第10話 馬車の中には



 イレーナとマリーと別れ、アリアスが連れて行かれた先には一台の黒塗りの立派な馬車があった。御者台には、馬に繋がれている手綱を持つ御者がいる。


「どうぞ、お入り下さい」


 ここまでアリアスを導いてきた男性は、馬車のドアを開いて丁寧にアリアスを促した。

 明らかになった馬車の中――男性の姿が一つ。その男性が、外から見ているアリアスに顔を向ける。

 灰色の髪と、水色が滲む灰色の瞳を持つ男性だった。歳を重ねながらも精悍な顔立ち。ああ、確かにゼロの父だ。実際に一度も見た記憶はないのに、一見しただけで分かった。顔立ちに『彼』の面影を見たのだ。


「一先ず中へ入りなさい」


 目が合って、外に立ったまま動かず見つめていたアリアスは馬車の中から声をかけられて、我に返った。


 アリアスは見知らぬ人にのこのこと着いてきたわけではなかった。店の外でアリアスに声をかけた男性がゼロの父の名前を出したので、その身なりなどから無視するわけにもいかないと感じたのだ。ここに来るまでにいくらか落ち着いて考えてみると、大丈夫だろうかと思っていたものの、待ち構えていたのは疑いようもなくスレイ侯爵であろう。


「し、失礼します」


 恐る恐るといった感じで馬車に乗り込むと、外からドアが閉められる。再度促されるままに向かいの席へと腰かける。

 馬車の中は広くゆったりとした空間で、内装も外と同じく貴人が乗る馬車と分かる上品な印象。座る部分もソファーと遜色ないような、柔らかなものだった。

 それらに相応しき装いをした人が、目の前にいる。


 ゼロの父は侯爵だ。スレイという名字は貴族の中でも知られているもので、国の西に領地を持つそうだ。当代スレイ侯爵は大臣職についており、国の政務に関わっている。魔法師としての資格も持っているとか。

 同時に、城にいることが少なくない方と分かるわけだ。広い城、政務関係の区画はアリアスが立ち入ることはないとはいえ、もしも見かけたことがあったりなんかしていた日には、何かしなかっただろうかと気がかりでならない。おそらく会ったことはないだろうが……と、つまりは迫る日に緊張しすぎるほど緊張していたのだが、それがまさか、日も来ない間に会うことになろうとは。

 しかしながらなぜこのような方法で。一体どのような用件でと、混乱する頭でも一つだけ心当たりがある。


 色々なことを考えてはおれど、アリアスは急な事態から来るますますの緊張に襲われていた。

 座ったはいいが、思ったよりもずっと近い。向かい側の目を懸命に見つめ返しているアリアスは、覚悟を決めて、さっき入ったときのようにつっかえないようにと慎重に息を吸って口を開く。


「挨拶が遅れてしまい、申し訳ありません。アリアス=コーネルです」

「私はクレイグ=スレイ。ゼロの父だ」


 その男性は侯爵や他の公的な身分を名乗りはせず、ゼロの父と名乗った。


「アリアス=コーネル。ゼロが決めた結婚相手で間違いはないな」

「――はい」

「アリアスと呼ばせてもらっても?」

「はい」

「では私のことはお義父とう様と呼んでくれるなら嬉しい」


 危うく「は?」と間抜けた声を出すところだった。

 今、何と。……おとうさま?

