第3話 飛べない竜と親心






 前にしか目はないので、後ろからの襲撃という、常人では回避不可能な出来事を前に為す術はなかった。

 結果思いっきり頭を打ち、ペンを取り落とした。額からぶつかった先は壁ではなかったが、頑丈さを誇るものなのでけっこう痛い。

 しかし痛いとは言わず、無言でぶつかったものから顔を離す。


「……ごめんね、サファエル」


 アリアスはまず、ぶつかってしまった青い竜に謝った。強かに額を打ったのは竜の体、いかなる刃も通さない硬い鱗は、下手をすると地面や壁より余程硬いものだ。

 気性の穏やかな青い竜は、随分高い位置にある顔を下ろしてきて、むしろ気遣うかのような目でアリアスを見つめた。契約相手にそっくりだなと思う。

 ありがとうと手を伸ばして硬い鱗で覆われた顔を撫でると、またも後ろから押されてゴツンと額に衝撃が加わった。痛い。

 二回目のごめんを青い竜に呟き、額を擦りつつ今度こそ後ろを振り向くと、大きな白い壁が立ちはだかっている。


「こらファーレル!」


 先輩魔法師が来るなり竜を叱った。


「アリアス、大丈夫?」

「平気です。押されただけだったので」

「……体当たりが直っていて良かったわ」


 額は鈍い痛みがまだ残るが、大丈夫だ。うずくまるほどの痛みではない。

 先輩はアリアスの額を確かめると、後ろにいる白い竜を見上げて言い聞かせはじめた。「あのね、ファーレル」と。


 実を言うと、背後からの何らかの動きは予想はできたことではある。

 大きな竜が歩いてここまで来て、足音もなく気配もなくとはいかない。来たな、すぐそこにいるな、とは感じてはいた。

 アリアスを押し青い竜にぶつけた白い竜を見ると、その体はここ一年でさらに大きくなっていた。

 大人の竜と比べるとまだまだ及ばないくらいとはいえ大きく、かつてのように体当たり紛いのことをされていたなら、アリアスはさっき額のみでなく全身打ち付けられていただろう。

 しかしそうならなかったのは、最近見られてきた配慮のため。他の竜の行動で覚えたのか、体当たりはなりを潜め、頭で押すという主張の仕方となった。それもまた、人間にとっては力の加減で前に押し出されたりするが、少なくとも押された瞬間に骨が折れたりする衝撃は伴わない。

 元々このまま大きくなっては怪我をすると、突進する都度言い聞かせる方針をとってきた育成方針のたまものでもあるのかもしれない。


 と、思いたいが怒られながらちょっと首を傾げているように見える竜は、頭で押すのは他の竜もしていることがあるだけに、なぜに怒られているのか分かっていない様子。

 今回怒られているのは、前にぶつかるものがあったことゆえである。仕事中というのは理解しろというのは別の話だ。

 子どもを叱る親のような光景を横目に、アリアスは落としたペンを拾って竜の体調確認の続きに戻った。


 最近の忙しさには、ファーレルが遊んでほしがることによる異なる忙しさが加わっていた。遊ぶと言うより構ってほしがっている、か。途中から予想はされていたが、成長するにつれ人なつっこい性格は増していっている。


「他の竜が飛ぶときは、大人しいんだよなぁ」


 本日は、飛行訓練は予定されていない。

 毎日ここへは来るようになっている竜たち。集まった内の数体が巣に戻るためか、単にひとっ飛びしてくるのか、次々と空へ飛び立つ。

 青い空を数度旋回し、闘技場から見える空から消えていく。その一連の様子を、まだ残って相手をしてくれている竜を前にしているファーレルは、空に釘付けになって見ていた。

 前はこれほどまでではなかったのだけれど、今ではこんなにも、同胞が空を自由に飛ぶ姿を見つめるようになった。空を飛ぶことに、焦がれるように。

 体調確認の仕事は終わり、先輩たちと一緒にファーレルと他の竜の様子を眺めているアリアスは、空からファーレルに視線を移した。白い翼はまだ、あの竜の体を浮かせることはできていない。


「ファーレルも飛べるようになれば、他の竜と一緒にいられて退屈しませんよね」

「僕らといるより、同じ竜といた方がコミュニケーションも取れるだろうし、色々自由だとは思うけど。空を飛べるようになれば、軽くどこへでも飛んでいけるから退屈はしなさそうだ」


 体が大きくなるにつれ、どことなく地面を歩きにくそうに見えてしまう竜だから、空を飛べるようになることは、大きな意味を持つ。


「……飛べそうだと、いつも思うんですけどね」


 その場にいる先輩が全員頷いた。

 長く生きる竜なのに、体の大きさの変化を見る限りでは人間の子どもよりも余程成長が早い。また、成長するにつれ、魔法石に囲まれて寝ていたところ、眠っている時間が前ほど長くはなくなったりしている。先日炎も出した。

 だが、まだ飛べない。


「まだまだ真似の段階なんだろう。過去の竜の記録を見ると、今飛べていないことは普通でもある」

「飛びたがっているみたいだから、早く飛べるようになればいいのにね」


 竜の成長度合いにも個体差がある。過去には炎を出すより先に飛べるようになった竜が多くいたようだ。炎を生み出すこと、飛ぶこと。そうできるようになる歳月の長さはまちまちだ。

 外に出るときの魔法石を外す時期もまた、それぞれだから現在様子見状態だ。ファーレルは特に生まれて一年も経っていない、元々魔法で囲み続けなければならないときにC.@悪くなるなど、影響を受けている。

