『王家の秘密と逃亡者』編

第1話 建前







 とても長かった雨はアリアスが気がつかない内に止んでいた。一時は豪雨とまで言える激しい雨を降らせていた厚い雨雲はどこかに消え去ってしまったかのようで、外に出て見上げた空は眩しいほどに澄み渡っていた。

 アリアスはその空よりも深い色の目を持つ兄弟子に「おかえり」と抱き締められた。疲労で具合が悪くなり熱まで出したアリアスはとても心配され、柔く長い抱擁の中で余計な心配をかけてしまったなと思った。

 帰って来て医務室送りになった件ではイレーナには怒られてしまった。彼女も「おかえり」と言ってくれた。



 *



 仕事にも復帰し、現時刻は夜も夜。

 アリアスは生まれたばかり……ではもうないが「小さな竜」がいる建物に、一日中目の離せない竜の世話のためにいた。

 まだ契約していないおおむね白色の鱗の竜は南部に行く前と比べると一回り二回りほど大きくなっているように見えた。アリアスが並べば目線は同じくらいになるかもしれず、それでもすでに成体の他の竜と比べるとまだまだ小さい。


 夕方といっても季節柄陽が沈むのが早めなため夜のとばりが降りた頃から夜中を回り、竜の周りに配置している魔法石の交換をすればすでにいくつかは昼間に交換済みなのであとは交代交代、何かない限りは数人以外大してすることがほとんどない。特に予備人員もいいところのアリアスは。

 寝床は竜が起きている昼間に整えることになっているし、ご飯の時間でも外に行く時間でもなく寝る時間だからだ。ちなみに外に出るようになったのはごくごく最近でその際にも魔法石をつけて行くのだとか。

 そうやって徐々に環境に慣らしていき、同時に成長に合わせて飛ぶための翼も作りが相応になってきているので飛ぶ練習をするのだと聞いた。


 ということで、「ちょっと休憩してきていいよ」といった内容のことを言われてアリアスはその場から離れることにした。

 竜のいる大きな場所からひとつのドアを出て通路へ。火の灯りがぼんやりと最低限だけある背後から離れていくと、真っ暗になる、人はおらず左右の端に物が立てかけられたり箱や机が寄せてあったりする……少しだけ散らかった通路だ。

 気温が昼間よりもよほど冷たくなってきた時期、外とは隔てられていても建物の中もそれなりに冷えている。そういうわけでか渡された毛布でとりあえず身をくるむ。

 寝てもいいよとのことなのだろう。そう思ったのは、竜のいる空間の端で慣れたように同じように毛布にくるまり座って顔を伏せている先輩や堂々と横たわって休憩している先輩がいたから。たぶんというか、寝ているだろう。時間を無駄にしないと思ってもいいのか。

 下は掃除してあるが人が通るという点ではちゃんとしたところで寝た方がいいのではと思わないでもないが、アリアスはそこにためらったというよりも何だかまだ起きている先輩たちがいるところで眠る体勢で休憩することに抵抗を感じたというわけで。通路に出て来ていた。


「言ってきたから、大丈夫だよね」


 その点に関しては大丈夫だろう。

 ここら辺でいいかと長い通路の先と後ろの出てきた方との中間辺りで足を止めて、アリアスはしゃがみこむ。

 机なんかもある通路なので丸椅子も通りすぎてあった気がするけれど、寝てしまって落ちると怖い。

 ちなみに部屋はあるのだ。仮眠のための部屋や備品の管理室や空き部屋だってある。だからこそそこで眠らないことにアリアスは疑問を感じるのだが……何かしらの使命が芽生えているのだろうか。

 毛布の合わせ目の隙間をなくしてじっとしながら「仮眠室使いなよ」と言われたは言われたことを思い出す。「……いえ、ちょっと外にだけ出てもいいですか」とすでに部屋の端で展開されていた光景を視界の端に捉えつつ言うと「念のために言っておくけどね、あんなことしなくていいんだよあれは竜命の連中だから。竜に心酔しているっていうか何か竜っていう存在を育てることに異常に誇りと使命感持ってる奴らだから。おれとか普通に仮眠室使うから一緒にしないでよ頼むから」笑顔なのに本気の目で言われた。

 何かしらの使命感があることは間違いないようだ。


「竜の卵が来るのは、不定期だって言ってたし……」


 今回も前回から長い期間を空けての久しぶりの卵だとか。生まれたばかりの竜の世話をすることがアリアス以外にもはじめての人もいて、そういう胸の高揚があると熱く語りかけていた先輩もいた。「竜を育てられるっていうのは実に貴重な体験で云々」大切に育てなければという強い意識があるのかもしれない。

 そんなことを考えているうちに、身を包む毛布の中だけ温かくなってきたアリアスはうつらうつらと眠りの世界へ傾いていっていた。







「……ん」


 頬を何かがくすぐった。おそらく顔にかかってきた髪だろうがくすぐったくて身動ぎしようとしたら、先に頬に温かなものが滑ってくすぐったいものはなくなった。代わりにあるものが避けた髪を耳にかけて、露になった耳がひやりとした空気を感じる。