 心構えをしていたアリアスはあらゆる予想からかけ離れたことを言われて、面食らった。とっさには聞き違いか幻聴かと思えど、クレイグは真面目な顔で見返してくる。

 だからアリアスは、待たれているように作られた沈黙もあって、聞こえた言葉を試しに反芻してみる。


「お、お義父様……?」

「良い響きだ。未来の娘、いやすでに娘も同然」


 ゼロの父が機嫌良さそうに笑い声を洩らすもので、アリアスはぱち、ぱちと大きく瞬く。

 厳しそうな印象を受ける真顔はどこへやら、破顔すると一気に感じる雰囲気が柔らかくなった気がした。

 そうやって笑うクレイグを見ていると、昨日話したルーウェンの言葉を思い出した。ゼロの父と面識がある彼が語った人柄。

 ――「どういう人かと言うと、見た目こそ――客観的に見て厳しそうに見えるが、話してみると取っつき難さもない良い人だ。ゼロに似ていると思うところもあると俺は思った」

 そうだ。この人は、ゼロの父親なのだ。すでに分かっていたはずの事を再認識した。


「突然来てもらってすまない。驚いたろう」

「えぇと、はい、少し」

「先日、ゼロから近々結婚相手を連れて帰る予定だという内容の手紙が来た」


 この休暇中に、今王都に来ているゼロの家族を訪ねる件だ。


「心の底から驚いた。しかしそれ以上の情報を得ようにも、手紙をひっくり返せどそれだけしか書いていないものだから、勝手に調べさせてもらい君にたどり着いた。家に連れて来てもゼロのことだ、どうせさっさと帰る算段だろうということはお見通しだ。それならば先に会って話してしまおうと思い、今に至る」

「話、ですか」


 何だろう。想像出来るとすれば当然結婚についてであり、やはり侯爵家であるゼロの家族の考え方がどうあるのか、という辺りだろうか。思いつく事がそれしかないので、多少和らいだ緊張もまだ残っている。


「ああ誤解がないように最初に言っておこう。結婚に関しては許すだ何だ以前にゼロの自由だ。私に反対する気は無い。ゼロは家を出たとはいえ確かに貴族だが、彼が身分を証明するものとして差し出すのは魔法師ということ、また騎士団の団長であることだろう。個人的な心の持ち具合としても、魔法師となったゼロの結婚に口を出す理由はない」


 しかしクレイグはあっさりとそんなことを言った。アリアスが理解しようとまた大きく瞬くのに対して、笑う。


「実に驚いたことこの上ないが、可愛いげの無さすぎる息子がこんなに可愛い娘を連れて来てくれるのは思わぬ嬉しい誤算と言うべきだ」


 ますます笑みが深くなる。


「なるほど。アリアスは反対でもされると思って緊張していたのかな?」

「……いえ、その……ここに私だけ呼ばれる理由が他に見当たらなくて……」

「ここに君を呼んだ理由は話をしたかった、それに間違いはない。だが結婚について難癖つけるのではなく、単に家を出ては一生結婚などしないのではないかと思っていた息子がどんな子を妻にと気になって仕方がなくてね。息子邪魔無しで会って、知りたかったためだ」