 様子を見て、慎重に、徐々に弱めていっている状態で、今のところ異変はない。このままいけば魔法で囲む環境は無しになるだろう。やがては他の竜と同じ環境に。

 それも、成長の証となる。


「でも、それはまだ勘弁してほしいな」

「どうして」


 先日ご乱心気味にあった先輩は普段通り。

 空を見上げていた先輩は問い返されて視線を下げる。ファーレルを見て、目を細める。


「あの様子を見ると早く飛べるようになればいいなとは思うが、それは手を離れていくことを意味する。それは寂しいだろう」


 成長が早いと喜ぶべき一方で、巣立ちが早くなることも意味するから複雑。


「炎もあれ以来見ないし、思っているよりまだまだなのかもしれないな」


 先日少しだけ炎を見せた竜だったが、あれから一度も炎は見ていない。意図して出したものではなく、そうできるようになっている体だと示されたもののようだという印象だ。

 体の大きさもそうだけれど、ファーレルが大人に近づいていっていることを表す。この竜は今まさに重大な成長の途中。あくまで途中なのである。

 だから空を飛んで、他の竜と共に巣へ旅立つ日はまだ先。


「あるいは、そう思いたいのかもしれない」


 先輩は残念そうでいて、僅かに安堵も混ざりながらの苦笑を滲ませた。複雑な感情が見え隠れする。


「卵のときから見て、近くにいることが当たり前になって飛び立つかもしれないときが見えてくると、まだ早い、まだいてくれないかって思ってしまうんだなぁ」


 翼があるのだから、飛べるように。竜に相応しい空に、愛しい竜が無事に飛び立てるように願う。

 その一方で、まだ地上にいてくれて構わないと願うのは、まるで複雑な親心。

 決して手の届かない場所に行ってしまったり、二度と会えないわけではないけれど、巣に行ってしまうから関わる時間は格段に減って寂しさはきっとあるから。

 生まれたときかはずっと見てきている。まだもう少しこのままでいて、一緒に過ごさせてくれないか、と。


「お、来たぞ」


 残っている竜と戯れていた白い竜が、その様子を見守っているこちら側に駆けてくる。

 どんどんと近づき、前までやって来て止まる竜は高い位置に頭がある。手を伸ばしても、届かない。

 けれど竜の方から下げられてきた頭、アリアスのぶつけた額にその鼻先がそっと触れる。配慮が見られてきたとはいえ、勢い余って前に倒れそうになる触れ方をしていたとは思えない繊細な動作だ。

 簡単に届く位置に来た頭を撫でてあげると、以前のような高い声から変化した声が鳴いた。

 次いで、他の人にも撫でてもらいに行く。撫でてもらうことが大好きな竜になった。

 もう、ずっとの付き合い。周りが総じて自分を慈しんでくれていることが分かっている。最初は好き嫌いがあって噛みつきそうになっていた人にも、「気に入らない」が残りつつ噛みつきそうになるような様子は見せなくなっていた。


「こうやって撫でてもらいにくる辺りも、子どもっぽい」


 体が大きくなろうとまだ子どものように見えるのは、名残による錯覚か、実際そうなのか。

 「小さな竜」の背後では、最後の竜が空に発つ。


 闘技場からはのんびりと戻った。

 城のある敷地に戻ると十分なスペースは設けられてはいるが、竜の体の大きさを考えると限られているとますます感じてしまう。

 だから、城から離れ、闘技場に至るまでの広い場所で竜がのびのびとするがままに任せ、皆で見守りながらゆっくりと戻っていく。

 竜の様子を見ていると、これほど大きくなると飛べた方が便利だろうなとことあるごとに思う。今よりは体が小さかった頃と比べると、見ている方として感じる身軽さが減った気がするのだ。

 しかし行動は相変わらずのやんちゃで、草を踏み締め、咲く野花を蹴散らし、蝶を追いかけ回す。大きさも相まって、地が揺れそうな勢いだ。


「ああ蝶がまた一羽犠牲に……」

「言い方止めてくれる」


 竜の口に吸い込まれていった蝶に先輩の一人が大げさな悲劇的な声音をして、すかさず返されたものだから、笑ってしまう。

 先輩の一人は少しここから動かないことを予想したか、その場にしゃがみこみ、また異なる蝶を追いはじめた竜を眺める。

 皆して、眺めている。


「狩猟本能が刺激されるのかね。猫じゃらしを揺らしておけば、遊ぶか?」

「猫じゃないんだから」

「でも普通の玩具おもちゃでも遊ぶわよね」

「あれ遊んでるんですか問題が浮上しますよ。単に一律噛み砕かれてますから」

「歯が痒いんじゃない?」


 成長期だからなぁ、という空気が漂った。そういう問題なのだろうか。

 全員意識は竜に向いていて、心なしか会話はふわふわしている。アリアスも例外ではなく、暖かな天気でいつまでも見ていられるような気がするから、ぼんやりと竜を見つめて、先輩たちの会話を聞いていた。

 そこで体からは浮くがまだ機能を果たさない翼を目にして、思う。


「空を飛べるようになったら、今度は鳥でも追いかけ回すんでしょうか」

「飛べるようになったら……やりそうだなぁ」


 空を仰いだのはアリアスだけではなかった。

 晴れた空には悠々と飛ぶ一羽の鳥がいた。翼を広げ、風に乗って飛んでいる。その翼、体が何色かは小さすぎてよく分からないが、群れをなして飛ぶような種類の鳥ではないらしい。


「鳥って丸飲み出来るんだろうか」

「羽が引っかかりそうね」

「竜なら出来るかも」


 蝶と重ねすぎである。

 鳥の丸飲みが出来るかどうかはさておき、白い翼で飛ぶ竜は、空の青色にきっとよく映えるに違いない。






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