「……?」


 うっすらとあったアリアスの意識がふわりと浮上する。ゆらゆらした不確かな感覚から明確なそれへ、はじめに体勢がいつも眠っている身体が横の状態ではなく座っている状態だと気がついた。背中には真っ直ぐな固い感触、もたれかかって膝を抱え顔はほぼ膝に伏している。何でだろうとゆっくりと顔を上げはじめ膝を抱える手をひとつ離し寝ぼけ眼をこすろうとすると、衣服の上を覆い手が顔に向かうことを阻む分厚い布があることに気がつく。毛布だ。

 何となく眠りに落ちる前の記憶が甦ってきて完全に思い出す前に顔を上げると、アリアスが座っている前に誰かがいた。

 片膝をついてこちらを見下ろしているのは。


「……ゼロ様……?」

「こんなところで寝てると身体冷えるだろ」


 暗い中、すぐ前にいたのは確かにゼロでそんなことを言われる。

 冷える。言われてみると毛布の隙間から中の温かい空気に冷気が混ざっていて、下につけている面特に足が冷たい。

 目の前にぼんやり目を向けたまま確かに寒いかもしれないなと考えて、


「入りますか?」

「……寝ぼけてるか?」

「いいえ……?」


 では目の前の人も寒いのではないだろうか。と思考が流れ、寒いときに兄弟子が幼いアリアスにしてくれたように、友人に暖を分け与えるように毛布を片手で少し広げてみせて同じ感じで言ったのだ。

 しかしながら聞き返されて、首を傾げたアリアスは「ん?」と何かおかしいと目を凝らす。ぱちぱちと目を瞬き、見える状況を理解していく。

 とうに誰かというのは分かっていて、以上の行動をことにより分かったことといえば……完全に寝ぼけていたということだろうか。

 アリアスは改めて前にいる人を認識し、目より遅れて目覚めてきた頭で誰に何を言ったのかと徐々に考えて理解していき目を見張り――赤面する。


「わ、忘れてください」


 早口で撤回の言葉を発し、慌てて毛布を握り込み視線を逸らしてしまう。

 寝ぼけていた。けれどすっかり目が覚めた。だから余計に恥ずかしい。

 ゼロの方なんて見られなくてだからといって顔を伏せる以外の行動を思いつかない。逃げたい気持ちに駆られるも逃げるわけにはいかないだろう。

 せめてこの毛布に隠れてしまいたいと色んな現実逃避が過る最中、熱くなっていくアリアスの頬に触れた手が、下を向くアリアス顔が上げさせる。

 手は前からで、合わせることになる顔は当然ゼロ。

 その顔はアリアスが手によって上を向かされた動きを止めたときには近づいてきていて、静かに頬に口づけする。一度ではなく離れては今度は違う箇所に。


「あのゼロさ、」


 止まる気配のないそれらに声をかけかけると唇が合わせられた。


「今度こそ風邪引くぜ?」

「だ、大丈夫ですから」

「そうなったらたまったもんじゃねえな」

「ゼロ様」

「あと、アリアスが黙って行って心配させられた分まだ埋まってねえから」


 帰ってきてから会うたびにこんな感じだ。アリアスは申し訳ない気持ちがあるので即座に何も言えなくなり、それよりもなんというか前にも増して触れられる回数が増えた。

 甘い熱を移すような行為は静かにゆっくりと続けられ、アリアスは暗い中で赤く肌を染めていった。





 満足したのかここが通路だと思い出してくれたのかどうかは定かではないが、甘く触れることを止めたゼロに手を引かれてアリアスは立ち上がっていた。誰も通らなくて良かった、あと暗くて良かった。明るければこんなものじゃ済まないくらい恥ずかしかっただろう。

 赤いだろう顔が冷えた空気で自然に冷めてくれることを待ち、見れるようになったゼロに改めて問う。


「どうしてここに……?」

「竜見に来た。団長なんて面倒な仕事が増えるもんだが、こんな権限を利用できるのは利点だよな」


 団長だから入れるらしい。

 貴重な竜という存在。さらに生まれて期間は経っているが「赤ん坊」と言っても差し支えない存在は大人と比べると弱く大切に育てていかなければならない。出入りは誰にでもというわけにはいかず、関係者でなければ普通は許可を取ることも難しいのだ。


「っていうのは建前で、アリアスに会いに来た」


 かと思うところりと明かされた「建前」。だからここにいるのかと納得しかけていたアリアスぎょっとするはめになる。

 建前が重要すぎやしないだろうか。ゼロを見るも冗談の気配がない。職権乱用という言葉が浮かぶ。


「……職権乱用ですよ」

「上等だ、要は本当に竜の様子を見に行けばいいってことだろ。それより仮眠室あるだろ」

「えぇとそれに関しては……色々ありまして……」


 職権乱用上等ときた。にやりと笑うゼロはなんということなく話題を変えてきて、アリアスは歯切れ悪く、ゼロが首を傾げるのをなんとかやり過ごし「建前」を一応遂行してもらうべく竜のいる広い場所に行った。

 そうするとやはりあの光景が部屋の端にはあるもので、目ざとく早い段階で見つけたゼロが「馬鹿かこいつら」と実際に言ったのとそういう表情をして、アリアスは苦笑いするしかなかった。









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る