第33話 覚悟の理由
――物心ついたときにはその場所におり、育っていた。ハッター公爵家に生まれたことを、どうやって疑えただろうか。あの日何も聞くことがなければ、おそらく自分は家を出ることもなく跡継ぎとしてあの家にいたのだろうと思う。
本来所持する部屋とは全く別の、ひっそりとした場所にある部屋。簡素な部屋に、ルーウェンは窓に向かって置かれた机について、ひたすらに手を動かしていた。
机の上にあるのは作成途中の引き継ぎの書類。
地下にある境目を封じる結界が綻び始めているのにも関わらず、情報は増えることなく時間が過ぎていく。方法が他に見当たらない以上、ルーウェンが結界魔法を使用する事がすでに決まっていた。
その方法が大きな代償を伴うことも承知の上で、これほどまでにも短期間で結論が出たのは予断を許さぬ案件であるからだ。何も手を打つ準備をしないわけにもいかない。
正式な日にちは決まってはいないが、そのときのためにやっておかなければならないことがある。のんびりとした身辺整理ではなく、主に引き継ぎが大きなもの。
地位上必要な書類は大量にあり、ここ数日は何も考えずに耽っていられた。
だが、動かし続けていてはさすがに疲れる手を止めて感傷に浸るとは、そこそこ意識していないところにはきている部分があるらしい。
無理もないかもしれないと他人事のように、窓の外をぼんやり目に映しながらぽつりと思った。それも、もう日暮れかと遅れてやって来た何でもない考えに、緩やかに思考が流されて行く。
外には今日も雪が降っており、空が雲に覆われているために、時刻以上に暗い。
部屋の暖炉は活用していないがために室内の温度は大変低くかったが、どこか感覚が鈍くなっているらしく、特別寒いとは思わない。
「――はい」
とっさに返事した。ノックされた音が耳に入った。
返事してから一体誰だろうかと考える。ここに来てから、外では騎士団のことで副団長を勤めている男とは会ったが、この部屋でとなると……。
「よお」
「……ゼロ」
自然に入ってきたのは見慣れた同僚の男。
入ってきたゼロは簡素な部屋の中に視線を一巡させてから、胡乱気な目をルーウェンに投げかけてきた。
「騎士団の部屋にもいねえ城の部屋にもいねえ。お前、なんだってこんな面倒なとこにいる」
「サイラスさんの方は一段落ついたのか」
「そっちは今いい。連れ戻した時点で一段落ついてんだ。――そっちじゃねえだろうが」
地下の境目の件が明らかになったときゼロはいなかった。
境目の封じについて色々明らかになった現在、ゼロは任務から戻ってきたばかり。それからも色々と任務の関連事項に追われ、まともに事を知り、同時に方法を耳にしたのはごく最近。
こうして捕まることにはなるとは思っていたルーウェンは、話を違う方へ持っていくことを止める。
「全部聞いた。下に境目があること以外も、まあとりあえず会議で聞いたこと以外も全部無理矢理聞いてきた」
「全部ってどこまでだ?」
そして誰に無理矢理聞いたのか。
少し苦笑いしたくなる。
ゼロの方は笑う気配はなく、ルーウェンの聞き返しも無視をしてこう問うてきた。
「お前――今、何考えてる」
とても漠然とした問いであった。
何を考えているとは、表面だけを掬い思い返すならば、ろくにものは考えていなかったもので「何も」とでも答えるところだろう。
しかしそんなことを返そうものなら、「ふざけてんのか」とでも言われそうだ。
やはり他人事のように自分の状況を思い、意識をゼロに戻すと、灰色の片目が睨んでいるかと思うほどに鋭い。
この同僚が先ほど言った、全部聞いたとはどこまでか。本当に全部だと、明確に語られてはいないが感じた。
それならばと、彼が入って来るまで、この部屋で幾度となく今になってぼんやりと考え続けていた事が口に上ってきた。
「今になっても考えることがある」
「何が」
「俺が公爵家を飛び出したことは正しかったのか。大人しくしているべきではなかったのか、今俺が歩く道は俺の我が儘じゃないのか」
独り言を自分に言うように口に出す一方で、当時、長男として何も知らないふりをして家督を継ぐわけにはいかないと思い、考えられなかった過去が甦る。
ルーウェンの人生の転機は実は複数ある。その根元と言っても良いものが、一つの真実にして、信じる信じない以前にそうだと前提としてあった生まれの偽り。
知った日、知った時、知った瞬間がある。
