第4話 生活の反面で
医務室、竜の育成の場と職場単位で結婚の報告を行った傍ら。アリアスは子どものときから城を歩き回るような環境にあったため、そういったお世話になった人へも報告をすることもあり……残すは自然に任せてといったところだった。
「結婚!?」
これほどまでに素っ頓狂な声は……マリーに張るな、と思考の隅で思った。目の前で驚いているのは現在騎士団所属、学園での同級生が二人。
場所は医務室の通路。昼休憩時で、端で立ち話だ。アリアスの近くにはイレーナがおり、マリーもいる。
「知らなかった。そんな相手いたんだなぁ」
「ええぇ、同級生がこんなに早く結婚するとは思わなかった」
そんな気配がなかったからとびっくりし、同じ年の身の回りの人間が早い結婚をしたことにもびっくりしつつ、事実はすんなりと受け入れられた方だった。
「ねえ誰とだと思う!?」
そわそわっとしていたマリーが一段落ついてから前のめりに、彼らに問いかけた。「ここから先よね」とイレーナが隣で呟いた。
「相手? 少なくとも同期じゃないよなぁ。そうだとしたら聞いてたはずだし」
「アリアスの相手って何か想像出来ないな。あーでもなんか、医務室の人っぽい」
そんなイメージなのか。じっと見られて、考え込まれてアリアスは微かに笑う。
「おれたちでも分かる人?」
「あなたたちのところの団長様とよ」
暴露は早かった。これまでとは異なる言い難さが彼らに対してはあると分かったのか、イレーナがすっと言った。
瞬間、推理していた二人はぽかんと呆ける。「は?」と言ったっきり静かになって、たっぷり一分。
「えええええぇ!?」
二人して驚愕の声を上げて、なぜか後ずさってしまった。それからアリアスの手元を見て、顔を見合せ、こそこそ密談しはじめる。
「そういえば団長が指輪……」
「相手が医務室の人とかって……」
二人共、襟章の色は白。所属騎士団は白の騎士団。
だから医務室の友人たちに言う場合や、竜に関わる魔法師の先輩に言う場合と違って言い難さがあった。この二人にとっての団長はゼロだ。
どうもゼロの結婚は耳に挟んでいたようだが、まさか学園での同級生がその相手だとは思わず、別々のものとして切り離して受け取っていたらしい。
「……どこからどう繋がったらこんなことになるんだよ……」
二人は若干放心していた。
***
約一年前の一時期、騎士団団員、特に白の騎士団からの視線はひしひしと感じて戸惑わざるを得なかったが、今ではそれほどではない。
話題としては、今でも医務室の魔法師との間では話している中に混ぜられることもあるが、日常会話の範疇だ。さすがに団長であるゼロの影響力はすごいなと思った次第であった。
現在、結婚の事実も同居も完全に落ち着いている。
午後からは医務室に来ていたアリアスは、医務室を利用する騎士団の団員が途絶えたところで窓際で包帯や薬品類の点検を行っていた。
窓の外は夕暮れ時、春の夕陽は柔らかな色味を出し、世界を染めていく。
毎年来るこの時期は、医務室にも新人が入ってきて新人教育があったり、騎士団にも新人が入ってきて医務室の利用が増えたりする忙しくなると決まっている時期の一つだ。
また、今年はどうも暖かな春にも関わらず、珍しく冬の風邪が残り続け、風邪を引いている人が例年より多く見られた。それもあって怪我の手当ての備品だけでなく、風邪のための咳止めやらの薬が減っている。
その全てをその日の終わりに点検する。減った数や量を記し、補充して確認して、終わり。
補充してもらって、最終確認にあたっていたアリアスは確認を終えて、後は必要事項が記入された紙を指定の位置にしまいに行くだけ。
捲っていた紙をぱら、ぱらと戻していく。
今日はアリアスの方が先に帰るはずだから家に帰って、夕食を作って待っていよう。
「シチューにしよう」
城に来たときから知る城の料理人に教わって、母の味ではないけれど、自分に馴染む味に変えたものだ。初めて作ったときからゼロが気に入ってくれて、おいしいと言う笑顔を見ると、こういう喜びも生まれるのだと知った。
そういう幸せもあるのだと異なる幸せを感じ、見つけ、その側に必ず彼の姿がある。
紙を直して、整えるとそこにあるのが当然となった指輪が目に入った。
「あ、アリアスやっぱりまだいたわ」
紙を引き出しにしまっていると、声をかけられた。イレーナだ。
お疲れ様、と声をかけ合う。
「仕事終わりよね?」
「うん。どうかしたの?」
何か用がありそうに見えて尋ねると、イレーナが顔を寄せるので、アリアスも耳を傾ける。
「ルーウェン団長がいらっしゃってるわよ」
小さな声が教えてくれたのは、それだった。
ルーウェンの妹弟子という事実も、ゼロとと結婚のタイミングで、どこからの情報かとうとう広く知られるところになり、芋づる式に師のことも明らかになった。だがこちらは先輩方の中には知る人もいたので今まで必要性がなかったとはいえ、洩れなかったことが奇跡なのかもしれない。そのため反応は狭くといったところだったか。
もう、以前考えていたようなことは思わないことにした。
