「そうですね……。夕暮れのようなあの色は、竜が持つ目と同じ色です」
夕暮れのような橙色は彼らだけしか持たない色。ゼロの左目は人にはまず見られない色だったことが、彼の人生にとって全ての始まりなのだろう。
しかしそれは彼の魂がゆえのことであり、そう言うのであれば自分も同じなのだと言えればいいのに。
言うことは出来ないから、嘘だけは言わずにアリアスは微笑んだ。
「とても綺麗な橙色だと、私は思います。お義父様」
「綺麗……か」
アリアスの言葉の一部をなぞり、ゼロの父は沈黙した。水色の混じる灰色の目がアリアスを見続ける。
「…………ゼロ、お前は……」
瞳が伏せられ呟かれた何かは、ほとんど口の中で言われ、アリアスには断片しか聞き取れなかった。唇の微かな動きが止まると同時に、視線が上がった。
「綺麗だとは、親でも思わなかったことだ。私は、ゼロの左目を隠すことが最善だと信じて疑わなかった」
最善だったかどうかはアリアスには分からない。隠さずに堂々と生きていた場合どうなっていたかは想像出来ない。
魔族しか持たない黒髪を持ち、当然人間にはいない黒髪をした師のように何らかの形で納得されただろうか。だが、ゼロの場合「竜が持つ色」だと一部とはいえ中々の人数が知る色だった。
「息子から幼い頃の話は聞いているだろうか。左目に関しての、家の話を」
「少しだけですが」
どんな風に、と言われてアリアスは記憶を取り出しながら簡単に語った。かつてゼロはアリアスに左目ゆえの今に至る身の上を語ってくれた。
右目は遺伝通りの色だったが、生まれつき左目は橙色。母親は自分の子だとは認めず、今もあまり接点はない。彼自身が家を出たこともあるが、疎遠な事実には変わりない。持っていることがおかしい色彩だということは早くから気がついていたから、左目を覆われることに抵抗はしなかった。と。
「ゼロの目を隠すことにしたのは私だ」
彼の父の声には、罪を告白するような声音が滲んでいた。
左目を覆われた、とゼロが言ったということは今は自主的にもはや習慣で隠しているとはいえ、初めは誰かにされたということだ。身の回りの人間。母親か、父親か、あるいは他の人間か……父親だったのだ。今、アリアスの目の前にいる人。
「外に出たならば周囲に特異な目を向けられるという想像は難くないと思い、病気でやむを得ずとの理由をつけてまでそうした。ゼロは目を覆われることに抵抗しなかった。疑問も投げかけず、やがてそのままでいることが当たり前になった」
現在、眼帯姿は周りも当たり前と捉えられているゼロ。その理由として、病気や怪我といった噂が流れている。本人に聞く者は滅多に現れないそうだが、適当に流しているらしい。
元々は流されたものが源だったのだろうか。確かに、眼帯をするには何かしらの理由が無ければ不自然。
クレイグは息を吐き出すと共に、「ゼロと母親との間に初めから作られてしまった溝は、なくならなかったがね」と昔を思い出す目付きで語った。
「私の妻――ゼロの母親は貴族の女性にしては元々少し内に籠りがちの性格でね……そのせいにするにはあまりなことかもしれないが、生まれた子の左目の色にショックを受け、しばらく臥せった。赤子を近づけようともせず、体調が戻り落ち着いても、一度最初から作ってしまった距離は縮まらなかった。左目を覆った後もね。
子どもは驚くほど敏感だ。母親が自分に接しかねていることを感じ、物心ついた頃にはもう遅い。ゼロは自分から母親に近づこうとはしなくなっていた。八年ほど経ち次男が生まれても、今度はゼロが距離を図りかねているようだった」
母親との距離は母親から。やがてゼロからも。弟との距離は、ゼロからだった。
彼は自らの左目の色彩の特異さに、結構早くから気がついていたと言った。魂の事情を知る前、彼は如何様な心境でその事実を受け止め、家にいたのだろう。
現在の彼の姿は、過去の彼を経ての姿でもある。今の姿を知っていれば十分だと思う。けれどアリアスは話を聞いて、少し苦しくなった。
「魔法学園に入る前までゼロはいずれ私の跡を継いで侯爵となるための教育を受けていた。親の贔屓目無しでもゼロは優秀で、次々と知識を吸収していった。……しかし、どこか淡々としていた。これだけが自分のするべきことで、することを許されたことに対するようだった。私だけでは不十分、母親の存在は必要なのだと思ったよ。ただ、あの子の場合母親はいるのにも関わらず関わることを拒否されたことが原因なのだろうな」
自分を否定されたと感じてもおかしくはなかったのではないだろうか。