――「やはり陛下に似ているな。何も知らない者は分からないだろうが、どうしてもそう見える」
他にも交わされていた会話の内、よく覚えているのはなぜかこの一部だった。他に決定的な内容があったはずなのに、これだ。受けた衝撃が大きすぎたのかもしれない。だから知ってしまった真実と衝撃は残り、決定的な瞬間は頭の中から消えてしまったのかも。
『ルーウェン=ハッター』は偽りであるという、嘘が貼りつけられていた事実。
何歳の時だったか、十にはなっていなかった。十に満たない子どもであったルーウェンは衝撃を受けた。
ただし一番衝撃的だったのは王の子どもであったということではなく、父だと思っていたエドモンド=ハッターの息子ではなかったということだった。
子どもにとっては容認出来る範囲を越えていたのだろう、今まであった環境と記憶にヒビが入る音が聞こえた気がした。
聞いたばかりのそれを咄嗟に自分の中に仕舞ってみたはよかったが、しばらく動揺が収まらなかった。
動揺を誰にも悟られないように笑顔で覆い隠す術を完璧に身につけたのは、この影響だっただろうか。
しばらく経ち――どれほど経ったのかはもう定かに覚えていない――だからといって誰かに話してどうにかするなんていうことは、昔も今も考えたこともない。あくまでエドモンド=ハッターの「息子」であると、それでも認識していたのだ。
……せめてそうであることは許してもらいたかったのかもしれない。
ただそれまでと同じようにはいられないと感じて、考え、取った行動は当時自分に考えられた最善の方法。
家を出る。そして家督を放棄するという無責任で我が儘なことをするからこそ、それに代わることを為さねばならないと思った。
現在の師に弟子入りするとき、ルーウェンの身分に怪訝そうな顔をしていた師がルーウェンが自らの身の上を知ったと悟ったことで親と話すことを条件に弟子入りが受け入れられた。今、その位置にあるということは当然、当時話したのだ。
エドモンド=ハッターその人に、全てを。何を聞き、知り、これまでと同じようにはしていられないか。父は驚き、そして、――ルーウェンがいつからか抱え受け止めたことを見てとり、真実を語った。確かに実の親ではないこと、なぜこのような形になったのかを。
けれどこれだけは分かって欲しいと言われたことは、ルーウェンがそれだけは否定して欲しくなかったものだった。「ルーウェンは、私達の息子だ」と。過ごしてきた時間と光景、特に向けられてきた感情は紛い物ではない。
肯定して欲しかったことが言わずとも与えられたルーウェンは安堵と嬉しさを感じながらも――改めて父から語られ肯定された真実に、決心した。それで十分だ。
自分の考えを告げた。父公爵は悲しそうにしながらも、受け入れてくれた。
今日のことはここだけの話だとも。
望み、選んだ道であった。だが、現在も何ら変わらず接してくれる父に果たして自分は『あの時』からそれ以前と変わらずに接していられているだろうか。今でもふと、考える。
何もせずにはいられなかった一方で、何もせずに何も聞かなかったことにしていれば良かったのではないだろうか。自分の中に仕舞い、せめて父には言わなければ。過去に話をしたのにも関わらず、反対に蟠りとなり普段は隠れているそれが今急激に思考を埋め尽くしていた。
「それはお前のせいかよ」
「……?」
「お前が家を出たのはお前の意思だとしても、その要因はお前のせいかって聞いてんだ」
「……それは」
「違うだろ。子は親を選べねえって言うのはここでは違う気もするが、少なくともお前が生まれてそこに至ったのはお前のせいじゃねえ。誰かに責任を課すとすると周りの人間だ」
違うか?と聞き返され、ゼロの言っていることは正論なのだとは理解は出来た。
ルーウェンが物心ついたときには公爵家で生まれたかのようにその場にいたのは、ルーウェンのしたことではない。周りがそう思わせようと、ルーウェンを含めた何も知らない者たちにそう思わせるためにされたことなのだろう。
「お前は今ある場所が間違いとは思ってねえんだろ?」
「思っていないな」
「ならいいだろ」
あっさりと言われたことに、そうだなと言いそうになって不思議な心地に陥る。
そうだ。ここまで来た人生だ。家を出てから何度思ったか分からないことで、随分前にこれで良かったのだと、家督問題もややこしいことにはならなかったから良かったのだと結論が出ていたこと。気持ち的にも整理はついていた。納得することも出来ていた。