魔法師になったが、自分が彼らに恥じない魔法師になれているかどうかの自信はなかった。自分から言わなかったのは必要性は感じられなかったこともあるが、彼らの弟子、妹弟子であることを念頭に置いて見られたときに、落胆されることを恐れていたし、彼らに泥を塗ってしまうのではないかと不安があった。
ゼロのことも同じで、無意識に、自分が彼の隣に立っていることを周りはどう思うのかと思っていた部分があったと思う。
そういうことを、考えないことにした。アリアスはアリアスであり、師や兄弟子との関係で期待された通りではなかったと思われても、それはそれだ。確かに力量の差は歴然で、とてもではないが兄弟子のようにはなれないだろう。
でも恥ずかしいような魔法師になったつもりはないから、胸を張っていようと思う。
仕事は終わっていたアリアスが外に向かうと、ルーウェンは人があまり行かない方の建物の影にいた。
「ルー様」
「アリアス、久しぶりだなー」
声をかけると顔がこちらに向き、微笑む。
「ちょっと顔が見たくなって来たんだ」
ちょうどアリアスと一緒にいるところをよく見るイレーナを見かけたものだからまだいるかと聞くと、いると思うからと呼びに行ってくれたのだとか。
兄弟子に久しぶりだと言われて、彼の前に立って見上げたアリアスも同じ感覚を抱く。
「とても、久しぶりのように感じます」
ゼロと毎日顔を合わせ過ごす日々を送る反面、兄弟子と会う機会はこれ以上ないくらいに減少した気がする。
宿舎に入って働きはじめたときから、会う機会としては急激に変わったことはないはずなのに……。どうしてだろう。
「暮らす場所も離れたからかな?」
長く、広く言えば同じ敷地内で暮らし、過ごしてていたのだ。塔や宿舎に対して、騎士団だったり城。
「あとはゼロと毎日いることによって、俺の顔を見ていないような気がしているのかもしれないな」
ルーウェンはアリアスの頭をゆっくりと撫で、ぽつりと呟く。
「……ゼロが一緒に住んでいるとなると少し、羨ましくなるかなー」
兄のように思っていても、師とてルーウェンとてアリアスと共に暮らしたことはない。昔王都外を旅をしていたときは、同じ宿に泊まることもあり、同じ部屋に泊まったこともあったけれど。家族がそうするように、暮らしたことはない。
「羨ましい、ですか?」
「うん?」
呟いたのは無意識だったのか、聞き返すと、ルーウェンは瞬いた。そして、声にしたことを思い出したようになって、笑う。
「取られた気がして、寂しいな。アリアスがこんなに早く、お嫁に行くとは思ってなかったから」
「それは私も少し、予想外です」
ずっと一緒にいたいと思う人。ゼロと会う前のアリアスはこんなに早く結婚しているどころか、結婚する未来さえ想像していなかったから。
「まったく、あいつは突然現れて、人の妹弟子取って行くんだからなー」
ルーウェンはすでに一年経ちそうな前のことを今言った。笑顔で、抱き締めてくれて、祝福してくれた兄弟子はどうやら寂しいとかいうことを思ってくれていたらしい。今初めて聞いて、嬉しい気がした。
「おまけに半年前から、ゼロから家での話を聞くようになった。アリアスがそう感じたように、俺がアリアスに会えてない気がするのは、だからなんだろうな」
アリアスがゼロと一緒に過ごして、ルーウェンを見てすごく久しぶりに会った気がしたように。アリアスの話を聞いて。
それで、今日会いに来たらしい。
それにしても、家での話とは何の話をしているのだろう。
ずっとアリアスを撫でているルーウェンが、ふいに少し首を傾けた。
「アリアス」
「はい」
「幸せか?」
突然の問いに、アリアスはきょとんとした。いきなりの改まった質問だ。けれどルーウェンの穏やかな目を見て、答えは迷うべくもないから頷き、答える。
「はい」
――それならいい、と聞こえた気がした。兄弟子がとても柔らかく、微笑んだから。
「あ、喧嘩したらいつでも飛び出してきていいぞ。俺がゼロのことを代わりに殴ってやるからな」
どういう喧嘩の事態を想定しているのだろう。殴るとは穏やかではないが、自然な流れといったように、とても柔らかな笑顔で言う兄弟子は少なくとも本気のようだった。
「困ったらいつでも相談しにおいで」
「はい」
ありがとうございます、とアリアスは微笑んだ。いつまで経っても、兄弟子は甘い。
「それと時々師匠にも顔を見せに行ってあげてくれ」
「師匠に?」
「うん」
師は結局最高位の魔法師であり続け、放浪魔法師にもなっていない。外に出かけているのかどうかは、少なくとも部屋に行った時に不在であったことはない。……前に会ったのは、いつだったろう。
「そういえば……師匠の姿は随分と見ていないような気がします」
ルーウェンは騎士団にいるから時々姿を見るのだが、師に至っては城の部屋にいるから行かない限り姿を見ることはない。
仕事をしているだろうか。
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