 アリアスを見る目が少し細められ、「可愛い子で意外というか、何と言うか」と続けては独り言のように呟いた。


「では、お話しというのは……?」


 アリアスがどのような者か知るためとでも解釈すれば良いのだろうか。

 大層拍子抜けの軽い内容に聞こえて、アリアスはそれでも彼の父ということで緊張すればいいのか安心すればいいのか分からない心境になる。突然放り出された気分だ。


「そうだな。例えば、ゼロと最初に一体どこで出会ったのかは気になるな」


 簡単な質問に、アリアスは素直に考え、答える。


「お城の庭で……お会いしました」


 出会い方は、彼が空から落ちてきたのではあるが。


「第一印象は?」

「第一印象……?」


 何せ数年前のことである。が、ある意味人生で一番衝撃的な出会いだったので、出会ったときのことは記憶に残っている。


「……花を踏み潰した人、でした」

「花を? 踏み潰したのか、ゼロは」


 思い出そうとすると思い出したそれが懐かしいと思っていると、ぽろりとそのままこぼれていた。


「何をしているんだ、うちの息子は」


 目を丸くしたクレイグは呆れが混じりながらも、初めて聞くだろう話に笑みが生まれていた。

 うっかり思い出したままに口に出してしまっていたアリアスはちょっと慌てる。


「あ、もちろんわざとではなかったんです」

「わざとであれば問題だ。そこから言えば第一印象は悪かったということか」

「いえ、花のことでは、そこまで……」


 花はすぐに治してしまったので、悪印象と呼べるものは抱いたことはなかったのだろうと思われる。ただしすぐ後に衝撃的なことが起きた気がする。

 結局最初の方の大部分の印象は、『兄弟子の友人』であったのではないだろうか。


「それに、関わらせていただく間にすぐに優しい方だとは分かりました」

「優しい?」


 クレイグは答えを吟味するように黙し、「まあ第一印象も何も結婚の話まで出ているのだから、今さらか」と今までの流れをばっさりと切る言葉を口にした。


「君はどうしてゼロを選んだ?」


 前置きも何もない、話題が飛んだとも思える唐突な質問。

 真っ直ぐにぶつけられた感じがした感覚は置いておいて、アリアスは問いの意味に内心首を傾げる。

 選んだ、と言うのは少し違う気がする。他に選択肢があったわけではない。彼が現れ、彼がいた。選んだと、選んでくれたと言うのならゼロの方ではないだろうか。

 だから推測するに、なぜゼロと結婚するのかという問いだと捉えて考えることにした。


「なぜ選んだのかという質問への答えは、持ち合わせていないのですが……なぜ私がゼロ様と結婚するのかというと、私がゼロ様のことが好きだからです。ゼロ様以外に、一生側にいられたら幸せだろうと思える人はいないと思うからです」


 結婚、夫婦とは生まれながらにして持っていた「家族」とは違うだろう。また、師や兄弟子といったアリアスにとっては限りなく家族に近いような存在とも違い、元は他人と家族となること。

 好きになった人と、家族になることができる。それは特別なことだと思うのだ。

 そうあれたら嬉しいと思う人なのだと、アリアスは答えた。今までの頼りない答え方ではなく、しっかりと。


「ゼロ以外にはいない?」

「はい」


 直後、厳格さは消えたものの笑みが途切れなかったクレイグの目が揺らいだように見えた。想像もつかないのに、例えば、泣きそうに。


「――――こんな日が来るとは」


 囁くように、いや、小さな声しか出なかったような声も微かに震えているように聞こえた。


「侯爵さ……お義父様?」

「ああすまない。柄にもなく、目とついでに心が熱くなった。歳かな」


 「いいや、歳ではないな」とクレイグは少しだけ笑みを滲ませた。


「アリアス」


 改めてアリアスを見たゼロの父を取り囲む雰囲気が、弱くなったように思えた。表情のせいだろう。


「君の言葉を聞いて、私はとても嬉しい。人生で嬉しいと感じたことの上位に入るな」

「そ、そうですか……?」


 いまいちどう返せばいいか分かりかねるお言葉である。

 けれども冗談を混ぜた言葉とはどこかちぐはぐに、クレイグは今までとは異なる笑い方をした。とても優しい微笑み。


「私はね、ゼロが結婚しようとするということは、騎士団としての義務や貴族の義務ではなく、一人を守ろうとすることを意味すると捉えている。それがどれほど嬉しいか」


 この上なく嬉しいことなのだと、言外にも表れる声音だった。


「重ねて断っておくが、難癖つけるつもりでさっきのようなことを聞いたのではない」

「分かっています。私は、気にしていません」


 難癖つける言い方には全く聞こえていなかったため、意識していなかった。アリアスは首を横に振る。

 代わりに、アリアスはゼロの父に違和感めいたものを覚えていた。その言動が単にアリアスの人柄を確かめるものには思えず、何か言いたいことが他にあるように思えた。

 ――「君はどうしてゼロを選んだ」

 この問いをされて初めて、これが唯一何の覆いも無しに尋ねられたものだと感じたのだ。


「お義父様、一つ良いですか?」

「何かな」

「お義父様が今日私だけをここにお呼びになったのは――失礼ですが、本当に私がどのような者かお知りになるためでしょうか?」


 意を決して尋ねてみると、クレイグはそれを問われることが分かっていたようにさほど様子は変わらなかった。


「ゼロは家を出てから、ほとんど家に帰って来ることはなくてね」

「はい」

「今は度々手紙を送りつけているが、返事が来ることはほとんど無い。城で稀に顔を合わせていることもあるのだろうが……今回手紙が来たときは何重にも驚かされた。いつから、いつの間に、本当に、結婚とは本当か、とね」


 しかし、とゼロの父は続ける。


「同時に懸念があった。相手はゼロの全てを知っている子だろうか、と。息子にとっては余計なお世話だろう。あるいは君にとっても」

「ゼロ様の全て、ですか」

「そうだ。私は息子の幸せを願う。だからこそ、結婚相手である君に少し、確認と話したいことがある。――息子に後で責められ、殴られるなり何なりされるとしても」


 水色が混じり、ゼロの色とは少し異なった灰色の瞳は真剣な光を宿していた。





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