だから、今さらそんな過去を振り返るのはやはり――。
「それより、だ」
ゼロが机の上の書類に目をやって、表情を険しくさせた。手が書類を一掴み、浮かせたかと思うとバサリと落とす。
「ルー、本気か」
ゼロはこの話をしに来た。
地下の境目の封じを、ルーウェンが古来からしてきたと思われるこの身全てを尽くすことで行うことについての話。
何を考えている、という問いは本来それに向けられた言葉だったのだろう。
「『それ』に関しては間違いなく」
「……死ぬぞ」
「そうだな」
「そうだなってお前、どう考えて結論出した」
気がついたときには混乱、いや困惑、戸惑い――言い表せないような心地に至った。自分の知らない何かが悟った役目を受け入れながらもついていけていない心があった。
しかし時間が過ぎてゆくにつれ、やっと出てきた事実は他に出来る人材は居らず、どうにも選択肢はないらしいということ。
覚悟を決める過程はさておき、それで、最終的には。
「良かったと思った」
「……は?」
ゼロが意表を突かれた表情をしたのを見て、ルーウェンは少し微笑んでみせた。
「俺が本当は父上の子ではなく、その血を継ぎ魂を持ち生まれてきたからこそ俺にその資格が、俺だけに資格があるんだからな」
「何言ってやがる」
得体の知れないものでも見ているような目で見られるので、言葉が足りなかったかもしれない。このままではただの狂者だと補足をするべく口を開く。
「――アリアスはどうすんだよ」
息が詰まり、開こうとしていた口を閉じた。
そのせいで自然な受け答えと言うには不自然な間が空き、ようやっと口を開けた。
「……それを持ち出すのは卑怯だな」
「卑怯でもなんでもねえよ」
いいや卑怯だと言い返そうとしたが、息が詰まる名残がどうしようもなく、声を出すことに失敗した。
その内に、ゼロが続けてしまう。
「俺もまだアリアスには会えてねえけどな、どうせお前会ってねえんだろ」
「……会いたいのは山々なんだけどなー」
「じゃあ会えよ」
「……」
「ルー、お前がいなくなったとして誰よりも悲しむのは誰だよ」
この男の率直すぎる言い方は、こんなときに言われる身になってみると、酷く突き刺さる。
「ゼロ、この話はよそ――」
精神的に後退りかけていることを見透かしたように胸ぐらを掴まれ、正面、間近から聞かされる。
「アリアスだろ」
「――――」
「その事実を分かってんのかって聞いてんだ。その上でアリアスに会わずにこんなとこに籠っていなくなろうってのか」
「そうでもしないと、」
だがルーウェンも言われるばかりではない。反射的に言い返し、ほぼ無意識だったがために一度息を吸う。
目の前を見据えて、喉の奥から声を出す。
「そうでもしないと、俺の決心が揺らいでしまいそうなんだよ――」
弱い言葉とルーウェン自身が思ったよりも弱く出た音に、胸ぐらを掴む力が揺らいだ。
言うつもりのなかった言葉を吐き出したルーウェンは諦めて、弱く微笑した。
「時間がないんだ。お前ももしかして感じているんじゃないのか? 俺よりも、もっと。一刻も早く、こうしている間にも本当は封印をし直すべきなんだ」
「そりゃあ確かに、」
「大切な妹弟子、この上なく大切だ。今アリアスに会うと、おそらく俺はまだ欲が出る。だから
被せるように言うと、ゼロが一旦黙る。それを良いことに、ルーウェンは続ける。
「でもな、ゼロ。だからこそ俺はやるんだ。俺だって、他に方法がないからといってこの地の誰もかものために命を投げ出す覚悟がすぐに出来るほどできた人間じゃない。誰かのためにじゃないと出来ない。護るためなら嘘だってつける、俺が見せたくないもの聞かせたくないことを目と耳に入る前に防いでみせる、――良くないものをもたらす境目だって塞いでやる」
「お前」
ルーウェンが言い切った言葉を聞いたゼロは眉を
「……前から思ってたけどよ、度が過ぎねえか」
「お前に言われたくはないな」
「確かに分からなくはねえけど、――一回聞きたかったことがある」
「あのな、ゼロ」
違うんだ、とゼロが『聞きたいこと』を言う前にルーウェンは軽く頭を振る。
「俺はお前のような感情をアリアスには抱いていない」
確かに大切な存在だ。
だがそうではないのだと言うだけでこの男は納得しそうになく、ルーウェンはこの際だから言ってしまおうと口を開く。
「俺は――」
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