そのときアリアスは、数年前にゼロがその目のわけを話してくれたとき、左目を見たアリアスの前から消えたことについて口にしたことが甦った。
――「気味悪がられたくねえ。でも、離したくもない、けど、傷つけるなんて論外だ!」
悲痛にも思える叫び。気味悪がられたくない、傷つけたくない。
母親に遠ざけられ、左目を覆う選択。それらが及ぼし、普段は出てこないながらも心の奥底に残したものではないだろうか。
「魔法師になり騎士団に入ると言われたときには、この日が来てしまったかという思いとこれで良いのかもしれないという思いがあった。無責任だろう。ゼロが意志を固めた目をしていたものでね。情けないが、そんな選択をさせてしまったことに後悔をすればいいのか、自分で道と意志を決めたことに安堵すればいいのか私には分からなかった」
家督を放棄し、外で生きる。安心したのは選択の内容にではなく、ゼロが意思を持った目で決めたことだと言う。
「……それは、無責任ではないと私は、思います」
アリアスは首を振った。
何も知ったかぶりは言えない。内情を、聞いてしか知らないから薄っぺらなことにしかならないだろう。
だけど、アリアスはこう思う。
「私は、今のゼロ様しか見たことがありません。知りません。その私から言わせていただけることがあるのであれば、少なくとも今の道は後悔するような道ではないように、思います」
ゼロにとっても、父親にとっても。家に居続けてどうなったかは分からないが、家の外に出てこれまでゼロが歩み、来た現在は見事なものだと言える。地位、功績もそれを示せるだろう。
すると、クレイグは頷いた。
「ゼロは強くなった。元々強かったが、異なる意味で。そして、生き生きとして見える。今の光景を見ると、良かったと思える。ゼロはあの子自身の道を勝ち取った。それは間違いないことだ」
今の彼はとても強い。騎士団で堂々と生き、団長にまでなっている。昔の話の想像が出来ないくらい。
「そしてゼロはもう、一人ではない。友も出来、居場所も自分で作り――彼が一緒にいたいと願う家族ができる」
それはとても嬉しいことだと、彼の父は噛み締めるように言い、他ならぬアリアスを目に映す。
「アリアス」
「はい」
「息子をよろしく」
アリアスに言うその顔は――そうか、父親の顔だ。
母親がゼロを自分の子とは認めなかったとは、他ならぬゼロ自身から聞いていた。また、彼の弟であるランセはゼロと兄弟らしき距離にないことも知っている。
目の前にいるゼロの父は、明らかに息子の心配をしていた。結局家を出る選択をさせてしまった息子が、それゆえの問題を知る人と出会ったのかを知りたかったのだ。
「はい、お義父様」
アリアスはそれに答えられるように、はっきりと返事した。厳密に言えばゼロは、アリアスが頼まれなくとも大丈夫だけれど、この「頼む」は彼に何かしてあげるように頼むものではないと思った。
私はあなたの息子の側にいる。これだけは約束できた。アリアスの望みと願いでもある。
クレイグが「ありがとう」と言う顔を見て、この短時間で彼がどのようにゼロを思っているかを知ったアリアスは、一人まだ不確かな人について聞きたくなった。
「あの、……私が入り込むような問題ではないとは重々承知なのですが……」
「言いたまえ」
「……夫人は、今も……」
ゼロのことを、同じように見ているのだろうか。距離を置きたいと思っているのだろうか。
恐る恐る尋ねたが、ゼロの父は沈黙した。しかしアリアスが少し後悔したとき、静かに口が開かれた。
「近くからいなくなって身に染みる後悔はあるものだ」
返された答えは、それだけだった。明確なことは言わず、ゼロの父は寂しそうに笑った。
「さて、しようとしていた話が終わってしまったのだが折角だ。屋敷でゆっくりしていきなさい」
「――え、でも、いいのでしょうか」
一転、軽い調子での自然な誘いに、アリアスはとっさに尋ね返す。今日屋敷に行くことになるとはますます予想していなくて、頭が追いついて来ない。今から?
「いいも何も、むしろ来てもらわなければ息子と入れ違いになってしまうな」
「え?」
笑ったスレイ侯爵その人がコンコンと背後を叩くと、馬車はゆっくりと動きはじめた。そういえば止まっていたのか。
進み始めてしまったものを止めるにも、招きを断ることは失礼だと判断して留めた。それに断る理由も無いのである。
アリアスも乗せた馬車はパカパカと王都のスレイ侯爵の屋敷へと歩みはじめた。
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